【Ⅱ】#3 幼気な“Queen”と、麗しき乙女“Bshop”
長く続く鬱蒼な森の中では様々な獣の鳴き声が聞こえてくる。だが、虚華は此の鳴き声が何の生き物の物かは一切知らなかった。
虚華達が暮らしている時代のディストピアには人間以外の生物が殆ど生存していなかった。
だから、臨が初めて森の中で鳥を見かけた時は目を見開いて驚いた。なんなら虚華は腰を抜かしかけていたが、必死に隠していたのを臨は目ざとく見ていた。
普段の虚華なら、はひゅう……と情けない声を出しながらへなへなしている。しかし、ディストピアとは別の意味で緊張している虚華は、なんとか鳥とかいう未知の生物と出会っても大丈夫という体裁を保ちつつ、気丈に振る舞っていた。
だから、臨が森の中に潜んでいる虚華曰く《未知の生物》となるべく出会わないようにルートを考えながら森を抜けようとしている事に気づかなかった。
「きゃあ!何か音した!あっちから!何なんなの!」
ガサゴソとそれなりに大きい生き物が、見えない位置で移動した際に生じた物音に、過敏に反応する虚華を見た臨は半目で虚華を見ながら宥めた。
「大丈夫。あれはただの犬だから」
「なんで犬がこんな所に居るのぉ……」
そんな事を言っても、此処は自分達は暮らしていた場所ではない。此処で何が出くわしてもさほど驚くべきではない。
虚華は頭の中で分かっていても、それを「はい、そうですか」と納得できるほど大人じゃない。虚華達はまだ十歳、本来なら親の庇護下でぬくぬくと寵愛を受けて育つべき年頃なのだ。
「危険が及ぶなら、燃やす。大丈夫、虚」
言葉足らずなのか、省略しているのか分からない話し方で、雪奈は左手で炎をぼぉっと出し、空いた右手で虚華の頭をぽんぽんと撫でて慰める。
「だ、大丈夫。も、もう怖くないから……。あれが犬だと分かれば余裕!」
《人間が恐怖する理由の大半は未知から来るものである》
虚華が物心ついた頃には覚えてしまっている言葉が複数あるが、コレはその一つだ。正直、誰がこの諺を教えてくれたまでは覚えていない。
親の顔すら既に曖昧になっている虚華には、多分ある程度自分と親しい人間が言ってくれたんじゃないかな、程度の認識ではあるが、ちゃんとこの言葉達は虚華の生き方に影響を及ぼしている。
伝えたいことはちゃんと理解できるし、自分でもそう感じるから誰がこの言葉を教えてくれたかまでは気にしないことにしている。
先程まで虚華が怖かったのは、発生源不明の鳴き声が聞こえてきたから。何が鳴いているのか分からなかった。だから怖かった。恐怖を感じた。
でも、臨が発生源不明の生き物が「犬」だと教えてくれた。犬は知っている。だからもう怖くない。そうやって虚華は自分の心を自分で騙す。
この数ある諺達の伝えたいこと、言っていることは共感できる。自分でもそう思うから誰が言ったかまでは気にしないことにしている。
さっきまで虚華が怖かったのは、鳴き声が何の物なのか分からなかった。だから怖い、恐怖を感じた。
でも、犬だと分かった。だからもう怖くない。そうやって心に言い聞かせる。
そうしないと虚華の心を恐怖心が蝕んで行き、最終的には身体まで動かなくなってしまう事もある。
犬は知識として知っている。確か、昔のディストピアでは人々が買っていた愛玩動物の一種だ。愛玩用途で飼育されていたのなら、犬という生き物はさぞ、可愛いものだろう。
説明文の脇に簡易的な挿絵があったが、四足歩行をしている毛むくじゃらだぁという感想しか当時の虚華からは出てこなかった。
虚華は深呼吸をし、再び、臨の先導の元、森を抜けようと歩みを進める。こんな体たらくで大丈夫なのかなと虚華はため息をつくが、臨がその姿を見て虚華の背中をぽすっと叩く。
「どうせ、ボクらはディストピアのお尋ね者。この変な場所で一息つけばいい」
「うん……そうだね。分かった、先に進もっ。臨、案内お願いね」
「了解。こっちだ」
両手で頬をぱんぱんと叩いて気合を入れ直した虚華は、笑顔で臨の先導についていく。
臨は相変わらずの仏頂面で虚華の願いに首を縦に振り、先導を再開する。彼曰く、もう少しでこの森を抜けることが出来るとのこと。
探知魔術から索敵、哨戒等、敵の行動などを一手に担っている臨は虚華にとってとても大切な存在である。
勿論、友人としても一番古い幼馴染だ。彼との付き合いももう五年になる。
このグループの参謀のような役割を担ってもらっている上に、こうしたことまでやってもらうのは申し訳ないと感じながらも、臨本人が希望しているので虚華は任せているのが現状である。
この不思議な場所に行く決断も、この場所でどう動くかも、こうして索敵と哨戒をしてルート選択をして先導しているのも全部全部臨が一人でやっていることだ。自分がしたのは決断と選択だけ。
そんな自分の情けなさで、自己嫌悪している時間なんて無いことは分かっていても、ついしてしまう。
(本当臨は頼りになるなぁ、本当は私が助けなきゃいけないのに)
「あれ?そういえば雪は?」
考え事と自己嫌悪に陥っていた虚華はもう一人の仲間が自分の近くに居ないことに気づく。思考の海に溺れている間に何か言われたのかも知れないが、如何せん何も聞こえてこなかったから戸惑う。
(もしこんな場所で遭難したら……雪奈でも危ないかも知れない)
「あぁ。雪ならお花を摘みに行っている。先に行っていろと言われてるからな」
そう淡々と告げ、合流場所も伝えてあるし、問題ないと臨は言い、森を歩く。
「お花を……摘む?こんな森で?うーん、まぁ珍しいものでもあったのかな」
「……さぁね、ボクには分かりかねる」
特に興味もなさそうに臨は前だけを向き、進行方向にある邪魔な枝などをナイフで斬り、虚華の為に道を作る。
少しだけ答えに間があった事に虚華は少しだけ引っ掛かったが、どうせ聞いても答えてくれない事は分かりきっているので、溜息を少しだけ漏らし、臨に付いていく。
「わぁ!!今度は何!?」
臨の後ろにぴったりくっついて歩いていた虚華は、後ろの方から聞こえてきた爆発音と熱風でかなり動揺していた。
先程やっと“犬”の鳴き声に耐性をつけて頑張って歩いていたのに、今度は耳を劈く程煩い爆発音と、それに伴った凄い熱風が虚華を襲う。
そんな熱風を浴びても、森も臨も特に変わった反応を示すこともなく、大丈夫だ、と一声虚華に掛けて、再度歩き出す。
「ねええ、さっきのは何だったのぉ……この森大丈夫なの……?」
「あぁ、今のは雪がお花を摘んだ証だ。直に戻るはずだ」
恐怖と驚愕の連続でかなり顔が酷いことになっている虚華に対して、臨はこちらを見ずにさらっと告げる。
「何でお花を摘むとあんな爆発が起きるの……。超巨大捕食植物でも居るのぉ……?」
半べそを掻きながら臨に付いていく虚華は、足を止めずに愚痴をこぼす。
花を摘むという言葉の意味を知らないから、こういう反応をしていることを理解している臨は誰も自分の顔を見ていないことを良いことに、満面の笑みを浮かべ、クツクツと声を殺して笑っていた。
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「お待たせ、戻った」
臨の言う合流場所とやらに辿り着いた二人は、先程まで“花を摘んでいた”雪奈と合流した。花を摘んでいたと言う割には特に何も持っていない雪奈をまじまじと虚華は見ている。
そんな虚華を見て雪奈が不思議そうにしていると、虚華がととととと近寄ってくる。雪奈は心の中で可愛いなぁと思っていると、虚華が口を開いた。
「雪」
「ん?」
「雪は一体どんな花を摘んできたの。凄い爆風と音だったけど」
真面目そうな表情でそう聞いてきた虚華の顔を見る。巫山戯てる訳ではないことを感じると雪奈は、臨に対して小声で詠唱をして小さな炎を投げつける。
「何をするんだ、危ないだろ」
「……ん。何吹き込んだの」
「別に何も。雪が何処行ったって聞かれたから、花を摘んでいると答えただけ」
それが此の問題の顛末じゃないかと、呆れてしまった雪奈は先程から乱射していた炎の弾を止め、虚華の方を向く。
意味を知っている雪奈は、知らないであろう虚華の真面目な質問にどう答えたものかと思案したが、特に思いつかなかった。
でも、こちらの方を見て怪訝な表情をしつつ、答えを待ち侘びている虚華を見ると、下手な返しじゃダメなことを雪奈は悟る。
「虚華も直に分かる。乙女にはそういう時が来るって」
虚華は雪奈の言葉を聞き、んー?と唸りながら、頭の上に疑問符を浮かべる。
一方、臨は一人、虚華の見えない場所で全身を震わせてぷくくく……と笑っている。
虚華の頭をぽふぽふしながら心の中では、絶対後で虚華の居ない場所でぼこぼこにしてやろうと思った雪奈であった。
「よく分からないけど、雪が無事で良かった。臨、後どれぐらいで森を抜けられる?」
「エホン……、あぁ。もうすぐだ。此処はもう出口付近だからな」
何故か咳き込みをした臨からはもう少しでこの鬱蒼とした森を抜けられると言われ、虚華は微かに笑みを零した。
雪奈は小声で何かをぶつぶつと言ってはいたが、虚華は聞き取れなかったのか、臨とジアに辿り着いてからどうするかを簡単に打ち合わせをしていた。
「虚、あたしを辱めた虚。そんな奴に構ってないで、もう行こ?」
そんな態度が気に食わなかったのか、雪奈が呪詛を唱えながら虚華に飛びつき出した。
呪詛と言っても呪われるわけでもないただの悪態だ。辱めた覚えなんて全く無い虚華は、眉を下げて困った表情をしている。
「私何か悪いことを雪にしちゃったのかな……。どう思う?臨」
「多分、ボクにそういう事を聞くのが良くないんだろうな」
乙女の考えなんてボクはさっぱりだ、と言葉を後付けしながら、すっかりいじけてしまった乙女を何とか出来たら出発しようかとだけ言い残し、臨は本を取り出して自分の世界へと閉じこもってしまった。
(あれ?じゃあ私って……?)
「前に臨が私の考えることなんて全部お見通しって言ってたけど、私って乙女じゃない……?」
「乙女っていうよりかは、幼女かな」
ぽつりと疑問を言葉に出すと、本の世界に行ってたはずの臨から凄まじい暴言が聞こえてきた。
乙女というよりかは幼女。幼女。幼い女で幼女。どっちも歳の若い女の子という意味なのは知っている。
だからこそ、敢えて乙女ではなく幼女という単語をチョイスした臨から、悪意の混じったニュアンスが含まれているのはビンビン感じた。
「わたし、幼女か……十歳で二人と同い年だけど、幼女なんだ……あはは……」
「ん……、臨。幼女心も分かってない」
先程までふん、といじけていたはずの雪奈から飛んできたフォローじみた追撃が、虚華の心にグッサリ刺さって、ついには倒れ込んだ。
地面を涙で濡らしている虚華の頭をぽふぽふと撫でて遊んでいる雪奈と、やれやれと言いながら本を仕舞ってどうするかを思案している臨。
(いや、慰めるなり謝るなりしてよぉぉおぉ、私、此処からどうすればいいのぉ!)
割と盛大に凹んだは良いけど、ハイ大丈夫ですよとか言いながら起きるのは、なんか違う気がしてずっと涙を流してる虚華は心の中で盛大に叫んでいた。
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その後、地面に突っ伏したは良いが、盛大にどうするか悩んでいた虚華に一言謝罪を入れて事なきを得た臨達は長く続きていた鬱蒼な森を脱出し、ジアへと目指す。
ご満悦そうに臨の道案内に沿ってるんるんと歩いている虚華を見ている臨は「やっぱり幼女っていう単語のセンス自体は悪くないのでは」と少し不機嫌そうに呟いていたが、雪奈の魔術で黒から綺麗な灰色に変えられていた髪の毛を虹色に変えられてからは、そういった事は言わなくなった。
「あそこに見えるのが、蠱惑的な機械都市ジアだ。言っとくけど、この二つ名みたいなのはボクのセンスじゃないからな」
何故か、不機嫌そうにジアの二つ名までご丁寧に解説してくれた臨を一瞥してから虚華は街を見やる。
目の前に見えるのは確かにディストピアには無かった形の街。
煙突というものから黙々と煙が立ち込め、何となくだけど身体に悪そうだなぁと言うのが、虚華の第一印象だった。
後はなんかごちゃごちゃしてる機械じかけの街なのかなと言うのが、正直な虚華の感想だった。雪奈も似たような感じで、あそこに人が住めるの?と街に対して良いイメージを持っていないことが共通認識として存在している。
蠱惑的な機械都市 ジア。
その歪な二つ名が冠する通り、大多数の区域が機械じかけの建物や設備で出来ている都市。
近くには鬱蒼な森があり、そこからは木材を産出することが出来るため、燃料には困らない事から、製鉄から始まり様々なものが作られるモノ作りの街として有名である。
ジアは____の_____であり、区域長は____。___はジアを____に制定しており、中央には各区域から集まっている魔術学院「セントラル・アルブ」が位置している。
南部には探索者ギルド「薄氷」が存在しており、この区域の依頼などを一手に担っている。
出典 ____の街巡り記録 第六版
ログハウスに複数置いてあった書物と、地図と臨の索敵を合わせた結果が、このジアと呼ばれる街であると虚華は判断した。
それなりに古い物なのか、所々抜け落ちている部分があり、完全には読み取れなかった。
それでも同じ言語を使われているお陰で此の本から情報を少しではあるが、収集することが出来た。
後は現地の人間から詳しい話を聞ければいいが、それ以前に此処でどうやって生活するかも考えなければならない。
(流石に物を盗んで食べていくわけにも行かないけど……私達がお金を稼ぐ方法なんてあるのかな……)
文章の最後に探索者なる職業?みたいなものを斡旋している場所があるらしい情報はあるので、それに賭けるしか無い。
どの道、あの世界に戻っても死んだようなものだ、成るように成るしかない。
「行くしか無いし、行ってみよっか。ジア」
「そうだな、幼女もそう言ってるし」
「ん。幼女が言うなら。付いてく」
「幼女幼女言うな!!!“嘘”使うのも辞さないからね!!!!」
臨と雪奈は楽しそうに虚華に幼女という単語を浴びせる。その様はまるでいじめっ子といじめられっ子のように見えただろう。虚華も少しこめかみに青筋を立ててはいたが、二人が楽しそうならまぁいいかと一種の諦観の構えで、二人の罵倒を受けていた。
散々幼女攻撃を受けてげんなりした虚華は幼女ノイローゼになりそうになりながら、二人と共に機械都市ジアに入っていった。




