表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/13

第八章 神奈川緊急防衛

「夜間活動の縮小だと?」

 下田はデスクについている課長の馬場美法(みのり)に詰め寄る。

「どういう事だ?」

「ご不満ですの?」

 美法は首を傾げる。中年間近の、穏やかな雰囲気の女だった。

「不満も不満ですよ。ここ最近の悪霊は、質が変わってやがるだろうが」

「どんな風に?」

 下田はジャケットをめくり拳銃を見せる。

「こいつを1発喰らっても消えねえぐらい」

「2年前の永埼川の大量殺人事件、まだ解決されていないのではなくて?」

「それは……」

「太陽ビルとスカイサンシャインの火災、放火の疑いが強かったですわね? これも下田巡査部長の担当ではなくて?」

「捜査はやっている」

「それなら早く解決なさい。他にも何件か担当していらっしゃるでしょう」

「目の前でやばい悪霊が野放しになってる状況はどうするんだ!?」

「こういう基本をご存知ありませんの?」

 課長は冷たく言った。

「警察は、事件になってから動くものですのよ」

 下田は口ごもる。

「さ、仕事に戻ってね」

 下田はデスクから離れる。

「課長」

「なんですの?」

「そのボールペン、フジシロのノベルティだな」

「警察は公僕ですわ」


 正次の屋敷の地下体育館で、清過と装甲服を装着したルトアビブとが向かい合う。

 装甲服の全高は3メートル弱。標準的高校生女子の身長である清過の倍近い。

「かはっ!」

 清過はルトアビブに突っ込んでいく。

 装甲服のファンと圧縮空気ジェットを複合したフットワークは軽い。清過の拳は装甲服の表面をかすっただけだった。

 拳から伝わった僅かな気も、装甲に埋設された微生物入りの水流によって内部に伝わる前にかき消される。

 清過は飛び退くと、壁を蹴って飛び上がり、ルトアビブの頭上に膝を落とそうとする。

「え!?」

 しかし、彼女が飛び上がった目の前には、同じ高さまで飛び上がったルトアビブがいた。

 ルトアビブの持つ次元破砕砲が、いつの間にか清過の方に向いていた。

 清過は使霊を使って空中制御を試みるが。

 次の瞬間。

 ペイント弾の赤いインクが清過の脇腹を染め、残りが体育館中に飛び散った。

「むぅ、これはなんとも……」

 清過は床に降り立つと、顔にまで飛び散ったインクを腕で拭う。

『ダイジョウブでしたか、サヤカさん』

「……気分は最悪ですけど、身体は無傷ですよ」

 ルトアビブは装甲服から下りて、鼻を掻く。その顔は、何となく得意げだった。

「それ、なんか凄いですね。防御力もありますし、運動性能というか、機動性というか」

「いえ、サヤカさんのパターンをいれたから、どうにかおえているくらいです。チョクゲキはいっぱつもありませんし」

「いかが? フジシログループ向田製作所の新製品、対悪霊用移動砲台『屠神』は?」

 端で見ていた正次が歩み寄る。彼のスーツには、ペイント弾のインクは一滴も付いていなかった。その代わり、後ろに控える護衛3名は、インクまみれになっている。

「凄い動きですね」

 清過は苦い顔をする。

「でしょ。本来屠神はDCS――次元破砕弾を撃つためのシステムだけど、上手く運用すれば自衛隊の倍力服以上のパフォーマンスで格闘戦も出来るのよ」

「こんなものよく開発出来ましたね?」

「本当言うと、これって米軍が極秘採用しているS02―Rのデッドコピーだから、今1つ信頼性に問題があるけどね」

「ああ、あの……鎧」

 清過は肩をすくめる。

「京都で撃たれた時は、死ぬかとおもいました」

「天狗だって殺せるんじゃない? 浄化するだけの警察用弾丸とは違って、空間を直接消滅させる機械だから。歴史の浅さと、地縁のなさ故に霊的戦闘の文化のない米軍が作り上げた苦肉の兵器ね」

「鶏を割くのに牛刀を使うみたいなもんですね」

「あら、若いのに難しい諺知ってるじゃない」

「受験生ですよ、私は」


 シャワーの湯が、疲れの抜け切っていない清過の身体を洗い流す。

「ふぅ……」

(まだ身体がちょっと重いですね)

 薄まった赤いインクが、バスルームに飛び散る。

「ホラー映画みたいですねぇ」

 清過はぼんやりと鏡を眺める。

 均整の取れ、引き締まった身体は、軽量型のレスラーか、ボクサーの様。

 そして、健康的に日に焼けた肌に出来た無数の古傷は、生まれてから17年間ひとときも休まる事のなかった戦いの連続を否応なく感じさせる。

(愚釈さんのお陰で大分、古傷は減りましたけど)

 頬に出来たかさぶたをさする。

(また、増えちゃいますね、傷)

 鋭い目で、鏡の向こうの清過を見る。

「でも」

 拳を突き出し、鏡の2ミリ前で止める。

「勝てるなら、どんなに傷が残ったって、構いません」

 脳裏に暁人の顔が浮かぶ。

「私が1番嫌いなのは死ぬ事、2番目は戦わない事です」


 湯上がりの清過は、正次の屋敷の応接室で、慶子、愚釈、僧正坊、それに正次とお茶会兼作戦会議を開いていた。

「――今後の作戦展開ですけど」

 清過が僧正坊に目配せする。

「東京内で大きな勢力を誇っていた、清環会の永野、蛇頭のフェイ、木曽組の円戒は、いずれも撃破、戦意喪失した。清環会自体とも、愚釈が主導で手打ちが成立したな」

「うむ」

 愚釈はアップルティーを1口飲む。

「更に、宗教関連の霊識者、霊能者との不可侵も約束を取り付けた。これも拙僧の人徳じゃな」

「わたくしも計画通りですわ」

 正次が微笑む。

「上野公園在住の霊識者、死霊使いの鈴木さんと、不可侵の盟約を結びましたわ」

 ルトアビブが彼にもう1つの資料を差し出す。

「そうそう、安藤芳郎環境大臣お抱え占い師、サジタリウス・綾子さんは、昔のちょっと洒落にならないぐらい恥ずかしい写真を条件に、こちらの要求次第では一緒に戦って下さる約束を取り付けましたわ」

「お見事です、愚釈さん、藤代さん。東京内の有力な霊識者、霊能者はこれでほぼ掌握ですね」

 満足げに清過は頷くと、慶子に視線を向ける。

「うん、東京の要所と、霊識者、霊能者関係には全部二の式をくっつけた。それから、この作戦行動中の県内も、基本何もなかった――」

 慶子は少しだけ間を空けて、続けた。

「ただ、悪霊が1体、捕まえられずにいるね」

「悪霊さんですか?」

「変死体が発見されたって。現場に行ってみたら、妙な気が残ってたよ」

「警察さんは何をやってるんですかねぇ?」

「夜間取り締まりを弛めさせたのが、裏目に出たのかしら?」

 正次は小首を傾げる。

「或いは、ここに捕らえられているものと同じ、強化済みの使霊かも知れんのう」

「――なるほど、分かりました」

 清過たちは互いの顔を見る。

「じゃ、みんなで哨戒と洒落込みましょう!」


 数日後の深夜。

「逃がしたですって?」

 正次が呆れ顔をする。

「面目ない」

 がっくりと愚釈は肩を落とす。

「わたしの十二の式が駆け付けた時は、遅くてね。二の式じゃ戦えないし、面目ない」

 慶子もうなだれる。

「大丈夫ですよ、慶子さん、愚釈さん。逃げられたなら、また追えばいいんです。それよりこちらこそ援軍が遅れてごめんなさい」

「それ、なんだけど」

 慶子は言葉を濁す。

「逃げたのは彼奴ではない。拙僧の方じゃ」

 愚釈の錫杖の頭は、奇妙にひしゃげ、輪が何本か外れていた。

「そう。明らかに戦いの訓練を積んでる霊だったよ」

「何はともあれ、無事で良かったです」

 清過は、愚釈の肩を叩く。

「でもそれだけの力を持った悪霊さんが現れたなら、僧正坊さんが気付いていそうなものですけど」

「風邪でもひいてたんじゃない?」

「天狗が風邪などひくか!」

 清過の影から僧正坊が顔を出して怒鳴る。

「だろうね」

 慶子がくすくす笑う。

「無知蒙昧な式使いは放っておくとして」

「誰が無知蒙昧か!」

「その悪霊、我も気配さえ感じられなかったのは事実」

「シカトすんな!」

「まさか――いや」

「何ですか僧正坊さん。そういう思わせぶりな態度で変な伏線張られても困りますよ?」

「うむ、いや、あくまで極論の予測だが、その悪霊には其方に付けたのと同じ、隠の印」

 僧正坊は溜息をつく。

「天狗か、それとも印を実際に見た事のある者でなければ、使えん」

 愚釈は無言で眉間に皺を寄せた。


 翌朝。

「早いわね」

「お早う、清過」

「お早うございます、お母さん、お父さん」

 清過が食卓につくと、父親が読んでいたタブレットを置く。

「清過、昨日の夜に人が1人行方不明になったらしいぞ」

「――朝っぱらから景気の悪いお話ですねぇ」

「県内だそうだから、夜歩く時はお前も気を付けるんだぞ」

「ご心配ありがとうございます。でも私は大丈夫ですよ」

「そうよね」

 母親が笑う。

「清過は夜遊びなんかしないから」

「ええ」

(使霊1つで騙せるんですから、簡単なものですね)

 清過は箸を取った。

「頂きます」

 ほんの少し、食卓が静かになる。

「――清過?」

 彼女が昨日の残りの煮物に箸を伸ばした時、母親が思い出した様に言った。

「受験勉強はどう?」

 清過は箸を止める。

「心配ですか?」

「毎晩勉強しているみたいだから、あんまり心配はしてないけど、あなた昔から教科に好き嫌いがあったから」

「あはは、心配には及びませんよ」


 夜、駅前の駐輪場で、清過は自転車にまたがって立っている。

「悪霊さんが、行方不明、ですか」

 清過はぽつりと呟く。

「気になるか?」

 影から僅かに顔を出し、僧正坊が尋ねる。

「ええ。とても」

「なら自分で行ったらどうだ?」

「愚釈さんが調査中ですから、お任せしましょう」

「もしも加工したのがヤツなら、愚釈でも油断をすると危ないぞ」

 清過は眉間にシワを寄せる。

「――分かってておっしゃってますね?」

「何の事だ?」

 僧正坊は頬杖を付いて、そっぽを向く。

「県内の凶悪犯罪には、捜査四課の下田さんが出て来るでしょう」

「ああ、そうかそうか。すまんな、すっかり忘れていた」

 冗談めかして僧正坊は自分の額を叩く。

 清過はいささか憮然とした表情で、ハンドルを握る。

「だから、私が行くわけにはいかないんです。慶子さんには四方式のサポートをお願いしていますから、大丈夫ですよ」

「とすると、あの刑事もろとも奴に殺られる恐れもあるわけだな」

「下田さんは死にませんよ」

「ほう?」

「あんな蛇みたいにしつこい方が、悪霊さんにやられるわけがありません」

 その時、何かが清過の目の前を横切った。

 彼女は抜く手も見せぬ早さで、それを掴まえた。

 紙飛行機だった。

「折紙の形のままでも動くんですね、四方式さんって」

 紙飛行機を広げると、裏面はまっ白で、表面に文章が書かれていた。

 清過は文面を読む――や、否や、自転車を駐輪場に置いて、カギをかけてから全力で走り始めた。

「どこへ行く?」

「――竜ヶ原5丁目で、悪霊さんを追跡中だそうです」

「川崎市、東京都との県境近くか」

 県道を全力で走る。追い抜かれたドライバーたちは、一様に自分の目をこすっていた。

「神奈川県から来た悪霊さんが、東京都で破壊活動をすれば、どう判断されても、伊能党の信用は失墜します」

 スピードを更に上げた。

「真正面以外の策も使えるんですね、芦屋暁人さん」


 東京に程近い竜ヶ原町の田園地帯に、清過たちは到着した。

「――気配がありませんね」

 清過は足を止める。

「隠、か? それにしてもここまでないとは」

 僧正坊も影に入ったままで呟く。

「警戒用に仕込んでおいた使霊さんもいません」

 清過はあちらこちらで感覚を澄ましてみる。

「――やっぱり、残留思念1つ見つからないみたいです」

「我に感じ取られんのだ、当たり前だろう」

「慶子さんの情報が間違っていたんでしょうか?」

 清過は折り紙をもう1度見る。

「慶子さんの情報収集能力はピカイチなのに」

 呟きながら、折り紙を裏返す。

 清過の指が触れている部分から、気の筋が出来ていた。見えないインクで書かれた、梵字の「ア」字と、いくつかの線が浮かび上がる。

 清過が指先に気を集中する。

 細い水路に水が流れていくように、紙に流し込まれた気が、ゆっくりと見えない筋を伝っていく。

 横棒1本。

 縦棒1本。

 横棒1本。

 縦棒1本。

 横棒1本。

 縦棒1本。

 横棒1本。

 縦棒1本。

 横棒1本。

「これ……」

「九字、陰陽道のドーマンか」

「慶子さんの式じゃない?」

「どうかな」

 清過は少しの間折り紙を眺めていたが、ふと何かを思い出して顔を上げた。

「術者さんを見つけられますよ!」

「ほう?」

「えいっ」

 清過は折り紙を放る。

 折り紙は、ひらひらと舞って清過の顔に張り付いた。

「わわっ、何も見えないです!」

「阿呆だお前は」

 僧正坊が清過の顔から折り紙を取った。

「この前はこれで慶子さんの所まで飛んで行ったんですが」

「四方式のメイン動力は大地の気で、制御用の非常に微弱な気が術師のものだ。前のように無意識で流す程度で充分だったものを、其方が意識的に入れればそれは当然押し潰してしまう」

「ああ、そうでした――それじゃ、ともかく慶子さんと連絡を取りましょう」


『留守番電話サービスです――』

「慶子さん? 今どこですか? 大丈夫ですか? 無事ですか? 元気でいますか? 町には慣れましたか? 友だち出来ましたか? 連絡下さい」

 清過は電話を切り、愚釈にかける。

「――あれ? 愚釈さんも留守電ですよ」

「任務中にか?」

「近くにペースメーカーを付けた方でもいらっしゃるんでしょうか?」

「……いつの時代の装置の話だ」

 その時、一筋の光が空に上がった。霊気が激しく振動する。

「!」

「屠神!」

 清過は光が見えた方に、全力で走り始めた。


 県北部の山中に、清過は来ていた。

「サヤカさん、きづいてくれましたか」

 屠神を装備したルトアビブが、座り込んでいた。胸部の霊的防御用微生物が全滅しており、ルトアビブの気も、致命的ではないまでもかなり弱まっている。

「悪霊さんは?」

 ルトアビブは屠神から腕を出し、林の先を指さす。

 そこには。

「すこしおそかったですが、サヤカさんにしらせたくて」

 悪霊、さもなければ何者かの使霊と警官達が戦っていた。

 服装がちぐはぐだったが、動きは統率が取れている。そして彼らを率いているのは。

「……下田さん?」

「そのようです」

 いつも通りのコート姿の下田が、頭から血を流しながらも銃を構えている。

「一体どうして?」

「でてこないように、ボスがあつりょくをかけたはずなんですが」

 清過は歯ぎしりする。

 視線が下田の血から離れない。

 警官達の統制の取れた動きと、悪霊対策に特化した拳銃の威力は決して小さくなかった。

「このままなら、まかせてもよさそうですね」

 ルトアビブの言葉に、僧正坊も頷く。

「戦わずに敵がいなくなるとすれば、悪くはなかろう」

「――じゃありません」

 清過はぐっと拳を握る。

「冗談じゃありません」

 警官の1人をかばって、下田が弾き飛ばされている。

「あれは、芦屋さんが私に仕向けた、私の獲物です。伊能党以外のどなたにも、差し上げる気はありません」

 僧正坊を見る。

「僧正坊さん、私が私だって分からなくなる術はありませんか?」

「――余計な戦いを好むのは、君主の器とは言えんぞ」

「出来るんですか、出来ないんですか」

「出来るに決まっている」

 僧正坊が清過の顔の前で印を結び、顔の上に指で何か模様を描く。

「ルットさんは、動けるようになったら、慶子さんと愚釈さんを探して下さい」

「もうダイジョウブです」

「あ、電話は通じませんでしたから」

「ええ、しってます。ジャミングされていますよね」

「えっ?」

「きづいてなかったんですか?」

「全然」

「……そうですか」

 少し何か考えていたが、清過はすぐに口を開いた。

「ともかくお願いします。それと慶子さんにお会いしたら――目を離さないで下さい」

「え?」

 ルトアビブが訊き返す間もなく、清過は『使霊』に突っ込んで行った。


 一時は圧していた警官たちも、次第に正体不明の『使霊』の力に圧倒されていく。

「こいつは……ただの悪霊や使霊じゃねえ」

 下田は弾丸を再装填しながら呟く。

 使霊の周囲には、魂を削られて悶絶する警官が増えている。

「いくつもの霊が縄みてぇにより合わさってやがるが、それも外側だけだ」

 引き金を続けざまに3回引く。

 銃声と共に、使霊の一部が砕けるが、致命傷には至らない。

「多分、巧妙に偽装された、式だ」

 使霊が腕を振りかぶる。

「第2小隊、伏せろ!」

 下田の声に反応し切れなかった警官の1人が弾き飛ばされる。

「糞っ」

 引き金をまた3回引く。

 ポケットにはもう弾丸は残っていない。

「弾!」

 下田は周囲を確認する。

 と、倒れている1人の警官の側に転がっている、居合い用の日本刀が目に付いた。

 下田は日本刀を拾い上げるや、八相に構える。霊識を持てない微弱な気だが刃先で凝縮されれば、霊を断ち切る密度となる。

「撃ち方4秒止め!」

 号令をかけるや、彼は使霊に切りかかった。

 受け止めようとして出された使霊の右腕が、ばっさりと斬り落とされた。

「やれる!」

 しかし次の瞬間。

 使霊の左拳が下田を捉えていた。

「うがあっ!」

 強烈な打撃が、コートに縫い込まれた防護陣を破り、下田の肉を破り、魂を揺らし命の気を削る。

『せめて、機動隊が動いていれば……』

 身体が、木立に向けて吹き飛ぶ。

 飛んだ身体が木に叩き付けられれば、骨が砕け、起き上がる事は物理的に出来なくなる。

 下田は歯を食いしばった。

 と。

 ふかっ。

「え?」

「きゅうぅ……」

 木ではない、柔らかな感触が下田を受け止めていた。

「なんだ、一体?」

「重いです、さっさとどいて下さい!」

「す、すまん」

 下田は起き上がり、誰とも知れない新戦力を見た。


「さや? いや、全く別人か、誰だ?」

 下田は霊視符をずらすと、不思議そうな顔で清過を見る。

「あなたに名乗る名前はありません!」

(僧正坊さんの個人情報隠しの術、効果抜群ですね)

 清過は腕に使霊を込め始める。

 下田の額から流れている血は止まってはおらず、身体中が痣だらけになっていた。所々、気も削られている。

 清過の腕の影は、もう相手と同じほどの大きさになっている。

 目の前の巨大な使霊は、視線を清過に向ける。

『あの霊、ひょっとして』

 アリほどの大きさになって、清過の肩にとまっている僧正坊が呟く。

「女の腕力でどうなるもんでもねえ! 警察に任せて逃げろ!」

 下田が清過に怒鳴る。

「そちらこそ、引っ込んで下さい!」

 清過は重い腕を振り上げ、力一杯に踏み込んだ。

 拳圧が空気を押し潰し、突風を伴う霊気を発生させる。

 霊気の指向性爆発が、巨大な使霊を切り刻む。

 続く追撃で止め。

「っ!」

 清過は追撃を中断し、大きく跳び下がる。

『良い判断だ』

 爆風が過ぎ去った後、「それ」から、使霊のカモフラージュは、すっかりはぎ取られていた。

「なんです、あれ」

 金属光沢を持つ表情のない人形。しかし、下田に斬られた右腕の断面は、粘土の様にざらついている。そして、断面から伺える内部構造は、何の装置もなく、がらんどうだった。

『我も久し振りに見た』

「――黄巾力士だ」

 3分の2ほどにへし折れた日本刀を持った下田が、言いながらよろよろと立ち上がる。

「コウキンリキシ? なんです、それ?」

「大昔、仙人が作った戦闘人形、黄巾力士。警察内資料に模型があった」

「仙人――天狗さんですか」

「たまに暴走して警察の所轄に入って来る化け物。明治に現れた際は、藤田五郎巡査率いる警察隊80名と交戦、破壊されるまでに警官23名を殺害した」

 黄巾力士は清過に突っ込んで来る。

「これで、決定ですね!」

 鋭い拳を清過は紙一重でかわす。

『ああ、敵に天狗がいる。そしてこれは、明らかに陽動だ』

 黄巾力士は、中国拳法と思しき動きで、清過に蹴りを放つ。

「うわっ」

 清過には、圧倒的なスピードとパワーで繰り出される技をかわすだけで精一杯だった。

 その時、警官たちが気絶したままむっくり起き上がり、一斉に黄巾力士に向かって発砲した。無数の弾丸が黄巾力士に食い込む。

「無駄だ、避けろ!」

 下田が怒鳴る。

「言われるまでもありません」

 清過はしゃがみ込むと、黄巾力士の拳が樹を砕いて通り過ぎて行った。

 黄巾力士のボディには、弾丸が食い込んではいるものの、ダメージにはなっていない。

『泥人形を術で動かしているだけの黄巾力士に、悪霊調伏の術しかこもっていない弾丸は効かんな』

「つあっ!」

 下田が気合いと共に、黄巾力士に斬りかかる。

 黄巾力士はそれをかわし、下田を蹴り飛ばす。

「あっ!」

 清過は慌てて下田を受け止めた。

「馬鹿ですかあなたは? いや、馬鹿ですあなたは! そんなノロマな攻撃を真正面からやって、効くわけないでしょう! 足手まといです、引っ込んでて下さい!」

「馬鹿はお前だ。今の隙をどうして使わない」

 肩で息をしながら、下田はまた日本刀を構える。

「下田さんを受け止めないと死んじゃうからでしょうが!」

「警官がそう簡単に死ぬか。今度は成功させろ」

「うるさいです、あなた如きに手伝って貰う必要はこれっぽっちもありません。私にぶたれたくなかったら、その口を閉じてて下さい!」

 清過は使霊を大量に開放し、黄巾力士の影に突っ込ませる。

『無駄だ!』

 使霊たちは、取り憑くべき対象が見当たらない様子で、フラフラと浮かんでいる。

「どうして!?」

 清過は黄巾力士の拳打をスウェーバックでかわす。

『天狗の兵器だぞ、使霊対策はしてある!』

 反撃の拳を繰り出そうとする清過だが、黄巾力士の手数の多さに完全に押し切られている。

 休みなく避け続ける清過の息は、少しづつ上がっていく。動きに段々キレがなくなってきた。

 周囲の石が浮き上がり、黄巾力士に当たる。

 だが、感覚のない人形に、この攻撃はほとんど意味をなさない。

「スピードが足りないっ!」

 清過は防御用に身体にまとわせていた霊と、影に控えさせていた霊の全てを離した。

 次の瞬間、段違いにスピードの上がった清過は、残像を残し黄巾力士の背後に回っていた。

 背中から黄巾力士の首に脚を絡め、腕を自分の両の腕で掴まえ、関節とは逆方向に捻る。

 霊力はほとんどこもっていないながら、人間離れした清過の腕力に、黄巾力士の肩関節はへし折れる。

 だがその時、黄巾力士の脚が、まるでバレリーナのように真後ろに曲がった。

 丸太のような脚から繰り出される踵蹴りが、清過の背中に迫る。当たれば、使霊の防備のない今の清過では背骨が砕ける。

 しかし。

「――隙を作ってくれたのは」

 黄巾力士の蹴り脚が、地面に落ちた。

「嬢ちゃんの方だったな」

 間髪入れず、もう1本の脚も斬り飛ばす。 下田の日本刀が、黄巾力士の丹田を一直線に貫いた。

 爆発にも等しい気を放出させ、黄巾力士はたちまち崩れ、土に戻っていった。


「全く、無茶しないで下さい!」

 清過は手早く下田に包帯を巻く。

「すまねえな、嬢ちゃん」

 下田は荒い息をしている。

「かないもしない相手に挑むなんて、馬鹿ですよ。馬鹿」

「あはは、でも、倒せただろ」

「私が出て来なかったら、どうするつもりだったんですか」

「そう、それそれ。本当にいいタイミングで来てくれたな、あんた――あー、もう大丈夫だ。血は止まった」

 彼はコートから電子煙草を出して、くわえる。

「それ臭いから止めて下さい!」

「なんだ、嬢ちゃんも嫌いか」

 がっかりした風に、下田は煙草を戻す。

「電子煙草まで嫌われて、肩身が狭いのなんの」

「悪臭を発するのは、立派な環境犯罪です」

 その時、電子音が鳴った。

「?」

「俺のだ」

 下田は警察無線を取り出す。

「はい、下田――なに、県境? ああ、大丈夫だ、すぐ行く」

 無線を切るなり、彼は立ち上がった。

「宇崎!」

「はい!」

「負傷者の手当を続けろ。もうそろそろ救急隊が来る筈だ」

「はっ!」

「他、戦える奴ら、来い! 上鷹野西4丁目桐竜川付近に、百鬼夜行が確認された!」

「はいっ!」

 下田たちは重い足取りながら、立ち上がり歩き始める。

「ちょっと、下田さん!?」

 清過は慌てて彼を追う。

「そんな状態で動くのは無茶です!」

「引き金を引けりゃあ充分だ」

「他の警官さんに任せればいいでしょう!」

 下田の足取りは重い。他の警官たちも、辛うじて歩ける程度だった。

「俺は警官だ」

 額に巻いた包帯に、血の色が透けていた。

「市民に危険がありそうな時に、のんびり寝てるようじゃ、ボーナス貰う資格はねぇわな」

「もう黄巾力士さんを倒したでしょう? 今年の分は働きましたよ!」

「悪霊は1人もいさせたくねえ。悪霊となって死ぬ事も出来ずに止まっている霊は可哀想だ」

 彼の膝はもうガクガク震えている。

「それに――うおっと!」

「危ない!」

 転びかける下田に、清過が慌てて肩を貸す。

「この街には、ガキが1人いてな」

「お子さんですか?」

「俺は独身だよ」

「ああ……そうでしたっけ、いい歳して独り身でしたっけ」

「顔見知りのガキンチョだ。小さい頃から、いつも見えない者に怯えたような顔をしててな」

「怯えた――?」

「京都で神隠しになったんだそうだ」

 清過は下田を見る。

「あんた、霊識者なら、そういうの知ってるだろ?」

「え、あ、はい」

「神隠しと称される現象には、霊体験が伴う。多分あいつは、生まれた時から桁違いの霊能力が備わっていた」

「そうでしょうか?」

「親御さんから聞いた。他人に見えないものがいつも見えていただろう。俺たち警官が、霊視符を使って何となく分かる程度のものが、普通にバンバン見えてた筈だ」

 例えようもなく優しげに下田は笑っていた。

「だから、あいつはいつも怖がってた。神隠しの後で霊力を失ったが、怨念と残念の固まりである悪霊の叫びの幻想は、耳に残っていたようだ。見えなくなった悪霊を打ち払うため、夜の街を彷徨っている事も多い」

 いや、それはいつも清過に見せている表情そのものだった。

「あいつのいるこの町に、悪霊なんてものは1匹もいさせねえ。絶対にだ」

 肩を貸しながら、清過は眉間を押さえ、口の中で呟いた。

「……馬鹿ですあなたは」


「世話になった」

 県道に下りた下田は、車に乗り込む。

「死んじゃダメですよ?」

「次に会う時には、その使霊みんな没収させて貰うぜ」

「そんな事すると、あなたが死ぬような目に遭いますよ」

「ふふっ、警察舐めんなよ、霊識者」

 走り去る車のバックランプを見送ってから、清過は走り始めた。

「桐竜川か」

 僧正坊が通常サイズで現れる。

「百鬼夜行って表現が気になりますね」

「そんなに大量の使霊を同時に動かせるのは、芦屋しかおるまい」

「でも、こんなに近くまで来ているなんて聞いていませんよ? 慶子さんからも、藤代さんからも」

 木々の間をすり抜けて走る。

「霊に関しては、藤代の情報網などたかが知れている。そして最も感知力の高い筈の杉田の二の式は、今回の黄巾力士を見逃している」

「ええ……見逃していますね」

 清過は一直線に山を下って行った。


 山を下りきった清過は、人知を越えるスピードで街の中を駆け抜ける。

 途中、霊的防御を施した覆面パトカーが、何台か通っていくのが見えた。

 清過が住宅地の中を走っている時、不意にゴミのポリバケツから、人魂が現れた。

「!!」

 地面を蹴ってブレーキをかける。

「これ、愚釈さんの使霊さんです!」

 清過は人魂を握る。

「愚釈はどこにいる?」

 僧正坊が尋ねる。

「ええと、県境ですね。百鬼夜行が確認されている上鷹野西4丁目よりも、4キロほど北です」

「よし、行くぞ」

「……はい」

 一瞬間があってから、清過は応えた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ