074.琥珀の雫
「マサト、大丈夫よ」
荷台から後方の様子を覗っていたサンディが、
自分達に向けられた監視の目が無い事を確認して警戒度を緩める。
「そうか。無事に出れたって事は、
ハルナとダーハの事が見られていなかったって事で良いだろう」
そしてマサトも、サンディの報告を聞いて、警戒度を一段階落として、
馬車の速度を少し緩めた。
マサト達は、採掘場で大きく動きすぎてしまっていた。
オアイーターの出現により、周囲の冒険者達が動き出した時に、
マサト達も後方支援の位置で待機していた。
それはマサト達が、オアイーターの討伐に対して
依頼を受けていた訳ではなかった為、先鋒を彼らに任せたからであったのだが、
その先鋒が溶解液の雨により全滅してしまった事で、
予定が大幅に狂ってしまったからであった。
◇◇◇◇◇
「うっそだろぉ……」
それは、目の前の光景を疑ってしまったマサトの心の底からの嘆息であった。
それ程アッサリと、先鋒で突撃した冒険者達が無力化されたからである。
幸いにしてマサト達は、先の戦いでオアイーターに対する
対抗手段を持っていた為、ハルナの『流水』による防御で難を逃れていた。
しかし今回は、以前と違い多くの人の目がある戦闘区域である為、
ガブリエルの助力を借りる訳にはいかない。
ゆえに、その代替戦力として期待していた冒険者達であったのだが、
その目論見が、あまりにもアッサリと覆された為、
戦力消失のショックが大きかったのだ。
「まーくん、ひとまずボクは、あの人達の救助に時間をもらうよ」
「分かった、任せる。オレ達は邪魔にならないように、一旦後退する」
マサト達は、今は誰もいなくなった無人の工房に引き下がる。
ハルナは、それを確認すると、宝杖・落狼の杖を地面に突き立て、
溶解雨の盾としていた水球を手元に引き寄せる。
ハルナは共有の腕輪から、魔石と琥珀色をした液体が入った小瓶、
そして白い粉末が入った袋を取り出すと、
ハルナ独特の宝杖を中心にして行う魔石加工、魔法創造を開始する。
ハルナは、魔石の力を開放し、手元の宝杖に自分のイメージを浸透させ、
求める魔法を手繰り寄せる。
宝杖は、光の収束がもたらした想いを受け止め、
最適化と追加が成された魔法と共に、その在り方を変える。
ハルナは、二度目の新生を経た宝杖を手に取り、新たな魔法を行使する。
『含水粘液』
ハルナは、新生した宝杖を天に向けて、魔法を放出する。
それは遥か上空に打ち上げられて、弾けて拡散する。
そしてそれは、降り注ぐ雨と混じり、雲間から差し込む陽光を受けて、
美しい琥珀色の輝きと共に光臨した。
無数に弾けて散布された琥珀色の雫は、
地に伏した者達を覆う溶解液との接触をもって侵食を始める。
琥珀色の雫は、溶解液を養分とするかのように混じり合って増殖する。
そして、溶解液で損傷している冒険者達を抱擁した。
彼らは、這いずりながら、その活動範囲を拡張する。
そして触れる者達を、自身を琥珀色に形成している体組織でマーキングした。
その在り方は、まさに捕食者であったが、琥珀色の雫の体質は真逆であった。
なぜなら、魔法創造の際に使用して、色素の基となっている琥珀色の液体とは、
ヤケドの炎症を抑える効果を持つイミュランオイルであったからである。
ハルナが創造した魔法、『含水粘液』とは、
製錬都市で目撃したスライムを参考にした擬似スライム、
アンバージェルを生み出す魔法であった。
そのアンバージェルに持たせた能力とは、溶解液からは溶解耐性能力。
イミュランオイルからは、自然治癒能力の向上である。
そして残された白い粉末は、粘液体の形成に使われていた。
ハルナは、先のバッファローとの遭遇戦の後に、
エアバックがあれば良かったのに、と思った際に、
その代替品として擬似スライムの生成を思いつく。
その為、当初はクッションの代用が出来れば良い、
と言う感じにしか思っていなかったのだが、
今回の件を目の当たりにして、急遽、治療ユニットとしての能力を付加して、
魔法創造のプランを再構築してした。
それが結果として、ハルナの宝玉の成長を促進させ、宝杖の新生を促した。
新生した【宝杖・琥珀雫の杖】の下で、
アンバージェルが、要救助者を自身の庇護下に集めて肥大化し、
慈愛に満ちた抱擁をもって負傷を癒していく。
しかし、それが面白くない者の妨害が入る。
肥大化したアンバージェルにオアイーターが襲い掛かった。
「ダーハちゃん、ミミズの方をお願い!」
アンバージェルへの維持と支援に手を取られているハルナが、
オアイーターへの対処をダーハに求める。
そのダーハは、すでにオアイーターに対して特攻が実証されている
魔法の準備に入っていたのだが、その顔には焦りの色が浮かんでいた。
「あのあの、熾輝夏砂の準備はしているのです。
でも雨の影響で思うようにいかないのです」
ダーハが最近になって完成させた熾輝夏砂と言う魔法は、
砂塵操作魔法である砂維陣に加熱処理を加えた魔法である。
その為、地表が雨で濡れてしまった現状では、
使える砂塵が周囲に極端に少なくなっている事と、
必要となる熱量が確保出来ない事で、
前回以上の魔力消費を要求されていた。
「ハルナ、なんとか持ちこたえられないか?」
マサトは、オアイーターに絡み付いているアンバージェルと、
魔法の形成に苦戦しているダーハの様子を見ながらハルナに訊ねる。
「まーくん、ジェルちゃんは戦闘用じゃないんだよぉ。
一応、活動治療能力があるから
戦闘しながらでも治療の継続は出来るけど、
ジェルちゃんの維持でボクの方が先に参っちゃうよぉ」
「ハルナ、それなら戦場を、ここから少しでも離して下さい。
そうすれば何かあった時に、
施設内に避難している人達への被害を抑えられます」
「サンちゃん、りょーかい」
ハルナは、サントスの指示を受けて、
アンバージェルの体重移動を利用して、オアイーターを崖際まで押し返す。
ハルナが時間稼ぎをしている間に、ダーハが必死に魔法の形成を目指す。
それらに手を貸す事が出来ないマサトとサントスは、
二人に他の余計な要因が絡まないようにと、周囲警戒を強める。
「まーくん、やっぱり無理そう」
ハルナの弱音と共にアンバージェルが後退する。
オアイーターの溶解液の雨が、アンバージェルの体表を溶かす。
アンバージェルは溶解耐性を有していが、
その処理能力を超えた飽和攻撃が、ダメージの蓄積を進行させていた。
「ダーハの方は、まだ無理か?」
「ちょっと難しいのです……」
マサトとダーハが焦りを募らせていた時、サントスが叫ぶ。
「マサト、アレッ!」
サントスが指摘した先にある資材置場から火の手が上がる。
「な、何が起きているのです?」
「これは……」
「マサト、あのバカ達の仕業です!」
ダーハは、突然の出来事に警戒を強め、
マサトは、火の手が上がっている資材置場に注目し、
サントスが、飛び出して来た馬車を指差した。
「あの連中が資材置場に入り込んだと思ったら、
空いていた馬車に乗り込んで火を放ったんです!」
「好意的に受け取るなら、オアイーター達が戻って来たのを見て、
残された人達が避難している施設から注意を反らそうとしたって所か」
「マサト、どう見ても自分達が逃げる為の囮にする目的での放火です!」
「まぁ。そうだよなぁ。ハルナ、捕まえてくれ」
「もう、仕事を増やさないでよぉ。ジェルちゃん、お願い」
ハルナは、オアイーターの溶解液の雨を浴びて、
のた打ち回っている逃亡者達を、アンバージェルで保護する。
「だがアイツらは、良い仕事をしてくれた。
ハルナ、スライムにギルドを取り込ませて施設を守らせるんだ。
後はこっちでなんとかする」
「まーくん、りょーかい」
ハルナは、マサトの指示を受けて、
アンバージェルに施設を包み込ませて、拠点防衛の構えを取らせる。
「サントス確認だ。
オレ達以外は、ハルナに守らせている施設内に居るんだよな?」
「自分が周囲警戒をして確認出来た範囲ではそうです」
「了解だ。ダーハ、資材置場に、その熾輝夏砂を撃ち込め!」
「ちょ、ちょっとマサト、どう言うつもりです!」
「お、おにいちゃん、そんな事をしたら……」
マサトの乱暴な計画に、二人が動揺する。
「安心しろ。ここからなら施設内の者達に見られる事は無い。
更にハルナに閉じ込めさせたから、新たな目撃者が現れる事もない」
「おにいちゃん、熾輝夏砂の火力が不足しているとは言っても、
そんな事をしたら資材置場の物が全て燃えてしまうのです」
「そうです。絶対に問題になります」
「このままだと資材置場は、いずれ燃え尽きる。
そして、この場でオアイーターを倒さないと更に被害が出る。
気にすべき問題は、そこじゃない。
それに責任なら、火を放った逃亡者達に負ってもらう」
「でもでも……」
ダーハは、マサトの作戦に逡巡する。
「ダーハ、熾輝夏砂の火力が不足しているのは、
雨によって、周囲に熱を蓄積させるのに適した
乾燥している砂塵が不足している事が原因だ。
あの燃えた資材置場には、それがある。
それでも不足だと言うのであるなら、
あの場に出来上がる大量の炭と灰も取り込めば良い。
今は、それを使わせてもらうんだ」
ダーハはマサトに言われて、
今がこの環境で唯一にして最大の機会なのだと理解し、意を決する。
『熾輝夏砂』
ダーハは、未成熟な形成段階である魔法を放つ。
それは、資材置場に放たれた火を巻き込み、延焼を加速させ、
資材置場の資源を代償に、赤い砂嵐は周囲の熱と砂塵を取り込み、
竜巻を形成して肥大化する。
「ダーハ、やれるか?」
マサトは、予想以上に膨張した熾輝夏砂の制御に
苦戦しているダーハに声を掛ける。
「だ、大丈夫なのです」
「よし、ハルナ、オアイーターを離せ!」
「まーくん、りょーかい」
マサトは、苦しそうにしているダーハを見て、ハルナに指示を飛ばす。
ハルナの方も、アンバージェルの制御による疲労が限界に近かったらしく、
諸手を上げてオアイーターを開放して突き放す。
『熾輝夏砂』
オアイーターを赤砂の竜巻が包囲し、体表の水分を吸収、蒸発させて、
窒息からの燃焼と言う致死のコンボが決まり消失させる。
その凄まじい戦いを制した立役者であるハルナとダーハは、
疲労困憊となり地面に座り込む。
そして、いつの間にか止んでいた雨上がりの戦場を、
ガブリエルが率先して駆けて、地面に落ちている戦利品を回収して回っていた。