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そらいろ整骨院

作者: 櫻庭ちえ

 デスクワークばかりだと頭が痛くなるほど肩がこる。

 向かっていたパソコンから、ふと視線をはずして、首をゆっくりまわしてみる。右にゆっくり曲げてみると、こきっ、こきゅと首筋が音を立てるのが、はっきりと聞こえた。

 視力も悪くて、普段からコンタクトレンズをつけている。ドライアイだとかそういう眼精疲労も肩こりの原因の一つだと言われている。小学生のころからメガネをかけていて、気がつけばもう十年近くコンタクトレンズをつけて生活している。

 朝は八時に出社して、今時計の針は二十一時をさしている。八時間が標準労働時間なので四時間も残業している。

 ああ、今日もよく働いた。そろそろ帰らなくちゃ。

 最近本当に肩こりがひどい。

 たまに頭も痛くなるほどだ。

 こういうのを偏頭痛というらしいけれど、痛み止めとか飲むのはごめんだ。

 今日は季節のわりにちょっと寒いこともあって、なんとなく耳の後ろが痛む。ああ、これから四十分も電車に乗るのに憂鬱だ。


 電車に乗るとさらに偏頭痛が襲ってきた。ちょっとここのところ、睡眠不足も続いているし、季節の変わり目だということもあって、神経痛なのかもしれない。

 でもちょっと首と肩の周りが重たい気がする。

 うーん、これは困った。

 今週末は整体に行こうと思っていたのだけれど、今すぐにでも行きたい気分だ。

 頭痛と戦っていると、やがてそれは睡魔に変わり、私はうとうととしてしまっていた。

 あ、しまった。

 多分私が降りる駅は一つ前の駅だったはず。

 この時間、下り電車はたくさんあるけど、上り電車は少なかったんだっけ。もう、今日は本当についてない。

 あわてて電車を降りて時刻表を確認すると、次の電車まで二十分もあることが判明した。

 あー。なんてこった。

 頭も痛いし、今日はタクシーに乗ろうと心を決めて、乗り過ごした駅で降りることにする。

 タクシー乗り場の方へ向かおうとすると、ふと、一軒の看板が目に入った。青い看板に白色のかわいらしい丸文字で、“そらいろ整骨院 二十四時間営業”と書いてあった。

 無意識に私はそこへ入ることを決めていた。

 こんな近い場所に、二十四時間営業の整骨院があったとは、正直びっくりだ。

 その看板に吸い込まれるように私はそらいろ整骨院の扉を開けた。

「こんばんは、夜分遅くにすいません」

 ドアを開けるとすぐに中から、一人の若い女性が出てきた。

「いらっしゃいませ。随分お疲れのようですね」

 その女性の言葉に、思わず入り口を入ってすぐ目の前にある、姿見の鏡に映った自分を改めて眺めてみる。確かに、私の顔、すっかりおばさんになっているみたい。ちょっと目の下にクマがあるのは仕方ないとしても、なんか顔に元気がないなぁ。

「肩こりでお悩みなんですね?」

 自分の姿をまじまじとながめていると、その女性に声をかけられた。そうです、とうなずいて整体治療のお願いをする。ここは保険はきかないそうだ。保険がきくかどうかは正直言うとどうでもよかった。とにかく、この頭痛から開放されたいのが私の今日の願いだ。

「ちょっと頭痛もするんです。さっき、そうです、ちょうど三時間くらい前からかなぁ」

 診療室に通される間、自分の症状についてその女性に説明をする。女性は熱心にカルテに症状を書き込んでいた。

「それでは診療室へどうぞ」

 女性はハタさんという名前だった。ハタさんは簡単に名前を含めて自己紹介をしながら、私を診察室のベットに寝かせた。ハタさんは若そうに見えるけれど、整体の腕には自信がありますよと自分で言っていた。

 すぐに整体治療が始まった。整体にはさまざまな種類があるけれど、ハタさんの治療は痛みをあまり伴わない治療だった。気がつくと、私は睡魔との闘いにあけくれなければならないほどだった。遠くでハタさんが「痛くないですか?」と声をかけてくれているのがかすかに聞こえた。

 私は現実と夢のはざまにいた。うとうとと、今にも遠くに飛んでいきそうな自分の意識と戦っていた。

 確かにそらいろ整体院のベッドの上にいるのに、なぜか体は空を飛んでいるような気持ちだった。整体治療の効果か、体が軽くなっていくのがよくわかる。でも、私の意識は自分の意志と無関係に、遠い世界に私を連れて行こうとする。

 この前整体に行ったのは半年ほど前のことだ。最近は忙しくてエステにさえ行けていない。他人に自分の体を触られるのは、もしかしたら半年振りかもしれない。

 ふっとそう思った瞬間、私は自分の体が確かに宙に浮かんでいることに気がついた。私は整骨院のベットに寝ていたはず。でも、今私は確かにそらに浮かんで、空っぽのベットとハタさんを眺めているのだ。

「大丈夫です。そのまま腕を真後ろにまわして、大きく反ってみてください」

 空っぽのベッドの横で、ハタさんが上空の私に話しかけた。言われるがまま、腕を背中の方にまわし、大きく反ってみる。さっきまで地面と並行だった体が急に直立姿勢に変化した。景色が少し変わった。さっきまでベッドを真下に見ていたが、今は斜め前にある。

「次は大きくその場で伸びをしてください。できる限り、高く、遠くに伸びてください」

 ハタさんの言葉にあわせて、腕を動かすと、その度に自分の姿勢がかわるのが分かる。ベッドとハタさんが、目の前でくるくるとまわる。真下に見えたり、斜め前に見えたり、後ろに見えたりする。

 ハタさんの声はとても落着いた、優しい声だった。やさしい声で、腕を動かしてとか背中をそらしてとか、呼吸を落ち着かせてと語りかけてくる。次第にハタさんの言葉と自分の体の動きがシンクロしてくるのが分かる。ハタさんの指示と自分の体の動きがまったく同じタイミングに重なっていく。

 まるで宇宙遊泳を楽しんでいるように、体がふわふわと宙を舞う。

「では最後に、目を閉じて、大きく深呼吸してください」

 ハタさんの言葉とほぼ同時に、私は目を閉じて深呼吸をはじめていた。何がそうさせているのか全く分からなかったが、彼女が次に何を言うのかが、空気を通して伝わってくるのだった。目を閉じていると、不思議な感覚に襲われる。空気と私が一つになっているかのような気分を味わうことができた。それはとても気持ちのいい時間だった。


 どのくらい時間がたっただろうか、急にハタさんの明るい声が耳に入って、私は我にかえった。

「おつかれさまでした」

 ハタさんが私の肩をとんとん、と叩く。

 私はベッドの上に確かにうつぶせになっていた。

「どうですか?肩は軽くなりましたか?」

 そういわれると、自分の頭がびっくりするくらい軽くなっていることに気がつく。さっきまで襲っていた偏頭痛は大空高くに消えていったようだ。肩も軽い。ためしに首を右にまわしてみるが、関節が音を立てることはなく、スムーズに動いた。

「ずいぶん軽くなりました」

 それはよかった、とハタさんは笑顔で言った。

「最近、本当に肩こりで悩まされている人が多いんです。でもそれは、人間としての能力を使っていないから起こることなんですよ」

 ハタさんは私にそう説明をした。人間としての能力を使っていないとはどういう意味なのかがさっぱり分からなかった。ちょっと意味が分からないんですけれど、と言おうとするとハタさんが説明を付け加えた。

「昔人間は空を飛べたんです。翼があったのです。二足歩行をはじめてから、翼を使わなくなってしまったんです。使わなくなってしまったので、翼は小さくなりました。その名残が肩甲骨なんです。肩甲骨を使ってあげることで、肩こりは飛躍的に治りやすくなります。また肩こりがひどくなったら、いらしてくださいね」


<完>


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