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第二章 清過さんの野望 県内版

 片方を山肌、片方を崖に挟まれたくねくねとした県道が延びる。

 そのうちのひときわ急なカーブのガードレールが、ちぎれていた。

 崖下には杜が広がっており、地面までの高さは50メートルを超える。木々の密度は濃く、森の底からは空の青さを見る事も出来ない。

 ――県道から外れて落下し、原型を留めぬほどに壊れた自動車のかたわらを、女が歩き回っていた。

『ない……ない……ない、ない……』

 草むら、木々の間、車の中、下、ありとあらゆる場所を、女は探し続ける。

『ない……』

 日が昇り、傾き、沈み、夜になり、星が現れ、そしてまた日が昇る。

『ない、ない……』

 呆然と呟きながら、女は歩き続けていた。

『ない……』

 と、その時、女の側に蝶が現れた。

 女は蝶に気を取られる事もなく、探し続ける。だが、蝶の方は、女の側をずっと飛び回っていた。

『ない……』

「あー、いたいた」

 女の背後に慶子が現れた。

 女は振り返る。

 慶子を見ると、ぱっと笑顔になった。

「お? フレンドリー?」

 一瞬の後。

『足! ワタシの足ィィイイイイイ!』

 女は猛然と慶子に突っ込んで来る。飢えきった獣さながらに、おぞましく苦しげな顔だった。

 彼女には両足がなかった。いや、両足だけではない。下腹部から下がすっかりちぎれ去り、腸を引きずっていた。

「所詮悪霊か」

 慶子は、コートのポケットから、既に折られた折り鶴を取り出し、放る。

「十二の式」

 折り鶴だった筈のものは、1秒と経たないうちに、身の丈3メートルの白鷺になる。

『足ィィぃぃぃぃぃぃぃぃ――い?』

 女の悪霊の突進が止まった。

 悪霊の腹が、白鷺の嘴に挟まれていた。

「そこで一旦停止」

 慶子の言葉に、白鷺は不満げなうめき声を上げつつ、動きを止める。

「あーーーっ、見つけられたんですかぁ?」

 崖の上から声がした。

 慶子が見上げると、崖の上のガードレールから清過が見下ろしていた。

「降りますから、ちょっと空けて下さい」

「はいはい」

 慶子と悪霊をくわえた白鷺が崖から離れる。

 清過はひょいと跳び――薮に引っかかり、土煙と石を飛ばし、着地と同時に膝折れして尻を地面に激突させる。

「い、痛いです……」

「出来ないなら飛び下りるな」

「思ったより高かったんですよぉ」

 清過は髪の毛に付いた葉っぱを払う。細かな傷はすぐに血が止まっている。

「わっ、オナモミ付いちゃってます!」

「んなのいいから!」

「でも慶子さん、オナモミは厄介者なんですよ? ここを取ったと思えばあちらに、あちらを取ろうとするとそちらに、その鬱陶しさは弁慶を翻弄した牛若丸を彷彿とさせますね。あ、知ってます? 牛若丸って鞍馬寺で修行をする時に名前を変えてるから、五条橋の時は紗那王って言うんですよ?」

「豆知識は良いから、早くしろ。さもないと、わたしの式が壊すよ? こいつ」

 白鷺にくわえられた悪霊は、不安げな顔をしている。

「せっかちさんはもてませんよ」

「起動中の式を1時停止させるのは疲れるの!」

「ああ、そうでしたか」

 清過は半身のちぎれた女の霊の腕を、素手で握る。

「式、消すよ」

「はい」

 白鷺は折り鶴に戻り、折り鶴は一瞬で燃え尽きる。

「便利ですねぇ。私にも出来ないんでしょうかね?」

「指の付け根が平べったくなって鈍器と変わらないような手で作れる程、簡単なもんじゃないよ」

「むぅ……残念」

 清過は握りっぱなしだった女を引き寄せる。

『離せ……離せ』

「悪霊さん、あなたお名前は?」

 敵意に満ちた目で女は清過を睨んでいる。

「残りの身体をお探しですか?」

 肯定するかのように、ほんの少し女の表情が和らぐ。

「……慶子さん」

「ん?」

「いえ、ちょっと思ったんですけど、身体が中心から真っ2つに分かれて亡くなられた場合って、どっちの霊が残るんでしょう?」

「肉体なんて焼却しても魂は残るんだから、イメージ1つでしょ。大体、そんなのは使霊使ってるあんたの方が詳しいでしょーが」

「ああ、そうですね。そう考えると簡単ですよ、悪霊さん」

 清過は笑顔で女の肩を叩く。

『?』

「完全な自分の姿をイメージすればいいんです」

「――そういう、鬱病患者に『がんばれ』とか、声かけるよーな真似は止めなさい」

「冗談ですよ」

「あんた、どこまでが計算?」

「悪霊さん」

 清過は女に向き直る。

 所在なさげな顔のまま、女は清過の目を見る。

「事故死したあなたのその苦しみ、驚きと恐怖で凝り固まり動けなくなった魂、解消して差し上げますよ。そうすれば、きちんと往生して輪廻転生の流れに再び戻れる筈ですよ」

『!?』

 女は思い切り驚いた顔をする。

「その代わり、私が死ぬか、もういいって言うまで、私に力を貸して下さい」

 ほんの少しの間、女は考えていたが、すぐに大きく頷いた。

「契約成立ですね」

「クーリングオフの期間もないんだから悪辣なもんだよ」

「慶子さんは見張り役ですよ」

「はいはい、党首の清過様」

 清過は女に向き直る。

「ちょっと痛いですけど、我慢して下さいね、悪霊さん」

 清過は拳を高く差し上げる。すると、おぼろげな光が僅かに拳から発せられる。そして地面に落ちる清過の特に拳の影が、濃くなると同時に巨大に膨れ上がった。

 女が一瞬逃げ出そうとする。

「怖がらなくて!」

 拳が女を殴り抜いた。

「大丈夫です」

 視覚限界を超えた拳が、女を貫き砕く。女であったものは、バラバラになり、宙へ融けていった。

「わたしもそんなに直で本物の霊識者見る機会も多くはなかったけどさ」

 呆れた様に慶子が言う。

「悪霊を素手でぶちこわせるヤツなんて、あんただけだね」

「物を使ったら気が上手く伝わらないんですよ」

「そんなもんかね」

 空中に飛び散った黒い影が、再び集まって来た。

 そして、影は濃くなり、先ほどの女の姿になる。身体は全て揃っており、地面に落ちる影は、先ほどよりはっきりしていた。

「あ、戻っていらっしゃいましたね」

『よろしくお願いします』

 女は頭を下げる。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 清過が、女の両手を握る。

「これから、私の世界征服の尖兵となって、立派に働いて下さい」

『……は?』

「この娘は霊力による世界征服を目指してるんだって。んで、わたしは弱味を握られて、その馬鹿げた話に付き合わされてるわけ」

 慶子が清過を指さし、説明する。

「馬鹿げてませんよ。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ面白くないので、自分が世界の頂点に立って好き勝手やりたいんです。実に真っ当な考え方じゃありませんか」

『ええと……と、ともかく、今後ともよろしくお願いします』

 清過に使役される霊――使霊――となった女の霊は、清過の影にもぐりこんだ。

「慶子さん」

「――んあ?」

「お疲れ様でした、帰りましょっ」

 言って、清過は微笑む。

「そう、だな」

 慶子は清過の笑顔から、視線を逸らした。

「じゃ、はい」

 清過はすっと手を差し延べる。

「え?」

 状況が呑み込めていない慶子との間合いを詰め、清過はひょいと慶子をお姫様抱っこする。

「のあっ! あんたっ!」

「喋ると舌噛みますよ」

「うわあっ!」

 清過は慶子を抱きかかえたまま、一気に崖の上の林道まで駆け上がって行った。


 夕方、制服姿の清過と慶子は、自転車で帰り道を走る。

「慶子さん、教科書を忘れちゃいけませんよ。これで何回目ですか」

「いーじゃん、別に。減るもんじゃなし」

「忘れ物常習犯だって知られたら、使霊さん達の士気に関わりますよ」

「そんなんいないよ」

「式さんに宿してないんですか?」

四方式(しほうしき)は、符の中に貯めた大地の気と、折り筋に込めた僅かな命令で動くロボットみたいなもんだよ。地脈から気が吹き出す竜穴を確保出来たら誰でも出来る……って、何度説明したら分かるんだ、あんたは」

「そこのところがよく分からないんですけど、ちょっと英語で説明してくれませんか?」

「するかっ」

 2人は、コーヒーショップチェーンに入る。

「アイスティーね」

「ブレンドコーヒー、ホットでお願いします」

 レジで買った紅茶とコーヒーを持って、テーブルにつく。

「慶子さん、首尾はいかがですか?」

「簡単に言って」

 慶子が指を出すと、どこからともなく白い蝶が飛んで来て止まった。

「二の式によると、市内の無難な竜穴は制圧完了。役に立つレベルの悪霊はゼロ。その他特に妙な気配もないね」

「竜穴って、世界征服にそんなに大事なんですか?」

「竜穴はタダで給油出来るガソリンスタンドみたいなもんだからね。原子炉積んだあんたには有り難みが分かり難いだろうけど」

「HP回復とMP回復がついた地形みたいな?」

「防御力や攻撃力も上がる感じかな」

「それで、日本中の竜脈を掌握して、日本中の気を集めて、最終形態になってたら、攻略アイテムを揃えた主人公に力を封じられて止めを刺されるんですね」

「いや……そういう事になったとして、主人公は竜穴に陣取った敵を迂回すると思うけど」

「ままならないものですね」

「――んで、あんたの方は?」

「悪霊さんたちに近隣の町の警戒を頼んでますけど、交戦報告はありませんね」

「ふーん、だとすると」

 慶子はアイスティーにガムシロップを入れる。

「警察はともかく、わたしが認識してない霊識者も霊能者も、この近辺にはいない、ってとこか」

「それそれ、1度聞いておきたかったんですけど」

 清過はコーヒーを飲む。

「何?」

「霊識者って何ですか?」

「あー、まあ、裏世界方面の符丁になるのかな」

 慶子はストローを袋から出す。

「霊が見えるとか話せるとか、霊を認識し干渉出来る、あんたみたいな人間が霊識者。道具や手順で干渉や認識が辛うじて出来る、警察や呪殺屋みたいなのまで含めた総称が霊能者。その外側にいるのが詐欺師。割合で言うと、1:9:990ぐらいかな」

「警察さんも霊能者カテゴリですか」

「どこの国でも鬼や悪霊の退治は警察か軍隊の主要任務だよ。日本の場合、明治時代に川路って警視総監が、霊能技術を警察に一極集中させたから、世界的にもかなりの高水準と言っていい」

 アイスティーをストローでかき混ぜた後、慶子はグラスに口を付けて飲む。

「って事は、今後の脅威は警察さんですか。なんだかしょっぱいですねぇ」

「言ったろ。連中は技術を集めた霊能者集団に過ぎない。きっちり見えるあんたとは、越えられない壁があるよ」

「えへへ、そんなに褒めないで下さい」

「コソコソ見つからないように素早く小さい動きが出来るって意味だよ」

「むぅ」

「警察を除外して、今後脅威になりそうなヤツというとね」

「はい」

「北から、青森――」

「イタコさんですか?」

「あれはただのパフォーマー。知ってて言ってるでしょ」

「分かります?」

「青森に祓い屋1人、千葉には呪殺屋が1人いた」

「いた?」

「わたしが殺した」

「ああ、なるほど」

「東京近辺はやっぱり多いよ」

「多いですか?」

「東京に10人ぐらい拝み屋とか呪殺屋とかがいるね。中でも一番ヤバいのは死霊使い鈴木」

「鈴木さんですか」

「嘘か本当か、組1つ一族郎党まで殺られたとか。その上、どこにも所属していないらしい」

「……そんな事出来るんですか?」

「まあ、20年だか昔の話だからね。誇張もあるんじゃない?」

「西側はどんな方が?」

「箱根よりも向こうの情報はかなり少ないよ。実際にいないのか、目立たない活動をしているのか分からないね。伝説レベルでは、富士山や京都の山に天狗がいるとは聞くけど」

「冗談ですか?」

「仙人って言った方が良いかも知れないけど、霊識者の頂点らしいよ。気を自由自在に扱えるとか」

「天狗なんてものが……」

「ま、実際にそんなのがいたら、とっくに世界が支配されてると思うし、お伽噺だと思うけどね」

「分かる範囲で、天狗さん以外だと、どなたが一番強いんですか?」

「まあ、愚釈(ぐしゃく)でしょ」

「誰ですか? どっかで聞いた気はしますが」

「……嘘、でしょ?」

「疎いんですよ」

「んーと、愚釈は気を使う技の使い手よ」

「何だか気配り上手みたいですね」

「僧侶の格好はしてるけど、浄土宗を脱退済み。10年ぐらい前に怨霊会っていう悪霊テロを1人で防いだんだよ。それから、気の扱いが天才的で、他人の断たれた気まで結び治せる」

「……それじゃあ、死なないじゃないですか」

「うんそう、不死身。死人を生き返らせたって噂が定期的に上がる。そういうチート術者だけど、基本的にお人好しで人助けばっかりやってるから、ガチでやりあった人はいないらしい。これだけ突き抜けて強いと、徹底的に甘くて足をどんなにすくわれてもダメージならないって事。2つ名で呼ばれる霊識者は多いけど、愚釈はそれ自体が意味のある名前だから、『あの』『噂の』以外の枕詞が付く事は――」

 とっさに慶子はうつむいてアイスティーを飲む。

 清過は振り返る。

「ありゃら」

 清過も慌ててうつむく。

 店のガラス窓越しに、中年の男の姿があった。そのまま、店内に入って来る。

「なんだ、寄り道か、さや」

「こんにちは、下田さん」

 清過が挨拶する。

「こ、こんちわ」

 慶子はうつむき気味に挨拶する。

(あれ? 慶子さんと下田さんに因縁は――あ、逃亡中の殺人犯でした)

「学校帰りにあんまり寄り道するなよ」

「悩み多き思春期の少女たちの安らぎのひとときですよ」

「滅多な事があったら、安らぎもなんもねえんだぞ」

 下田からは電子煙草の匂いがする。

「例の河原の大量殺人、犯人が見つかってねえんだからな」

(私たちを疑って――は、いませんね)

「どこかの誰かさんが女子高生と戯れてなければ、今頃は犯人さんが絞首刑台に上ってるかも知れませんねぇ」

「わはははは」

「うふふふふ」

(さっさと消えて下さい)

「いいか、日没までには帰れよ。絶対だ」

 やけに真面目な顔で、下田は言った。

「あー、それから君」

「はい……」

 アイスティーに口を付けたまま、あくまでうつむき気味で、慶子は返事をする。

「こいつと、その――仲良くしてやってくれ」

 下田は少し遠慮したような口調になる。

「ちょっと喧嘩っ早くて手も出やすくて自己中心的なとこもあるが、見捨てねえで」

「超(ドレッドノート)級に大きなお世話様です」

 清過が不満げに口を挟む。

「何を? お前の友だち作りの下手さは、ギネスものだ。違うか?」

「下田さんの、若い女の子へ与える嫌悪感もギネスものですよ」

 2人の間にバチバチと火花が飛び散る。

 慶子はそちらに顔を向けず、ストローの袋に水を垂らす遊びを始める。

「――それじゃ、邪魔したな」

 下田はついと店から出て行った。

 慶子は顔を上げて首を回す。

「きぃぃっぃ! 本当に嫌な人です!」

 座ったままで清過は地団駄を踏む。

「清過、あんた下田刑事と知り合いなんだ?」

「慶子さんもご存知なんですか?」

「関わりのある……あった、組からの情報でね。買収不能警官リストにはいつも入ってたよ。あんたは?」

「小さい頃にお世話になったんですよ」

「傷害事件?」

「迷子です!」

「迷子?」

「……と、言いますかね、5歳ぐらいの時ですけどね、京都で神隠しに遭ったんです」

 清過は、下田が立ち去った方には視線も向けない。

「下田刑事はずっと神奈川県警でしょ?」

「発見されたのが上鷹野駅前だったんです。その時に発見して、そのまま保護してくれたのが下田さんです」

 清過は大きくため息をつく。

「それ以来、何かと顔を合わす機会が増えてしまいまして。使霊を集めるようになったら、夜に出くわす事が増えて。そして、付いたレッテルが夜遊び女」

「完全に間違ってるって訳でもないね」

「ひどい、慶子さんまで!」

「あはははは」


「それじゃ、秦」

 教室で、参考書を片手に持ったまま、恵が言う。

「始皇帝ですね。有名な政策が万里の長城の着工とフンショコウジュ」

「字は?」

「えーと焚、書、坑、儒、ですね。文化大革命か原始共産主義みたいなものです」

 清過はノートに字を書いて見せる。

「正解。さっちゃん、割と覚えてるね」

「その辺時代の方がいらっしゃると、もっと生きた勉強が出来るんですけど」

「あはは、そんなの生きてたら教科書に載らないよ」

「そうですね」

(別に生きてとは言ってないんですけどね)

「さーて、次の問題は――」

「清過」

 教室に慶子が入って来る。

「慶子さん、御用ですか?

「あ、慶子さん、相変わらず元気そうだね」

「挨拶は後、清過、ちょっと」

 慶子の目は鋭い。

「はいはい、分かりました。ごめんなさい、仁科さん」

「んー、構わないけど、休み時間そろそろ終わるよ?」

「大丈夫ですよ」

 清過は慶子と教室を出て行った。

「――さっちゃんって、慶子さんと本当に仲良くなったなぁ」

 恵は呟く。

 と、何かが恵の前を通り過ぎて、清過の席に座った。

 きーん、こーん、かーん、こーん……。

「ほら、席に着け!」

 教師が教室に入って来る。

「ええと、今日の休みは――いないな」

 清過の席に座った使霊は、にかっと笑った。


 教室から出た清過と慶子は、屋上に上がった。

「――二の式さんが壊されてるんですか?」

「ああ。全部じゃないけど。自然消滅や事故って感じじゃない。明確に狙われてる」

 慶子の表情は険しい。

「何か、心当たりがおありなんですね? 暴力団さんの関係ですか?」

 慶子は頷く。

「下請けの半グレかも知れないけど、多分そう」

「動機は何でしょうね」

「怨恨かもね。わたしはあちこちの雇われヒットマンやったし」

 春間近の日差しのせいか、濃紺色の制服はすぐに温まる。

「そうですねぇ。因果応報ですね」

「辛辣だな」

「私は人は殺した事ありませんし、絶対殺したくありません。何と言っても、私がまだ殺されたくありませんから」

「世界征服がどうの言ってる女が、殺すのも殺されるのも嫌とは、甘い事だ」

「嫌ですねぇ。世界征服に殺人なんかしたら悪人じゃないですか、やだもー」

 笑いながら、清過は慶子の肩をぺしぺし叩く。

「世界征服を目的にする人は悪人だよ」

「目的には正義も悪もありませんよ」

「あ、ああ、はいはい、正義反対は別の正義な話?」

「違いますよ。飢えた子供にパンを買い与えれば正義ですが、パン屋さんを殺して奪ったパンを与えるのは悪です」

「……うん?」

「人類滅亡を目指して致死性のウイルスをばらまくのは悪ですが、選挙で世界をダメにしそうな候補に投票するのは正当な行為です。正義は手段に宿るんです」

 慶子は口ごもる。

「私たちは見えない力が使える霊識者なんですから、もっと平和的にやれる筈なんですよ」

「……やれる筈、だったな」

 校庭では、体育の授業で男子生徒がラグビーの真似事をしていた。

「慶子さん、二の式さんを破ったのはどんな方なんですか?」

 興味深げな顔で、清過が尋ねる。

「分からなかったよ。全部死角からやられた」

 慶子はスカートのポケットから金属で出来た円筒形のケースから折り紙を取り出して、二の式を作り、蝶の姿にして手に留まらせる。

「隠密用に作られた式を見破れる者は多くない。特にわたしの二の式は、漏れる気もほとんどないからなおさらだね」

 蝶はふわりと飛び上がり、空へ消えて行った。

「ま、対式戦のノウハウを持った霊能者かな」

「ノウハウですか」

「あんたみたいなモグリの霊能者じゃない事は確かだね」

「でもそのモグリに負けましたよね、慶子さん」

「……姿を見せてなきゃ、あんたなんかに負けないよ!」

「見せたんだから負けじゃないですか」

「きーーーーっ、ドタマ来た! 喰らえ!」

 慶子は目にも留まらぬ早さで、折り紙を2枚折って手裏剣を作る。

 折り紙は身の丈ほどもある巨大な手裏剣に変化した。手裏剣は回転しながら清過に迫る。

「うわっ、ちょ、ちょっと、それは大きいです!」

 清過は横跳びに跳ねて、手裏剣をかわす。手裏剣は勢いの付いたまま、空の彼方まで飛んで行き、見えなくなった。

「ふぅ、びっくりした。あんなもの飛ばさないで下さい」

「まだ終わってないよ」

「へ?」

 空の彼方から猛スピードで手裏剣が戻って来た。

「うひゃああああ!」


 その日の晩、清過と慶子は住宅地の中を自転車で走っていた。

「暴力団さんの霊能者さんってどんな方なんでしょうね?」

「知らない。戦闘は任せる」

 マフラーに顔を半分うずめたまま、慶子はぶっきらぼうに言う。

「やる気ありませんねぇ」

「昼間、あんた相手に力使い過ぎた」

「あはは、杉田さんが過ぎたとは洒落ですね?」

「わたしの疲れを倍増させて楽しいか?」

「はい!」

 清過は笑顔で返事をする。

「あ、ここですよね、二の式さんが一番最後に破られた場所」

 2人は自転車を停める。

 住宅地の路地で、レンガ状に表を加工されたブロック塀と、生け垣の家が並んでいる。雨戸は閉めてあるが、ところどころから明かりが漏れる。

 慶子は右目を手で塞ぎ、左目で辺りを見回す。

「怪しいものは何にも見えないね」

「そうですね。みんなに探して貰いましょう」

 清過の背後には、いつの間にか数百の使霊たちが姿を現していた。

「……警察に見つかるよ?」

「うら若い乙女が夜中にウロウロしている時間は短い方がいいです」

「まあね」

「私に仕える257の使霊さんたち、霊力の強そうな方を見つけて来て下さい!」

 清過が命令を発するや、使霊たちは四方八方へと消えて行った。


「慶子さん、次は何を歌いますか?」

 マイクを持ったまま、清過が尋ねる。

「あんたねえ……」

「はい?」

「歌ってる場合?」

 清過と慶子は、カラオケボックスにいた。

「だって、夜は1時間600円も取られるんですよ。1曲でも多く歌わないと損じゃありませんか」

「そうじゃないよね?」

 慶子はコーヒーを飲み干す。

「ここなら個室で人目に触れないし、ドリンクバーも付いてるんですよ」

「そうかも知れないけど」

「大丈夫ですよ、慶子さん」

 清過はあくまでのんびり笑う。

「私の使霊さんたちは、きちんとお仕事をして下さいます」

「どうだか」

 慶子は釣られて笑いそうになる顔を引き締める。

「相手はわたしの二の式を破ったヤツだよ?」

「大将がおたおたしていては、示しが付きませんよ?」

「大将が思い切り油断してて殺された、今川義元なんて戦国大名がいたっけね」

「意地悪ですねぇ、慶子さんは」

「微笑ましげに笑うな」

「はい、慶子さん」

 清過はマイクを慶子に渡す。

 ちょうどその時、カラオケマシンの画面が切り替わり、軽快なイントロが流れ始めた。

「もう、分かった。どうせやられるのはあんたの使霊だけなんだから」

 慶子はマイクを引ったくると、大いに歌い始めた。

 それから数えて6曲目を清過が歌っている時。

 画面にノイズが出た。

『た、助けて……』

 子供の姿の使霊が、画面をすり抜けて姿を現す。

「うおうっ、貞子!?」

「どうやら」

 清過はマイクのスイッチを切った。

「お宝が見つかったみたいですよ」

「――そ、そう」

 画面に表示されている次の曲の名前を横目で見ながら、慶子は立ち上がる。

「今度は、ちゃんと歌いに来ましょうね。慶子さんの歌、好きですし」

 振り向いて、清過が微笑む。

「だっ、んな事っ、言ってる場合か!」


 夜の県道をおぼろげな自転車のライトが照らす。

 子供の姿の使霊の案内で、慶子と清過は自転車で移動していた。

『こっち……です』

 消え入りそうに消耗していた使霊は、清過の気を補充され、幾分元気になっている。

 清過のペダルをこぐスピードは人間離れしており、乗用車並のスピードを出す。

 慶子も同年代よりは体力がある方だが、雀の姿の十二の式に自転車を引かせる事で、清過に辛うじて付いている。

 慶子たちが進む先に、長く高いコンクリートの塀が現れる。その上には鉄条網が、そして所々にはテレビカメラが設置してあった。

「ん? ここは?」

 清過がスピードを弛める。

「西藍川の米軍キャンプでしょーが」

「ああ、キャンプ」

「……飯盒で飯焚いたり、焚き火の廻りで歌ったりはしないから」

「えー?」

「――がっかりしてもダメ」

 清過は塀を見上げる。

「何か……変な感じがしますね」

「そう?」

「気の流れみたいな、ただの音みたいな、そうでもないみたいな。気配? 空気? 電磁波? 新手の結界ですかね」

「米軍基地の結界って、確かになんか変なんだよ。自衛隊は警察の劣化コピーだけど――!」

 慶子と清過は、突然言葉を切って、キャンプの向かい側に作られた公園に顔を向ける。

「見える、清過?」

「はい。冗談みたいにはっきり」

 公園から、気の柱が立ち上っていた。

「なんか、ジャンプ漫画の主人公みたいのが、いるって事でOK?」

「オラ、ワクワクして来ました」

「……戦闘民族側よね」

 2人は音を立てずに自転車を停め、公園へ入る。

 米軍キャンプとの緩衝地帯を想定して作られたその公園は、広々として樹木は深い為、道路から中は見えない。

 慶子と清過は樹の間を足音も立てずに歩く。

 突如。

 木々の間から、暴風のように気が浴びせられた。

「ぬ」

「世の中、凄い人がいるもんですねー」

 のけぞりそうになる慶子の前に、清過が進み出る。気は清過に当たり、砕け散って行く。

「あんた、頑丈ね」

「それも取り柄ですから」

 清過はにっこり笑う。

「慶子さん、二の式さんを放ちましたか?」

「うん、ここも哨戒範囲だった」

 樹木は数十メートルで切れ、その先は広場になっている。大きな照明装置は見えるものの、深夜を過ぎている為、防犯灯のみになっていた。

「それじゃあ、それをやったのは」

 清過は木にぴったりと寄り添う。

「どちらでしょうね?」

 広場の真ん中では、人影が2つ、間合いを取って向き合っていた。

 1人は、黒いコートに身を包んだ刑事。

 下田だった。

 そして対峙しているのは。

 衣を着け剃髪した僧形の男。手には、破られた折り紙が握られていた。

(お坊さん……ですかねぇ)

 慶子が折り紙で兜を折り、頭に乗せる。兜は小さな本物の兜になり、そして髪に同化する。慶子の気が変質して別人の形を取り始めた。

「慶子さん、それは?」

「一の式。相手に気を歪めて見せるから、正体を隠すのに最適だよ。この姿のまま刑事と協力してあの坊主を倒せば――」

「いえ、ここは様子を見ましょう」

「えっ? だって、あの刑事恩人なんでしょ? 迷子だったとこを助けて貰ったって」

「恩着せがましい行動は、時として感謝を忘れさせるのです。仮にも恩人なので死んでしまえとは思いませんが、多少痛い目に遭って大人しくしておいて頂かないと」

「……酷いヤツだな」

「思春期特有の不安定な心情です」

 言いつつ、清過は一の式をかぶった。


 慶子と清過は、木の陰からじっと下田と僧侶の様子をうかがう。

「――もう1度訊く。悪霊を集めてやがるのはお前ぇだな」

 下田の手には特殊警棒が握られている。

「お主ら警察は、この様な式までばらまき監視しビッグブラザー気取り、出会う悪霊は根こそぎ刈り尽くす。街はお主らの所有物か?」

 僧侶は二の式の折り紙を投げ捨て、錫杖を構える。引き締まった筋肉な身体、中年と呼ぶには若い精悍な風貌、ほとばしる気はそれ自体が凶器になりそうな圧力がある。

「検非違使の時代から、悪霊は警察が往生させてやるもんって相場が決まってんだ。霊識者だろうが霊能者だろうが、死んだ人間の魂を好き勝手にしていいもんかよ!」

 僧侶の発する気は、下田の前で弾かれ脇へ流れる。コートに防御用の結界が仕込んである証拠だった。

「表で霊の存在を否定し、裏では霊力による支配を企む。警察は、ショッカーにでもなるつもりか!」

「この世の中に霊なんてものぁいねえのよ」

 下田は警棒を八相に構える。警棒の表面に、ぼんやりと呪が浮かぶ。

「俺たち警察が、片端から倒して往生させてやるからな! 結果オーライてんだ!」

「不遜な!」

「お化けに怯えて泣くガキが減る、それでいいじゃねえか。それに横槍入れる野良霊識者は、公務執行妨害で逮捕だ、武器を捨てろ! HEY! Siri、改訂ミランダ警告!」

『音声は録音されています。あなたには黙秘権があります――』

 下田が装着した警察用ナビゲートシステムが喋り始めるのと同時。

 下田と僧侶が動いた。

 下田の振り下ろした警棒を、僧侶の振り上げた錫杖が弾く。

「うぁらっ!」

 リーチで不利な警棒はしかし、スピードがあった。踏み込んで繰り出した一撃が、僧侶の額をえぐる。

『供述は、法廷で不利な証拠として――』

「うあっ!」

 僧侶の額の気が割け、一瞬後に気に影響を受け肉が裂ける。のけぞったところに、下田はもう1歩踏み込む。

 踏み込む。

 が、その形で下田は固まった。

「――かかったな」

 額から血を流したまま、僧侶はにまぁっと笑う。

 下田の影が、いつの間にか不格好に巨大になっていた。

『――税金で弁護士を付けることができます。以上です』

「この愚釈を守護する120の使霊に掛かれば、警官の1人や2人縛るのは造作もない事じゃ」

 僧侶――愚釈の額の傷の周囲の気がぼんやりと発光する。破れていた気が瞬く間に元に戻り、裂けていた肉は繋がり、出血も消える。

「さあて、後ろから撃たれてはかなわんからのぅ!」

 愚釈は錫杖を思い切り振り上げた。


 僧侶は錫杖を思い切り振り上げた。

 振り上げた。

 振り上げた。

「なるほど、悪意を持って悪霊さんたちが魂を抑え込むと、肉体も動けなくなるんですか。面白いですねぇ」

「えー、これがあの愚釈? まさか、ね。うん、多分名を騙った偽物だ、うん」

「傷を治した技も興味深いですねぇ」

 清過と慶子が、動かなくなった僧侶をまじまじと眺める。

「……き、さ、ま……な、に」

「まあ立ち話もなんですから。慶子さんは下田さんをどっか私の目の届かないところに捨てちゃって下さい」

「はいよっ」

 慶子は折り紙でライオンを折る。

「行けっ、四の式」

 本物と同じくらいのサイズになったライオンは、愚釈の錫杖をくわえ、魂を抑え込まれて意識を失っている下田を背中に乗せ、走り去った。

 清過は僧侶の襟首を掴み、林の中へ引っぱり込む。

「うぐ、ぐ……」

 僧侶はまだ若い男だった。

(さっきより若く見えます)

「き、き、ぬああああっ!」

 気合いと共に、僧侶の影が膨れ上がった。

 僧侶の影に入り込んでいた清過の配下の使霊が霧散していく。

「あっ!」

「ふふ、これでもう、使霊はあるまい」

 僧侶は間合いを開き弛めに握った拳を構える。

「清過!」

 慶子が駆け寄ろうとする。

「邪魔だてするな、一般ピープル」

 愚釈が地面を蹴った。足から木の根を伝い、地面に気が満ちる。

「あうぁっっ!」

 それを踏んでしまった慶子は飛び退く。

「せっかくコツコツ集めた悪霊さんを往生させるなんて、酷いですねぇ」

 空手風の構えで、清過はじっと彼を見据える。

「でも、まだ私の軍勢はいっぱいいますよ」

「ハッタリを。お主からは何の気配も感じられん!」

 僧侶は一気に踏み込んで、右のジャブを清過に放つ。清過はそれを僅かに身体を捻ってかわす。と、続けざまに繰り出された僧侶の左ストレートが清過の顔面に迫る。

(っ!)

 清過は僧侶の左腕を右腕で払いのける。

 と。

 激しい火花が飛び散り、払いのけた清過の右腕が激しく痺れる。

 清過は間合いを開く。

(手甲、ただの金属じゃない)

「儂は120の守護霊を操る高僧、愚釈。7年前の怨霊会を未然に防いだ超凄い英雄! お主なんぞに負けはせんわ!」

「それは素晴らしいですね。その力を、世界征服に役立てませんか?」

「くくく、権力欲に取り憑かれた亡者じゃな。その美しい姿も邪法で保っているのじゃろ」

(どうして世界征服って言うと、みんなものすごく悪いことみたいに思うんでしょう? 私と似たような価値観の人たちには楽しい世界になるのに)

 清過の右腕の痺れは一向にひかない。

(あの手甲が気を削ったんでしょうか。いずれにしても、左手1本で戦うしかありませんね)

 左拳に気が集まっていく。

 一瞬。

 清過が姿勢を低くし、すれ違いざまに僧侶、愚釈の脇腹をえぐろうとする。

 がきっ。

 拳は、何か固い物をえぐった。

「戦い慣れしとる様じゃが」

 愚釈の墨染めの衣が裂け、下に鎖帷子が見えた。

「女の身長じゃ。リーチが足りん」

(うわ凄い、気の流れが眩しいぐらいです。悪霊さんと戦争でもする気でしょうかね)

「使霊も切らしたお主に、万に1つも勝ち目はない!」

 愚釈は袂から呪符の彫られた拳鍔を取り出し、素早くはめると清過に殴り掛かって来た。

 拳が清過を捉える一瞬前、1枚の木の葉が愚釈の目の前を通った。

「!」

 愚釈の隙を逃さず、清過はまた広く間合いを取り直す。

「慶子さんに言われて初めて気が付いたんですけどね」

 木の葉は、1枚ではなかった。

 2枚、3枚、4枚――何枚も何枚も、愚釈にまとわりついて来る。

 払いのけても払いのけても、身体に貼り付いて来る。

「木の葉に何をっ!?」

「私の気も、使霊さんも、非常に見えにくいらしいんです」

 ついには、愚釈は身動きも取れなくなっていた。

「だから当然、使霊さんを200人以上も影に隠して、それをちょこちょこっと木の葉に移しても、だあれも気付かないんですよ」

 木の葉の1枚1枚に、使霊が宿り、愚釈の魂を完全に抑え込んでいた。

「すみませんがっ!」

 清過は思いきり踏み込む。

「あなたには手加減出来ません!」

 清過の拳に眩しいほどに強烈な気が宿る。

「のおおおおおおあああああ!」

 清過の拳が愚釈の鳩尾にめり込み、鎖帷子の結界を砕き、気と拳打の衝撃が愚釈の内臓を打ちのめした。

 ――数千キロ上空で、1台の衛星カメラが、その様子を最大倍率で撮影していた。


 神社に隣接する事務所の一室で、神主風の装束を着けた男が、マグカップに入れたココアを啜る。

「――暁人様」

 引き戸が開き、巫女風の装束の女が、入って来る。

「どうした」

「ハーヴェイ中佐より、報告がございました」

「例の修羅か?」

「いえ。衛星による追跡監視中の愚釈が、神奈川県警と接触したようです」

「ほう」

 男は、空になったマグカップを傍らに置いて、身を乗り出した。


 24時間営業のファミリーレストランで、慶子と清過は、愚釈と向かい合って座る。

「町の竜穴を押さえておったのは、お主らじゃったか」

 納得した風に愚釈は頷き、バナナパフェを食べる。もう清過に打たれたダメージから、すっかり回復しているようだった。

「世界征服の基本は町内からですからねー」

 にこにこしながら、清過は左手に持ったフォークを使って、やや不器用にチーズケーキを食べる。

 慶子はフレンチトーストを食べつつ、ちらちらと愚釈に左から視線を向ける。

「世界征服、とな」

「はい。使霊さんを使うと、人を操れる訳ですけど」

「うむ」

「この力を使って、人がバカな事や酷い事をするのを気づかれないうちに止められると思うんです。この目的で霊識者さん達が集えば、全く血を流す事なく、気づかれる事もなく、私の思い通りの、私とみんなが幸せな世界に出来る訳です」

「ふうむ、穏やかな手段で万人を幸せに、か。それは拙僧の理想に近い」

 愚釈はパフェの器の奥に溜まったコーンフレークをバリバリと食べる。

「日本警察は、霊識者を管理下に置こうとしておるが、伊能殿の力ならばその網をくぐって一党を築く事は決して絵空事ではないじゃろ」

 ぐい、と、手の甲で口の周りを拭ってから、愚釈は清過を見つめる。

「1つ問おう」

「なんですか?」

「その道、むしろ戦い傷付く可能性の方が高い。平穏に幸せに暮らすなら、己の周りの人間を守っていれば良い。なのに、何故、選んだのじゃ?」

「そうですねぇ」

 清過は左手でカップを持ち、コーヒーを1口飲む。

「悪霊さんと話していると、ちょっと世界に絶望しそうになりませんか?」

 慶子は思わず清過の影を見る。

「あー、あるある。そういうのと遭うと、半日ぐらい鬱になることがあるな」

「でしょう?」

 清過と愚釈は笑う。

「ですから、そういう悪霊さんたちを生まない幸せな世界を作りたいんです」

「なるほど……」

「それからもう1つ」

「ん?」

「なんて言うんでしょうね? 戦うのが、凄い好きなんです。それで、負けるのも、勝たないのも凄く嫌いなんです」

「はっはっは、なるほど」

 愚釈は笑ってから。

「良かろう、伊能殿。拙僧の力、暫しお貸ししよう」

「そうですか、良かった。慶子さんも良いですね?」

「あー、わたしは」

「殺し屋の意見は別にいらんじゃろ」

「……は?」

 一瞬、慶子の動きが止まる。

「関東の式使い、木藤出流の噂は聞いておる。通称内職魔人。暗殺を生業とする外道中の外道じゃ」

「ん、だよ。なんだよ、その、言い方。それに木藤はわたしの……親で、小さい頃に死んでる」

「受け継いでおるじゃろう。仕事を。かれこれ10年ぐらいは」

「なんで……そこまで」

「見えんのか? お主の魂には怨念が染みついておるじゃろうが。碌な死に方は出来んぞ」

 慶子は清過の方に目を向けようとするが、首を動かす事が出来ていない。

 次の瞬間。

 ぺちっ。

「なっ!?」

 清過に平手で打たれた頭を、愚釈は手で押さえる。

「愚釈さん、喧嘩する人は嫌いですよ」

 清過はぷぅと膨れた顔で、愚釈を睨む。

「しかし伊能殿、この女が何人殺したか」

「あ……あんただって、修羅場くぐってんだから、1人2人殺してるでしょ? 怨霊会を防いだ時だって、来世教徒、誰も殺してないなんて事は」

「馬鹿をぬかせ、1人も殺してはおらんわ。殺し屋風情と一緒に――」

 ぺち、ぺちっ。

「2度もぶった! 何をするんじゃ、伊能殿」

「慶子さんは、私のお友達です。私のお友達の悪口を言うのは、私に言うのと同じです。私は悪口を言われるのは嫌いです。三段論法OK?」

「殺し屋を受け容れろ、と?」

「そりゃあ、殺された人やその知り合いは、慶子さんを恨んでいるでしょう。でも、それがどうしたっていうんです?」

 清過はにこにこと微笑む。

「私は、目の前にいる、この慶子さんと一緒にいたくて、一緒にいるんです」

 慶子が黙って席を立つ。

「慶子さん?」

「トイレ!」


 腕組みをしたまま黙り込んでいた愚釈は、ようやく顔を上げた。

「――伊能殿」

「はひ?」

 お冷やの中の氷を噛み砕いていた清過が、返事をする。

「拙僧は、殺人を許す気は毛頭ない。じゃが、伊能殿なりの深い考えがあっての事であるならば、負けた身として、今はそこに敢えて口は挟むまい」

「ほうへふふぁ、ぼりばり、良かった、ありがとうございます」

「フレンドリーには出来んじゃろうが」

「ええ、3人寄れば派閥が出来るものです。別に嫌いな相手と無理して仲良しさんのフリをしなくても良いですよ」

「適度に距離を取る事にしよう――あー、店員さん、コーヒーのおかわりを」

 愚釈が通りかかった店員に声をかける。

「はい、ただいま」

 店員が立ち去る。

「では、伊能殿」

 愚釈がわきわきと両手の指を動かす。

「ご挨拶代わりに、腕の気を治してさしあげよう」

「ああ、助かります。ずっと右手が痺れっぱなしで困ってたんですよ」

 全く困っていなかった風に清過は笑い、左腕で右腕を掴み、テーブルに引っぱり上げる。右腕は内側の気がささくれ立ち、その形に合わせて血管や筋肉が切れており、内出血で真っ青になっている。ボロ雑巾と表現するに相応しい惨状だった。

「小さい傷なら治せるんですが、全然で。竜穴でキャンプでもしなきゃいけないかと思ってました」

「経絡の根元が破れておるから、ただ流すだけでは気が滞留するんじゃよ」

「大体血のイメージですね」

「気を楽にするんじゃ」

「はい」

 愚釈は清過と呼吸を合わせる。

「すぅ……はぁ……」

 手に集中した己の気を、清過の気の流れと寸分違わぬ形に整え、そして、慎重に、慎重に清過の右腕を握る。

「ふわ、痺れが取れて行きますね」

「我が奥義『治気』。傷ついた魂の形そのものを癒す大技じゃ」

「あー、なんか気持ちいいです」

 愚釈の気が流れ、清過の気と同化する。愚釈の気はささくれだった清過の気を修復し、流れていった。

「よし」

 気が正された事で、肉体がこれに合わせて修復される。清過の傷は目に見えて治り始める。

「うわ……これは、お金取れる――いや、信者が出来るレベルですねぇ」

「うむ。拙僧は、これをネタに宗派を開こうと考えて――」

 その時、愚釈の頭に踵が振り下ろされた。

「のあっ!」

「ぐしゃくあああああ!」

 いつの間に戻って来た慶子が、愚釈を睨んでいた。鬼の形相と言って良い。

「手を……事もあろうに、清過の手を握って……くぉぉの、スケベ坊主!」

 慶子が愚釈を蹴りまくる。

「痛い、痛い! 止めんか! 誤解じゃし、仮に誤解でなくとも、お主が怒る理由はどこにもなかろうが!」

「じゃかしい、死なす、殺す、潰す、やっぱり殺す!」

「喧嘩は駄目ですよー、それにそんなに足振り上げて、ぱんつ見えちゃってますよ?」


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