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第一夜 邂逅

 海洋にぽつんと浮かぶ島国は、広大な本島と無数の諸島により形成されている。


 その国は遥か昔、神龍により作られた。

 龍はその手で土を集め、その足で土を踏みしめ大地を固め、恵みの涙を流した。涙により大地は緑に覆われ豊かな土地が作られた。そして真実と罪を秤に乗せ両方を併せ持つ人間を作り大地に置いた。島国を作り上げた龍はその翼で舞い上がり星の元へと上っていった。龍に作られた人間たちは龍の住む星へと死後帰り、そこで生まれながらに持つ罪を清算しなければならない。この国には手、足、涙、秤、翼、五つの『神龍の宝』という神宝が今も存在する。


 以上、星龍会聖典より抜粋。


 おとぎ話とも思われていたドラゴン信仰の神話は、神宝のうち二つを持つ聖女、龍姫が星龍会に現れたことにより一変する。

 罪と真実を知る天秤、そして星へ帰るための翼を持つ女により、残り三つの神宝もまた国内に存在することが広く知れ渡った。

 しかし龍姫以外の神宝主は未だ見つかっていない。




 **********




「頼むっ助けてくれ!」



 一人の子供が私の足に縋り付いた。






 貿易商として私が訪れた島は、年中暑く陽気な小さい島だった。この島に住む顧客との大まかな商談内容が決まり、こうして私は遠路はるばる怪しまれぬよう船に乗り来たのだが、



「本当に、何もないな、もう。」



 明るく陽気な南国の島はもはや見る影もなく、今は瓦礫と灰に埋もれ、いまだ熱を持ったように蒸気をあげている。どこもかしこも黒く焼け焦げ、まともに形をとどめている建物はほとんどない。悪逆の限りを尽くされた、という言葉が何よりも相応しい。わずかな希望をもって商談相手の屋敷へ向かった。しかしそこも市街地と同じで、島一番の屋敷は一切の煌びやかさを奪われ骨組みしか残っていない。せめて彼が生きていれば商売ができるとも思ったが、瓦礫の隙間から飛び出した壮年の男の手につけられた見覚えのある指輪にその考えも捨てた。



「……ここまで来て、破談か。」



 丸々三か月の時間を無駄にしてしまった。彼が欲しいというからわざわざこうして手に入れてきたというのに。このジュラルミンケースの中身は一体誰に売ればいいだろうか。また一から考え直しだとため息を吐き、お気に入りのシルクハットの鍔を下げた。

 仕方なく船着き場へと向かう。このご時世だからこんな理由で商談がぱぁになってしまうことも少なくはない。こういう時、普通の人間は大変だ。商売はできない上に旅費も水の泡、物によっては質が下がる。大赤字だ。

 島民は全滅したわけではないらしく、そこら中からうめき声や鳴き声がする。全く気がめいる空間だ。クライエントが死んだ時点でこの島にもう用はない。



「助けて……!」



 ふと、唐突に右足が重くなる。重みと共に下から投げかけられる高い声。



「……手を離せ。」

「助けてくれ、お願いだっ!ライゼが死んじゃう!」



 ああ、こんな状況じゃいずれ皆死ぬだろうな。心の中でだけそう返す。そんなことよりも私は仕事着の一張羅に小汚い子供がへばりついていることの方が問題だ。



「知らん。私には関係ない。」

「頼む!なんでも、なんでもするから!ライゼを助けて……!」



 相変わらず弱々しいが先ほどよりも子供手に力がこもる。ち、と舌打ちをするが子供は聞こえているのかいないのか、同じ言葉だけを繰り返す。正直この子供を蹴りつけて放ることもできるが、流石にそこまで外道ではない。

 外道ではない。が、見知らぬ子どもをわざわざ助けてやるような善人でもない。



「助ける義理がない。諦めろ。」

「頼む……!こいつだけは、助けてくれ!」



 会話にならない。だから子供は嫌いなのだ。血に塗れた黒いつむじを無感動に見下ろした。

 子供は無力だ。できることなど無に等しい。むしろ生き残れたことだけで重畳だろう。

 ふと子供の右手が何かを握っていることに気づく。それは私の足元にある赤い塊に纏わりついている布だった。

 そこで理解する。この赤い塊が、この子供の言う『ライゼ』らしい。



「これ、生きているのか?」

「生きてるっ!」



 なるほど定かではない、と右足を軽く振ればしがみついていた子供はあっさりと転がる。

 とくに意味はなかった。ただなんとなくこの滑稽な子供に興味を持った。もうこれ以上服が汚れても大して変わらない、と灰の上に膝をつき、赤い塊を覗きこむ。

 見るも無残だった。

 全身真っ赤に染まり、着ていた服の色はもうわからない。なによりひどいのは顔だった。もうそれが顔なのかもわからない。辛うじて目、鼻、口の位置こそわかるものの、どんな顔をしていたのか想像もつかない。おそらくこの身体中の血のほとんどが顔からの出血によるものだろう。見たところ刃物でずたずたにされているらしい。

 しかし信じられないのが、そんな状態でもまだこの子供が呼吸をしていることだ。まだ生きているというのは主張している子供の希望かと思ったがそうではなかったらしい。

 振り払われてもなお、足にすがる子供に嫌な思い出がフラッシュバックする。クラリと飛びかける意識を無理やり手繰り寄せた。

 今日は厄日だ。商談はぱあになるわ、商品の行き場はないわ、子供に服を汚されるわ、嫌なことを思い出すわ、散々だ。こういう日はさっさと家に帰って寝るに限る。こんな追い縋るだけの子供を助けてくれる気はさらさらない。

 本当に気まぐれだった。もう帰る気だった私が取り出したハンカチで虫の息の子供の血を拭いてやったのは。本当に気まぐれだった。



「っ……!」



 私の目に飛び込んできたのは、癖のある金髪だった。

 振り払ったはずのめまいが、過去の記憶が濁流のように押し寄せてくる。



「何なんだ……!」



 不愉快だ。この上なく不愉快だ。

 大きく一つ舌打ちして、死にかけの子供を片手で抱き上げた。



「……え、」

「立て。助けてほしいのだろう……!」



 忌々しい、という声色を隠そうともせずに怒鳴りつければ、黒い髪の子供がキョトンとした顔をする。片手に持っていた商品を無理やり子供に持たせ、その子供を空いた片手で抱き上げた。



「うわっ!?」

「掴まっていろ。落ちても知らん。」

「ちょ、うわぁあっ!?」



 履きなれた褐返のブーツの踵を数回けり海へと飛び出した。






「カロン!いるんだろカロン!」

「はいはい、そんな大きな声で呼ばなくても聞こえているよ。何の用だい?」

「患者だ。子供。助けてやってくれ。」

「どっちをだい?」



 どちらが重症か見ればわかるだろうと思ったが、喚く元気のあった右腕の子供が顔を真っ青にして震えていることに気が付いた。なるほど、具合が悪そうに見えるが吐かなかっただけ及第点と言える。



「こっちの子供だ。虫の息の死にかけ。」

「……生きているのかい?」

「死んでたらあんたのところまで連れてきたりはせん。」



 血まみれの子供を差し出せばビー玉のような目をさらに丸くさせた。死にかけの子供の方はもうまとも三半規管が働いていないのだろう酔った様子は見られない。もっとも酔う酔わない以前にすでにあの世へ片足を突っ込んでいることに変わりはない。



「ほお?……今にも死んじまいそうだねぇ。」

「そうだな。助けろ。」

「無茶苦茶言ってる自覚はあんのかいアンタ。」



 私に何を言わせたいのか、すぐに思い当たり舌打ちをした。業突く張りの魔女め、と悪態を心の中で吐くが見透かしたようにドクターはぎょろりと私を睨んでみせた。



「助けてやってくれ。いくらでも構わん。金に糸目はつけん。」

「ひゃっひゃっひゃ!ご苦労なこったぁね。こっちの餓鬼は診るが、覚悟はしておくことだ。」



 そっちの子供はアンタが治しな、とぞんざいに投げ渡された救急箱を反射的に右腕で受け取るともう私の方を見ることなくドクターは子供を抱えて奥の仕事場へと歩いて行った。医者だというのはわかっているが、彼女と子供の組み合わせは魔女と生贄にしか見えない。



「なあ……ライゼは、ライゼは助かるのか……!?」

「聞いていただろう。知らん。覚悟はしておけ。助かれば御の字、死ねば仕方のなかったことなのだと思わざるを得ん。」

「そんな……うぶっ!」

「お前も治療するぞ。それと吐くなよ。吐いたら自分で片付けろ。」



 抱き上げたままの子供を応接間の古びたソファに投げ落とす。そのついでに子供に持たせていたジュラルミンを掻っ攫い口をわずかに開け中の商品が無事かを簡単に確認する。ベルベットに抱かれたそれは傷も罅もなく私が持っていた時のままだった。これなら価値が落ちることもないと、息を吐いた。

 私の言葉に顔を青くしたまま口を押える黒髪の子供に目を戻し、ソファの前に膝を突いた。



「な、なんだよ。」

「裂傷はあるか?」

「れ、れっしょう?」

「……切り傷とか、血が出ているところは?」

「膝とか、腕とか……、」



 血に塗れている子供は一目ではどこに怪我をしているかわからない。おそらく先ほどの子供を抱いていたからだろう。服はどこもかしこも赤黒いそれで染まっていた。しかし子供の言うことはいまいち要領を得ない。いちいち聞くのもイライラする。これだからまともな言語表現が行えない幼子は嫌なのだ。

 面倒になり血が乾いて固まり始めたズボンやシャツに裁断ばさみを入れ適当に切ることにした。



「ちょ、切んなよ!」

「面倒だ。お前に聞くより私が目で見た方が早い。」

「これ一枚しかねぇのに!」

「あとで用意してやる。喚くな。」



 適当な布を勝手に棚から拝借し水に濡らす。どうせいくら備品を使っても法外な治療費を吹っ掛けられるのは目に見えているのだ。今更気にはしない。



「冷たいが、我慢しろ。」

「っ!」



 服を切りほぼ裸に剥いた子供を無遠慮に布で拭いていく。血がこびり付いていた肌が元の色を見せ始める。すっかり拭き終わると傷口がどこにあるかがはっきりとわかったが、首を傾げた。ドクターに引き渡した子供はどこもかしこも、特に顔だが、刃物で切り刻まれていたのに、こっちの子供はほとんど傷がない。せいぜい顔や手足に擦傷、それ以外は打撲程度だ。



「消毒液かけるぞ。痛かったら言え。」

「痛いっ!」

「当然だろ。」

「何で言わせたんだよ!?」



 キャンキャンと吠える黒髪の子供はやはり元気そうだ。あの島で何があったのか詳しくは部外者である私は知らない。しかし歩き回って見てみた限りおそらく盗賊か何かに襲われたのだろう。しかも大人数の。略奪をするだけして火を放ち、戯れに街を破壊し、島民をいたずらに殺した、とまあそんなところだろう。ありきたりでどこにでもある話しだ。節度のない盗賊のせいで仕事はご破算になるわ面倒事を拾うわで散々だ。まぎれていた苛立ちが再熱し消毒液のしみたガーゼに思わず力がこもった。



「なあ、ここどこだよ。」

「病院だ。」

「そうじゃねぇよ。なんで窓の外雪降ってんだ。」

「今が冬だからに決まっているだろう。」

「さっきまで年中夏の島にいたのにか。」

「ああ。」



 真新しいガーゼを切り、傷口に張り付ける。この対処で正しいのか素人の私にはわからないが間違っていればドクターが何か言うだろう。



「……ライゼは大丈夫か?」

「少なくとも大丈夫ではないだろうな。」



 治療が終わり一心地着いたからか子供がそわそわとドクターの消えていった奥へと続く扉を見つめた。あの子供の傷がどんなものかは知らないがそう簡単には済まないことくらいならわかる。



「あまり期待はするな。あの島でお前だけでも生きていたことが不思議だ。」



 子供は無力だ。力のない幼子はどうあっても蹂躙される側にしか回れない。弱肉強食という言葉が当てはまるのは野生の動物だけではない。この荒れた時勢ではどんな人間にも当てはまる。世界の誰もがいつだって襲われる可能性を持ち、襲う可能性を持つ。子供は力を持つまでその片側にしか身をおけない。



「ライゼが、ライゼがおれを守ってくれたから……。」

「あ?」



 ソファの上で短く細い手足を縮こまらせてべそをかきながらぼそぼそと子供が呟いた。



「みんな、いなくて……、あいつらが来たから隠れてたけど、見つかって、っそれで、おれが殺されそうに、でも、でもライゼが……っずっとおれ、隠してくれてて……!」



 相変わらず要領を得ない。だが言いたいことはわかった。

 どうやらこの子供はあの金髪の子供に庇われていたらしい。この子供の盾になったことで、襲撃者からは執拗に切り付けられ、その代わりにこの子供はほんの軽傷で済んだ。

 庇われた子供は、たまたま通りかかった無傷で余裕のありそうな大人に縋り付いた。そしてたまたま助けられ、こうして治療を受けることになった。

 あの子供は、助けた子供によって助けられた。

 この子供は、自身を助けた子供を助けようとした。

 もし、あの子供が助からなければ、この子供はどうなるのだろうか。

 また嫌な記憶が顔を覗かせた。血まみれの金髪、助けを求める声。

 子供の泣き声が記憶の中の鳴き声とシンクロした。



「泣くな。」

「っうぅ、」



 それ以上泣き声を聞きたくなかった。めそめそする姿を見たくなかった。さしたる考えもなく私はかぶっていたシルクハットを子供の頭にかぶせた。サイズの合わないそれはすっぽりと小さな黒い頭を覆った。



「おまえ、名前はなんていう。」

「……エルガー。」

「そうか、エルガー。泣くな。」

「ふっ、う、泣いてなんか、ねぇっ……。」

「泣いてもどうにもならん。せいぜい祈れ。あの子供、ライゼが生きられるように。」



 泣く子供のあやし方など私が知るはずもない。しゃくりあげ震える薄い背中をただ摩った。

 泣けど喚けどどうにもならない。身をもってそれを知っていた。エルガーは助けを呼んだ。結果医者にかかることができた。もうこの子供にできることはない。最善は尽くされた。



「祈れ。再び生きて会うことを。」

「ひっぐ、ぅ……!」



 押し殺したような泣き声が応接間に響く。窓の外では雪が吹き荒れ古びた枠をガタガタと鳴らした。




「ちょいと、アーホルン?」

「終わったのか。」

「そう簡単に終わるもんじゃないよ全く。」



 泣き疲れソファで丸くなって寝るエルガーに外套をかけて、カロンが出るのを手持ち無沙汰に待っていると、奥からマスクや手袋をしたカロンが出てきた。終わったのか、というのは何も治療が済んだのかという意味だけではなかったのだが、どうやらまだ死んではいないらしい。



「どうかしたのか?」

「ああ、あの餓鬼だけどね傷の方はどれも大して深くはないよ。急所は外れてるし目や耳も無事だった。でもちょいと問題があってねぇ。」

「なんだ。」

「見たらわかるとは思うけど、顔がずたずたにされてただろう?そのせいで皮膚が足りないんだ。」

「……。」



 なるほど確かに私が見たときにも感じた。無事なところがない位にあの子供の顔は切り刻まれていた。詳しくはわからないが皮膚が剥がされていた可能性もある。



「……時間はどれくらいある?」

「ほとんどないねぇ。どうするんだい?うちにはこんな異様な怪我してくる患者なんてこないから移植用の皮膚なんて持っていないよ。アンタの足で子供を攫って戻ってきて間に合うかってところだね。」



 またひゃひゃと笑う。子供を攫うのは簡単だが、血液型の問題や感染症の問題も考えると時間が足りない。



「……血液型は。」

「A型だよ。」

「……わかった。私もA型だ。」



 端的に言うとカロン大きな目をぐりぐりと動かしてみせた。



「ほお?……アンタがそんなこと言い出すなんて、どんな心境の変化だい?」

「放っておいてくれ。それより、やるならさっさと始めろ。」

 着ていたシャツを乱雑に脱いでソファにひっかけると、ドクターカロンはまた魔女のように笑い、奥の処置室へと促した。

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