第5話
時刻は正午。報道が伝えるニュースは専ら、龍造寺議員の不倫及び未成年者との淫行容疑についてだった。
一気にやつれた父親が警察に連行されながらパトカーへ乗り込む姿をモニタ越しに見据え、龍造寺雅史は口端を歪ませた。
「クソ親父め……遂にドジったな」
放たれたその言葉は実の父親を慮る気持ちなど一切感じさせないほど冷めたものであった。それは雅史にとって、父親という存在が嫌悪の象徴であるからだ。
家庭を蔑ろにし、金で若い女を抱く。私利私欲の権化。それが雅史の瞳に映る父の背中であった。
いつか悪事が暴かれ、クソみてぇな日常ごとぶっ壊れてしまえばいい――幼少の頃、そう吐き捨てた事もあった。
冷めた瞳でテレビ画面を眺めながら、眠気覚ましに淹れたコーヒーを口元へ運んだ時、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
「あー、もしもし」
ディスプレイに表示された発信者名を見た雅史は、不機嫌そうに顔を顰めながらスマートフォンを耳へ押し当てた。
「母です。雅史さん、今どちらに?」
着信は雅史の母親からであった。
「あ? 外だよ、外」
雅史の現在地を正確に伝えるとすれば、ここはとあるホテルの一室である。しかし、母親に対して「ホテルに居る」と言う事は躊躇われた為、雅史はその問いに曖昧な答えを返した。
……とはいえ、雅史が家に帰らない日は多く、一応尋ねはしたものの、母親も彼が今までどこで何をしていたかの想像はついていた。
「そうですか。雅史さん、今朝、警察の方が貴方を訪ねて家へお見えになりました」
「……は?」
電話越しに聞こえる母の声はいつも以上に冷淡で、およそ親子の情など感じさせない程に無機質なものであったが、雅史にとってそのような事は些細な問題であった。それよりも警察が父親の龍造寺議員ではなく、雅史自身を訪ねて来たという事の方が、彼にとっては遥かに大きな問題である。
ゴクリと喉を鳴らし、雅史は震える唇で問い掛ける。
「いや、な…何で俺に?」
「私には分かりません。ですが……もし心当たりがあるのでしたら、早急に出頭なさった方が良いのではないでしょうか」
用件だけを伝え、再び物言わぬ機械へと成り果てたスマートフォンを握り締め、雅史は深く息を吸った。
(ま…まさか……いや、そんなはずはねぇ……)
警察が雅史を訪ねて来た理由は不明だ。父親である龍造寺議員が起こした事件に関して、息子である雅史へ話を聴きに来た可能性が最も高いと思わるが、言い知れぬ不安が雅史を襲う。
単に親父の事を聞きに来ただけだろう――そう思い込もうとする気持ちに反して、雅史の額から嫌な汗が伝い落ちた。
雅史自身、警察の厄介になるような悪事を働いた覚えはある。大いにある。しかし、それらの証拠は徹底的に隠蔽してあり、現時点で発覚する可能性は極めて低いと思われる。また、仮に発覚したとしても、尻尾さえ切れば、最低でも雅史だけは逃れられるはずであった。
雅史は父親が警察から連行される様子をテレビ越しに眺めながらも、今の今まで自身が同じ状況へ陥る可能性を考えていなかったのである。
(だ…大丈夫なはずだ。もしバレるとしたら――っ!?)
その瞬間、雅史は雷に打たれたかのようにカッと目を見開いた。
雅史はテニスサークルで行われた強姦、強制猥褻へ直接参加をしていない。あくまで彼自身は先輩部員達を唆し、お膳立てをしただけである。雅史には汚れた女性へ手を差し伸べ、貞操観念に縛られない“真の愛”を育むという崇高な目的がある。彼にとってそれは、失ってしまった愛を取り戻す為の神聖な儀式なのだ。
しかし、雅史は一度だけ自らの手で女性を汚した事がある。
テニスサークルの新入生歓迎コンパが開かれた日、父親の買春相手である美月から紹介された少女――優花へ睡眠導入剤入りの酒を飲ませて泥酔させた後、自らの手で彼女の純潔を奪ったのだ。
その時に撮影した動画は美月の希望により、彼女のスマートフォンへ――
「――美月っ?! あいつ……裏切りやがったなぁあああ!!」
その可能性へ思い至った瞬間、雅史は顔を怒りに歪め、傍にあった照明スタンドを殴り飛ばした。
警察が雅史を訪ねて来た理由は不明である以上、美月が件の動画をリークしたと断定する事など出来ない。しかし、雅史は確信を抱いていた。
昨夜、本来ならば一夜を共にするはずであった美月。何故か昨日の夕方、喫茶店から出た後はぐれてから連絡が取れずにいた。
元々、気まぐれな性格である事から大して気に留めず、雅史は優花と二人でホテルへ入り、明け方まで淫靡な宴を楽しんでいたのだが、今になって思い返してみれば、昨日の美月は様子がおかしかった。
優花の彼氏である圭一、その男が汚れた彼女を受け入れるか否か。その賭けに勝ったはずなのに、美月はその報酬を受け取らなかったのだ。
それは何よりも金に執着する美月には珍しい事だった。
(いや、まだ分からねぇ……とりあえず、美月に電話だ)
スマートフォンを操作し、美月の番号を呼び出そうとした時、雅史は自身のスマートフォンへ尋常ではない数の不在着信があっていた事へ気が付き、顔を引き攣らせる。
「んだよ、こりゃ……」
テニスサークルに所属する先輩部員や女子部員達を初め、友人、クラスメイト……はたまた知らない電話番号まで、三桁にも及ぶ不在着信の数々。
呑気に昼まで眠っていた間に、とんでもない事態へ陥っていたのでは――という懸念に今更ながら顔を青くする雅史。
そんな雅史と同じホテルの一室で、優花は下着姿のまま呆然とスマートフォンを眺めていた。
虚ろな瞳で見つめる先、スマートフォンのディスプレイにはメッセンジャーアプリのグループ内で拡散された、いくつか動画が再生されていた。
その中の一つを何度も繰り返し再生する。
ディスプレイには泥酔して眠るうら若き女性達の非れもない姿が映し出された。その中の一人が体格の良い数名の男達によって運び出されて行く。
物のように運び出された女性は用意してあったベッドへと放り投げられ、男達はそのまま何もせずに退室していった。……但し、撮影者である男性を除いて。
撮影者の男性は不気味な笑い声を上げながら、女性の衣服に手を掛け、慣れた手付きでそれを剝ぎ取ってゆく。
(これは……何?)
もう何度目の再生かも分からない程に見続けた映像であるにも関わらず、優花はそれを受け入れる事ができなかった。脳が……心が、それを理解する事を拒んだのだ。
何故なら、画面に映っている泥酔した女性は……彼女と同じ顔をしていたから。
何故なら、画面に映る男性はあの日、優花をドン底から救い上げ、先程まで同じベッドの中で愛し合っていた彼だったのだから。
「雅史……くん?」
優花がか細く彼の名を呼び、振り返った時、そこには誰の姿もなかった。