第5夜 生存
屋敷の裏へ回り、青い石造りの丸小屋に入る。麻縄でまとめられた薪の合間を通り棚の裏の扉を開ける。轟、と吹き上がる氷のように冷たい風に一度身震いしてから注意を払い下へと続く階段を下りていく。降りるにつれて温度が下がる。口元まで上げたマフラーにあたる呼気がいつの間にか微かに凍り付いていた。階段の終わりに、大きな鉄の扉が構えている。もう何年も見続けた見慣れた鉄の扉に手を掛ける、重いそれを押し開ける。
「シャムロック。」
「久しぶり。しばらく間を開けて悪かったな。何かと忙しかったんだ。」
奥に行けば彼は今日も椅子に座っていた。あの椅子も思えば私が彼に似合うものをと見繕ってきたものだった。
「ん、ああ、少し外が騒がしいか。いろいろあってね、子供を二人拾ってしまったんだ。南の生まれで雪が珍しいらしい。ライゼとエルガーっていうんだ。……別に覚えなくても良い。そろそろ元の場所に戻そうかと思っているから。」
「ああ、私は子供好きというわけではないな。ライゼという子供の方が死にかけていて、助けてくれとエルガーにすがられたんだ。」
「……そんなに私が他人を助けるのが珍しいか。そんな気分の時もある。それに……、いや、なんでもない。」
「いや、わざわざいうことでもないんだが……昔の私たちに少し似てたんだ。特にライゼは昔の君に似ている。ライゼが、というよりライゼの髪が、と言った方が正しいかもしれない。君によく似た金髪なんだ。それでつい、らしくもなくね。」
「ああ、そうだ!君に似合いそうなネックレスを見つけたんだ。これ、青い石のアミュレット。君の深い目の色によく似てるだろ?」
「……そんな顔をするな。大丈夫だ。これをもらってくときは誰も殺しちゃいない。君は昔から殺しは嫌いだろ。流石に君にあげるもので手を汚したりはしない。」
「……大分私の名前も世に知れてきた。天秤ももう勘づいているだろう。もうそう遠くはない。いずれ必ず、取り返してここへ持ってくる。必ずだ。」
「アーホルン!」
丸小屋から出てくると私の名前を呼ぶ声が聞こえた。屋敷の裏手へと来る前にさっさと小谷野前から離れ声のする方へ足を向ける。
「聞こえている、どうした。」
「ライゼの雪だるますっげーの!すごい!デカい!」
「そうだな。すごいな。」
「まだ見てねぇだろ!あんた適当過ぎんだよ!」
早く早くと鼻の頭を赤くして背中を押してくるエルガーに適当に返す。急かされながら表に行くと、今まで最大三段だった雪だるまが五段六段と、随分と高くまで積み上げられていた。
「な、デカいだろ!」
「……確かに大きいが、果たしてこれは雪だるまと呼べるのか。」
正直パッと見、街で見かけるアイスクリームの屋台にでもおいてありそうな風貌である。特に顔も何もついていないため、なおさら。下にコーンか何かでもあれば完璧だ。
「わざわざ呼んできたのか……。ごめん、アーホルン。どこに居たんだ?」
「屋敷の裏の薪小屋にいた。……一応言っておくが、薪が高くまで積まれている。近寄るな。」
大人しく頷くライゼに安心する。私が言うとなんやかやと反抗してくるエルガーだが、兄貴分であるライゼの言うことは大抵黙って従うのだ。何か禁止する必要があるならエルガーではなく間接的にライゼに言った方が確実だ。
「六頭身の雪だるまは……スタイルが良いとでもいえばいいのか?」
「いや……エルガーがもっとももっとって言うから積んだだけで、別にこれを目指してたわけでもないから。頭も高すぎてもう顔を付けられないし。」
六頭身の雪だるまはエルガーの遥か彼方、ライゼの頭よりも高い位置にその頭を置いていた。これだけの高さまで置ければ子供ライゼには上等だろうが、もはや積むことを目的としており、雪だるまというよりも雪玉が連なったものと化している。
「アーホルン!ねぇこれっ!ぶっ……、」
「エルガー!」
いつの間にか屋敷の前から離れて林の方へと行っていたエルガーが走りながら戻ってくる。しかしいまだ雪に慣れていないのかそれとも興奮のあまり注意散漫であったのか定かではないが派手にすっころび手を出す間もなく顔面を雪に埋めた。慌てて倒れたエルガーを抱き起しに行くライゼの速さにほう、と息を吐く。気の所為でもなんでもなく、彼はおそらく過保護なのだろう。全身雪塗れにする弟分から雪を払い立たせるもすぐにまたエルガーはしゃがみ込んだ。そしてライゼもまた何やらしゃがみこんでいる。
「アーホルン!これで顔作って!」
「…………、」
すくっと立ち上がり今度は歩いてこちらへ寄ってくると笑顔で私に両手を差し出してきた。小さな手の中には赤や黒の木の実、小枝や葉っぱが収まっていた。どうやら先ほど顔面から転んだのは両手にこれらを持っていたかららしい。転んでぶちまけてしまったため顔面から行った甲斐はないのだけど。
「私がか?」
「うん!変な顔にすんなよ!」
ニコニコと見上げるエルガーからモデル体型の雪だるまに視線を移す。エルガーでは到底手が届かない。ライゼもまた下の方はともかく上の方には手が届かない。しかし雪だるまは私の頭よりも数段低い。そのため私に顔の製作を頼んだのであろうが、ちらりとエルガーの後ろを見るとライゼが眉をハの字にしてわたわたとしている。ライゼは私が子供好きなわけでも善人なわけでもないことに気が付いている。そのまま死なせるには寝覚めが悪すぎた、それだけであることを知っているため必要以上に甘えようとはしない。一方のエルガーは何も知らず最初からほとんど警戒心ゼロのままこうして過ごしているためライゼは何かと気をもんでいるらしい。継ぎはぎだけらの顔は少し表情が読み取りにくいが、それ以上に全体的な態度によく感情が出ている。
妙に遠慮されると甘やかしたくなってしまうあたり、私は自分の思っているよりも人の子だったらしい。
「……何色が目だ。」
「赤!黒で口と鼻作って!」
小さな手から木の実や枝を受け取り、少し屈んで一番上の雪玉に埋め込んでいく。後ろからエルガーがあーだこーだ指示を出すのを適当に聞きながら、あからさまにほっとして見せるライゼに一人口角を上げた。
「ただいまー!」
「ここはアンタの家じゃあないよ。」
ばたんっと大きな音を立てて病院に飛び込むエルガー。珍しくカロンは奥でも自室でもなく応接間にいた。放っておけばものの数分で何かを壊しそうな弟分をライゼがささっと回収しに向かう。これももう見慣れたものだ。ケトルを持って一応人数分の湯を沸かす。
「あんたが表に出ているのは珍しいな。」
「ライゼの様子を見るためだよ。ちょっと、そっちの餓鬼を下ろしてこっちに来な。」
抱き上げていたエルガーを一度下ろし、戸惑いながらもカロンの前の丸椅子の上に座る。何やら顔に手を伸ばしているが生憎医に関する学はないためさっさと紅茶の作成に戻る。
「エルガー、ココアの缶持って来い。」
「あ、おう!」
ライゼのすぐそばでハラハラとしながら二人の様子を伺っていたが、どう考えても邪魔な上にライゼもそちらが気になってしょうがないようなので適当な任務を言い渡して席を外させる。ライゼが痛がるたびに号泣するのはエルガーだ。
ぼうっとしながらシュンシュンと音を立てるケトルを見ていると突然顔に蒸しタオルを投げつけられた。犯人は確かめるまでもない。
「……カロン、なんだ。」
「睫毛凍ってるよ。さっさと溶かしな。」
言われて見れば、睫毛が硬くなっており目尻には氷のような粒が付いていた。気づかなかったため、文句も言わず黙って瞼に温いタオルを乗せて溶かす。
「あいつのところに行ったのかい?」
「ああ、最近いけなかったからな。」
「……どうだった。」
「元気そうだったよ。ただ少し髪が伸びていた。次行くときは切らなければ。」
「……不思議なこともあるもんだねぇ。」
それきり、カロンはライゼの診察に戻った。ライゼは空気を気にしてか、何も言わない。
カロンは私への嫌がらせをまるで息をするようにするが、彼についてだけは揶揄うことをしない。いや、昔はしていたかもしれないが、いつからか私の行為に口出しすることがなくなった。
「済んだよ。前髪下げな。……もう完治って言ってもいいだろうねぇ。」
「っ!ライゼ良かったな!!」
タイミングよく戻ってきて一も二もなく座ったままのライゼに飛びつく。宙を舞うココアの缶に舌打ちしながらも、特に咎めることはしなかった。
以前まで多少なりとも継ぎ目から出血していたことももうなくなり、寒い外に出てもわずかな引き攣り程度で痛み止めも必要なくなった。色の違う肌や、そこら中を這う縫い目はどうしようもなくとも、エルガー曰く元のライゼの顔と全く変わらないらしい。あれだけずらずたにされて元の顔に戻すことのできる彼女は相当の腕なのだろうが、なぜこんな山奥の僻地で居を構えているのかを、私はしらない。そして知る必要もない。