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第五章 鞍馬天狗

 ――気を失っていた清過は、ようやく目を開いた。

「何だか……ずっと昔の夢を見ていたような、気がします」

 日の光が、窓から差し込んでいた。

「まど……窓!?」

 清過は起き上がろうとする。

「ぬぎっ!」

 悲鳴にもならない声を上げる。

「……痛い、です、ね」

 指先も満足に動いていなかった。

 清過は目だけで部屋の中を見回す。

 天井は木の板。壁も木の板。窓枠も木の板。壁紙の1枚も貼られていない、質素な部屋だった。そもそも、入り口のドアと、3方向に窓があり、特に仕切りもしていない、一間しかない小屋だった。

「すぅ……はぁ……」

 眺めつつ、清過はゆっくりと気を練っていく。気が、経略を流れる。意図的に多めに気を流す事で、気の流れは改善し、それに伴い肉体も回復する。

 僅かに、清過は首を動かす。

「あ、どうにかなりそうで、す……ねっ」

 清過はゆっくりと上半身を起こした。

 身体にかけてあった、布団がするりと落ちる。

 大小新旧様々な傷の残った清過の肌が、露になった。

「あわわ」

 小さめな乳房を、清過は慌てて手で隠す。

「まさか、眠っている間に……」

 布団の中に手を入れる。

「……大丈夫でした、まだちゃんとあります」

 清過は小屋の中を見回すが、誰もおらず、清過の服もない。

 それから、自分の身体を見る。

 折れた右腕と両手指には、布で薬らしきものが巻いてあった。胸の脇にも、正体不明の湿布が貼ってある。

「ありゃ?」

 左肩から胸にかけて付いている傷跡に触る。

「慶子さんの十二の式さんに付けられた傷が……」

 傷跡は、意識しなければ見落とすぐらい薄くなっていた。

「これなら胸を張ってお嫁に行けますね」

「修羅がか? 止めておけ、戦いに夫子供が巻き込まれるだけだ」

「!!」

 ほとんど反射的に清過は布団をかき寄せる。

 戸口には、武将の様な髭を生やした、破れたTシャツとジーンズ姿の男が、手にジネンジョをぶら下げて立っていた。

「飯にする。喰うなら来い」

「私の服は?」

「童の目は節穴か」

 男は窓の方を指さした。

 窓には、ハンガーに掛けた洗濯済みの清過の服が、まだ濡れたまま下がっていた。


 小屋の前にしつらえられた丸太のテーブルと椅子に、清過と男は腰を降ろす。

「芋にアレルギーはないな?」

「はい」

 男はジネンジョの上で手を振る。と、瞬く間に泥まみれの皮が剥け、真っ白い中身が出てきた。

 鍋に移す時には、既に細かく切られており、蓋を閉めた時には火にもかけていないのに、ぐつぐつと沸き上がっていた。

「魔法……ですか?」

「修羅如きに理解できるものではない。童はただ喰えばいいのだ」

 気が付けば、清過の前には、碗に盛られた芋粥が置かれていた。

 ずずっ。

 ずずずずっ。

(素材は良さそうですけど、美味しくも、不味くもないですねぇ)

 ずずず。

 ずずずず。

 清過はしばらくの間、黙って芋粥をすする。

 その様子を男は不機嫌そうに眺めていたが、やがて自分の分の芋粥を食べはじめる。

「わざわざ隠の印を破って我の山に入るとは、何の嫌がらせだ? あ?」

「嫌がらせ?」

「自覚がないのが尚更腹立たしい」

 芋粥をすすりながら、男は言う。

「……どうしてそこまでご機嫌が悪いのか、分からないんですが?」

「あーあー、そうだろうさ。修羅なんぞに分かる道理もない」

 清過は箸を止める。

「その、さっきから仰ってる、シュラって何の事ですか?」

「童の事だ。分からんのか」

(この不快感、何だか既視感があるんですけどね)

「分かりませんけど、あの阿修羅とかの修羅ですか?」

(でも介抱して下ったわけですし、悪い方では)

「他の修羅があるってか?」

(悪い方では……)

「それでその修羅というのは? 私は腕も2本ですし、違うのでは?」

「阿呆か、童は。いや阿呆だな、童は」

(悪い、方では)

「私阿呆ですか?」

「ああ、阿呆だとも。いや、この世の中でのたくってる者共は、9割9分9厘9毛9糸9忽9微9繊9沙9塵9埃9渺9漠9模糊9逡巡9須臾9瞬息9弾指9刹那96徳9虚9空9清9浄9阿頼耶9阿摩羅9涅槃寂靜まで阿呆の塊だがな」

「人類そんなにいませんが……」

(ひょっとしたら、悪い方かも知れません)

「生き物が輪廻転生する先が、畜生道、修羅道、天道の3つだ。修羅道を生きる魂が修羅、常に戦いに身を曝す運命の生き物の事だ」

「……つかぬ事を伺いますが」

「なんだ」

「私、人間じゃありませんか?」

「童の言う意味でなら人間だが、人じゃあねえ。修羅だ」

 清過は箸を持ったままで固まる。

「魂は、姿を保ったまま転生を繰り返す事で、『学習』をする。その学習量で道は決まるし、行動様式も似てくるもんだ」

「学習量……」

「最弱は畜生道。ケダモノからバクテリアまで大差ねぇ、こいつらは霊的に非力だ。それで餓鬼、修羅、人、天人と並ぶ」

「人って結構上なんですね」

「修羅は気は強くなっているが、コントロールする力がねえ。だから、無駄に存在を知られて争いに巻き込まれ易く、闘争心も暴走しがちだ」

「心当たりが何となくありますね」

「最上が天人。こいつらは、魂のコントロールが巧みで、望まぬ戦いを呼び寄せるなんて事はねえ。力の質はともかく量的には天狗に匹敵するヤツもいる」

「はぁ、そんなのも」

「例えば!」

 男は箸を軽く振った。

 たったそれだけで、空気が裂け走って行く。

 そして、木に止まっていた鳥を切り裂いた。

 真っ2つになった鳥は、1枚の呪符になって落ちて行く。

「こういう事は、童が修羅だから引き寄せている訳だ」

 いつの間にか清過と男の周囲には、4名の人影が姿を現していた。


 神主風の衣装に身を包んだ男が2名、巫女風の衣装の女が2名、前後左右を囲んでいた。

 女が1人、進み出て静かに言う。

「その娘、渡して貰おう」

 清過は緊張の面持ちで、中段に構える。

「下がっていろ、手負いのガキにうろちょろされては迷惑だ」

 武将髭の男は清過を庇って前に出る。

(気配も気付きませんでした。相当な手練さんです)

「邪魔だてなさるか、僧正坊(そうじょうぼう)様?」

 女が声をかける。

「ほう」

 僧正坊と呼ばれた武将髭の男の目が、冷たく尖る。

「ならば(うぬ)らは、ここを我の山と知って、踏み入り――」

(あれ?)

「あの、僧正坊さんとかおっしゃる方?」

 清過が僧正坊の肩を叩く。

「あまつさえ、闘気を発しているのだな」

「僧正坊さん?」

 服の袖を引っ張る。

「それが何を意味するか――」

「僧正坊さぁぁぁぁん!!」

 耳を引っ張って、思い切り怒鳴った。

「じゃっかしい! 人の台詞の最中に間抜けな声を挟むな!」

「私、間抜けですか?」

「黙ってろ! 童の声など、1秒も聞いていたくない!」

(うーん、何故だか激しく嫌われてます)

 僧正坊は咳払いを1つして、巫女風の女の方を向く。

「――即刻立ち去れ。天狗は己の山であれば、力の行使に禁忌は無いぞ!」

「我らも、主命を受けております。その障害となるならば、神であろうと仏であろうと……例え、大天狗、僧正坊様とて容赦はしません」

(あの方は天狗さんなんですね。仙人と同じもの……でしたっけ。鼻は全然長くありませんね)

 音を立てずに清過は手を叩く。

(あ、嘘をついたら伸びるかも知れません)

「容赦しない?」

 僧正坊の目がぎらりと光る。

「容赦しない、だと? たかが天人の汝ら如きが、この僧正坊を容赦しないだと?」

 瞬間、僧正坊が消えた。

 次の瞬間には、女が1人吹き飛び、岩盤に激突して土煙を上げた。

「次っ!」

 僧正坊は箸を振った。

 それとほぼ同時に、残った3人は正三角形に陣を組み、一気に使霊を出す。

(うわっ、多いです!)

 その数、約2万。

「霊撃陣!」

 箸で作られた風撃が、陣に弾かれ霧散する。

(あれを、防ぎました……)

 幾何学的に配置された使霊と、術者の間に張られた気の流れが、次第に増幅され大きくなっていく。

 それから3人が印を結び、口から気を吐き出す。

 3人と使霊たちの気が集まり、1つの金色の輝きとなる。

 輝きのエネルギーは、木々をなぎ倒し土をえぐり、勢い余って空の雲をも消し去った。

 辺りはしん、と静まり返った。

 吹き飛ばされていた空気に吹き戻す突風が、彼らの髪を揺らす。

「やったか?」

「うむ、間違いない」

「ははは、いかな天狗と言えど、我らの霊撃陣の前には――」

 そこまで言ったところで、彼らの言葉が凍り付いた。

「阿ーーーー呆」

 僧正坊には、傷1つなかく、その顔には心からの嘲笑を浮かべていた。

「霊撃陣は方形を築いてこそ、魂魄をも滅する必殺の陣になる。一角欠いた陣なんぞ!」

 無花果の葉を一閃する。

 それは風などという生易しいものではなかった。ダイヤよりも硬く圧縮された空気が、塊となって彼らにぶつかってきた。

 陣はほんの一瞬耐えようとしたが、まるでシャボン玉の様に破れ散った。

「プレパラートのカバーガラスにも劣る!」

 3人は悲鳴を上げる間もなく、空気にズダズダに引き裂かれ、ちぎられ、細胞1つに至るまで破壊された。

「うわぁ、天狗さんって凄いんですねぇ」

 清過が手を叩く。

「破壊でようやく気付くとは、つくづく修羅は浅ましい」

「初対面の相手にそんなに言ったら、新しい出会いもありませんよ?」

「初対面?」

 僧正坊の顔が怒りに歪む。

「千年も前から何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も遭ってるのに、初対面だと!?」

 ずいと清過に近付く。

「しかも、今回は、つい最近に遭っているだろうが!」

 僧正坊は無花果の葉を地面に投げ付ける。

「これだから生き物は愚かだ! ちょっと相手をしてやっても、さっさと死んでさっさと忘れて行く! 目障りだ目障りだ目障りだ目障りだ!!」

「私、目障りですか?」

「ああそうとも、目障り極まりない! そもそも何で女なんぞになっている! 童は変態か!」

「ええと、女だと、いけませんか?」

「当たり前だ馬鹿者! 隅から隅まで女のくせに、中途半端に面影があるのがなおさら気に喰わん!」

(なんだかこう、ものすごく理不尽に怒られている気がします)

「さあ、さっさと死ね死ね。我の見ていないところで死んでしまえ! そして今度こそまともなものに転生しろ! ぬか喜びさせおって!」

「はい、そうさせていただきます」

 清過は慇懃に頭を下げる。

「助けていただいて、ありがとうございました」


「ああ言って出て来てしまいましたけど……」

 清過は山道を下っていく。

(やっぱり、まだ芦屋さんの追っ手は、いらっしゃるんでしょうね)

 足取りは力強く、既に暁人との戦いのダメージは見られない。

(小さい頃みたいに、いつの間にか帰れたら――あ)

 清過は足を止める。

「僧正坊さんって、あの時の」

 自分の手をふと見る。

 気が、おぼろげになっている。

 額の印を暁人に壊される前の状態に戻っている。

(私の気が隠れる印っていうのは……ああ、僧正坊さんが……書いてくれてたんですね。多分、私を守ために)

 清過は頭を掻いた。

「怒るのもちょっと分かりますね」

 木々が途切れ、舗装された公道が見えてくる。

 次第に早足になっていく。

(慶子さん、心配してますかね)

 いつしか、清過は駆け出していた。

 どんどん舗装道路が近くなっていく。

 だが、舗装道路に出るギリギリのところで、清過は足を止めた。

 舗装道路には、森林迷彩の軍服を着た兵士たちが、歩いていた。そして、その中を複雑そうな機械を積んだ4脚装甲車が通る。

 兵士たちは、電子機器の仕込まれたヘルメット1体型のゴーグルを装備している。そのせいで、顔ははっきり見えないが、明らかにモンゴロイドと異なる彫りの深い顔立ちや、黒い肌などが見える。

 所属を表す徽章部分は布が当てられているが、その装備や人種構成は。

『米軍?』

 声に出さず、清過は呟く。

 加えて、宇宙服にも化学防護服にも見える、強化服様の装備を着け、手に巨大な砲らしきものを持った者も、隊列に含まれている。

『基地は結構遠いと思いますけど、芦屋さんのお友達……でしょうか』

『他に何だってんだ、馬鹿者が』

 耳元で小さな声がした。

「!!」

 叫ぼうとした清過の口を、僧正坊が手で塞ぐ。

『S02-R“カラス神父(パードレ・カラス)”。霊的戦闘に対する歴史的蓄積のない米軍が、その劣勢から挽回しようと足掻いて開発した対霊装備だ』

 確かに小声だが、清過の耳には奇妙にはっきりと聞こえる。

『あれの砲弾はDCS、ディメンショナル・クラッシング・シェルと言って、サイズは砂粒ほどだが喰らえば魂だけでなく阿頼耶識も削られ、次の転生に障る』

 僧正坊の手が、ようやく清過の口から離れる。

『ふはっ……助けに来て下さったんですか? 私をお嫌いなのでは?』

『そんな事を言った覚えはない』

『……ああ、ツンデレさん?』

『もう喋るな』


「本当に見えてないんですか?」

 呪符の縫い込まれた布をかぶった清過と僧正坊が、兵士たちの後ろを通り過ぎていく。

「見えてはいる。しかし、認知領域外に出ている。常人には気付かれん」

「石ころ帽子みたいなものですか?」

「適切な比喩だ」

(結構、ドラえもんとかも知ってるんですね)

 2人はゆっくり歩いていく。

(はあ。米軍さんですか)

 兵士の背中を幾度か振り返って見ながら、清過は何となく息を殺す。

(大きいですねぇ。リーチ差で15センチってとこですか)

 考えつつも、僧正坊がまだいる事を確認する。

(ボクシングなら打たせた引き手の追撃で懐に入れますが、米陸軍のCQCには肘、膝、締めがあるので、懐は別に死角じゃないですし……結局こっちのフィジカルで圧すしかない、のかな)

 何度目かに振り返った清過は、ふと僧正坊に声をかけた。

「……あの」

 僧正坊は無言で歩き続ける。

「あのー」

 まだ気付かない。

「僧正坊さん」

 清過は僧正坊の袖を引いた。

「なんだ、一体?」

 ようやく僧正坊が振り向いた。

「さっきの鎧を着た方がこっちを見ていますが?」

 指さした方向にいるS02-Rを装着した兵士は、じぃっっっと、清過たちの方を見ていた。

 2人は顔を見合わせる。

「気付いてる!」

「思ったより高性能ですねぇ!」

 清過と僧正坊が走り出すのと同時に、かの兵士は巨大な砲を発砲する。

「わあっ!」

 清過は砲身の向きを読んで弾をかわす。

 弾は土を「消滅させ」大きな穴を作った。

「ひぃぃ! 何ですかアレ!」

「空間を削ってるんだ!」

「そんなトンデモ技術、いつの間に!」

「2015年頃に実験で成功しておる!」

 鈍重そうなS02―Rだが、各所に備わったファンの風圧と四肢の駆動で、清過と同レベルの速度で動く。

 S02―Rの動きに、一般兵士たちも清過達に気付き、発砲を始める。

「だったらっ!」

 清過は使霊を兵士たちの影に入れ、動きを止める。だが、S02―Rには効果はなかった。

「鎧の影しかありませんね」

「装甲に防護結界が焼き込まれとろうが」

「僧正坊さん、あれ、どうにか出来ないんですか!」

「無論、超容易いがここは我の山ではない」

「なんか違いあるんですか?」

「一定以上の力を使うと我が裁かれる」

「え? どなたに?」

「他の全ての天狗に、だ」

「……これでは、ただのおじさんですねぇ」

「童!」

 走りながら僧正坊が声をかけて来る。

「は?」

「そっちだ!」

 僧正坊はガードレールの向こう側を指さす。崖下は木々の生い茂った薮になっていた。

「私は空飛べませんよ?」

「あれに消されるよりは希望がある!」

 彼は清過の手をぐっと掴んで、ガードレールを飛び越えた。

「うわっ!」

 一瞬の浮遊感の後に、清過と僧正坊は崖下の木と薮の中に突っ込む。

 折れた枝のせいで、服は破れ目、肌には引っかき傷が無数に出来ていく。

「痛っ、痛いっ、折角治ったのに!」

 ずん、と、音を立て、靴を3センチぐらい地面にめりこませ、清過は着地した。

「うあーー、足がビリッと来たぁぁ! ううっ、痛いですー」

「呆けるな!」

 ホバリングしながら、S02―Rが砲の狙いを定めつつある。

 僧正坊が地面に手を突き刺し、引き抜く。

「……なんですか、それ?」

 僧正坊の手には、のたうつ長大な気の塊が握られていた。

「竜脈に決まっている」

「握れるもんなんですか」

「現実に握っとろうが」

 彼はその長大なエネルギーの奔流を、まるでマフラーでも巻くかのように、くるりと清過と自分の身体に巻き付けた。

 S02―Rの発砲した弾が、地面を抉る。

 清過と僧正坊は、その場から消え失せていた。


 ホテルの前で、教師たちが集まっていた。

「……伊能君はやっぱり見つかりませんか」

 中年の教師が溜息をつく。

「地元の警察には、何の届けもないそうです」

 体格のいい教師は所在なさげに携帯電話を握る。

「伊能ってどんな生徒でしたか?」

「さあ? 特に印象に残る事件は起こしていないですよ。成績も悪くなかったですし」

「それが怪しい! そういうソツのない子こそ、キレると何をしでかすか分からんのです」

「そういえば小耳に挟んだ事ですが、彼女中学時代に暴力沙汰を起こしたそうです」

「ほほう?」

「大人数名を相手に大乱闘を演じたとか。ナイフを使うわ、鉄パイプは振り回すわで、機動隊が出る大騒ぎになったとか」

「酷いものですな」

「でも真相は、単によく怪我をする私を、下田さんが喧嘩したと勘違いしただけなんですよ」

 間が空いた。

「わあっ!」

「だああっ!」

「のわっ!?」

 教師たちの間で、当たり前の様に清過がにこにこしていた。

「先生も人ですからうわさ話ぐらいしても結構ですけど、罪もない生徒に変なレッテルを貼っちゃいけませんよ」

「――いつの間にどこから現れた!? 泥だらけじゃないか?」

「そこですよ」

 ホテルの花壇に、大きな穴が開いていた。

「出口は竜穴だろうとは思ってましたが、土まみれは想定外でした」

 清過は服に付いた泥をはらった。

「せっかくお気に入りの服だったのに」

「清過!」

 教師達の間から、慶子が全力で走り寄る。

「あ、慶子さん、その節はどうも――」

 慶子はそのまま、清過に抱き付く。

「すみません、霊気の見えなくなる印が付いてるみたいで、追跡出来なかったでしょう」

「……良かった、本当に、生きてて、良かっ」

 慶子は清過の胸に顔を埋め、涙を流す。それ以上、何も言葉は出なかった。


 修学旅行から清過達が帰った翌日。

「党首である伊能殿の決定に口を挟むのは差し出がましいが――」

 清過の部屋で生8つ橋を食べながら、愚釈は穏やかに言う。

「なんですか?」

「拙僧にはどうもデメリットの方が大きいように思える」

「デメリットですか?」

「そもそも伊能殿、この天狗というのが――」

 愚釈は、清過の背後に浮かんでいる僧正坊を指さす。

「どんなモノだかご存知か?」

「わたしも本当言うと、あんまり海の物とも山の物ともつかない奴は受け入れたくないけどね」

 疑わしげな目で、慶子も僧正坊を見る。

「伊能、こいつらが其方そち手飼いの部下か?」

 僧正坊は呆れ顔で笑う。

「別に飼ってはいませんけど、これが伊能党のオールスターキャストですよ」

 清過はお茶をすする。

「こんな手勢で天下を狙うか? 生兵法は怪我の元だぞ。先に芦屋に押し潰されるぞ」

「こんなってなんだ、天狗!」

「拙僧の力を侮るか?」

「千里の道も準備からですよ、僧正坊さん。もっと悪霊さんも霊識者さんも増やして、もちろん私自身の力もぐんと上げて、芦屋さんにも勝ってみせます」

 清過は軽く右腕を動かす。

「2年前は私の仲間は悪霊さんだけでした。今は3人も仲間が増えたんです。この計算で行けば、後10年したら1024人に」

「そのりくつはおかしい」

 すかさず慶子がつっこむ。

「数に入れられるのは少々心外だが、まあ付き合ってはやる。手を出す事は出来んがな」

「僧正坊殿、何故伊能殿に肩入れする?」

 愚釈は4枚目の生8つ橋を食べ終え、傍らのゲーム機のコントローラーを持ち、中断していたRPGを始める。

「……どんだけくつろいでんだ、このクソ坊主」

 慶子が呟く。

「天狗は災いと戦乱を招くという。伊能殿をダシにして、この日本に戦火の種を蒔くつもりか?」

 愚釈は片目で画面を見ながら尋ねる。

「ふん」

 髭をなでながら、天狗は清過を指さす。

「天人ならば知っていよう。天狗は人の世の大きな流れには基本的に関われん」

「天人? 拙僧が? 欲界、色界、無色界の無色界の1つである天界の住人である天人?」

「その濃さの阿頼耶識で解脱しておらん者が、それ以外の何だと言うのだ」

「それは妙じゃ。天人なら、欲界の1つである人間界にいるわけがないじゃろう?」

「けっ。釈迦の半端な説明信じてる阿呆がここに1人」

 僧正坊は鼻で笑う。

「いいか。三界ってのは、汝らのような単純極まりない頭でも直観的に分かるように作られた比喩に過ぎない。浄土以外は全てこの次元に存在するのだ」

「なんと?」

「でかい屋敷の中1つ取っても、財産を守るために戦い続けている主人がいて、生まれてから死ぬまで1つも苦労のない子供がいて、どんなに仕事をしても自分の家さえもてない使用人がいて、その下にはエサにありつけんで半年も空き腹抱えている蟻地獄がいて、その傍らに往生し損ねた蟻の悪霊がいる。そういうもんだ」

 清過は隣りに座っていた慶子の袖を引っ張る。

「慶子さん」

「なに?」

 小声で慶子が返事をする。

「何の事言ってるか分かります?」

「あんまり深いことは分かんないけどさ」

 言い争っている僧正坊と愚釈を横目で見ながら、慶子は自分の言葉を確かめる様に言った。

「もしも僧正坊ってのが、あいつの本名だとすると……あれ鎌倉時代にはもういたよ? 確か牛若丸に兵法を教えたのって、あいつ」

「慶子さんも物知りですねぇ」

「小さい頃、学研漫画で読んだ」

「へえ」

「清過、そういうの読まなかった?」

「小さい頃は、本に集中すると悪霊さんが奇襲かけて来るんですよ」

「ハードな人生送ってるね、実際、あんたも」

 慶子は笑いながら清過の頬に手を当てる。

「なんですか?」

「なんでもないよ」

「慶子はん、ほっふぇた引っ張らないで下ふぁい」

「よく伸びるねー、あんたのほっぺ」

「伊能殿!」

 唐突に愚釈が割り込んで来る。

「なんですか?」

「台所を借りるぞ」

「何か作るんですか?」

「僧正坊殿が下さった」

 紙に包んだ茶葉を、愚釈が見せる。

「仲良しさんになられましたか?」

「それほどでもなかろうが、僧正坊殿から得られる知識は大きいからな」

「ま、貴様がおるなら、一定水準には達していると理解した」

「じゃあ、共闘して下さるって事で、良いですね?」

「我は最初から、其方らの顔色をうかがう必要はない。飽きるまでいるだけだ」

 慶子はちらりと僧正坊と、それから愚釈を見た。

『……清過に愚釈に、天狗、ちょっと待て、わたしって』

 声に出さず呟いた。

「杉田、茶だ、有難く飲め。さあ、飲め、茶、飲め茶」

 愚釈が湯呑みを慶子の前に置く。

『……飲め茶、飲め茶、飲茶……(ヤム)……!!』

「誰がヤムチャ的ポジションかあああ!」

「ぶふぁああっ!」

「慶子さん、ダメですよ、脈絡無くキレちゃー」


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