第1話
呼び出しを受けた僕は待ち合わせ場所である喫茶店へと向かった。
夕食時には少し早く、昼食には遅過ぎる時間帯の喫茶店は客も疎らで閑散としてたが、真面目な話をする上では寧ろ都合が良く思えた。
「おーい、圭一! こっちこっち~」
喫茶店内に足を踏み入れた瞬間、上品な喫茶店には似つかわしくない呑気な声が店内へ響き渡った。声の聞こえた方角へ視線を送ると、そこには僕へ向かって大きく手を振る一人の少女がいた。
「…………」
何故、呼び出し人以外の人物がこの場にいるのか――という疑問から少し眉を顰めた僕だったが、直ぐに作り笑いの仮面を張り付け、小さく手を振り返した。
「……待たせちゃって、ごめん」
少女の元へ小走りで向かうと、そこには僕を呼び出した人物を含め3人の男女がテーブルを囲んでいた。その中の1人を見て、盛大に顔を引き攣らせた僕だったが、一応の礼儀として彼らへ軽く頭を下げる。
待ち合わせの時間までは未だ4分ほどあるので決して遅刻した訳ではないが、彼らを待たせた事には変わりがない為、頭を下げる事自体はやぶさかでないが……僕は頭を下げながらも不可解な気持ちから、思わず奥歯を噛み締めた。
何故なら、僕は呼び出し人と1対1の真面目な話をするつもりで、今日の話し合いへと応じたからで、談笑する為に来た訳ではないのだから。
「あ……ごめん、圭くん。美月ちゃんと雅史くんへは私から付き添いをお願いしたの」
眉尻を下げながら、こちらを窺うように見上げてきた人物は僕の“元”彼女の優花。僕をここへ呼び出した本人だ。
「そうなんだ……」
気不味さ故に優花から目線を外しつつ、僕は先ほど手を振っていた少女――美月ちゃんの隣へと腰を下ろした。
長方形のテーブルを挟み、対面には元彼女である優花が座り、優花の隣、僕の座る対角には今最も視界に入れたくない人物である龍造寺雅史が座っている。
「全員揃ったところで何か注文でもしますか! さぁて、俺は何食おうかなぁ~」
鼻歌交じりにメニューを開く龍造寺を見て、その無防備な横っ面を思いっ切り殴り飛ばしたい衝動が沸き起こったが、僕は下唇を噛み締めて己の憎悪を抑え込んだ。
「圭くんは何を食べる? 今日は私が奢るよ?」
「あ、えっと……」
僕だけが何も注文しない訳にはいかず、僕を含む全員が料理の注文を終えたところで、僕と元彼女である優花にとって共通の友人であり、隣に座る美月ちゃんが話を切り出した。
「圭一はさぁ……たぶん、優花の事を誤解してるんじゃない?」
「誤解……?」
オウム返しのように呟いた僕の言葉へ返答する代わりに美月ちゃんは優花へと視線を送り、それを受けた優花はコクリと頷いた。
「圭くん……私は圭くんの事が今も大好きだよ?」
その言葉を聞いた瞬間、僕は席を勢い良く立ち上がり、優花に罵声を浴びせ……ようとしたところで、ここが喫茶店の店内である事を思い出し、グッと拳を握りしめると再び腰を下ろした。
「あんな事をしておいて好きだとか……意味が分からないよ」
◇ ◇ ◇
僕と優花、そして共通の友人である美月ちゃんは同じ高校へ通っていた。その頃、僕と美月ちゃんは同じ吹奏楽部に所属していた事から交友があり、文芸部に所属していた優花とは美月ちゃんの紹介によって知り合った。
元々、ライトノベルを読む事が趣味だった僕と文芸部の優花は、共通の趣味を通して直ぐに仲良くなり、知り合って3ヵ月が経った頃に僕から告白して以降、僕と優花は恋人として仲を深めてきた……つもりだった。
肉体関係こそなかったが、沢山デートはしたし、その数だけ笑い合った。僕らが重ねた時間は決して薄っぺらいものでは無かったはずだ。
高校を卒業すると、僕と優花は同じ大学へ進学する事になった。
本来ならば美月ちゃんも同じ大学へ通うはずだったのだが、彼女がセンター試験に失敗した為、美月ちゃんだけは別の大学へと通う事となり、優花はそれをとても残念がっていた記憶がある。
そして僕と優花も同じ大学に通ってはいるものの、学部が違う事や別々のサークルに所属した事もあり、高校の時ほどには一緒にいられなくなってしまったが、美月ちゃんとは偶に連絡を取り合っていたし、優花とは週末をいつも一緒に過ごしていた為、僕らの関係は順風満帆なはずだったのだが――
『……何でだよ、優花……』
ある日、同じ学部の友人から「お前の彼女が街で経済学部の男と歩いているのを見た」と報告を受けた僕は、少し不安になり彼女の参加しているサークルの部室を訪ねた。
高校では文芸部に所属していた優花だったが、大学からは「もっとアクティヴなサークルに入りたい」と言い出し、心機一転、テニスサークルへと入った。
テニスサークルを選んだ動機は好きな漫画の影響らしい。僕としてもその動機を否定するつもりはないが、少しだけ嫌な予感を抱いていた。何故なら、うちの大学にあるテニスサークルはあまり評判が良くなかったからだ。
あくまで噂の域を出ないが、曰く「新入生へ強引に酒を勧める」とか「やたらに温泉合宿をしたがる」など、あまり良い話は聞かない。だから僕は一度、優花へサークルを辞めるように進言したのだが、彼女の「先輩達は良い人ばかりだし、サークルには女の子も多いから心配ない」という説得を信じ、結局は彼女のサークル活動を応援してしまった。
……これが間違いだったと気が付いたのは、何もかもが終わってしまってからだ。
優花の所属するテニスサークルは嫌な予感通り、所謂“ヤリサー”と称される不健全な活動を行うサークルであったのだ。
僕がテニスサークルを訪れた際、部室の中には掻き消せないほどの生々しい性臭が立ち込めており、今しがたこの部屋で情事が行われていた事を明白に物語っていた。
部室のドアを開いた間抜けな格好のまま、僕は硬直していた。その視線の先、部室の中心には……最愛の彼女である優花がいたのだ。
乱れた髪、開けたスポーツウェア、上気した肌。そして……これまでに抱いた全ての疑惑を肯定するかのように、隣には半裸の男がいた。
俺の姿を視界に捉えた瞬間、優花は激しく動揺を示し、半裸の男――龍造寺雅史はヘラヘラと笑いながらこう言い放った。
『ありゃ……もうバレちまったか。やっぱ、真っ昼間の部室なんぞでヤるもんじゃねーな』
その後、衣服を手早く身に着けた龍造寺は、真っ白な頭で立ち尽くす僕の肩を叩き、去っていった。
龍造寺が去った後、衣服の乱れを直した優花が必死に言い訳を述べていた気がするが、僕にはもう彼女が何を言っているのか理解ができなかった。そして朦朧とする意識の中、僕は脳裏に浮かんだ言葉を口に出していた。
『……別れよう、優花』