承の巻
茶屋を後にした有脩だったが、すぐにそれを後悔した。京の街にとって裏とは非常に遠くだと言う事を、尾張での暮らしで失念していたのだった。お向かいさんやお隣さんはいつの時代でも近しい存在である。だが、京の都では家の裏などと言われる場所は尋ねる者にとって非常に遠く面倒くさい場所となる。
その理由は、町屋と呼ばれる京独自の建築方式にあった。つまりは、京の町屋は非常に長細い造りになっているのである。たとえば造り酒屋などを例にとれば、店先から少し中に入った所に住居があり、そこを過ぎると中庭であったり竈であったりがある場所、その奥に酒蔵、などと言った風なのだ。
簡単に店の裏に住む人の家に行くと言っても、グルリと周囲を回って行くしかない。有脩はため息を吐きつつとぼとぼと件のご隠居宅を目指すしかなかった。何度となくため息を吐いた有脩に隣から声がかかる。
「お狐様、ため息を吐くと婚期が逃げますよ」
声をかけたのは何故か付いて来た多恵である。
「多恵よ、ため息で逃げるのは婚期では無く幸せじゃぞ。一体そんな皮肉誰に聞いたのじゃ?」
無礼な者もいた物だと有脩は多恵に問いかける。本人の勘違いからだとしたら、一度本格的に説教してやらねばと思いつつ。しかし多恵の口から出た言葉は、有脩を納得させる人物の名前だった。
「えーと、源内さんから聞きました」
「全く、あの腹黒白狐は…………」
自身の同僚が主犯だと聞かされ、その人物を思い浮かべ有脩は再びため息を吐くのだった。
そんなこんな多恵と二人で話している内に、やっとの事で店の裏、ご隠居の家へとたどり着いた。戸口をトントンと叩くと、中からいかにも好々爺と言う老人が顔を出した。有脩は横に付く多恵に視線を向けると、多恵は小さく頷いた。どうやら目の前の老人が件のご隠居で間違いない様だ。老人は突然現れた若い娘二人に視線を向けながら、少し緊張気味に口を開く。
「なんじゃ多恵ちゃんでは無いか。爺に何か用かの」
見知った顔を見つけて、老人はどこかほっとしたようだった。この様子を見つめていた有脩は、多恵に視線を向け自分の紹介を促す。
「お爺ちゃんこの人はね……」
多恵がそこまで言った所で、唐突に老人が口を開いた。
「もしかしてお嬢さんは幻灯館のお人かな?」
「うむ、そうじゃが……ご隠居、何故に解ったのかや?」
有脩のこの言葉に老人は笑みを浮かべ
「京の都中探しても、そんな着物を着ておる者達は、幻灯館の関係者しか居らんて」
そう言って声を上げて笑う。有脩は自分の着物、セーラー服を見つめつつ「可愛いのにのう」と呟き、多恵はそんな有脩を見つめつつ「そうですねぇ」と相槌を打つ。そんな雑談で気もほぐれたのか、老人は目の前の少女二人に語りかける。
「して嬢ちゃん達、この年寄りに何用かな?」
「お忙しい所、失礼いたします。妾は有脩と申す者。ご老人には、先日出会ったと言う占い師についてお聞きしようと思うてな」
そう言うと老人は一瞬キョトンとした表情を浮かべるが、すぐに柔らかい表情に変わり二人を屋内へと招き入れてくれる。二人は座敷に通され、白湯を出された所で老人はさてと話を再開した。
「さて、お嬢さん方はわしが懇意にしておる占い師の先生の話を聞きたいんじゃな?」
この問いに有脩は「ええ」と短く答えるに留める。
だが有脩は、老人の言葉に違和感を覚えながら一人の人物を思い浮かべていた。それは、自身が世話になっている店の店主。彼ならば、今の老人の言葉にどれだけの突っ込みを入れるのだろうかと。
懇意、占い師、先生、これらの言葉を一つずつ聞けば何て事の無い言葉だが、これを一つの文章にまとめると胡散臭さが爆誕するのだから面白い。そんな有脩の頭の中の事なんて知った事かとでも言う様に老人は話しだした。自分と占い師の出会いから事細かに。それはそれは流暢に、質問の余地など無いほどに。
老人の話を説明するならこうだった、まずは疑う自分に遊びと称し絵札当てをして見せた。占い師は見事数枚の絵札の中から老人が思い描いた絵札を消したのだ。その後、自分の妻が既に鬼籍に入っている事を言い当てた。その死亡年月、日にちまでも。最後は今現在老人の悩み、息子との確執を言い当てたそうだ。そして、その時占い師は一切の金品を受け取らなかった。以上が老人と占い師の慣れ染めだった。
老人の語りが終わったこのタイミングで、有脩は知っている情報の確認を行うことにした。しれっと、すっとボケる様に。
「して老人、その者はどんな道具を使って占ったのかや?」
付きつけられた質問に老人は「ほっほ」と短く笑うと、その事柄について解説を再開する。
「何を言って。あの先生はな、何も道具は使わん。手をかざすのじゃよ、こうやって」
そう言って老人は有脩の顔面を包みこむかの様に掌をかざす。
「それだけかや?」
目をやや細め有脩は返す。
「いや、此処に違いがありますわ」
そう言って老人は自分の右掌を左の人差し指で差し示す。有脩は短く「ほう」とだけ相槌を打つと先へと促した。
「ここに印がありましてな」
「印、とな?」
「左様。掌に目玉の様な印がありましてな、それが心眼の道へと開くそうじゃ」
「ほう。それが………………手の目」
「そう言っておりましたのぅ。そこに怪異を封じておると」
有脩は再度「ほう」と相槌を打つが、その声は鐘の音によってかき消された。
「ふむ。もう昼じゃのう。多恵よ、そろそろお暇するとしようかの。ご隠居、世話をかけな」
聞きたい事は全て聞いたとばかりに有脩は腰を上げ、多恵を伴って帰路へと付いた。
「どうでした?」
帰路の途中で多恵が問いかけてきた。有脩は右手で頬杖を突く様なポーズを取りながら
「そうじゃのう。謎の解決は出来てはおらぬが、胡散臭さだけは確信できたかのう」
「胡散臭さ! どれくらいのですか?」
「ふふ、我らが主様の十分の一くらいかの」
「幻灯館の旦那様の! それは凄まじく胡散臭いですね!」
有脩の答えに多恵は大げさに驚きを現し、そして
「「はっはっはっ」」
どちらとも無く笑いがこぼれた。
「まあ戯言はともかく何と言うか、腑に落ちんのじゃよ」
「はあ。」
「ご隠居に助言を与え、金子は受け取っておらぬと言う」
有脩の言葉に多恵はコクリと一度頷き
「そうですね。慈善事業、ですかね?」
「じゃったら、占い師はどうやって飯を食っておる。」
「そうですね~」
有脩は此処で言葉を止め、しばらく歩いた後、決意したかの様に再び口を開く。
「やはり話した方が良いかもな」
「話す? 誰にですか?」
多恵の問いに有脩は妖艶な狐の笑みを漏らすと
「もちろん悪だくみの総大将にじゃよ」