第3話
龍造寺は「やれやれ」と肩を竦めてみせた後に立ち上がり「すみません、何でもないでーす」と周りの客へ向って手を振った。
ここは喫茶店。疎らとはいえ、他にも客が居るのだ。
つい熱くなり叫んでしまった僕は、全く周りが見えていなかった事へ気が付き、龍造寺に続く形で周りの客へと頭を下げた。
「とりま、ご飯食べよーよ」
その後、続々と運ばれてきた料理を前に話は一旦中断となった。
正直、料理の味など全く分からなかった。
受け入れられない言葉の数々に僕の脳はキャパシティを超え、車酔いでもしたかのような気持ちの悪さが全身を襲う。
僕以外の3人は普通に談笑しながら食事を楽しんでいるようだ。
「ここの料理、美味しいね」
不意に優花から笑顔を向けられた僕は「うん」と短く応え、彼女から視線を外した。
彼女は……あまりにもいつも通り過ぎた。
もし彼女が絶望していたら、悲しんでいたら……僕は一緒にその痛みを分かち合おうとするだろう。でも、こんなにも真っ直ぐな笑みを向けられたら……僕はどう受け止めるべきなのだろうか。
辛い事があったみたいだけど、思ったよりも元気そうでよかった――などと、無神経な事を言えるはずがない事は確かだが、例え僕がそのような発言をしたとしても、今の優花ならば笑顔を浮かべるのではないだろうか。
「圭一、箸進んでないじゃん? あ、唐揚げもーらいっ!」
隣から伸びて来た箸が僕の皿から唐揚げを攫ってゆく。奪われた唐揚げが美月ちゃんの口へ吸い込まれてゆく様をボーッと眺めながら、僕は――
「うぐっ……」
吐き気に耐えかねて、トイレへと走った。
「頭が……おかしくなりそうだ」
異常……何もかもが異常すぎる。
急速に汚されてゆく楽しかった日々の想い出が、悲鳴を上げながら僕を責め立てているような錯覚に陥る。
胃の中を全て下水へ流した僕は、トイレの個室で頭を抱え、何が起こっているのかを理解しようと必死に思考を巡らせた。
まず彼女、優花はヤリサーの先輩達に無理矢理体を弄ばれた。ヤリサーの先輩達が行った所業は倫理的な観点からは勿論の事、重大かつ悪質な犯罪であり、許しがたい行為だ。
もし優花が僕に助けを求めてくれたのなら……僕は彼女と一緒に戦う覚悟がある。今回の件は間違いなく2人の将来へしこりを残すような惨禍であろうが、僕は彼女と一緒に乗り越えて行かなければならないだろう。無論、それがとても辛く険しい道だとしても。
……では、優花が龍造寺と肉体関係を持った事については、どう受け止めれば良いのだろうか。
龍造寺がヤリサーの先輩達から優花を守った事は、おそらく間違いがないのだろう。
自分を助けてくれた相手へ好意を抱く事は悪い事ではない。優花が龍造寺へ恩義を感じ、彼と一緒に在りたいと思っているのなら、僕は彼女の意思を尊重し、身を引くべきだと思える。
何故なら一番辛い時期の彼女へ、僕は寄り添ってあげる事が出来なかったから……。
『圭くん……私は圭くんの事が今も大好きだよ?』
先ほど彼女はそう言った。
優花が龍造寺を選んだというのなら何故、彼女はそんな言葉を口にしたのだろうか。
それに龍造寺は優花との関係を“恋人”ではなく“セフレ”だと言い切った。
優花もその関係を受け入れているようだし、何より未だにテニスサークルへ所属している理由が不可解だ。
普通の心理ならば、自分が寝ている間に危害を加えて来るような最低な先輩達がいるサークルからは一刻も早く逃れたいと思うのではないだろうか……?
いくら考えても答えが出せないであろうという事を悟った僕は、顔を洗い、優花達の談笑する事が聞こえるテーブルへと重い足取りで歩き出した。
◇ ◇ ◇
「で? もう一度、答えを聞かせてくんね?」
食後のコーヒーを啜りながら、龍造寺がその鋭い瞳を僕へ向けた。
答えなど決まっている。僕は肉欲を満たす目的で優花と恋人になった訳ではないし、美月ちゃんと友達になった訳でもない。
僕が言葉を紡ごうとした瞬間、それを制するように龍造寺が口を開いた。
「……ちなみに、これを立案したのは優花だからな。しっかり考えて答えろよ?」
弾かれたように頭を上げると、そこには縋るような瞳で僕を見つめる優花の姿があった。
その瞳に僕は二人で大学の合格発表を見に行った時の事を思い出す。縋るような瞳で合格者番号と自身の受験番号を見比べ……優花は満面の笑みで僕へ抱き着いて来た。
楽しい事、嬉しい事、優花とは沢山分かち合って来た。だけど――
「無理だ……。僕には受け入れられない」
僕の返答を聞いた3人は暫く無言でこちらを見つめていたが、やがて優花が啜り泣き初め、美月ちゃんは呆れたように溜息を吐いた。
「だっせぇ……お前、ヘタレかよ? それとも、これが噂に聞く“処女厨”とかいう雑魚野郎か?」
冷めた瞳で嘲笑うように僕を見据える龍造寺を睨み返しながら、僕は拳を握り締めた。
「そんな話じゃない!」
「じゃあ何なんだよ? あー……もしかして、〇ックスは好きな人と愛を確かめ合う為にしなければならない~とか何とかいう、クソ気持ちわりぃ童貞特有のメルヘンチックな思考かな?」
駄目だ……とても話が通用しない。ここまで会話が食い違うと、怒りを通り越して、ひたすらに気味が悪い。
あまりの価値観の違いに、僕は眼の前で薄ら笑いを浮かべる龍造寺が得体の知れない生き物のように見えてきた。
「圭一はさぁ、ちょっと真面目過ぎ。そんなんじゃ、一生DTだし、ちょっと格好悪いよ?」
「なっ!? 美月……ちゃん?」
呆れ顔で首を振る美月ちゃん。君も……そういう考えなのか?
「か…仮に、僕が好きな人としか性行為をしないと決めていたとして、その考えを否定される謂れは無い! それに……顔が整っている人が良いとか、金銭的に余裕のある人が良いとか、背の高い人が好みだとか……価値観はそれぞれあっても、人に迷惑を掛けないものであれば問題ないはずだろ?!」
僕がそう訴えると、美月ちゃんは肩を竦めてみせ、龍造寺は小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「だったら、お前も優花の“価値観”とやらを否定すんなよ」
「そうだよね。それなら圭一も優花の“個性”を受け入れてあげなきゃ、口先だけの偽善者って事じゃん?」
滅茶苦茶な理屈だ。それに僕は優花の提案を“拒否”したが、その価値観を否定してはいない。
「お願い、圭くん……受け入れて……」
再び縋るように見つめてくる瞳と、切ない声に僕は……。