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第四章 伊能清過

 ――16年前。

 赤ん坊が最初の息を吐いた。

 ただの赤ん坊しては目立ちすぎる強い気は、周囲に浮遊する力の弱い悪霊を呼び寄せた。悪霊たちは、赤ん坊の肉体を、失われた己の肉体とする妄念に導かれ、近付く。

 悪霊は肉体に「入ろう」として、本来の魂を追い出す。魂の追い出された肉体は、しかし悪霊とは馴染まず腐り果てる。

 ――筈だった。

 赤ん坊はそのうちの1体を、何の無駄な動きもなく掴んでいた。

 赤ん坊の手から、槍のように飛び出した気は、悪霊を粉砕する。粉砕された悪霊は、意思のない気の塊となり、それから新たな魂へと再凝固し、今正に受精したダニの卵に入りこんだ。

 赤ん坊は、その魂の流れに意識を払うでもなく、ただ、自分の肉体に引き寄せられる悪霊を次々と粉砕していく。

 ある悪霊は、原型をある程度留め、別の悪霊は2つ、3つと分かれ、次々に新しい魂へと転生していく。

 赤ん坊は意識して力を使った訳ではない。ただ、人が何に教わるでもなくまぶたを動かすように、口を、舌を動かすように、赤ん坊にとってはほとんど無意識の――そしてその「魂」にとっては、いくつもの一生を経て習得した技術だった。

 次々と悪霊を握りつぶしていく赤ん坊に、悪霊達は近付くのを止め、逃げ始めた。

「可愛い女の子ですよ」

 看護師が、母親に赤ん坊を差し出した時、既に分娩室には1体の悪霊もいなくなっていた。

「これ、私の子?」

 母親は不思議そうな顔で、泣き声を上げる赤ん坊の頬に触れる。

「なんか……猿みたいね」

 疲れ切った満足げな笑みを浮かべる。

「でも、可愛い。こんにちは、清過」

「お名前決めてらしたんですか?」

「ええ」


 1歳になった清過が、ベビーベッドで眠る。

 強くなった気は、より存在の濃い悪霊を呼び寄せる。

 肉体のない悪霊は、新たな肉体を求め彷徨い続けている。

 だが、悪霊は余程の力がない限り、己と同質である魂やそれを構成する気を感知するだけで、肉体や物体に覆われた魂を見る事が出来ない。

 そして、自分がかき消されるほどの強い魂には近づけない、自分よりあまり小さな魂は効率が悪い。

 結果、食物連鎖のように、弱い魂は弱い悪霊に、強い魂は強い悪霊に狙われる。

『カラ、ダ……カラダ、ヲ……』

 清過は近付いて来る悪霊を、丁度痒い部分を掻くかのように、指先1つで粉砕していく。

 そしてその戦いで爆発的に発せられる気の輝きは、悪霊達の判断を狂わせる。

『ツヨカッタガ……ヨワク、ナッタ……』

『イマダ……』

『カラダヲ……』

 戦いが戦いを呼ぶ。

 清過の周囲の悪霊は、全て清過に集まる。

『ギャアアッ』

『グアッ……』

『ゴフ……』

 清過はただ無心に、近寄ってくるそれらを潰すだけだった。


 3歳になった清過は、母の悦子に連れられ、病院に来ていた。

「清過、ちょっとチクッとするだけだからね」

「はい」

 清過は頷く。長めの髪と、悦子に似ない目の大きい整った顔立ちをしていた。

「はい、怖くないですよ」

 看護師が、穏やかに言いながら、注射器の針を清過の腕に近づける。

 ほんの少し緊張した清過は、身体に力を入れる。

「そんなに固くならなくても大丈夫ですよー」

「は、はい」

 一瞬高まった気が、弛む。

 その気の動きは、悪霊を呼び寄せる。

『身体ああああ!』

 上の階の病室から、今正に臨終を迎えたばかりの人間の悪霊が、天井を抜けて清過に襲いかかって来た。

「!」

 清過は拳を繰り出す。

 気を纏った拳は、悪霊を貫き粉砕し、勢いを残して。

 看護師に当たりそうになる。

 清過は拳を止めようとしたが、一瞬遅く、僅かに看護師の腕をかすめた。

 清過の気は、看護師の左腕の脆弱な気を半分程も切り裂いた。

「あ……うっ!」

 看護師は左腕を掴んでうずくまる。

 切れた気に引きずられ、肉体としての腕が裂け、血が溢れ出した。

「清過、何をしたの!」

「ごめんなさい!」

 慌てて清過は看護師の腕をさする。

 それから、自分の傷の時のように、気を流して癒そうとするが。

「痛っ!」

 看護師は声を上げる。

(はいって、いかない……そうか、ほかの人はダメなんだ)

「は、はは、びっくりしちゃったのかな?」

 傷口を押さえながら、看護師は笑みを浮かべた。

「申し訳ありません」

 悦子が深々と頭を下げる。

「いいんですよ、こういうの慣れてますから」

 看護師は優しく清過の頭を撫でた。


「何をやったって?」

 家に帰った清過は、ダイニングで悦子と父の健一と向き合う。

「おばけがきたから、やっつけたら、うっかりあたっちゃって。ごめんなさい」

 清過は頭を下げる。

「お化け? 清過、そんなものが見えるの? だから刃物を持ち歩いてたの?」

「なんにももってないよ。たたいたらきえるもん」

「随分便利なお化けだな」

 健一は庇いたそうな顔をしている。

「だとしたら、看護師さんに怪我をさせたのはどうやったのかしらね?」

「おんなじだよ、たたいたらうっかり、なかみをきっちゃって」

「中身?」

 悦子と健一は顔を見合わせる。

「ほら、からだのなかの、ながれてるところ。肉とかじゃなくて」

「訳が分からないわ。なんか刃物を持って、あの騒ぎの中で捨てちゃったんでしょう?」

「ほんとうだよ、力を入れてたたいたらああなるの」

「だったら、私にやってごらんなさい。同じ事になったら信じてあげるわ」

「そんな、おかあさんケガしちゃう」

「何ならお父さんが」

「平気よ。大丈夫だから、やってごらんなさい。そうしないと、清過の玩具、みんな捨てちゃうわよ」

「わかった、わかったよ。じゃあ、ちょっとだけ」

 清過は呼吸を整え、左手に気を集める。

「何か本格的ね。テレビでやってたの?」

「拳法みたいだなぁ」

「え? だって、こうやってうごかすのがあたりまえだから」

 それから、清過は小指を出す。

「いくよ、ほんとうにいい?」

「早くなさい」

 清過は小指の腹で、軽く悦子の腕を打った。

「痛っっっ!」

 見開いた悦子の目に、今正に魂の損傷に引かれて、何にも触れていないのに引き裂かれていく皮膚が映った。

「お、おい、悦子」

「きゃあああああ!」


 半年が過ぎた。

「なるほど、霊が見えるのですか」

 祓い師は、清過の目をじっと見つめる。

「はい。それに、手がカミソリみたいなんです。触ったら皮膚が裂け――ええと、そうじゃなくて、後から裂けるんです。一瞬遅れて。なんかそう、北斗の拳とかああいう漫画みたいに」

 自分の腕に巻かれた包帯を指さしながら、悦子が答える。包帯には、まだ赤い血が滲んでいる。

「色んな病院にも行ってみたんですが、さっぱり分からなくて」

「本当かい?」

 祓い師は興味深げな顔で尋ねる。

「……はい」

 消え入りそうな声で、清過は答える。

「もう、治す為には、先生におすがりするしかないかと思いまして」

「なるほど、それは正解ですな」

 神妙そうな顔で、祓い師は瓶と札を取り出す。

「これは恐らく、悪霊の仕業ですな。長期戦になるかも知れませんが、諦めなければ道は開けます」

 清過は無言で床を見つめる。

 祓い師の影の濃さは悦子と同じぐらいで、清過の影よりも遙かに薄かった。


「これで大丈夫です、またお困りでしたら相談にいらっしゃい」

 霊視者は、微笑んで清過に手を振る。

 悦子と清過は、ビルから出て車に乗る。

「治ったの? 本当に?」

「うん」

 助手席に座った清過は、小さく頷いてランドセルを抱える。

「嘘は言わないでよ」

「言ってないよ」

「なら良いけど」

 悦子はハンドルを握っていない左手で清過の頭を撫でようとして、一瞬指先が躊躇って、それから改めて撫でた。

 清過はうつむき、視線を窓の外から逸らす。

「清過、猫がいるわよ」

 悦子が声をかける。

「え?」

 釣られて顔を上げた清過の目には、また、小さな悪霊の姿が飛び込んでくる。

 無反応を装おうとしたが、悪霊は清過に気付き近付いて来る。慌てて清過は手刀で斬った。

 悪霊は四散し、消える。

「こ、これは……」

「嘘ね。治ってないなら、そう言いなさい」

 悦子は微笑む。

「お母さん、あなたのためなら、いくらでも頑張るから。変なものが見えなくなるように、いくらでもサポートしてあげるから」

「う……ん」

 小さく清過は頷いた。


 家に帰った清過は、自分の部屋でクッションを抱えて座り込む。

(どうして、なおらないんだろう?)

 カーテンを僅かに開けて、外を見る。

 悪霊の姿はない。

 成長するに連れ、清過に姿を見せる悪霊はより強く、数は少なくなっていた。

「どうして」

 感情の昂ぶりが、気を爆発的に膨らませる。

 いや、清過にとって、その気はさして多量でもない。

 しかし、周囲の悪霊にとっては、爆発と変わらぬほどの目立ち方をした。

 壁や床を抜けて、各々の苦しみを叫びながら悪霊達が現れる。

 清過はそれを片端から殴り壊していく。弱いものは、近づくだけで粉砕される。

 悪霊たちは、砕かれる瞬間には疲れて眠るような穏やかな表情になる。

 5分ほどで悪霊を砕き終わり、清過は構えを解く。

「もしもなおったら……どうなるんだろう?」


「む、あなたのご先祖に、山で働いていた方はいませんでしたか?」

 前世占いの看板を出した店に、清過と悦子は来ていた。

「ええ、夫の健一の父方は茶畑をやっていたようですが」

 悦子が答える。

「それです。茶畑を作る時、山の神様への供物を怠って畑を拓いてしまったのです!」

 声を張り説明する占い師の影を、清過はじっと見つめる。

 清過より、遙かに薄い影だった。

(これだけ薄いと、おぼろげにも見えないのでしょうね)

 魂や気は日の当たらぬ側に溜まる。霊への干渉力つまり霊能力が高い、濃い魂や気を持っている者は、影がより濃くなる。

 十年近く悪霊と対峙して来た清過が、自然に学び取った知識だった。

「では鎮魂の儀式を行いましょう」

 占い師は札と剣を持って、呪文を唱え始める。

 札には僅かに気の筋が見えるが、剣は土産物同然、呪文にも力はなく、何より占い師自身が気を練っている訳でも、霊を使役している訳でもない。

(インチキが、よくやりますね)

「たああっ、とあああっ、でああああっ!」

 占い師は鋭い声で叫ぶ。

「さあ、悪い気はひとまず去りました、後はこの札を焼いた灰を、その茶畑にまくのです」

「有り難うございました」

 悦子は深々と頭を下げる。

「ありがとうございました」

 清過も形だけ頭を下げた。


 新幹線が減速を始める。

(京都の霊能者、か)

 5歳になった清過は、窓に映る悦子と健一の姿を見ながら、皮肉っぽく笑う。

(治らない、治るなんてものじゃない)

 新幹線線路には、1体の悪霊も見えない。

(何だか分かって来ました)

 清過が力を増せば増すだけ、見かける霊の数は減っていく。

(私は、強い。もう、霊能者なんかに助けて貰う必要もないぐらい、強いんですね)

 自分の拳を見つめる。

 身体全体を濃い気が覆い、打撃の瞬間はそれが槍となって霊を貫く。

 これほどに強烈な気を操られる人間を、清過はこの5年の人生の中で見た事がない。

(今日の霊能者に会ったら、霊が見えなくなったフリをしましょう。小さい頃は失敗しましたけど、今なら悪霊さんも少ないし、大丈夫です)

『間もなく、京都へ停まります、お忘れ物のないよう、ご注意下さい』

 車内アナウンスが流れ、清過と悦子は席を立った。


(――それから私は、芦屋暁人と出会い、逃げだし、そして助けられた)

「清過!」

「無事で、本当に良かった!」

 早朝、警察署で健一と悦子が清過を抱きしめる。

「ありがとうございます、お巡りさん」

 悦子は深々と発見者の若い警官に頭を下げる。

「いや、何、どうという事もありません。仕事ですし」

 若い警官は、照れ笑いを浮かべる。

「ですが、京都で行方不明になったものが、どうして神奈川で見つかったんでしょうね」

「不思議ですね」

「本当に」

「どの辺りで行方不明になったんですか?」

「ええと……あれ?」

 健一は首を傾げる。

「どこだっけ?」

「そう、どこだったかしら……清過、覚えてない?」

「あんまり」

 清過は答えながら、額に手を触れる。

 額の皮膚や肉ではなく、魂に何かが刻まれていた。

「大体、京都なんかに何をしに行ってたんだっけ?」

「ええと……まあ何でも良いわ。清過が無事なら」

「そうだね」

『見えなくなってしまえ』

 山で出会った男の言葉が耳に残っていた。

 清過は自分の手を見る。

 彼の言葉通り、気がほとんど見えなくなっていた。

(あれは、一体、何だったんだろう)

「では、私たちはそろそろ帰ります」

「どうもありがとうございました、お巡りさん」

「門までお送りしましょう」

 警官は、片膝を付いて、清過と目線を合わせる

「嬢ちゃん、大丈夫か?」

「はい」

「――神隠しってのに遭ったんだとしてもな、心配いらないぞ」

 警官は清過にだけ聞こえる声で言った。

「悪いお化けは、警察がみんなやっつけてやるからな」

 清過は思わず警官の影を見る。

 警官の影は、当たり前の人間の濃さだった。


 清過たちは、警察署の門から外に出る。

 と、1体の悪霊がふらりと清過たちの方へやって来る。

(……え?)

 いつもなら、襲いかかって来る筈の悪霊が、清過に気付かない。

(本当に、見えてない)

 清過の表情は、ほころんでいた。

(これで、治ったって、言える。無視していられる。お父さんとお母さんを、安心させられる)

 悪霊は本当に見えていない。恨みと苦しみの呟きを続けながらも、無防備な顔で、清過の目の前に来る。

(やっと、これで)

 そしてすぐ横を通り――。

(これ……で)

 離れて行こうとした。

 瞬間。

 清過の裏拳が、悪霊を砕いた。

(ダメです。私は)

 砕け、宙に融けていく悪霊を横目で見ながら、清過は笑みを浮かべる。

(勝ちたい。あらゆるものに、何より、あの芦屋という人に)


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