第6夜 帰島
「おい、目を開けろ。ついたぞ。」
目を開けていれば酔うことは必至なのでしっかりと目を瞑っていた二人を地面に下ろしながら声をかける。二度目ということもありふらつきもしないタフなエルガーと、初めて意識があるうちに運ばれ、しゃがみ込むライゼはなかなか対照的だった。
ライゼの顔の傷が完治してしばらく、彼らの故郷へとやってきた。北の島から私の脚で歩いて数分のところのその年中暑い島はあった。
私は一度たりともこの島の栄えていたころを知らない。依頼人との面談は本島で済ませ、この島を訪れるのは依頼品の受け渡しの時のみであった。
エルガーとライゼが育った島。そこに街はなかった。
「…………、」
よくしゃべるエルガーでさえ言葉を失い、目を見開いてただただ生まれ故郷であった場所を見つめていた。
島が襲撃されてから三か月と少し。地面を覆っていた灰は風に飛ばされたかほとんど残っておらず、ここにかつて多くの人々の住む街であったことを示すようなものは、朽ちかけて焦げ付いた建物の残骸位であった。血と灰で包まれていた地面からは若い草が生え、新たな植生を構築している。
予想通り、ここにいた人々は新天地へと海に出たらしい。この島にはもう誰一人として残っていなかった。
足元もおぼつかない様子で立ち上がったライゼも、もぬけの殻となった街を茫然と眺めた後ハッとして隣にいたエルガーの頭を撫でた。
「……どうする。」
「……歩いてみてもいい?何かまだ、あるかもしれない。」
少し迷ったように、そう言った。異論も何もないため、雑草の生えた地面を静かに歩き出した。
どこもかしこも、草が伸び放題。先駆種ですら根をはれなかったところは黒い地面がむき出しになっている。どこを見ても私は何か物思うところはない。王政府が倒れてもう数年だが、まだ数年ともいえる。国の混乱に乗じて略奪や襲撃が繰り返される。いまだ治安は安定しない。自らもまたそのうちの一人として数えられるためなおさら何とも思わない。襲われた街や村、島は運がなかった、それだけだ。こういった手合いはわざわざ目的で襲う場所を選んだりしない。ただたまたま襲撃者の目に付き、手ごろであったために襲われたのだろう。この島は数ある被害のうちの一つだ。
決して大きいとは言えない島を回るのは、小一時間もあれば充分であった。
ぐずぐずと泣き出したエルガーの手を引いて、ライゼは黙って島のあちこちを見て回った。私には何もわからないが、彼にはやはり意味があるらしい。それが郷愁なのか、島民への感謝なのか、襲撃者たちへの恨みなのか、端々から拾い集められる思い出たちなのか、それはきっと本人にしかわからない。
歩き続けていると見晴らしのいい岬に出た。
少し高くなっているそこは青い空と青い海の境目まで見ることができる。風の強いそこは潮の匂いを強く感じた。
背の低い草がはびこる地面にはいくつもの石が転がっていた。
ここに足を踏み入れたことのない私にも、ここがなんなのかすぐにわかった。
古そうな文字の彫られたものから、何も書いていない新しいものまで。新しいものきっとこの島を出ていった生き残った島民たちが作ったものだろう。島を出ていく者たちが新たな生活をするためのけじめの一つ。
「アーホルン、あのさ、」
「ああ、なんだ。」
ぼそりと落とされた言葉に返事をする。風にさらわれそうなシルクハットをぐっと握った。
「おれたちはたぶん、この島で生まれてそれから捨てられた。親の顔なんて知らないし、この島から出ていったのか、それとも他人のふりしてこの島で生きてたのか、知らない。」
「ああ。」
ライゼの声色は返事を求めるようなものではなかった。ほとんど独り言に近く、ただ他人に聞いてほしいような、自身の中で整理をつけるような声色。私は相槌を打った
「最初は恨んだ。捨てられたことも、誰にも助けてもらえないことも。生きるために、盗みもした、スリもした。これくらいしなきゃ生きられないし、助けてくれない人たちはこれくらいされて当然だと思ってた。」
「ああ。」
「でも違った。みんな孤児のおれたちを見て見ぬふりをしてた。でも盗みや悪さをしても、同じように見て見ぬ振りしてた。……やりすぎれば怒られたけど、みんな気づいて見逃してたんだ。寒くなった勝手に誰かがおれたちの住処に毛布を置いて行ってくれた。嵐が来ればそれとなく事前に木材とか対策できるようなものを置いていった。おれたちはずっと二人で生きてると思ってたけど違った。」
「ああ。」
「おれたちはずっと、島の人たちに生かされてきた。島の人たちに育てられてきたんだ。」
冷たい色をした瞳からするりと涙が零れ落ちる。雫は誰の物とも知れない無縁仏の墓石に染みを作った。
彼らに親はいなかった。だが彼らにはたくさんの育ての親がいたのだろう。
押しとどめられていたようなものが決壊するようにぼたぼたと大粒の涙が落ちる。それにつられるように静かに泣いていたエルガーが声を上げて泣きじゃくり始めた。
雑然とした墓石の中に立ち尽くし、叫ぶように泣く二人の子供の気持ちを、推し量ることなどできない。大切な者を失い、それを悼んだことも、悲しみに哭いたこともなかった。
「……葬式とは、死者のためのものではない。」
「ふっ……っ何?」
「葬式とは、残された者のための儀式だ。これにより、残された者は死者を過去のものとすることができる。」
死者を送ることは遺族のための行為だ。家族で、仲間で、友人であったものが、行為により二度と帰ることのない『死者』となる。生と死の境を確かなものとする。
「……葬儀の形は文化ごとに違う。ここの文化がどうであるか、私は知らん。だがおそらく変わらぬ、共通のこともある。」
小難しいことは今はいらない。大人であれば必要であるが、彼らにそれは必要ない。
「逝ってしまった者たちを悼め。悼み、そして彼らを思い出せ。」
「思い出す……?」
「ああ、思い出し、思い出にしろ。」
この島で彼らがどのように過ごしてきたのか、私は全く知らない。記憶はほかでもない、彼らだけのものだ。良いことも、悪いことも、すべて思い出にする。
「前を向いて生きていくなら、いつまでも死んだ者に縋っていてはいけない。だが忘れる必要はない。その者との出来事も、思いも、感謝も、すべて思い出として持っていろ。生かされたその命で、生きろ。そしてたまに自分たちを育ててくれた人たちがいたことを、思い出せ。」
悲しみは時と共に薄れ、いずれ消える。その先に残るのが、かつて彼の人とあった思い出だ。死した悲しみは失せ、共に生きていた思い出だけを胸に抱える。
かつて仲間であった男からの受け売りだが、今初めてあの時の男の言葉が恐らく正解であろうという気持ちを抱いた。彼の言うことの一切を否定し、無視していた幼いころの私より、きっと賢いだろう彼らは正しく咀嚼し、自分なりの答えを見つけるだろう。