第8夜 訪問
空を走ることに慣れず酔うライゼを抱えたままざくざくとブーツで雪を踏む。珍しくここのところは吹雪になることが少ない。雪原に足が着くや否やダッと駆け出しカロンの病院へと走るエルガーの背中を呆れながら見送り自身は屋敷へと足を向けた。もう振り落とされることはないというのに強くしがみ付いてくる子供に、言い表しがたいむず痒い気分になった。
「来た!カロン!アーホルンがおれたちを捨てようとする!!」
「人聞きが悪い。端から傷が治り次第放逐するつもりだったんだ。」
「ひゃひゃひゃ、そもそもこいつがそのまま近くに置いてくれるとでも思ってたのかい?そんな甲斐性なんざこいつにありゃしないよ。」
カロンに泣きついていたエルガーの頭を引っ叩きいつまでも身体にしがみ付いてくるライゼを引き摺り下ろす。声に出し駄々をこねるエルガーと無言で駄々をこねるライゼはなかなか対照的だ。
屋敷の玄関から持ってきた木箱をテーブルの上にごとりと置く。
「それ何?」
「電話だ。」
「でんわ?」
好奇の目で見てくるライゼに触るなよ、と先に釘をさしておく。壊れたとしたら私では治せない、相変わらず重く無骨なそれをあまり気に入っていなかった。多少時間がかかれども伝書鳩やシュナーベルに任せた方がずっといい。どういう原理で動くか理解できない物はあまり好まない。
「ほお……また珍しいもんを持ってるねぇ。異国のものだろう?」
「ああ、前にトルペが寄こしたんだ。生存確認ができるようにだと。」
「トルペ……トルペ・アルミュールか。っひゃひゃひゃ、随分面白い交友関係だねぇ。」
「電話って何?その黒いのでなんかできんの?」
「おいコラ触るなエルガー。よく知らん。同じような機械を持ってる人間同士だと、顔を合わせず遠くにいても会話ができる機械だ。」
もらったきり、ほとんど使ったことがない。誰かと会話したいなら私が走ればいい話であり、この機械で会話しようとも、相手が呼び出していることに気が付かなければ意味がないのだ。少なくとも屋敷で箱に入れたまま放置していたため、呼び出しに私が気が付くはずもない。直接会った際に怒られたが、たかが鉄の塊に呼び出されるのはなかなか不快だ。
「……トルペって、誰?」
「お前たちのことを絶対に殺そうとはしない、商団の団長だ。」
ほとんど善良と言っていい元新政府の人間だったトルペ・アルミュールそのコネからから、それとも仕事上からか未だに普及があまり進まない異国の文明器をよく入手する。そのおこぼれともいえるのがこの電話なのだが、性に合わないため猫に小判と化していた。
「……何か良い理由は思いついたか?」
「いや……何も。」
前髪の間から睨むように電話を見ていたライゼに一応声をかけておく。
使い慣れないそれの使い方を頭の片隅から呼び起こし、硬いボタンを押していく。ブツッという耳障りな音の後から男の声が聞こえた。
******
本土西部に位置する工業都市。かつて鉄鋼業で栄えた鉱山都市は新政府発足とともに国を訪れた異国の文明により、形を変えつつ発展し、今ではこの国の工業の一端を担うほどになっていた。
多くの人間が行き交い活気にあふれる先進都市に着地して数分、私はお通夜のような空気を纏った子供二人と最低限の荷物を持ってトルペとの待ち合わせ場所に向かっていた。両肩に子供をへばりつかせて歩くシルクハットの人間はひどく人目を引いていた。旅団のいる場所を探すため、地元民に声を掛けるのだが一瞬胡乱げな目で見た後皆一様に微笑まし気な目で見られる。人さらいや不審者を見るような目で見られるよりかずっといいのだろうが、居たたまれない。
「……おい、いい加減降りろ。重い。」
「嫌だ!アーホルンはおれたちが下ろした瞬間逃げ出してもいいの?」
「この初めて来た街で無様に野垂れ死ぬ覚悟があるなら好きにしろ。」
ぶつぶつと恨み言を呟くエルガーを無視するが、無言でギリギリと抱き付いているライゼが少し痛い。もしかしたらこの二人は出荷される仔牛の気分なのかもしれない。
道を聞きつつ都市の中心部から少し離れたところに見覚えのあるマークの書かれた荷馬車を見つけた。すぐ側の大き目の呑み屋からは笑い声が聞こえてくる。その声量にびくりと身体を震わせ恨み言が止む。おずおずとエルガーが顔を上げる。
「あれ……本当に良い人?本当に殺そうとしない?なんかすごい取って食われそうなんだけど大丈夫?アーホルンよりも盗賊臭がするぞ?」
「盗賊臭ってなんだ。少なくとも私よりずっと善人だ。」
二人の手の力が増し、口からうめき声が出そうになるが飲み込む。
ギシリと大きな音を立てて扉を開くがらんがらんと扉につけられていたらしいベルが低い音で鳴る。
「邪魔するぞ。トルペはどこだ。」
「久しぶりだな。もう少し何か挨拶はないのかあんたは……。」
スキンヘッドが席を立ち片手で呼ぶ。喧騒も残るが、私が無遠慮に入ってきたためが訝し気な視線をざわつきが増える。
「久しぶり。それで、トルペはどこだ。今回は事前に連絡しておいたはずだが。」
「ああ、聞いてる。お頭なら奥の部屋だ。」
おい、呼んで来い、という言葉で下っ端らしい若い男がバタバタと奥へ消えていく。
「そっちの坊主と小坊主がここに置きたいっていう餓鬼か。」
「ああ。エルガー、ライゼ、いい加減降りろ。お前らが世話になる奴だ。ちゃんと挨拶しろ。」
諦めたのか何なのか、ずり落ちるようにライゼが私の身体から降りる。そしてらしくない顔をしたエルガーもそれに倣い、こんどはライゼの背中に半ば隠れるように張り付いた。それからスキンヘッドの男は二人に視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。その様子を見てやはりここを選んだのは正解だったと再確認する。子供好きなのか子供慣れしているのか知らないが、子供に足に縋られてもしゃがみもせず高圧的な態度だった私とは雲泥の差だ。
「よっ、おれはゼンフ。一応この商団、ハントシュー・キャラバンの主計長をやってる。お前らの名前、教えてくれないか。」
「おれはライゼ。こっちが、ほら。」
「おれは、エルガー。」
ニコニコと目尻を下げて笑うたれ目スキンヘッドの名前をようやく思い出す。初対面のときにその名を聞いていたはずだったが、スキンヘッドと呼べば反応するし、この商団をトルペが立ち上げてからはおい、とかそこの、とかで済ませていたため忘れていた。順風満帆と言える新政府からトルペに着いて出奔した変わり者だった。
柔らかな物腰に警戒を少し緩めたライゼがきびきびと名乗り、おずおずとエルガーも顔を出す。よろしくな、と言って二人の頭を撫でまわすスキンヘッドに気が遠くなる。やはりここが良い。私にはあんな軽々しいスキンシップなどできそうにないし、あんな笑顔を浮かべるなどどう表情筋を動かしても不可能だ。無意識に顔を手で撫でる。
この分ならおそらく問題ないだろう。数日で懐いたエルガーはともかく生真面目なライゼもここならやっていける。必要な厳しさも、求めずに与えられる甘さもここにはある。まともな甘やかし方もわからず、触れるにも躊躇するような私よりずっといい。
「おおおお!来たか『蹄』の!!」
「ああ、久しぶりだな。『手袋』。」
どたどたと喧しい音をたてて現れた大男は相変わらずのひげ面だった。