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第七章 東京制圧戦

 星明かりのない夜だった。

「――吉住!」

 特殊警棒を構えた下田が怒鳴る。

 古びた街灯の切れ切れの光に照らされ、若い刑事が宙に浮かんでいるのが見える。

 ――否、若い刑事の襟元は、巨大な人型の影に掴まれていた。

「ひゅっ」

 下田は息を鋭く吐くと同時に踏み込んで、宙を切り裂く。

 それとほとんど同時に、浮いていた若い刑事がアスファルトの道路の上に音を立てて落ちる。

 街灯の光がようやく安定し、下田の姿が照らされる。

 彼の顔には、布が巻き付けてあった。一見目隠しをしているようだが、実際には布に描かれた呪符が、悪霊の放つ気のみを増幅して通し光として視力を刺激する。

 霊力の乏しい一般の人間が、大地の気や悪霊を肉眼で見るために作り上げられた陰陽道に由来する呪具であり、日本警察伝統の装備だった。

「ちぃっ!」

 下田は特殊警棒を構えたまま走る。

 巨大な悪霊は、再び彼の攻撃をかわす。

 そして、その巨大な手で下田の喉笛を掴もうとした。

「うあっ!」

 とっさにしゃがみ込んだ下田は、悪霊の足を払う。

 だが、悪霊はこれをかわして飛び上がりながら、下田の上を取る。

「舐めるな!」

 横に転がってかわした下田のすぐ後に、悪霊の拳が振り下ろされる。生えていた雑草の気が侵され、瞬く間に枯れていく。

「しんこんかんえん――」

 避けながら、下田は手首に巻いた数珠を繰り、経文を唱える。

「あんねんせいふつ、けんせいおんこんせつはくてんせい――」

 下田の常人並の気は言葉となって放出され、数珠に蓄えられた気を作動させ、周囲の大地の気と整流させ、周囲の瘴気を消し濃密で清浄な気を広げていく。

 悪霊の動きが鈍ったその一瞬。

 下田はコートの内ポケットから拳銃を取り出した。

 ニューナンブM60、旧式の警察用リボルバー。

 素早く引き金を引く。撃鉄が上がり――下りた。

 轟音と共に弾丸が射出された。

 呪符の灰が混ぜられ、1つ1つに退霊の印を施された鉛弾は、霊的手順により精製された玉鋼の銃身を通過する際「活性」の五芒星相当五本の刻印を刻まれ、呪術的正転たる右回転しつつ射出され、怨念によって歪んだ悪霊に特化した浄化力を発揮する。

 これは決して特別な弾丸ではなく、日本の警察官の通常装備であり、それ故に、警察は生きた人間への使用を好まない。

 いかに素早い悪霊も、亜音速の弾丸をかわすスピードはない。

 悪霊はもんどりうって倒れた。

「さっさと!」

 悪霊の腕は、弾丸に激しくえぐられ、もぎ取れそうになっている。

「往生しやがれ、この悪霊が!」

 下田がもう一歩踏み込んだ時。

 彼の視界から悪霊が消えた。

 左右を見回す下田。

「下!」

 ようやく意識を取り戻した若い刑事が怒鳴る。

 下田の影は、彼自身のものよりもずっと大きくなっていた。

「!!」

 いつの間にか、下田の身体に悪霊が入り込もうとしている。

「ぬあっ」

 悪霊は元あった魂を追い出し、肉体にもぐりもうとする。

「振りほどいて下さい!」

 横たわったまま若い刑事が拳銃を向けるが、既に悪霊は半分以上下田の肉体に入り、狙いを定められない。

「やれ! 対悪霊弾(それ)人の魂(ひと)を傷つけん!」

 ほんの一瞬間が空いた後、その日2発目の銃声が響き渡った。

 いつの間にか、東の空は白みかけていた。


 早朝、散り始めた桜並木沿いの道を、清過は独り走る。

 ペースを弛めずに児童公園に入り、鉄棒にぶら下がる。

 50回の懸垂の後、膝を丸めて大車輪を行い、ひねりを加えて音もなく着地する。

「ふぅ」

 ベンチに腰を降ろし、清過は身体をほぐす。

「無駄な努力をやっているな」

 彼女の影から僧正坊が半分顔を出す。

「どんなに頑張っても、修羅の殻を破れるものでもないぞ」

「巨大なお世話様です」

「天狗になるための修行法なら教えてやるというのに」

「天狗さんになったって、戦えないんじゃあつまらないです」

「修羅らしい答えだが、天狗になればその戦いがいかに下らんものかも分かるぞ」

「幼児に『アンパンマンなんか下らない、四書五経を読め』と言ってるようなもんです。修羅の私には楽しいんです。それでいいじゃないですか」

 落ちてきた桜の花びらを、清過は立て続けに10枚空中で捕まえる。

「――身を削り続けながら斬れ味を保とうとする刃。いつも其方はそうだな」

 僧正坊は清過の影から抜け出て、桜の木の枝に座る。桜の細い枝は、まるで春の朝靄を乗せたかのように、揺れも曲がりもしなかった。

「愚釈の戦う理由は慈悲。杉田の戦う理由は物心両方の自己防衛。藤代の戦う理由は圧倒的な物欲。だが、其方はなんだ?」

 理解できないものに対する苛立ちが、彼の目にはあった。

「闇の世界を統一するという野望はあろう。万人の幸せと語りはするが、それは動機ではない。其方の戦いには動機が見えん。動機足りうるものはいくつも存在するのに、そのどれにも執着している風に見えない」

「私だって執着してますよ。芦屋さんの事」

「それは何故だ。幼い頃に感じた恐怖と屈辱を払拭するためか。それとも、覇権を目指すための障害だからか」

「ふふ、僧正坊さんも真面目ですねぇ」

 清過の影から現れた使霊たちが桜の花びらに入り込み、舞い踊る。

「私は、戦いで何かが守れるとか、手に入れられるなんて思ってませんよ」

 風が、桜の花びらを散らしていった。

「世の中に決着を付ける手段なんて、山ほどあります。手段に敢えて戦いを選ぶ必要なんてありません」

 後には、霊に取り憑かれた花びらだけが、雪のように踊り狂っていた。

「わたしにとって、戦い自体が目的です。目の前の敵と戦い、勝てば嬉しくまた戦いたくなり、負ければ悔しくリベンジしたくなる。闇の世界の統一は、それが勝ちに偏った場合の最終形です」

「――結局、修羅か」

「私個人の性格だと思いたいんですけど、修羅道の良くある性質ですか?」

「其方は其方だ、どっちでも良かろう」

「ありゃ」

 ふと人の気配を感じ、清過は立ち上がった。僧正坊も彼女の影に隠れた。


「おう、さやじゃねえか」

 公園に薄汚れたコートを小脇に抱えた下田が入って来る。

「お早うございます。朝の挨拶も知らないんですか?」

(爽やかな朝が台無しですねぇ)

「ご生憎様、俺は夜勤明け! こんばんは、てなもんだ」

「盗人の昼寝とは良く言ったもんですねぇ」

(さっさと消えて下さい。もう、汗臭いし、鉄臭い……え?)

 ふと気付くと、下田のワイシャツの二の腕の部分が、不自然に膨れていた。

「なんです、寝ぼけて犬にでも噛まれたんですか、それ?」

「……どれだ?」

「そこの腕ですよ」

「ん、あー、これは、シャツがたくれてるだけだ」

「長袖シャツですか? お爺さんみたいですねぇ」

「やかましいな。人が何着ようと勝手だろうが」

 清過が少し目を凝らすと、シャツ越しに呪符らしき気の流れが見えた。

(悪霊さんとやり合ったんですかねぇ。腕の色も左右で変わっちゃってるじゃないですか)

「それより、お前今年は受験生だろうが。体力作りなんてしてねえで、勉強の1つもしろよ」

「いい大学に行く事が幸せとは限りませんよ」

「そういうのは、別な目的を見つけてる奴が言うもんだ」

「莫大なお世話様です」

「けっ!」

「ふん!」

 下田は公園から去って行った。


「ただいま帰りました」

 家に戻った清過は、ダイニングに入る。

「いいタイミングね、ちょうど朝ご飯出来たところよ」

 母親は、ちょうど炊飯器からご飯をついでいる最中だった。

「お早う、清過」

 父親は味噌汁をテーブルに並べ終えた所だった。

「お早うございます」

 自分の席に、清過は座る。両親も、各々の席に座って手を合わせる。

「いただきます」

 ご飯、味噌汁、ミョウガを混ぜた納豆、それに昨日の残りのヒジキ煮と野菜の煮転がし。

 清過はそれを至って行儀良く食べる。

「清過……受験勉強はどうだ?」

 遠慮がちに父親が尋ねる。

 清過は箸を置いた。

「順調ですよ」

「でも、あんまり無理はしないでね」

 優しげな顔で、母親が言う。

「お父さん、お母さん、ひょっとして――」

 清過は首を傾げる。

「私が受験ストレスで、また憑き物付きになるかもって思ってらっしゃいますね?」

「あはは、やっぱり分かる?」

「それがお父さん心配で」

 両親は笑う。

「大丈夫ですよ。私は成績はいいですから」

「そうよね」

「うん、そうだな」

 それからしばらくの間、食卓は静かになった。

「――ごちそうさま」

 朝食を終えた清過は、タブレットで新聞を読む。ページを進め、とある記事で手が止まった。

『――職務質問したところ、男2人がナイフで襲い掛かって来たため、下田両次巡査部長は拳銃1発を空に向け発砲、続いて吉住――』

「下田さん?」

 清過は思わず声を出していた。

「そうそう、その記事。清過にも教えようと思ってたのよ」

「あの下田さんが発砲するなんて、見かけによらないなぁ」

「――威嚇射撃みたいですよ?」

「でもやっぱり何か怖いわ」

「警察がきちんと仕事をしてない国の方が、100倍怖いじゃないですか」

 記事をぼんやりと眺める清過の脳裏には、下田の傷ついた腕がちらついていた。


「お早うございまーす」

 清過は教室に入る。

「あ、清過」

 教室にいた慶子が駆け寄って来る。

「ごめんなさい、教室間違えました」

「間違えてないって!」

「だって、私は進学理系コースの2組で、3年なのに芸術教科まである非進学型文系コースに所属する慶子さんとは違いますよ?」

「誰が非進学か! わたしの受ける大学は教科がそれで足りるの!」

「怒る事もありませんよ。人間顔じゃありません」

「どーしてこの文脈で顔が出て来るか!」

「じゃあ、胸の大きさは個性です、多様性の時代ですよ」

「人の事を言える個性か!」

「それじゃあですね……」

「朝っぱらから無意味な会話をさせる・ん。じゃ・な・い!」

「いひゃい、いひゃい、いひゃいへふ!」

 つねられて赤くなった両のほっぺたを、清過は涙目でさする。

「せっかく雰囲気を和ませようと思ったのに」

「和まないっての」

「あ、念のため、慶子さんは充分可愛いですよ? 頭もそれほど悪くないし」

「取って付けたよーなフォローはいらん! ともかく来て」

 慶子に腕を掴まれ、清過は教室から出て行く。

「でも、これから授業ですよ?」

「代返させなさい! 何のために使霊千匹も飼ってんの!」

「あんまりやってると授業に付いて行けなくなるんですけどねぇ」

 それほど困った風な顔もせずに、清過は慶子に付いて行った。


 ネオンの明かりが眩しい繁華街を、人々が行き交う。次々と人が通り、途切れる事がない。

 その後夜が更け、人通りが途絶え、パトロール中の警官ばかりが目立ち始める。その表情は緊張に満ちていた。

 警官が通り過ぎてから5分。

 ――不意に、映像が途切れ、後はスノーノイズが画面を覆った。

「ありゃら?」

 清過は眉を寄せる。

「切れちゃいましたね?」

 清過、慶子、愚釈、僧正坊の4人は清過の部屋で、テレビ画面に向かっていた。学校帰りそのままなので、清過と慶子は制服を着ている。

「そ」

「よく分からないんですけど、これって何なんですか?」

「新宿歌舞伎町じゃな」

 煎餅をかじりながら愚釈が呟く。

「二の式が捉えた映像だよ」

 少々自慢げに慶子が応える。

「二の式ってテレビカメラが付いてたんですか?」

「その……色々やってみたら、二の式から送られて来た映像が念写出来るって分かったんだよ。で、藤代さんから古い映画用のフィルムを貰って、それを動画データにした」

「ディスクに直接はダメなんですか?」

 清過は、ディスクをデッキから取り出す。

「魂は影を作るでしょ。だからデジタルデータで記録されるものより、アナログで感光するフィルムの方がいいの」

「へえ、科学的ですねぇ」

「腕が足りんというだけの話だ」

 僧正坊が顔を出す。

「うむ同感じゃ。ほれ、この動画」

 愚釈がディスクを清過に手渡す。

「ホームレスが何持ち歩いてんの」

「ホームレスとは失敬な。拙僧にとってあらゆる場所が宿、あらゆる者が友」

「あんたね、そういう生き方は体力のあるうちだけしか出来ないよ。老いたらさ、生活保護か何か受けながら、惨めな惨めな気持ちになって生き恥を曝す事になるんだよ」

「いや、愚釈は多分肉体の衰えはないだろうな。気を操り幾らでも治す事が出来る。死ぬのは事故死か自殺程度、天人というのは、そういうものだ」

「うむ、じゃろうな」

「……お前、もう神にでもなっちゃえよ」

 不機嫌そうに慶子がぼそりと言う。

 ――清過は2人の言い争いには全く関心がない様子で、ビデオに見入っていた。

『テロ、戦争、飢饉、環境汚染。死んで幸せそれでいいの? さあ、みんな、末法衆に入るんじゃ! 現世、現世、現世利益だババンバァン!』

 画面の向こうでは、爽やかに微笑む愚釈が歌い踊っている。歌唱力や動きはプロ並みだが、曲や歌詞・振り付けについては大変稚拙でそのちぐはぐさは滑稽の領域だった。

「いいじゃろ? 新しく開く拙僧独自の宗派のPVじゃ」

「脳みそがクサレてるのかね、この坊主は」

「人を見下すような言い方はよくないんじゃぞ」

「いや、慶子さん、これ凄いですよ」

 清過はデッキ本体のボタンを操作する。

「よくあるPVでしょ? 画像はプロっぽいけど、金出せば――」

「全部念写ですよ、これ」

「……な、に?」

 慶子は改めて画面を見る。一見、スタジオ撮影とCGの合成に見える映像だが、画面の滑らかさや質感が明らかに異なる。

「充分に力のある気は因果を超越する。理屈は分からなくとも、結果に直接干渉できる。デジタルとかアナログとか関係ないのだ。格の違いというものが分かったじゃろ、杉田」

「ふ、ふん。その能力をこんな事に使うんじゃ、結局メールと通話しかしない老人のケータイと一緒だね」

「まあまあ」

 睨み合う慶子と愚釈の間に清過が割り込む。

「2人とも仲良く。喧嘩しちゃダメですよ。あなた方はどちらもダメな子なんかじゃありませんから。それはあなた方と戦って打ち倒した私が、ちゃあんと知ってますから」

「そんな衛星軌道から見下したよーなフォローはいらん!」

「安心しろ、我は差別をせん」

 浮かんでいた僧正坊が、慶子と愚釈の肩を叩く。

「輪廻から抜け出る事の出来ておらん汝らは、皆同等に価値がない」

「「全く愛のない言葉はもっといらん!」」


 繁華街、官庁、ビル、学校、住宅地、橋……。

 改めて観ると、映像はどれも途中でぷっつりと切れている。

「低解像度で撮れば良かったのに」

「メモリ切れじゃないって」

 慶子は深刻そうな顔をする。

「映像を送って来た二の式は、どれも消息を絶っている」

「可哀想ですねぇ」

「二の式がいたのは、全部東京じゃな? 杉田?」

「うん。山梨は迂闊に送り込めなくなってるから」

 慶子はうつむく。

「二の式さんに気付ける人、案外いるんですねぇ」

「いや、それほど簡単ではないじゃろ」

 愚釈はディスクケースに使霊を宿らせる。ケースは蝶の姿になった。

 慶子は、目を見開く。

「わ、何ですか、これ」

 清過が楽しげに蝶を見つめる。

「これが一般的な式じゃ。放出される気の量が、四方式よりずっと多いじゃろ」

「確かに」

「それが?」

「四方式の隠密性は群を抜いている。これを感知出来るのは、かなり敏感に作った結界か、拙僧ぐらい感覚の鋭い霊識者だけじゃな」

「じゃ、次の標的は東京にしましょうか。東京の霊識者さんを仲間に付けるか、無力化する、と」

「待て、伊能殿」

 愚釈が口を挟む。

「中部地方の大半は芦屋が制圧し、神奈川県内にもまだ正体不明の悪霊がいるんじゃぞ。県西の竜穴を確保し防衛拠点を構築しつつ、県内の地盤を固めた方が良いのではないか?」

「だからこそ、ですよ。芦屋さんが修羅王であれば、戦いは避けられません」

「……あんたが勝手に喧嘩売って、勝手に敵を増やしたアレね」

「修羅の宿命なのです」

「宿命に身を任せるタマじゃないでしょ」

「過ぎた事は仕方がありません」

 清過が咳払いをする。

「当事者が言ってどーすんの」

「慶子さん」

 じぃっと清過が慶子を見つめる。

「な……な、なんだよ」

 清過の大きな目が潤む。

「……いじわる」

「な、あ、こ、くっ、こ!!」

「入ったな、これはかなり効いておる。どうじゃろう、解説の僧正坊殿」

「そうだな、もうタオルを投げた方が良いだろう。杉田の耐久力のなさは、ドラクエ1のスライム並だからな」

「光になれえええ!」

 真っ赤になった慶子は、愚釈と僧正坊の脳天に踵を落とした。

「慶子さん、ぱんつ見えてますよ」

 ひとしきり愚釈と僧正坊の頭蓋を凹ませた後、話を戻す。

「――後ろに敵を残すのは、敗北時の形です。これを解消しないと、戦いのスタートラインにも立てないって事です。県内の野良悪霊さんは、警察さんにある程度はあげちゃって良いでしょう」

「東京……か」

 愚釈は荷物から携帯端末を出すと、地図サービスに接続し、東京地図を表示させる。

 同時に凹んでいた頭蓋骨が音を立てて元に戻る。

(……ピンポン球茹でてるみたいですね)

「東京は、霊能者の数も多いが、何より警視庁じゃ。警察沙汰になればアウトと思った方が良い」

「愚釈さん、よくご存知なんですか?」

「上野公園に住んでいた時に、職務質問された」

「ホームレスの王道行ってるね」

「あ」

 清過は僧正坊の方を見る。

「なんだ?」

「考えてみると、僧正坊さんもホームレスでしたね」

「我は庵を持っていただろうが」

「でも、後で調べたんですけど、あそこって国有地ですから、不法占拠ですよ」

「伊能、いいことを教えてやろう」

 僧正坊はにやりと笑って清過の鼻先に指を突き付ける。

「はい?」

「古今東西、土地というのは、武力で支配する物だ」

「はあ」

「あの山で一番武力を持っているのは、日本政府ではない。我だ」

「確かに」

「従って、あの山は我の山だ」

「やれやれ、それだけの力を得ても尚、自分の財産にこだわるとは、浅ましきは天狗の根性じゃな」

 愚釈は呆れた風に言う。

「吠えていろ。今だ解脱に至らず輪廻の輪から抜け出てもいない天人風情が」

 見下した目で僧正坊は嘲笑う。

「わーざーとーじゃ!」

「言うだけなら何とでもなるわ」

「やかましい、俗物」

「欲望を昇華したと言って貰おうか」

「昇華なんぞナフタリンだけで充分じゃ」

「――ねえ、慶子さん」

 言い争う愚釈と僧正坊を放って置いて、ビデオを操作していた清過が、慶子を呼ぶ。

「なに?」

「ほら、ここの映像」

 それは、途切れる寸前の映像だった。

「何かあった?」

「ほら、ここの所」

「あ、この建物……」

「愚釈さん、僧正坊さん!」

 清過が声をかける。

「輪廻から抜け出したのがそんなに偉いか! 結果が天狗の決め事に縛られ、衆生を直接助ける事も出来ておらんではないか!」

「死の度に己を失って、一体何が出来る!」

「記憶はなくとも感情は残るんじゃ、菩薩が良い例じゃろが」

「自画自賛も大概にしとけ」

 2人はまだ言い争っている最中だった。

「愚釈さん、僧正坊さんってば!」

 清過は愚釈と僧正坊の襟首をむんずと掴み、引っ張った。

「おわっ!」

「ぎゃっ!」

「な、何をするんじゃ!」

「我の首を、其方でなければ滅殺しているぞ!」

「それはいいですから、ほら、映像見て下さい」

 襟首を掴んだまま、彼女は2人を画面に近付けた。

 新宿の東京都庁から繁華街に下りて行く映像から、濃いめのノイズがかり、それから。

 顔に濃いノイズのかかった人影が、日本刀で切りつける。その時、ジャケットが翻り、その内側に小さい記章が見えた。

「清環会の代紋じゃな」

「よくそこまで分かるね、愚釈」

「多少やり合う事もあったからな」


 東京新宿西口繁華街。

「ねー、次どこ行こっか?」

 千鳥足の男女が、路地を歩く。

「飲み足りない?」

 男が尋ねる。

「まだまだぁ」

「それならさ、いい日本酒原価で出すとこ知ってるんだけど」

 日が落ちてから数時間経っても、一向に人通りは減らない。

「え、原価? そんなとこあんの? 店の名前は?」

「オレん家」

「あはは、なんだぁ」

「久保田純米あるぜぇ」

「お金取る?」

「金は取らない」

「うふふ、それじゃ――あれ?」

 劇場の前を抜け、風俗店の立ち並ぶ通りに差し掛かったところで、女がふと空を見上げた。

「ん? 雨か?」

「ううん、そうじゃなくて、ほら」

 夜空には、白い蝶がひらひらと舞っていた。

「きれい……」

 ――蝶はそのままビルを越え、細い裏路地に来る。

 ゴミ用のポリバケツを漁っていた猫が、びくっとして顔を上げる。それから、蝶を見るなり、走り去った。その衝撃に驚いたのか、ポリバケツの影にいたネズミも、ざわざわと走り去る。

 蝶は、裏路地を低く、確かめるように飛ぶ。

 角を曲がってまた、明るい表通りに出ようとした時。

 風を切る音と共に、蝶は真っ2つになり、瞬間、ある種の人間にしか聞こえない大音響が、周囲に鳴り響いた。

「!」

 抜き身のドスを下げたままの男が、舌打ちしてその場を立ち去ろうとする。

 が。

 どこからか伸びて来た手が、男の喉を押さえ、壁に押し付けた。

「ぐ、あ……」

 すさまじい力で持ち上げられる。そして、手のひらから伝わる強烈な気のせいで、脳が痺れていく。

 男の指先から力が抜け、落ちたドスがアスファルトに突き刺さった。

「変な真似をすると、切ない目に遭いますよ」

 手の主――清過は、男に向かってにっこりと微笑んだ。

「二の式さんを倒したのはあなた達ですね」

 背後に、別の蛾の姿をした二の式がヒラヒラと飛んでいた。


「手、を離せ、これでは話が、出来ねえ」

 男は苦しげに言う。

「それだけお話出来れば充分ですよ」

 清過は彼を吊り上げたまま、路地の奥へ歩く。

「それに手を離したら、その左手に隠しているカミソリで、私の顔を切るつもりでしょう?」

「ぐ、愚釈の、手の者か?」

「――どうも愚釈さんの知名度の方が高いみたいですねぇ」

 不満げな顔で、清過は男の隠し持っている武器や札を、片手で器用に捨てていく。

「ふむ、影に悪霊さんが3体。二の式さんを見つけられたんですから、目はいいんでしょうけれど」

 彼女はじっと男の目を見つめる。

「なんだよ?」

「はい、じっとしてないとえらいことになりますよ」

 清過はさっと男の目に指を突っ込んだ。

「うわあっ!」

「やっぱり、これもですか」

 男の目には、呪符のびっしりと書かれたコンタクトレンズがはまっていた。

「あなた、本当に霊能者さんですか?」

 男は何も言わない。

「ひょっとしたら普通のヤクザさんですかね?」

 清過は男の親指をぐっと握る。

「答えて下さいますか? 小指を切るよりもずっと面倒な事になりますよ」

 男の顔が恐怖にひきつる。

「分かった、話す! 折らないでくれ!」

「ふざけない限りちぎりませんよ」

「おれはただの清環会の組員だ。上の命令を聞いてるだけだ」

「ふうん。どんな命令ですか?」

「愚釈って坊主が、東京の全ての組を支配するって。だから、いくつかの組の用心棒の霊識者や霊能者が組んで、守りを固めてて、それに駆り出された」

「じゃ、用心棒さんのお名前は?」

「名前は――」

 男は言葉を切る。

「じらしちゃダメですよ?」

 だが、男は何も言わない。いや、ぱくぱくと口を動かしているが、声が出ていなかった。

 みるみる男の顔色が赤黒くなっていく。

「まあ、効果的な方法と言えない事もないですけど、それならもっと決然と、素早くやるべきですね」

 清過は男の影に手を突っ込み、使霊を引っ張り出した。清過に抵抗し暴れている。

「はぁ、はぁ、はぁ、はあ……何が、あったんだ?」

「分からないですか?」

 清過が、捕まえた3体の使霊を突き付ける。

「リモコンみたいなものだったんですね」

 男に使霊は見えていないが、気配に反応はするようで顔色が更に青くなっていく。

「さあ、霊能者さんのお名前は?」

「おれたちの清環会にいるのが、永野って女だ」

 ふいに、清過は空いている方の腕を突き出す。

「危なかったですね」

 彼女の手には、1匹の蛇が握られていた。

 蛇は男の喉笛に食いつこうと首を伸ばす。

「ひっ!」

「あなた方の間には信頼関係ってものがないんですか?」

 清過は蛇を握り潰す。すると、蛇は1枚の呪符に戻った。

「他には? 言わないと蛇に噛まれるより嫌な事になりますよ」

「蛇頭のフェイ、木曽組の円戒。それに各々に弟子が何人か。後は組と関係ない霊能者にも声をかけているが――」

 今度は飛んで来たカラスを叩き落とす。

 すると、呪符とピンを抜いた手榴弾に戻る。

「わわわわわっ!」

「えいっ」

 清過が思い切り手榴弾を蹴飛ばすと、手榴弾はバラバラに砕けた。火薬が飛び散り、信管が無意味に燃え尽きる。

「大して組織化されていないところが付け入る隙ですかねぇ」

 壁を抜けて来る使霊を殴り砕く。

「ひぃぃぃ!」

「あなた、何だかもう殺されるの決定みたいですよ」

「そんな! た、たす、助けて下さい! 仲間にでも何でもなります!」

「……別に助けるのはやぶさかではありませんけど」

 清過は男の首からようやく手を外した。

「私が欲しい人材は」

 そして、男にドスを手渡し、影に清過の使霊を10体ほど入れた。

「自分の力と意思で戦う事が出来る人なんですよね」

「え、あ、え? か、身体が勝手に!?」

「多分、一番安全な所に行けますよ」

 男は表通りに飛び出して行った。

 ――抜き身のドスを振り回しながら。

「警察囮パートワンってとこですね」

 清過は男を吊り上げていた方の腕を回す。

「お次は、あなた方ですか?」

 裏路地には、隠れていた大小さまざまな式や、武装した暴力団員が姿を現した。

「嬢ちゃん、愚釈のナニだかは知らねえが、オレらのシマにちょっかい出すたぁ、おいたが過ぎたぜ」

 一番後ろにいる暴力団員がにやりと笑った。

「こんな所で鉄砲を使ったら、警察さんが来ちゃいますよ」

「心配ない。先生が結界を張って下さってる。音なんか聞こえやしねえよ」

 彼は内ポケットから警察用拳銃を取り出す。

「戦力的にはこっちが上ですけど、こんな戦闘であんまり消耗したくないですね」

 清過が溜息をつく。

「はっ、たった1人でオレらよりも上だって? こりゃあ大した自信だ」

「1人じゃありませんよ」

 清過の影が膨れ上がった。

 と、数百体の使霊が姿を現す。

「……ど、どこにいた!?」

「あなたの鉄砲よりは上手く隠してあったでしょう?」

 使霊たちは式や暴力団員たちに襲い掛かった。


 使霊が及び腰の暴力団員に迫る。

「ひぃぃぃ!」

 使霊の姿を目の当たりにし、彼の表情はひきつっていた。

 表情薄くおぼろげに光る使霊は、その形の定まらない手を触手のように暴力団員に伸ばす。

 暴力団員は半歩後じさりする。

「うああっ!」

 だが、僅かな気力を振り絞り、手に持っていた警察用拳銃を使霊に向け、引き金を引く。

「わあっ、わっ、わあああっ、わあっ!」

 弾丸に当たると、使霊は砕け散って消えた。

「な、なんだ、弱いじゃねえか」

 ぎゅっと両手で拳銃を握ると、仲間の暴力団員を襲っている使霊に銃口を向ける。

 引き金を引くと、使霊は飛び散る。

「ははは、やれるやれるぞ!」

 途端に彼の表情に自信が戻っていく。

「野郎、舐めた真似しやがって!」

 使霊がまた、襲い掛かって来た。

 彼は余裕の表情で引き金を引く。

 撃鉄が、発砲音ではなく、金属音を鳴らした。

「あ」

 彼が最後に見たのは、目の前いっぱいに広がる、薄ら笑いを浮かべた使霊の顔だった。

 ――一瞬で精神を抑え込まれた暴力団員は、意識を失ってその場に倒れる。

 間髪入れず、蛇形の式が、倒れた暴力団員の喉笛に食いつく。強烈な呪毒の威力で、喉が煙を立てて溶け崩れていく。

 暴力団員の身体から抜け出そうとした伊能党の使霊に、蛇形の式は毒牙を剥いて飛びかかる。

 しかし、その毒牙は使霊に突き刺さる前に止まった。

 伊能党の使霊3体が式に取り憑き、式のエネルギー源になっている使霊を引き剥がしていた。

 使霊を引き剥がされた式は、依代のただの札に戻る。

 裸にされた使霊に、伊能党の使霊が体当たりをかける。

 すると、式の使霊は一気に全ての気を放出して自爆した。そのマグネシウムの発火にも似た輝きに、伊能党の使霊のうち2体が消し飛ぶ。

 辛うじて残った伊能党の使霊に、ドスを持った暴力団員が突きかかる。

「っとお!」

 暴力団員が吹き飛んで、壁に叩き付けられた。

「怪我してますね、戻りなさい」

 清過はその使霊を影に納める。

「なんかこう、あなた方のやり方は美しくありません」

 群がる式を、清過は1体づつ確実に殴り落としていく。

「せっかく使霊さんや、気を使っているのに、ただ殺したり傷つけたり」

 暴力団員に追いすがり、気を込めた拳で昏倒させる。

 式を引きちぎり、叩きつぶし、粉砕する。飛び散った呪毒は清過が発している気によって焼かれ消失する。

「これじゃ、表の人たちの喧嘩と変わらないじゃありませんか!」

 弾丸が清過の頬をえぐる。

「痛い! とても痛い! 痛いです!」

 怒鳴りながら、式の最後の一体を打ち倒した。

「化け物……」

 一番後ろにいた暴力団員が、清過に拳銃を向ける。だが、引き金を引く前に、使霊に精神を支配されていた。

 清過は動かなくなった暴力団員の前に立つ。

「化け物ですか」

 頬から流れる血をそのままに、にっと笑う。

「人間離れした強さという意味なら歓迎ですよ」

 清過は周囲を見渡す。

 式の依代になっていたであろう札が何枚も散らばり、意識や命を失った暴力団員が転がっている。

 清過は暴力団員の影に仕込まれていた使霊を引きずり出す。

「あなた方も、せっかく見えるのに、何をやってるんですかね」

 清過の頬の傷はもう固まっていた。

「僧正坊さん」

「おう、死ななかったな」

 清過の影から、僧正坊が出て来る。

「あんなのに負けるわけないでしょう」

「でも人生、万が一という事もある」

「死なせたいんですか?」

「そりゃあそうだ」

「でも助けてくれるんですよね?」

「つまらん死に方は気に食わん。我の協力出来ぬ範囲の事が起きて其方が死に、さっさとまともなものに転生するのが希望だ」

「……この使霊さんですけど」

「自爆の解除か?」

「影から見てらしたんですか?」

「ああ」

「スカートは絶対はけませんねぇ、私」

「誰が女である其方のスカートの中身など見て喜ぶか!」

「男ならいいんですか?」

「うむ。彼奴のしなやかですらりとした脚と、きりりと締められた下帯なら」

「ホモセクシュアルの方でしたね、そういえば」

「阿呆、我は具体的で特定の1人について執着しているだけだ! 大体、其方は物事を一面的に見過ぎる! 昔から其方はそうだったが、人の上に立つ者というのはそもそも大局的な視点が――」

 ひとしきり怒鳴った後、僧正坊は使霊をつまみ上げた。

「ふん、人の加工した使霊はどれも醜い」

「自爆命令って解除出来ますか?」

「魂の加工は天狗の最低条件だ。己の魂が壊れたからと言って死んでいては、永遠の命とは言えん」

「いえ、天狗さんのルールとしていいんですか?」

「この程度ならかまわん」

 僧正坊は使霊を1つひっぱたいた。

「解除終了」

「……本当ですか?」

「信頼するしかない事は、信頼するものだ」

「正論ですね」

 清過は受け取った使霊を空に放す。

 開放された使霊は、真っ直ぐに巨大なビルに向けて飛んで行った。


 清過は人の間を縫うように走る。

 かなり目のいい人間でも、突風としか気付かないほどのスピードだった。

「代紋まで映ってたのは、ラッキーでしたね。ほぼ特定済みですから」

「実際、二の式は反則級の式だと思うな、我は」

「警察さん出てきますかね?」

「役人が必ず警察と繋がっているわけでもなかろう」

「だといいんですけど」

 窓の1つに、使霊が吸い込まれていく。

「うわー、あんな高い階までですか」

 清過はビルの非常口の前に来る。

「誰だお前は――」

 見とがめた警備員が声をかけようとする。

 清過の影から現れた数体の使霊が、警備員の影にもぐり込もうとする。

 だが、使霊たちは弾き出された。

「この方にも相手の使霊さんが仕込んでありますね」

 警備員が警報器を鳴らそうとする。

「ひゅっ」

 清過は鋭いフットワークで警備員の横に回り込むや、正拳で彼の顎先を真っ直ぐ殴った。

 脳を揺らされ、警備員は昏倒する。

 と、気絶した筈の警備員が、再び目を開く。その目に人間の意思や精気といったものはない。警備員は先ほどとは比べものにならない早さで、警報器を鳴らそうとする。

「見え見えです」

 清過の手が、警備員の手をぐっと抑え込む。その手が滑り離れてしまったかと思うと。

 清過が両手で掴んでいたのは、使霊の手だった。くるりと身を翻し、背負い投げの要領で。

「どっ、こっっ、いしょっ!」

 警備員の身体が転がり飛び、がっちり握られていた使霊が清過の手に残った。

「人に憑いた時は、眠っている方が危ないんですよ。眠ってるお父さん、お母さんに、何度首を絞められた事か」

 使霊に顔をぐっと近付ける。

「さあ、私の仲間になりますか? それとも往生しちゃいますか? 私は、霊さんを殺すのは平気ですよ?」


 非常扉を前にして、清過は立ち止まる。

「僧正坊さん、これ、どう思います?」

「結界だな」

「ですよねぇ」

 扉には、不可視性の塗料で、呪符が書かれており、その上を気が流れている。

「警報器連動型ですね。無理に開くと警察さんが来ます」

「其方の軍勢はまだほとんど無傷だろう」

「これ被害は出したくないです。しかも呼ばれて飛び出るのは、噂の警視庁さんですよ」

「なら、帰るか?」

「西の守りを固めたい時に、東に敵さんなんか残せません」

 清過は拳を構える。

「使霊さん、300人、腕に!」

 清過の影が不格好に変わる。

 腕が、握った拳の影が膨れ上がっていく。

「ほう、無理矢理ぶち破るか。警察との全面戦争を選ぶとは――」

 ずん。

 地響きと共に、コンクリートが飛び散った。

 だが、警報器は鳴らなかった。

 扉も破れていなかった。

「ふう、大成功」

 清過はにっこり笑って、腕にまとった使霊たちを影に戻した。

「伊能……」

「さ、行きましょう」

「まあ、理屈か」

 僧正坊は清過の影に戻る。

 それから清過は、扉の隣りの壁に開いた大穴から、ビルの中に入って行く。

 その後を、蛾の姿をした二の式が追って行った。


 同時刻――。

 浅草、浅草寺地下に、数名の僧侶が車座になっていた。

「ふふ、かの有名な愚釈殿が、何を言い出すかと思えば」

 中年過ぎのスーツ姿の僧侶が笑う。

「貴様が日本を牛耳るのを見逃しておけと?」

 目つきの鋭い小坊主が、愚釈を睨む。

「舐められたものだな」

 尼僧は眉間にしわを寄せる。

「どうか聞き入れていただけまいか?」

 愚釈は深く頭を下げる。

「衆生のため、手近には伊能党のため」

「分からんな」

 中年の僧侶が脇息に肘を突きながら口を開く。

「愚釈殿は既に霊識者の最上位。誰もがその言葉に耳を傾け、どこの組織も喜んで受け入れるだろう。今敢えて、武力による拡張を目指す、マイナーな伊能党とやらに荷担する本意はどこにある?」

 沈黙が流れる。

 ロウソクの揺らぐ光に照らされ、彼らの不自然に大きな影が板張りの床に落ちる。

「――あれは、怨霊会を阻止した半年後」

 愚釈は遠い目をする。

「仮住まいしていた拙僧の寺院に1人の男が現れた」

 部屋の中に満ちた霊気に、ロウソクの光が揺らめく。

「事業に失敗した、ただの男じゃった。悪霊に憑かれていたわけでもなく、何かの報いを受けたわけでもない」

 使霊が退屈したのか興奮したのか、愚釈たちの影から抜け出し、青白く燃え上がる人魂となって舞う。

「己の悩みを打ち明け、涙を流し、わめき立てる。拙僧は、その男に仏の教えを説き、心を落ち着けさせた」

 愚釈は身を乗り出す。

「数日後、その男と再会した。拙僧の寺院の本尊を盗んだ犯人として、警察官に連れられて」

 人魂に照らされ、影が揺らめく。

「金のない男を救うのは仏の教えかも知れぬ。じゃが、生かすのは金、金を生むのは力じゃ」

 愚釈の目に迷いも曇りもなかった。

「衆生全てを成仏させる事が出来ぬのなら、来世にどれほどの希望がある。拙僧は、現世の利益を追求する!」

「愚釈殿、己の帝国を作るつもりか?」

 小坊主が驚いたように尋ねる。

「そう聞こえなかったか?」

 にやりと愚釈は笑った。

「拙僧は、新教『末法衆』を拓く。死に救いを求めず、金を稼ぎ、権力を手にし、衆生が生きる世を作る思想じゃ。力ある超人たる僧たちが、衆生を守って生かす世界じゃ。伊能党は、その足掛かりじゃ」

「近いうちに離反すると?」

「今の所、伊能殿は拙僧を打ち倒せる程の力を持ち、考えは拙僧と近い。或いは吸収するかも知れん。となれば、伊能党はわが戦力も同じ。故に、貴様たちに手を出すな、と頼んでおる」

「ふふ」

 尼僧が笑う。

「『末法衆』――触れ得ぬ恐怖を教ではなく、益で救う宗教か。さして珍しいものではないが、愚釈殿が言うならば、と、思わせる」

「単なるカルトに終わるか、それとも愚釈殿の理想郷を築く礎となるか」

「旗揚げしたら、真っ先に連絡をする事。それが、今回の不可侵の盟約の条件だ」

 3人の言葉に、愚釈は頷いた。

「ありがとう」


 正次は夜の上野公園にいた。

「ささ、どうぞ」

 髭と髪を伸ばし放題の老人に、安焼酎を注ぐ。

「――ぶはぁ、ふぅ」

 欠けた牛丼屋の丼に注がれた焼酎を一息で空けてから、老人は口元を拭う。

「しっかしなんですな、旦那」

「何かしら?」

 ワンカップの空瓶で、正次も焼酎を飲む。

「こんな老いぼれに、こうまでして頂くとは、申し訳ないですな」

「うふ、もちろん他意あっての事ですわ。お気遣いなく」

「はっきり言うねぇ」

「でも、死霊使い鈴木さんが、こんな所でお暮らしとは思いませんでしたわ」

「暗殺依頼を1度断ったら、家に火を点けられましてな。最近の悪党には義理も人情もない」

 電気ランタンに照らされる老人の影は特に大きくはなかったが、その濃さ、闇の深さは際立っていた。

「その報復に、上位組織の広域暴力団ごと全滅させたとか?」

「昔の話です」

 老人は笑った。

「――そろそろ、本題に入りますかな?」

「ありがとうございます」

 正次は空き瓶を置く。

「神奈川県で霊識者の一派が出来ているのをご存知ですか?」

「ああ、あの愚釈君が動いたと、もっぱらの噂だ」

「党首は違いますわ」

「おや、愚釈君以上の使い手がいるのですかな?」

「わたくしには力の差は分かりませんけれど、いい線行っているようですわ」

 ランタンに蛾が止まる。

「わたくしたちは、闇世界の統一のため、西日本へ侵攻する予定です」

「芦屋暁人を相手取る、と?」

「その時、東京のあなた方は背後に控えた脅威です」

「つまりワシに、手を貸せと?」

「いいえ。何もしないでいて欲しいのですわ」

「不可侵条約、と?」

「はい。期限は5年」

「報酬は?」

「一生分の仕事と社宅の利用権ですわ」

 即座に正次は答えた。

「――伊能党の話、清環会の連中から聞かされました。協力するなら、5千万と都心のマンション。成功報酬は追加で2億」

 老人は笑う。

「そして旦那の報酬は?」

「仕事と社宅」

 また、正次は答える。

「仕事はどんなものですかな? 社宅は?」

 老人が問う。

「神奈川県内のフジシロ・コーポレーション傘下の、新会社のビルメンテですわ。基本給15万円、社保完備。社宅は2Kのアパート。最近は人気がなくて空きが多いんですの」

 正次は答えた。

「ふふ、その条件で、ワシを丸め込む、と?」

「はい」

 老人は焼酎のボトルを取り、自分の丼と、正次の瓶に注いだ。

「……ただの男に、戻れるのですかな?」

「ええ。勤労意欲があるなら、あなたのお友達みんな」

 正次は焼酎を飲み干した。

「――どの組の奴らも、より大きい金を用意するだけでした。ただの男に、普通に、妬まれる事も、蔑まれる事もないただの男に戻れる、そんな条件を出して来てくれたのは」

 もう1杯、焼酎を注ぐ。

「旦那が初めてです」

「よほど他が頭の悪い交渉役だったんでしょ。お金の力を上手く使えてない」

「旦那、あなた、何者です?」

 老人は焼酎を1口飲む。

「ワシらと同じ匂いがするのに、遥か高いところにいるようにも、どこまでも深い底にいるようにも見える」

「わたくしは、生まれた時ほとんど何もありませんでしたわ」

 正次の頬は、ほんのり桜色に染まっていた。

「両親はわたくしを金持ちの――藤代の子を殺してわたくしとすり替えた。第二次性徴を迎えた頃から、自分の身体が心に合っていないことに気づいた。そんな事が重なって、お父様はわたくしを遠ざけるようになった」

 ワンカップの空き瓶が、ランタンの明かりを受けて光る。

「だからわたくしはお金を稼いだの。稼いで、稼いで、稼いで、稼いで、稼ぎまくったの。お父様はわたくしを認めるようになった。両親からは『自分の籍』を『買い取った』。身体の方は時間が出来ればいつでも手術出来る」

 ワンカップの空き瓶を置いた。

「お金で幸せが手に入らないなんて、商品は全部値札が付いてるって思ってる消費者の台詞よ。然るべき値段を然るべき手段で提示すれば、買えないものなんてない」

 正次の横顔は凛々しく、そして鬼気に満ちていた。

「……分かりました。その条件、呑ませて頂きます。一切、東京都外に、手を出しはしません」

 老人は深く頭を下げた。

「どうもありがとう」

 より深く、正次は頭を下げた。

「――ところで旦那?」

「なに?」

「もしもワシが既に買収されていて、旦那を殺そうとしたらどうするつもりだったんです?」

「言ったでしょ」

 正次は指を鳴らした。

 周囲にいた通行人、ホームレス、パトロール中の警察官全てが、正次と老人の方に視線を向けていた。

「お金は」

「!!」

「力なのよ」

 にっこり正次は笑った。


 ビル内の薄暗い非常階段を、清過は音もなく駆け上がる。

「――えーと、今何階でしたっけ?」

「壁に書いてあるだろう」

「ああ、そうでした」

 遠くから僅かに足音が聞こえて来る。

「あわわ」

 清過は飛び上がって非常階段の天井に張り付く。

 息を殺す。

 非常階段の踊り場の壁を、懐中電灯の明かりがなめる。

 その後に、警備員が現れた。

 警備員は、清過の真下を通り――立ち止まった。

 警備員はその場に座り込む。

「あーあ、眠い」

 彼はポケットから煙草を取り出すと、火を点けた。深く煙を吸い込んで吐き出す。

 立ち昇る煙が、清過の所にまでやって来る。

『あわわわわ、煙いです、臭いです、気持ち悪いです……』

 清過の手から力が抜け、天井から落ちそうになる。これを何とか耐えて、清過は両手でしっかりと天井に掴まる。

 そして、ゆっくりと天井伝いに階段を昇り始めた。

 使霊を腕にまとわせ、手伝わせる。

 じわじわと清過は進み、ようやく踊り場を抜けて階段を折り返し、警備員から見えない場所に来た。

 音を立てずに清過は階段に降り立つ。

「ふぃー、疲れました」

 階段を駆け昇りながら呟く。

「世界を征服した暁には、絶対煙草を全廃しましょう!」


 分厚い木の扉が開いた。

 広い部屋には、大きな窓が1つ、そして机と無数の書類棚が置かれていた。

「ふぉっふぉっふぉ、来ましたな、お嬢さん」

 地上の街明かりが遠くに見える窓の外を眺めているのは、老いた男だった。

「戦い、見せて頂きました。愚釈の手下にしておくには惜しい使い手ですな」

「――1つ、お話をしたいんですけど」

「ほう?」

 男は振り向く。

「私たちのこれからの戦いへの協力です」

「手を貸せと?」

「そこまで図々しくはないですよ」

 清過は笑う。

「神奈川県に手を出さないで欲しいだけです」

「ふぉふぉふぉ、しかし攻撃を仕掛けてきたのはあなた方ですぞ、それをどう弁解なさる?」

「二の式さんの事ですか?」

「立派な領土侵犯ですぞ」

「その事については謝ります。東京にはもう手出ししません」

 清過はぺこりと頭を下げる。

「さてさて、どうしたものですかな」

 男は困ったように笑う。

「政治家や極道は面子を重んじる。その面子を潰されて、黙っているかどうか」

「なんとかなりませんか?」

「そうですな――おお、そうだ」

 ふいに重圧が清過を襲った。

「あなた自身が組長を悦ばせてあげなさい。そうすれば、少しはお怒りも溶けるかも知れませんな」

 老人は先ほどまでとは打って変わって、強烈な気を身体全体から発していた。

 気が付けば、清過の背後にも2人の強烈な霊気を発する霊能者が立ち、正三角形の陣を形成していた。1人はひっつめ髪の中年の女、もう1人は剃髪した若い男。

 陣を流れる気は、清過にまとわりつき、筋肉の気の流れをちょうど逆行して中和する。

「ふふふ、本来愚釈を捕らえるために用意した三方陣はいかがですかな?」

「……で、す、ねぇ」

 ぼそりと清過が呟く。

「どう、も、あなた、がた、は、情け無い、ですねぇ」

 清過は冷たく老人を一瞥する。

「そんな、力を、持って、いるのに、暴力団さんの手駒」

 呼吸を整える。

「その、気になれば、王にも、なれる、のに」

「生きるためには、王になどならん方が良い。いかな力とて、必要とされなければ意味がない。自分の好きに戦っているだけなら、それはただの獣だ。そもそも王など責任ばかり大きく、妬まれ狙われるだけだ」

「生まれ落ちて、王を目指さなくて、一体、何が楽しいんですか」

 結界が僅かに揺れる。

「戦って、戦って、戦い抜いて、頂点を目指す事も出来るのに。何故、立ち止まって、誰かの後ろに付くんですか」

「問答無用!」

 老人は怒鳴る。

「永野さん、円戒上人!」

「ええ」

「おう、フェイ老師」

 3人が真言を唱え始める。

 気の流れは更に早く、強くなり、ついに清過の気を完全に逆流し始める。

「さあ、その身体から使霊と魂を引き剥がして――」

 その時。

 陣の中に、1匹のアゲハチョウが飛び込んだ。三方陣の気が一瞬だが激しく乱される。

「!」

 次の瞬間、錫杖が中年女の鳩尾をえぐった。

「まさか!」

 窓が割れ、装甲服を身にまとった人影が、巨大な砲を発砲した。その次元を歪める砲弾は、陣の一部と僧侶の顔面を歪めた。

「ぐ、愚釈!?」

 老人は目を見開く。

「暴力団の用心棒如きに呼び捨てにされる筋合いはないのお」

 錫杖を構えるのは、愚釈だった。

「そして貴様は――何か外人」

『ガイジンっていうのは、あんまりいいことばじゃありません。ガイコクジンっていってください』

 S02―Rと似てはいるが異なる形状の装甲服でホバリングしながら、ルトアビブが、バイザー越しに笑う。

「それと、ですね」

 肩で息をしながら、清過は立ち上がる。

「団体名は、伊能党」

 拳には、972体の使霊がこもり、その影は部屋中を覆うほどに大きくなっていた。

「そして私が党首の、伊能清過です!」


「――制圧完了、か」

 下北沢の商業ビルの屋上で、慶子は折紙を折る手を止める。

 左目には、組長から手打の証文を受けとる愚釈の姿が映る。

 組員達は愚釈を見つめている。その中に、包帯だらけになった霊識者3人の姿もある。

「よく生きてたもんだね」

 霊識者達は、気を大量に失ってはいるが、傷跡らしい傷跡はない。

「ひょっとして、1度殺して生き返らせたんじゃないだろうね」

 愚釈を見る組員達の目は、恨みというよりも畏怖、更に言えば崇拝の色を帯びていた。

「愚釈の治気……か」

 画像を切り替える。

 正次が、鈴木とガード脇の居酒屋で酒盛りをしている。他のホームレス仲間も来ており、大宴会になっている。

「……生のキャベツとか魚肉ソーセージとか、安いもんばっかし大量に頼んでるね。鈴木相手に出し惜しみって、大したタマだよ」

 画像を素早くいくつも切り替えていく。

 新宿、品川、東京、上野、巣鴨、池袋、都内各所に配置された数千の二の式からの鮮明な映像が慶子の左目に映る。

「慶子さんっ!」

 屋上のドアが開き、清過が駆け寄って来る。

「ああ、清過」

「やりましたよ!」

「見てたよ」

「これも皆さんのお陰ですねー。勿論、この私の力の大きさは言うべくもありませんけれど」

「ん、うん、愚釈とか、やっぱり名前はあるし、藤代は金持ってるし、ね」

「何言ってるんですか」

 清過が慶子の背中をどん、と叩く。

「痛ああっ!」

「慶子さんの四方式さん達が、的確な情報をくれたから戦いを最小限に出来たんですよ」

 清過は自分の髪を掻き上げる。髪に留まっていた蛾の姿の二の式がふわりと浮かぶ。

「あ、ま……まあな」

「電話やメールじゃ、どうしてもタイムラグがありますし、傍受される危険もありましたから。それに、雑魚の足止めだって」

「本当に強い相手には歯が立たないけどね」

「情報戦は立派な戦いですよ、偉いです、慶子さん!」

 清過は慶子の頭を撫でる。

「良い子、良い子」

「……ど、どちらかというと、わ、わたしは悪い子の方だよ」

 振り解く事もなく、慶子は清過に撫でられ続けた。


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