知らないひと
夏のホラー2019 参加作品
聡子は6ヶ月の語学留学に来ていて、こちらで知り合った美和と、美和の知り合いという人の車で郊外の巨大迷路なるものに行くことになった。ここは娯楽に乏しい田舎町で友人も少ない。美和は大学に通う留学生でこちらに来て2年になるという。美和とは大学の構内で、日本人同士ということで知り合った。彼女には少し無神経なところがあって、日本にいたなら多分友達になるようなタイプではなかったが、母国語で話せる気安さで、時々こうやって一緒に遊びに行く。
迷路に遊びに行こうと誘ってきたのは美和だ。知り合いのカズさんという人が車で連れて行ってくれるという。東京とは違って公共交通機関が発達していないここいらでは、車が必要不可欠だ。聡子はバスで行けるような観光地にはほとんど行ってしまって、大学とステイ先の往復をする毎日に、だんだん飽きてきていた。
よく知らない人の車に乗せてもらうのはどうかと思ったが、同じ日本人ということで警戒感はなかった。
大学前で昼過ぎに待ち合わせていたが、美和はまだ来ていなかった。少し離れたところに埃で汚れた黒いミニバンが停まっていた。中にアジア系の男が座っていて、こちらの様子をチラチラと伺っている。聡子はなんとなくあれが「カズさん」でなければいいなと思った。
「ごめーん。待った?」
美和が10分ほど遅れてやって来た。
美和の姿を見た黒いミニバンのアジア人が車から降りてこちらにやって来た。色白で眼鏡をかけた三白眼の男だ。
「こちら、聡子です。聡子、カズさんよ」
「はじめまして」
「堺一範です」
カズノリと名乗った男は、どことなく無国籍な男だった。
簡単に紹介しあって車に案内された。美和はさっさと自分から後部座席に乗り込んでしまったので、聡子は仕方なく助手席に座った。どうやら美和もこの男のことをあまりよくは知らないらしい。車でどこかに連れて行ってくれるというので利用したのかもしれない。
聡子は出発する前からもう帰りたくなっていた。
巨大迷路は街から車で1時間ほどのところにあった。車の中では会話はあまり弾まなかった。後部座席の美和は話をする気も失せているようで、イヤホンを耳に突っ込んでいる。あたりは牧草地とトウモロコシ畑ばかりで、たまに民家が建っているという寂しい場所だ。迷路はトウモロコシ畑を刈り込んで作ったものらしい。
来る途中、古い石造りの立派な建物が道路沿いに建っているのが見えた。民家など殆どないこんな田舎道に、唐突に現れた大きな施設が周りの景色にそぐわない。聡子は誰にいうともなく呟いた。
「学校かしら」
遠目からでも、人影がなく使われている様子が全くないのがわかった。ガラス窓が所々割れている。
「なんだか雰囲気ある〜。ホーンテッドマンションみたい」
音楽を聴いていると思っていた美和が身を乗り出して話に入ってきた。
「建物は立派だし、案外何か歴史的な建造物かもしれないわね」
運転席の男はチラリと建物に目をやっただけで何も喋らない。
トウモロコシ畑の迷路は悪くはなかったが、こういうアトラクションは気の合う仲間と大勢で来て、ワイワイ言いながら楽しむものだろう。美和と一範という得体の知れない男と歩いてもそう盛り上がるものでもない。1時間ほどでゴールしてしまうと、後は他に何もすることがなかった。
「ねえ、さっきの廃屋に行ってみない?せっかくここまで来たのにこれで帰るなんて勿体無いわ」
美和がふと思いついたように言い出した。
「勝手に入ったら叱られるわよ」
聡子は反対した。なんだか薄気味悪い雰囲気を感じていたからだ。
「じゃあ、玄関のとこで写真だけでも撮りたいわ。インスタ映え間違いなしよ。ねっ」
結局聡子が押し切られた形でその廃屋に行くことになった。
聡子は、ただ同じ日本人というだけの共通点で、よく知らない人とこんなところに来なければ良かったと後悔した。自分だけ先に帰るといってもバスも通っていないような郊外では帰る手段もない。気が進まないままついて行くしかなかった。
時刻は夕方というにはまだ早い時間だったが、どんよりと曇った空がいつもより低く、暗く感じる。
建物の玄関は古い石造りだった。建物の前の駐車スペースに車を停めて外に出た。所々コンクリートが割れて雑草があちこちから生えている。
両開きの重そうな扉は取っ手のところにチェーンが巻かれて、来るものを拒むように堅く閉ざされていた。建物は後になって建て増しを重ねたようで、 年代の違う増築部が後方に続いていた。
美和はスマホで色々なアングルから写真を撮った。
さっきからずっと黙っていた一範が口を開いた。
「ここは病院だったんだ」
「病院だった?」
「1980年代に閉鎖された精神病院だ。刑務所にしようという計画が立ったらしいんだが、地元の反対にあって頓挫したそうだよ。こんな田舎じゃ他に使い道もなくて、そのままになっている」
病院と言われれば、そんな感じもする。療養を目的とした長期滞在型の施設だったのだろう。
「昔の精神病院なんてものには人権なんかなかったも同然だ。病院の職員による虐待が問題になって閉鎖された。それまでは家族に厄介者扱いされた患者達が溢れかえっていたという」
世間から隔離されるように建っているその病院と患者達の過去の歴史を考えると、聡子は背筋に冷たいものを感じた。
「来て。こっちから入れるみたい」
建物の裏の方に回っていた美和に呼ばれた。誰かが窓を割って入って内鍵を開けたようだ。
「玄関で写真だけ撮るんじゃなかったの?」
美和は聡子の声が聞こえなかったかのように、それには答えないで裏口から中に入っていった。一範がそれに続いた。
聡子はどうしても入る気になれなくてしばらく外で待っていたが、2人は帰って来ない。
あの二人が帰って来なければ、自分は家に帰ることができないのだ。
聡子は恐る恐る中に入ってみた。建物の中には日が差し込まないようで、薄暗い。裏口を入ってすぐの部屋はがらんとしていて家具などは何もなかった。
壊れた窓から雨が吹き込んだのか、床に水溜りができている。随分長い間乾くこともなく濡れていたのか、床材はブヨブヨとしていて腐っているらしく、ところどころ黒ずんでいる。
壁にはスプレーのペンキで何か落書きがされていた。
「美和?」
呼んでみたが自分の声が反響するだけで、辺りに人の気配はなかった。廊下を奥の方に進んでみる。建て増しされた建物の中は複雑な作りになっている。廊下には右や左に曲がる通路があって、別の棟に続いているらしかった。
「もう帰ろう。遅くなるよ」
聞こえていないだろうと思いながらも、聡子は声をだした。その時……
ギャーッ‼︎
静寂を切り裂くような女性の高い声の悲鳴が背後から聞こえた。
「美和⁉︎ 」
声の聞こえた方に行ってみたが誰もいない。2階へと続く階段と踊り場がある。この上から聞こえたのだろうか。音が反響するので実際にはまったく見当違いの場所から聞こえたのかもしれない。階段を登りかけたものの、怖くなって、自分に言い訳するように後ずさりした。
とすん、と何かにぶつかる。「ひっ!」と振り返るとそこには一範が、音を立てずにいつのまにか立っていた。
「い、今、女の人の悲鳴が……。美和じゃないかしら」
「……そうかもしれないね」
そう言ったきり動かない。
「患者がどんな気持ちでここで過ごしていたのか、俺には分かるね。家族は世間体が大事なのさ。遠くの国に送ってしまって目の前からいなくなれば、最初からなかったものと都合よく錯覚できるんだ。問題はまだそこにあるというのに」
この人は一体何の話をしているんだろう。一範の眼鏡の奥の目が笑った。
帰り道はもうとっぷり日が暮れて暗くなっていた。街灯がない田舎道には対向車もない。ラジオからは昔流行った曲が低く流れている。電波が悪いのか、ところどころ雑音が入って途切れるが、一範は、それを補うようにその曲を口笛で吹いた。
3人と1人では随分ハンドルの重みが違うものだ。
ラジオの曲はサビの部分に入ってリフレインしている。ここのところの歌詞は知っているな。1人っきりの車内で、一範は英語の歌詞を繰り返し唄った。
お題を使った小説というのに挑戦してみました。