第4話
すみません。説明不足で解り辛かったと思いますが、前話はifストーリーで、今話が正規ルートになります。
「優花、ごめん。その提案を受け入れる事は……できない」
やはり僕の答えは変わらない。例え自分を曲げて優花に寄り添う事を選んだとしても、きっと誰も救われないし、誰も幸せにはなれない。その先には破滅する未来しか思い描けない。
「プッ……ハハッ! 想像以上にクソヘタレ野郎だったか。あー……でも、賭けは俺の負けだな、美月」
「うん、私の勝ち……ね。やっぱり、圭一は高校の頃から変わんないな……」
僕が龍造寺の提案へ乗るか否かを賭け事にでもしていたのだろう。
真剣に思い悩んで出した僕の回答など、彼らにとっては退屈凌ぎの娯楽程度の価値しかないという事か。
「駄目……なの? 何で……? もう一緒には居られないの?」
消え入りそうなか細い声。僕が優花へ視線を向けると、深い絶望を湛えたような彼女の瞳と交差した。
揺れる瞳、震える声。もう手を差し伸べる事はできない。
「優花……僕はそっちへは行けない。だから、もし君が――「うるせぇよ!」」
僕の言葉を遮るように叫んだ龍造寺の表情は、先程まで浮かべていた小馬鹿するような笑みとは打って変わって、怒りに歪んでいた。
「お前みてぇな綺麗事ばっかほざく童貞は、見ているだけでイラつくんだよ。処女厨らしくキモい幻想を抱きながら、一生オナってろや。あー、胸糞悪ぃ」
そう吐き捨てた龍造寺は席を立ち、テーブルの上に万札を叩きつけた。
「優花、帰ってヤんぞ。こんな雑魚、直ぐに俺が忘れさせてやっからよ」
龍造寺は強引に優花の腕を掴むと、背を向けて歩き出した。
腕を引かれながら歩く優花の瞳は虚ろで……酷く濁っているように見える。もし僕がここで彼女を手を掴み引き止めたなら――そう考えた時、隣に座っていた美月ちゃんが僕の前に一枚のメモ紙を差し出した。
「……後で来て」
◇ ◇ ◇
喫茶店で優花達と別れた後、僕は夕暮れに染まった街並みを眺めながら、独り歩いていた。
僕の選択は正しかったのだろうか。優花の望みを拒否する事は、彼女を切り捨てて、絶望の中へ置き去りにする事になるのではないだろうか。
いくら悩んでもこれが“正しい別れ方”だったという確証は得られない。否、おそらく何が“正しいか”など、誰にも解らないし決められない。
僕は太陽を探し空を見上げたが、暗雲に阻まれた夕日が姿を見せる事はなかった。
「懐かしいな……」
まだ卒業から1年も経っていないにも関わらず、久しぶりに訪れた母校は僕にノスタルジーを感じさせた。小高い丘の上に立てられたこの高校が僕らの母校で、ここに通っていた頃の僕を今になって思い返せば、あまりにも世間知らずで愚直だった。
人は変わる。そんな当たり前の事にすら気が付けず、どこまでも真っ直ぐな未来を思い浮かべる事しか出来なかった。
「やっほー、圭一。さっきぶり」
高校の裏門近くにある小さな納骨堂。渡されたメモ紙に書かれた場所へ赴くと、そこには1時間前に喫茶店で別れた美月ちゃんの姿があった。
「早かったね。てっきり、まだ龍造寺達と一緒だと思ってた」
「まぁね。それに今日は賭けに勝ったから……なんてね」
そう戯けて見せた美月ちゃんの様子は先程とは違い、まだ同じ高校に通っていた頃の彼女を想い起こさせた。
「圭一、覚えてる? 私が圭一に“あの相談”を持ち掛けた日の事」
「あの? ……あ、うん」
美月ちゃんの言う“あの相談”とは、高校生の頃、僕が彼女から持ち掛けられた相談で、その内容は「友達がお金に困っていて、援助交際をしている」というものだったと思う。
今思い返してみれば……あれは友達の話ではなく、彼女自身の話だったのかもしれない。
「あの時、圭一は言ったよね『そんな事をすれば、いずれ自分を嫌いになってしまうから抑止めるべきだ』と。そして、こうも言った『自分が嫌いな人は、きっと誰からも好かれない。可哀想だ』って……』
それも今思えば、大した人生経験もない学生が口にするには分不相応な発言だった。世間を知らないが故に出た綺麗事。そう捉えられても仕方がないお粗末な説得だった。
「その言葉で私がどれだけ傷付いたか解る?」
「え……?」
「私だって解ってる。圭一は自分の倫理観を語っただけで、それが私の逆恨みだって……。でもさぁ、私だって売春なんてやりたくなかった。脂ぎった親父……龍造寺議員に抱かれる代わりにお金貰って傷付いて……その上、好きな人からは可哀想な存在だなんて突き放されて、流石に辛すぎでしょ」
「――っ!?」
龍造寺議員?! それってアイツ、龍造寺雅史の父親で、偶にテレビで見る大物政治家の……。それに、美月ちゃんは僕を“好きな人”だと言った。
それなら何故、彼女は僕に優花を紹介したのだろうか。
「圭一の事、忘れる為に優花を紹介したつもりが、私は二人のキューピット扱い。受験の日にまで目の前でイチャつかれ、行きたかった志望校には落ちて……ホント散々」
「それは……」
ごめん――そんな軽い言葉で謝ってよいものだろうか。
僕が彼女へ向けた言葉は「その在り様は人間的に愚かなものだ」という意味にほぼ等しい。可哀想な人だという発言に関してはもはや上から目線で何様のつもりだったのだろうか。
売春という行為を肯定する訳にはいかないが、何の事情も知らないばかりか、自分で金を稼いだ経験すらない僕が否定する事は烏滸がましい行為だったのかもしれないし、僕はあまりにも無神経過ぎた。
「私には圭一が眩し過ぎて辛かった。確固たる信念を持っていて、それを行動で示す。圭一と一緒に居ると、私は自分が“汚れている”事に気が付いてしまう。もうとっくに慣れたはずの痛みがまた疼くように……」
美月ちゃんは一瞬だけ空を仰ぎ、ポーチからSDカードを取り出した。
「……でも、もういいかな。結局、どれだけ虐めても、圭一は真っ直ぐなままなんだろうね。きっと、こっち側へ来られない人間なんじゃないかって思う。これは……八つ当たりして虐めたお詫び、みたいな?」
僕は美月ちゃんから無言でSDカードを受け取りながら項垂れた。
「中身は龍造寺を破滅させる為の毒……ってところかな? まぁ、私としてはお得意様が一人消える訳だけど……もうコソコソ売春をやらなくてもいい歳になったから、大して困んないし」
そう言うと、美月ちゃんはヒラヒラと手を振りながら背を向けた。
「ちなみに優花と龍造寺を引き合わせたのは私だけど……堕ちたのはあの子の資質によるものだろうし、襲われたのは単に迂闊だったから。私を恨むのは止めてね……って、逆恨みしまくってる私が言うのも何だけど」
「……そう。美月ちゃん、最後に一つだけ聞いていい?」
「ん?」
「まだ……僕の事が憎い?」
その質問に微笑みで応えた美月ちゃんは「やっぱ、馬鹿だね。だから……」と小さく呟き、夜闇の中へと姿を消した。