第9話
――僕の選択は正しかったのだろうか。
龍造寺の提案を受け入れ、優花に寄り添うべきだったのか。いや……そもそも、テニスサークルへの入部を決めた彼女を強引に引き留めてさえいれば……。
後悔の念が後を絶たない。僕の選択は間違いだったのかもしれないし、あるいは正解など最初から無かったのかもしれない。それを確かめる術もない。
僕に出来る事といえば、これ以上後悔を重ねない為に今、何が出来るのかを考える事だけだろう。
美月ちゃんから渡されたSDカードの中には凄惨な動画の数々が収められていた。優花や他の新入生女子達の尊厳が奪われる忌まわしい光景。何もできない歯痒さ……血が滲むほどに噛み締めた奥歯の痛みが、僕に実態を突きつけた。
あの時、優花を引き留めていれば――やるせない気持ちを抱くと同時に、僕の中で優花へのわだかまりが消えてゆくのを感じた。
それは優花の価値観を受け入れるか否かという問題とは関係なしに、僕には彼女……いや、彼女達を救う義務があると思うようになったからだ。
僕にとって優花は“恋人”ではなくなった。これからは彼女へ恋人ではなく“性被害者の一人”として接さなくてはならない。これはある意味では、完全な別れを意味する。
優花の歪んでしまった価値観を受け入れる事は出来ない。共に寄り添い歩む事も出来ないけど……それでも彼女にこれ以上の後悔をして欲しくないから、僕はこれが正しい別れ方なのだと信じて行動する。
◇ ◇ ◇
提出したSDカードの中には大物政治家であり、雅史の父、龍造寺議員が未成年者と淫行を繰り返す様子も収められていた為、その影響力の大きさから慎重に動くのではないかという予想に反して、警察は迅速に動いてくれた。
龍造寺議員は青少年保護育成条例違反及び、児童買春などの疑いで逮捕される運びとなり、その息子である龍造寺雅史にも強姦、強制性交等罪等の容疑により、捜査の足が伸びる事となった。
僕らの通う大学にも警察の捜査が入り、テニスサークルに所属する先輩部員達は連行され、横の繋がりがあり、件の新歓コンパへ参加していたと見られるフットサルサークルの部員数名も事情聴取を受けているようだ。
事件は一気に明るみになり、ニュースは龍造寺議員の淫行、その息子の通う大学で行われた“ヤリサー”活動における闇を大きく取り上げた。
いくら大物政治家とその息子とはいえ、ここまで明確な証拠が出揃ってしまえば、その罪から逃れる術はないだろう。
証拠といえば……僕の提出したSDカードの中身。その出処について、警察から根掘り葉掘り聴かれたが、僕は美月ちゃんの名前を出さず、あくまで「被害者の一人から託された」と説明した。
それは美月ちゃんが証拠のSDカードを自ら警察へ提出せず、僕へその役回りを任せた事に何らかの事情があるのだろうと考えたからだ。
いずれにせよ、事件は解決へ向かって動き出した。
これで龍造寺親子は然るべき罰を受け、ヤリサーの被害にあった女性達は解放されるはずだ。その中には当然、僕の元彼女である優花も含まれる。
後はもう一度、優花と今後についての話をしたい。一方的に別れを告げるのではなく、お互いを理解した上で正式に別れたい。只のエゴに過ぎないのかもしれないけど、お互いの両親に挨拶を済ませた間柄である以上、それが“正しい別れ方”だと僕は考えていた……。
◇ ◇ ◇
「圭……くん?」
電話越しに聞く優花の声からは彼女の長所である大らかさを感じる事が出来ないばかりか、まるで幽鬼とでも会話をしているかのような寒気を感じた。
生気の無い声。信じていた龍造寺から裏切られたのだから、精神的にかなり参っている事は間違いないのだろうけど……それにしても異様な雰囲気だ。
「優花、昨日から家に帰ってないんだって? 君のお母さんが心配して僕に電話を掛けて来たよ」
「……そうなんだ。お母さんがごめんね」
「いや、それはいいんだ。僕が電話したのは別件で、その……もう一度、話が出来ないかな?」
「……話を? どうして……?」
どうして……か。優花からすれば、当然の疑問だろう。
先日の喫茶店で僕らの関係は終わった。恋人として付き合っていくには致命的な程に価値観を違えてしまったのだから、その結末は必然だった。
後悔が無いと言えば嘘になるが、それは優花を繋ぎ止められなかったとか、やり直したいとかいう意味での後悔ではなく、彼女もまた被害者の一人である以上、近しい人間として向き合う必要があったのではないか――という考えから来るものだ。
「優花、君は騙されていたんだ。龍造寺は君を“救った”と言っていたが、あれは一種の洗脳のようなものだったのかもしれない。……だから、もう一度だけ……もう一度だけ話がしたいんだ。今度こそ、二人っきりで」
「そうだね……私、騙されてたんだよね。本当、馬鹿だなぁ……」
全てを諦めたかのような乾いた呟きが、電話越しの耳に届いた。
優花はおそらく、例の動画を観たのだろう。噂では僕が警察へ届けたSDカードの中身と同じ動画が大学内で出回っているらしい。流出させたのはテニスサークルに所属する先輩女子部員だと言う話だけど……詳細は不明だ。
「馬鹿な私だけど……圭くんは受け入れてくれるの?」
受け入れる事は出来ない……いや、受け入れない。自分の信条を捻じ曲げてまで相手に合わせたとしても、きっと二人は幸せにはなれない……そう思うから。
「……もう一度、向き合いたいんだ」
受け入れる事は出来ないが、向き合いたい。これはたぶん詭弁だろう。
僕は優花に寄り添う事が出来ないけど、傷付いた彼女を放っておくことも出来ない。おそらく話し合いの結果は、彼女が望むものにはならないはずだ。
僕の知る優花という女の子はひどく寂しがり屋だ。自意識過剰だと思われるかもしれないが、龍造寺を失った今、彼女は僕に縋ってくるのではないかと思っている。でも、彼女へ僕が提案するのは“お互いが前を向いて歩いていく為の決別”だ。
僕は優花とその両親へ彼女を守れなかった事を謝罪し、その上で別れを告げなければならない。もしかしたら、これはとても残酷な事なのかもしれないけど……僕らが前を向く為にはきっと必要な事だから。
「解った……。どこに行けばいいのかな?」
やや時間をおいて、優花は重々しく口を開いた。
「いや、優花はそこに居てよ。もうこんな時間だし、僕が迎えに行くから」
「ここに……?」
電話の向こうから、優花の動揺が伝わってくる。何か都合が悪いのだろうか。
「こ…ここからは直ぐに移動するつもりだから、その……圭くんは家で待ってて。私が圭くんの家に行くから」
「え? 僕の家は構わないけど……夜道は危険だし、迎えに行くよ」
女の子が一人で出歩くには遅すぎる時間帯だ。僕は迎えに行く事を再度提案したが、優花は首を縦に振らなかった。
「大丈夫だよ。どうせ私はこれ以上……。ううん、何でもない。とにかく平気だから、今から行くね」
次回、最終話になります。




