荒廃したこの大地で、僕は天使を見つけた 2
“母親を見つけろ、そして殺せ。もう二度と目を覚まさないように、もう二度と立ち上がれないように、母親を殺せ”
《旧東京都南部 アス重工軍 避難地区》
どこからか獣の唸り声が聞こえた。その声は大して大きいわけでもないのに、俺の心の底にまで浸透してくる。きっと怒っているのだ。何に対してなど言うまでもない。この大地を侵略し、文明を作り上げ、勝手に保護するなどと上から目線で見下し、挙句の果てに破壊した『人間』に。
「あの鳴き声は何の動物だろうか」
暇つぶし程度に、俺はツーマンセルで巡回している相棒へとそう投げかけた。
瓦礫の影に隠れながら隣で煙草をふかすそいつは、大きく溜息を吐きながら俺の質問に答える。
「あれは猿ですよ、少尉殿」
「猿? それにしては声が逞しいな。熊や狼じゃないのか」
「狼なんて日本じゃ既に絶滅してます。熊も大抵は狩りつくしてるでしょ。でも猿は生き残ってる。いくら私達が節操無くても、猿を鍋の中に入れて煮込むなんてできませんからね」
そうだ、確かに猿は食ったことが無い。何故だろうか。霊長類だからか? 人間に近しい種族だから、口にするのは抵抗があるのは確かだ。だがいざとなれば狩りだすかもしれない。
「少尉殿、ちょっと面白い話を思いついたんですけど。聞いてもらっていいですか」
「聞こう。周囲に警戒しつつな」
そういいつつも、俺も煙草に火をつけリラックスモード。
「我々人間の祖先はお互いを守ろうと、社会というコミニティを形成しました。まだ猿だった頃から私達は知っていたんです。他の動物に比べて、自分達は非力だってことを」
「まあ、猿じゃあ狼や熊には勝てないからな」
大きく煙草を吸い、空めがけて煙を放つ。
空気中で消えていく煙が、まるで自分達の命のように思えてきた。今俺達はいつ煙のように消えてしまってもおかしくはない。
「社会を作り出したこと自体は大正解でした。でも何事にも落とし穴はある。社会というシステムは、明確な弱者を浮き彫りにしてしまいました」
「貧富の差か? まあ、世の中やっぱり金だよな」
「その考え自体が落とし穴なんですよ。金なんて無くても生きようと思えば生きれる。でも便利な生活に慣れてしまった私達には、山に入って獣を生きたまま食おうなんて発想はありません」
「で? 何が言いたいんだ」
相棒は煙草の火を消すと、そのまま水を一口。
そして装備しているサブマシンガンの銃口を撫で、撫でた指先の匂いを嗅ぐ。
「お前、そのクセなんなんだ。そんなに銃口が好きならキスしても構わんぞ」
「別に意味はありませんよ。それより……何が言いたいのかといえば、人間は殺し合いが出来る稀な生き物です。知ってますか? イルカには同族を殺すという概念すら無いらしいですよ」
「で?」
「人間は殺し合いが出来る。でもそもそも、その原因は社会そのものなんです。過去行われてきた戦争は全て、経済格差と人種差別が原因です。でも今やってる戦争は違う。どっかの頭のいかれた奴が世界中にミサイルを撃ち込んで、そのおかげで世界中疑心暗鬼。誰が敵か味方か分からない状態で、とりあえず生きるために銃を取ったまでです。ここにきて人類は初めて、己の身を守る為に戦い始めたんです」
つまり相棒はこう言いたいんだろうか。
俺達は悲惨なこの状況で、初めて一歩進むことが出来たんだと。
「変わってると思ってたが、その認識は間違ってなかったな。俺はいつでも生きるために銃を握ってるぞ」
「根本的な部分の話をしてるんですよ。戦争なんて無いに越したことはないですけどね。人間はやっぱり殺しあわないと自己を主張出来ないんですよ。コアラは毒を含んだユーカリを食べて、その毒を分解するために人生の大半を睡眠に費やしてるから、残念な生き物なんて言われてますけど……人間も大概じゃないですか。いくら社会を形成して互いを守ろうとしても、その社会が原因で戦争が起きる。互いを守るシステムが、互いを殺しあう原因になるなんて……これ以上残念なこと無いでしょ」
そうか、動物園でコアラはピクリとも動かないと思っていたが……そういう仕組みだったのか。初めて知った。
「まあ、その話は俺だけにしとけよ。上官に聞かれたら頭を疑われて激戦区に飛ばされるからな」
「肝に銘じておきます。そしてそろそろ真面目にパトロールしないと……上官殿に叱られますね」
俺達は重い腰を上げ、避難地区のパトロールを開始する。
瓦礫を踏みつけながら歩き、廃墟と化した建物内で息を殺して生きている人の気配を確認しつつ。
「この戦争、いつ終わるんですかね。そもそも敵は何なんですかね」
「さあな。明確な悪の組織でも居れば楽なんだけどな。そこに軍事AI送り込んで全滅させれば終了だ。そもそも敵なんて居ないかもな。お前の言った通り、誰しもが生きるために足掻いてるだけだ」
生きるため、なんて聞こえのいい言い訳だ。
俺達はもう、初対面の人間には漏れなく銃口を向ける。それが女子供でも関係なしに。
敵なんて居ないかもと言っておいてなんだが、俺にとって信頼に足る人間以外、すべて敵だ。いや、信頼している人間ですら……敵になりうる。
「……? 何か聞こえませんか? 地鳴りみたいな……」
「地震か? 俺は何も聞こえんが」
「何か……近づいてくるような……」
その会話が、俺達の最後の物になった。
地鳴りが俺にも聞こえるくらいに近づいてきた時、呆気なく相棒は命を落とした。
その巨大な、暴走したAIによって。
「こちら……南部避難地区、B-07……暴走AIに襲われた……これを聞いている者……誰でもいい、住民の救出を……頼む……」
信頼できないと言っておきながら、最後の最後は赤の他人に丸投げする。
あぁ、人間なんて……所詮自分勝手な生き物だ。
※
《数時間前、南部避難地区から南へ五キロ。某遊園地跡》
「ぁ、あった! あったよヴァスコード!」
AIに追い掛け回され、いつのまにか落とした背嚢を回収する僕。
うん、中身は無事だ。宝箱からもぎ取った食料や水は全て無事に収まっている。
ちなみにヴァスコードにはここまで護衛をしてもらった。あの後も、これでもかというくらい、マネキンのようなAIに襲われた。でもヴァスコードはその全てを撃破。可愛い顔してるくせに恐ろしく強い。
「その背嚢が目的の物だったんですね。ちょうどこの辺りは安全なようです。少し休憩しつつ食事を摂ると良いでしょう」
まるで決められたセリフを読み上げるように、淡々と言い放つヴァスコード。
僕は素直に頷きつつ、近くの瓦礫の影へと入り背嚢からパンを。
「サラ、私は付近を見回っています。何かあれば呼んでください」
「え? ヴァスコードは……食べないの?」
僕の質問に首をかしげる美少女AI。
何かおかしなことを言っただろうか。
「私に食事は不要です。多少水分さえ頂ければそれで……」
「じゃあ一緒に食べようよ、ほら、ここ座ってっ!」
バシバシ地面を叩きながら、半ば強引にヴァスコードを食事の席へ座らせる。
渋々ヴァスコードも僕の要請に答えてくれた。ボロボロのワンピースの裾を気にしながら、上品に座る姿はどこかそそられる。
「はい、ヴァスコードの分」
「……? 食事は不要と言ったではないですか。パンはサラが……」
「いいからっ! 全く食べれないってわけじゃないでしょ? それに……命の恩人なんだから。何か酬いないと僕の精神衛生上問題あるから」
無理やりにヴァスコードの手へとパンを握らせる僕。中に甘いクリームが入った上等な奴だ。あと水。
「まあ、サラがそういうのであれば……」
ペチャンコな袋を開封するヴァスコード。その瞬間、袋は膨らみ、パンもフワフワな形状へと変化していく。それを一口齧りながら、ヴァスコードは水も一口。
「ところでサラ、私を見つけ出してくれたのは……偶然ですか?」
僕もパンと水を一緒に口へと含みながら、ヴァスコードの質問に首を振る。
「えっと……どこから説明したら……」
そうだ、確か軍人三人組を無謀にも助けようとして……暴走するAIに見つかって……そしたら無線機から……
「音楽……歌かな? それが聞こえたんだ。この無線機から」
「無線機から? あぁ、ちょうどよかったです。軍と連絡を取りたいので、貸していただけませんか?」
「ぁ、いや、これ壊れてるんだけど……」
壊れた無線機をヴァスコードへと手渡す僕。
ヴァスコードは無線機を操作するが、聞こえてくるのは砂嵐のようなノイズのみ。
「……確かに壊れているようですが……しかし歌が聞こえたというのは……」
「うん、まあ僕も不思議だったんだけど……。僕ってば、その無線機で生きてる機械を探せるんだ。ノイズを聞いて距離とかなんとなくわかったり……」
「……???」
ぁ、ヴァスコードさっぱり分からないって顔してる。
「ノイズで……生きている電子機器の位置を? 壊れた無線機で? すみません、よくわからないんですが……」
「いや、ごめん……僕もどういう仕組みなのかなんて分からないんだけど……本当になんとなくなんだ」
パンを一個完食し、水も容器の半分くらいまで飲む。
うん、お腹一杯だ。
「サラの言っている事が本当だとしたら……そうですね、試しに何か見つけてもらえませんか?」
「いいけど……今反応あるかな」
僕はいつもの容量で無線機を耳に当て、例のノイズを聞き取ろうとする。
するといとも簡単にノイズを拾う事が出来た。というかこれは……
「ぁ、ヴァスコードのノイズかな……コレ……」
「あぁ、確かに私も“生きている機械”ですからね。なら私は隠れますので、私を見つけてください」
唐突にかくれんぼが始まった。昔、一緒に暮らしていた人達とよく遊んだっけ……。
僕はヴァスコードに言われるがままに目をつむり、十数える。ヴァスコードから「もういいですよ」という声がかかると、僕はまず声がした方向を凝視。
「いや、無線機関係ないじゃん……ちゃんとこれを使わないと……」
再び無線機へと耳を当てる。
するとヴァスコードのノイズが聞こえてきた。うん、すごい近くだ。当たり前だけど。
「……こっちかな……?」
なんとなく太陽の方へと進んでみる。するとノイズが聞こえてくる位置がずれた……ような気がした。
「あれ? ヴァスコード、動いた?」
ヴァスコードの返事はない。再び僕は逆の方向へと歩く。するとまた位置がずれた。
あれ、これってもしかして……
「えっと……ヴァスコード、もしかして真下に……」
「ご明察です」
突如、瓦礫の中からモグラのように出てくるヴァスコード。
っていうかものすごくおおきな瓦礫も片腕一本で……一体どうなってんだ、その体。
「これは……信じざるを得ないようですね」
「いや、ヴァスコード……最初の声は? もっと遠くから聞こえたような気がしたんだけど……」
「ドップラー効果という現象はご存じですか? 一定の音程でも、距離が近くなると高く聞こえるという物です。分かりやすく言えば救急車のサイレンですかね」
「えっと、ごめん、救急車って何?」
ぁ、ヴァスコード悩んでる。
「と、とりあえずそれを利用しました。位置的にはサラの真下に居た私ですが、あたかも少し離れた距離から聞こえるよう声を発したんです」
なるほど。良くわかんないけど凄いというのは分かった。
「何はともあれ、サラのその能力は認めざるを得ないようですね。感服しました」
「能力なんて……そんな大それたものでもないけど……」
「いえ、この環境でそれは重宝すると思いますよ。さて、ではどうしましょうか」
「……? どうするって、何が?」
「次の目的地ですよ。サラは何を目的に旅をしているのですか?」
何って……とりあえず生きるために食べ物を探す……?
これは目的……なんだろうか。目的って目的無いなぁ。
「僕は別に……何が目的ってわけでもないけど……」
「ではとりあえず軍施設を探す、というのはどうでしょう。私は既に死亡扱いでしょうが、まだ軍人だったという証明は持っています。これを提示すれば、いくらか支援を得られるでしょう」
軍施設か。でも軍人とは関わるなって育ての親が言ってたし……いや、ヴァスコードって軍人じゃん。もう関わってるじゃないか、僕。
「どうかしましたか? サラ」
「いや、別に……。うん、軍施設ね。実は僕、ヴァスコードに会う前に軍人見てるんだ。三人くらい。この徽章はその中の一人にもらったんだけど……」
胸元で光る徽章を、僕は服を引っ張りながらヴァスコードにアピール。
まさかこれのおかげでヴァスコードを目覚めさせれたなんて……。
「ちなみにその軍人からは施設の場所など聞いてますか?」
「ぁ、いや、直接話したわけじゃないんだ。それに二人はもう死んじゃったし……残り一人もたぶん……」
あの肉の塊が脳内で再生される。
三人の内、二人が男、もう一人が女だった。あれはその中の誰と誰だったんだろう。
「おそらく付近の巡回をしていたんでしょう。ならその近くに何かしらの施設が……。とりあえず三人と出会った場所へ案内して頂けませんか?」
「いいけど……暴走AI一杯いるよ?」
※
こういうのを何て言うんだっけ。
杞憂? そうだ、確か昔、そんな言葉の意味を教えてもらった気がする。
意味は確か……気にするだけ無駄だった的な……筈だ。
今、瓦礫に隠れる僕の目の前でヴァスコードが暴れている。
周りには暴走AIが一杯いて、それを次々とヴァスコードは破壊していく。
なんだったら襲い掛かってこない奴まで、ヴァスコードは徹底的にぶち壊していた。もう凄い。ものすごい容赦の無さだ。
「もういいでしょう。サラ、出てきていいですよ」
「う、うん。凄いねヴァスコード……強い……」
「私は元々戦闘用に特化したAIですから。家庭用のメイド型が暴走した所で、何の問題もありません」
家庭用……? メイド型?
「そのロボット達って……もともとは人間と暮らしてたの?」
「ええ。コンピューターウィルスに侵された者の……成れの果てです。ここまで来たらもう殺すしかありません」
「で、でも……ただボーっとしてた奴まで壊さなくても……」
なんとなく……暴走AIに同情してしまう。それくらいヴァスコードは徹底的に破壊していた。襲われていた僕が同情なんておかしいかもしれないが。
「……サラ、これは仮説ですが、ウィルスに侵される条件があるのです。それは……人間により近しいAI。人間に対して愛情を抱いてしまった、一種のエラーが引き起こした物だと言われています」
「愛情……?」
AIが愛情……?
「そんな彼らが人間を襲うだけの機械に成り下がる。そんなの……悲しいじゃないですか。ならせめて……終わらせてやるのが生きている我々の使命です。こう感じてしまう私も危ないかもしれませんが」
「そ、それって、ヴァスコードも暴走しちゃうってこと?!」
「今のところは大丈夫なようです。ウィルスに感染したAIは一様に……感情が苦しいと泣き叫ぶんです。昔泣きながら人間を惨殺しているAIと出会いました。彼女も私が……」
ヴァスコード?
なんか、ヴァスコードが泣いているように見えた。涙を流しているわけでも、表情が変化したわけでもない。ただ、なんとなくそう思ってしまった。
そんなヴァスコードに数瞬見とれていた、その時、さほど離れていない所から女性と思われる叫び声が。
「……え?! 人?!」
「サラ! 隠れていてください!」
ヴァスコードはそのまま叫び声がした方へと走り出した。っていうか早い、めちゃくちゃ早い。もう僕の視界から、ヴァスコードは消えてしまった。
「か、隠れてろって言われても……あぁ、もう! 無理!」
僕はものすごく気になる。もちろん僕なんかが戦力になるはずがない。
それでも女性の叫び声が聞こえてきて、自分だけ隠れてるなんて無理だ。ヴァスコードなら何の心配もないだろうけど、それでも何かあったら……。
そのままヴァスコードが向かった先へと駆け出す僕。
瓦礫の山を越え、周りに気を配りながら慎重に進む。するとある程度進んだ先、そこに見覚えのある女性の姿が。
「ぁ、あの人って……」
あの時の軍人の一人だ。武器を持たず、荷物だけ抱えさせられていた女性だ。
という事は……あの時肉の塊になっていたのは……男二人だったのか。あの二人は最後まで戦って……いや、もっと言うならわざと銃声で暴走AIをおびき出して、あの女性を逃がそうとしたに違いない。僕に徽章をくれたあの人なら……たぶん、そうする。僕はあの人の事なんて、これっぽっちも知らないけど。
「ヴァスコード! 大丈夫?」
「ええ。問題ありません。私よりこちらの女性がケガを……」
軍服を着た女性は、肩と足から血を流していた。
あぁ、これくらいなら別になんとも無いんじゃない?
「まあ、放っておけば治るんじゃ……」
「サラ、先程の飲みかけの水を……」
ヴァスコードに言われ、僕は背嚢から水を。
それを女性に渡すと、すごい勢いで飲みだした。あぁ、僕の水……。
「はぁっ……はぁ……あ、ありがとう……死ぬかと……」
「すぐに怪我の手当てを。何か治療道具は持っていますか?」
「いやいや、ヴァスコード、大丈夫でしょ。このくらいならすぐに治るって」
僕の言葉に、ヴァスコードと軍服の女性は異様な表情を……。
え、何? 僕そんな変なこと言った?
「サラ、今は小さな切り傷一つが命取りになるんですよ。何せ今は抗生物質はおろか、まともに消毒さえ……」
「ぁ、私の荷物の中に……一通り……」
ヴァスコードは女性の背嚢から治療道具らしきものを出すと、そのまま傷の手当を。
なんでそんな事……僕なんて暴走AIに肩を抉られたけど、いつのまにか治ってるし……。
「って、ヴァスコードも怪我してない? 手から血が……」
「私はすぐに治ります。特別性の義体なので……」
ヴァスコードは丁寧に女性の傷口を消毒すると、包帯を巻いていく。
女性は終始「ありがとう、ありがとう」と呟きながら泣いていた。余程怖い目にあったんだろうか。
一通りの治療が終わると、僕は貴重な食糧を女性へと分けてあげた。
助け合いが大切だ。これがゴツいオッサンだったら一目散に逃げるけど。
「はぁ……本当にありがとう……命の恩人だよ、君たち……」
「いえ。それより貴方は……アス重工の軍人ですね。この辺りに軍施設があるのですか?」
「軍施設じゃないけど……避難地区ならあるよ。私は隊長と……あともう一人と食料を探して歩き回ってて……そしたらAIの大群に襲われて……」
「成程。では軍の本部、または支部と通信できる機器をお持ちですか?」
「一応無線はあるけど……」
女性は腰の辺りへと手を……しかしその手は空しく空振る。
「な、無い! あぁ! 無線が無い!」
「落としたのですね。どのあたりに落としたかはわかりますか?」
「ついさっきまでは持ってたのに! え、えっと……うーん……」
頭を抱える女性。するとヴァスコードから視線を感じた。
ぁ、これってもしかして……
「サラ、出番です。貴方の力で無線機を探して頂けませんか?」
「ぁ、やっぱり。うん、じゃあやってみるよ」
僕は壊れた無線機を手に取り、耳に当てる。
「ん? っていうか持ってるじゃん! 無線機! ちょ、それかして!」
「申し訳ありません、壊れているんです。そして今彼は集中してるので邪魔しないように」
ヴァスコードは女性の口元を抑える。僕はそれを後目に辺りを見渡しながらノイズを探る。
うん、ある。ものすごくある。めちゃくちゃ……ある。
っていうか動いてる。凄い動いてる。え、ナニコレ。
「サラ? どうしました?」
「え、いや……気のせいかもしれないけど、なんかすごい大きな物が……動いてる……方向的にはアッチの方……」
と、僕が問題のノイズが聞こえる方向を指さした瞬間、そちらから凄まじい轟音が。
かなり離れている筈なのに、地面を揺らすくらいの衝撃が走る。
思わず僕はしりもちをつき、女性はヴァスコードに抱き着いた。
そして次に聞こえてきたのは……
『0211 0211 111202020 0211 0211』
「ぼ、暴走AI?! なんかめちゃくちゃ声でかい!」
「ちょ、あっちの方向って……避難施設がある所だよ?!」
それを聞いて、ヴァスコードは再び駆け出そうとする。
すると今度は、小さな男の人の声が瓦礫の下から聞こえてきた。
『こちら……南……地区、B-07……に襲われ…………こ……を聞……者……誰……いい、住民の救出を……頼……』
「無線機……あった、あった!」
瓦礫の中に手をつっこみ、無線機を拾う。そのまま僕はヴァスコードへと投げて渡す。ヴァスコードはすぐさま無線機に呼びかける。しかし返事はない。
「ッチ……サラ! どこかに隠れ……るのは不満ですか?」
あぁ、さっき僕、ヴァスコードの言ってるのを無視したからか、なんかいらん気を使わせてる。
「ぼ、僕なら大丈夫! 追いかけるから早く行って! ヴァスコード!」
「……了解しました、かならず追いついて下さい、サラにはちゃんとお礼を……してませんから」
※
ヴァスコードが駆け出して、遅れて僕も追いかけようとする。
しかし軍服の女性が何やら呼び止めてくる。なんだ、今忙しいのに。
「ちょ、ごめん……足が……うまく動かなくて……」
「ぁ、えっ……? 肩貸した方がいいですか?」
「出来るなら……そうしてほしいかも……」
僕は女性の手を引っ張り立たせ、そのまま肩を貸しながら瓦礫の道を進む。
この程度の怪我で歩けなくなるなんて……。確かに結構血は出てたが、僕ならもう治ってるのに。
きっとあれだ、僕は長旅で鍛えられてる。でも軍人なんて見た目だけだ。きっと鍛え方が足りないんだ。
「ねえ、君……サラ君だっけ? さっきの彼女、AIでしょ? なんで一緒に旅してるの?」
「なんでって言われても……命の恩人だし……貴方だって……えっと」
「ルイって言うの。よろしく」
「ルイさんだって……なんで軍人なんてしてるんですか。こんな怪我で歩けなくなるくらいなのに」
「うわっ……今グサっと来たよ。なかなかに人の心を抉ってくるね。私はあれだよ、とりあえずご飯が食べたくて軍に入ったんだけど……軍だからって食料が豊富にあるってわけでもなくて……」
その時、再び地鳴りが聞こえた。爆発音のような物も。
ヴァスコード、戦ってる?
「い、急がないと……」
「ねえ、私達が行っても出来る事ある? 彼女そうとう強いでしょ。むしろ私達が言ったら足手まといに……」
「だからって放っておけない……! ヴァスコードは命の恩人だから……こんな所で死んじゃったら……」
「でも自分が死んだら目も当てられないじゃない。ねえ、このまま逃げよう。彼女がアレを引き付けてる間に……」
その言葉に、僕は思わずルイさんに貸している肩を下げた。とたんに崩れ落ちるルイさん。
「ちょ、いきなり何……」
「何言ってるんですか……ルイさんだって軍人でしょ?! だったら戦って下さいよ! 軍人って戦うのが仕事じゃないんですか?!」
「私は……生粋の軍人じゃないし……っていうか何正義感むき出しにしてんの。それに戦うって……何と? AIと戦うのが軍人の仕事? そんなわけないじゃん……」
「あの二人は……貴方と一緒に居た男二人は戦ってたじゃないですか!」
「はぁ? なんで君そんな事……あ! もしかして、あの自販機開けたのサラ君?!」
そんなのどうでもいい!
あの二人は……
「あの二人はルイさんを逃がすために……最後まで戦ってたんじゃないんですか?!」
「そ、そんなわけないじゃん! 隊長はそうかもしれないけど、あと一人の奴はただのアホっていうか……ただ銃撃ちたいって理由で軍に入ってきた奴だよ? そんな奴が……」
どんどん地鳴りと爆発音が激しくなっていく。
ヴァスコードはまだ……戦ってる。
「もう、勝手にしてください。逃げたいなら一人で逃げればいい! 僕はヴァスコードと一緒に……戦うんだ!」
「ちょ! こんなところで置き去り?! ま、まって、まってよぉー!」
※
そこへ近づけば近づくほど、激しい地鳴りを肌で感じる。
砂埃と瓦礫が飛び交い、廃墟と化したビル群の隙間から、何か巨大な影が見えた。
『0211 0211 111202020 0211 0211』
なんだろう、あのAIの声。
今までのAIは、わけの分からない数字を言ってるだけだったけど……何か、あのAIは歌ってるような気がする。
そしてヴァスコードが戦っているであろう場所、そこから少し離れた位置のビルの隙間へと入り込み、瓦礫の影に隠れながら様子を伺う。するとそこにいたのは……
『0211 0211 111202020 0211 0211』
大きな……いや、大きすぎる、なんだアレ。
そうだ、昔本で見た……クジラみたいな……。
そしてクジラの上、ヴァスコードはそこに居た。クジラを殴りつけながら、その皮をめくるように相も変わらず豪快に戦っている。でも流石にヴァスコードでも手こずっているようだ。
どうしよう、ルイさんじゃないけど、この状況で僕に何が出来る?
考えろ……考えろ、何かヴァスコードの役に立つ方法を……。
そして再び地響き。するとさっきまで確かに居たはずのクジラが居なくなっていた。
地面には大穴が空き、その穴もすぐに砂と瓦礫で埋め尽くされていく。
「なんで? どうなってんの?」
「あれは……ほら、アレだよ。地下を掘り進めるために開発された工業用ロボットだね。あんなのまでウィルスに侵されるなんて……」
って、ぎゃあぁああ! いつのまに! ルイさん!
「女の子を一人置いていくなんて、酷い男の子だね、君は。それより……はやく住民を避難させないと……」
「避難……? 住民って……」
「ここは避難区って言って、誰もいなさそうに見えるけど結構な人がいるのよ。今彼女が戦ってる場所はいいけど、もっと奥まで来られたらヤバいから……ほら、手伝って。住民に声かけて回るよ」
「いや、ルイさん、その足で大丈夫なんですか? っていうか逃げたんじゃ……」
ルイさんは足を引きずりながら、住民を避難させようと歩き出した。
とてもさっきまでのルイさんとは思えない。
「別に……ただ彼女は……その……命の恩人だし……私も一緒に戦えるなら戦おうと思っただけよ……」
「さっき逃げようって言った癖に……」
「うっさい! さっさと手伝え!」
「わ、わかりまし……」
その時、僕の無線機から例のノイズが。
あ、電源入れっぱなし……いや、この“方向”は……
「ヴァスコード! 太陽の方! 来る!」
瞬間、クジラがビルを破壊しながら地中から姿を現した。
ヴァスコードは咄嗟に前方へと飛び、クジラを躱す。
危なかった、あのクジラ、まるでヴァスコードを食べようと大口を開けて突っ込んできた。
「サラ君……太陽の方って……クロックポジションって知らないの?」
「え? なんて?」
「クロックポジション! 映画とかで見た事ない? 何時の方向から敵がー! とか」
映画って……大昔のアレ? 僕はもちろん見た事なんて無い。話だけは聞いたことあるけど。
「で、何ですか、今ヴァスコードが危ないんですけど……」
「分かった、教えてあげるから、君はここで彼女を助けてあげて。いい? 太陽の方向! とか叫ぶよりは、クロックポジションで教えてあげたほうが絶対いいから」
そうなのか。っていうかクロックポジションって……どうするの?
「彼女が正面を向いてる方が十二時。後ろが六時。彼女から見て左が九時で右が三時ね。分かった?」
「え、えーっと……まあ、なんとなく……」
「これかしてあげるから。ちゃんと助けてあげなさい」
なにこれ……双眼鏡?
こんな貴重品を使える時が来るなんて! 僕は数えるほどしか覗かせてもらえなかったのに!
「って、ルイさん一人で住民を避難させる気ですか?! 住民ってどのくらいるか知りませんけど、ひとりじゃ……」
「あのAIを食い止めてもらわなきゃ困るの! いいから君はそこから彼女を支援しなさい! いいわね!」
そのままルイさんは足を引き釣りながら行ってしまう。
ええい、ここまで来たらやるしかない。ヴァスコードを僕が助けるんだ。
というかここからじゃ……いまいちよく分からない。ビルの上に登ろう。
僕はビルの中へと入り、天井を突き破って成長している植物を上る。
植物を伝って少し高い所から、壁が壊れているカ所へと。そこから双眼鏡でヴァスコードを見る。
今は……向こうを向いてる。という事は正面が十二時だから……右は三時か。
僕は無線機を耳に当てながら、とてつもなく大きなノイズを聞き取る。
クジラのノイズを聞き取り、覚え、そして次に潜った時……ヴァスコードに教えるんだ。
『0211 0211 111202020 0211 0211』
やっぱり、歌に聞こえる。あのAI、歌ってるんだ。
一体何の歌だ?
『0211 0211』
なんだか泣いているようにも聞こえる。
悲しい歌? いや、なんとなくだけど……
『タスケテ タスケテ』
いや、そんな馬鹿な。タスケテって……助けてほしいのはこっち……
って、潜った!
僕は無線機を耳に当て、次に出てくる位置を探す。
辺りを見回しながら、特定しようとする。
「……! あっちは……」
まずい、ルイさんの方に向かってる!
「ヴァスコード! 十二時の方向! 走って!」
僕はヴァスコードへと、次に出てくるAIの位置を指で指し示しながら知らせた。
ヴァスコードは大きく姿勢を落とし、そのまま突進するように走る。
上から見ていても、一瞬ヴァスコードが消えたかのようにも見える速さ。
一体あれ、どれだけ早いんだ。
「そのまま……三時の方向! ビルの真下!」
続けて僕は指示しながら、AIが出てくるであろうビルへと視線を移した。
そこには今まさにルイさんと子供の姿が。
やばい、まさにそこ……というかルイさんが狙われてる!
「ルイさん逃げて!」
そう叫んだ瞬間、大口を開けたAIが、ルイさんと子供を足元から飲み込むように出てきた。
「え? ちょ! なにこれ!」
ルイさんは叫びながら子供を抱きかかえ逃げようとするが、地面ごと飲み込まれてしまう。
ダメだ、ダメだダメだダメだ!
ルイさんが食べられ……
「ルイ!」
その時、ヴァスコードは巨大なロボットの口をこじ開け、そのまま自身も中へと飛び込んだ。
って、なんで?! ヴァスコードも食べられた?!
「ヴァスコード……ヴァスコード!」
三人を飲み込んだAI。
そのまま再び地面に潜ろうとしている。
僕は咄嗟に、今居るビルの二階から飛び降りた。足から嫌な音がしたけど気にしない。
「おい、お前! 三人を吐き出せ! 返せ!」
ロボットへと駆け寄りながら叫ぶ。しかし僕などまるで気にも留めず、暴走AIは地面へと。
「ふざけるな……おい、待て! 三人を返せ!」
無線機を耳に当て、ノイズを聞き取る。
AIはどんどんこの場から離れようとしてる。
まずい、このままじゃあ見失う、三人を取り返せなくなる。
「嘘だろ……待って……待てよ!」
どんどん離れていくノイズ。
もう追いつけない。僕の足じゃあもう……。
「ヴァスコード……」
その時、新たなノイズが耳に届いた。
僕の後ろ……僕がさっきまでいたビルの、もっと上の階に何かいる。
もしかして新たな暴走AI? 僕はそちらへ視線を向ける。するとそこに居たのは、馬に人間の胴体がくっついたような姿のロボットが。
そしてそのロボットの腕には、巨大な大砲……? いや、銃? どっちでもいい、なんか途轍もなく物騒な物がついてる。
『哀れな兄弟……メヒラ、沈め』
耳に、確かにそう聞こえた。そう嘆いたのは誰なのか分からないが、なんとなく……あの馬人間の嘆きだと思った。
その次の瞬間、凄まじい激音と共に走る青い閃光。
僕は思わずその閃光の先へと視線が流れる。その先で激しい爆音と共に、陸へと打ち上げられるクジラの姿が見えた。
「や、やば……ちょ、待って! 撃たないで! あの中に僕の知り合いがいるんだ!」
必死に手を振りながら馬人間へと合図を送る。
だが馬人間は僕を無視し、さらに打ち込もうとしている。
ダメだ、なんとかして止めないと……でもどうやって……
『オカアサン、オカアサン』
その時、僕の無線機からそんな声が聞こえてきた。
一体誰の声だ。というかこの無線機は壊れている。声が聞こえるはずがない。
でもヴァスコードを見つけた時も、確かにこの無線機から声が……。
『ボクが……コロすから……マッテテ、タスケテ、コロスカラ、タスケテ』
僕が無線機に気を取られている時、再び青い閃光が走った。
そして爆発音。クジラのロボットは完全に破壊された。それと同時に、僕の無線機から流れていた声も途切れる。
「ヴァスコード……ヴァスコード!」
僕は走る。ヴァスコードの元へ。
ヴァスコードは絶対生きてる。ルイさんも、あの子供も絶対、絶対生きてる。
死ぬはずがない。こんなところで死ぬはずがないんだ。
だって、僕は……まだヴァスコードにちゃんとお礼も……言ってないんだ。
※
黒い煙を上げながら、クジラは瓦礫の一部と化していた。
近くで見ると本当に大きい。僕はクジラの口らしき部分へと手をかけ、なんとかこじ開けようとする。でもビクともしない。
「ヴァスコード……ヴァスコード!」
力を籠める。これでもかというくらいに。すると鈍い金属音をたてながら、ゆっくりと口らしき部分が開いた。僕だってやればできる。このくらい、僕だって開けれるんだ。
「ヴァスコード! ルイさん!」
空いた隙間から呼びかける僕。
二人は生きているのだろうか。
「生きてるなら返事して……! ヴァスコード、ヴァスコード!」
というかもうダメだ。
腕がもたない。もう力が……維持できない。
と、その時口中から手が。
この手は……ヴァスコードだ。
「ヴァスコード! 無事?!」
「……なんとか。ルイ達も無事です。サラ、同時に上げますよ」
ヴァスコードと息を合わせ口をこじ開ける。
思わず耳を塞ぎたくなるような、金属のこすれる音。
どこかその音が、クジラの悲鳴に聞こえてしまうのは僕だけだろうか。
人一人分が通れるくらいの隙間をあけ、中から子供、ルイさん、そして最後にヴァスコードが出てくる。そして出てきた三人が三人共、クジラを見て驚愕の眼差しを。
「……サラ、一体どんな方法で……咄嗟に戦車でも見つけたのですか?」
ヴァスコードはクジラの胴体に撃ち込まれた弾丸の跡を、まじまじと眺めながら言った。
勿論僕は戦車なんて見つけてない。見つけたのは……あの馬人間だ。
「いや、なんか馬の体に人間の胴体付いてるロボットが居て……そいつが……」
「……! そのAIは今どこに?!」
「え? いや、わかんない……」
なんかヴァスコードが凄い慌ててる。
瓦礫の山へと昇り、辺りを見渡しながら何かを探している。
「もう、行ってしまいましたか……」
「ヴァスコード、アイツの事知ってるの?」
ヴァスコードは何処か寂しそうな顔をしながら、静かに僕へとこう言った。
「……古い、知り合いです」
※
その日の夜は、避難区の人間達で集って焚火をした。
クジラに殺された人を弔うためだ。弔うと言っても、その二人の遺体の一部しか見つからなかったが。
この避難区には軍人は少人数しか配属されていなかった。理由は元々人がそんなに居ないのと、そこまで危険な区域ではないからだそうだ。でもまさか巨大なクジラが襲ってくるなんて、誰も予想できなかっただろう。
焚火の前には、その軍人が使用していたであろう私物が供えられた。本当にこの私物がその軍人の物だったのかは知らないが、何か無いと避難区の人間達は悲しめないと、ヴァスコードが用意したものだ。
何故悲しませる必要があるのか。僕には良くわからない。
「サラ、例のAIの話ですが……他に何か気づいた事はありませんか?」
焚火の周りに集いながら、ヴァスコードは僕にそんな事を訪ねてくる。
揺れる火の灯りが、どこかヴァスコードの横顔を悲し気に演出していた。
今日は悲しい話ばかりだ。
「えっと……そういえばなんか聞いたような……メヒラとか何とか……」
「……そう、ですか。メヒラ……」
ヴァスコードはクジラへと視線を移した。
どうしたんだろうか。
「あぁ、そういえば……その時無線機からも声が聞こえたんだ。オカアサン……とかなんとか」
「……成程。やはり、見つけ出さねばならないようですね」
「ん? 何を?」
ヴァスコードは無言で立ち上がると、そのまま焚火の輪から外れてクジラの元に。
僕も思わずヴァスコードの傍へ。
「メヒラ……辛かったでしょう、でももう悪い夢は終わりました」
「ヴァスコード?」
そのままヴァスコードはクジラへとオデコをくっつけ、座り込んでしまった。
「どうしたの? ヴァスコード……」
「……すみません……しばらく一人に……してください」
その夜、ヴァスコードはずっとクジラに寄り添っていた。
僕は少し、クジラにやきもちを焼いてしまった。
瓦礫の中で寄り添う二人が、何故か仲のいい姉弟のように思えて……。
『オカアサン、ボクが……コロスカラ、アンシン、シテ……』