068.車輪
マサトは、ハルナから御者を引き継いだをダーハが、
たどたどしく手綱を握っている様子を暖かく見守る。
穏やかに流れる雲の下で、馬車を牽引する馬の歩調も穏やかであった。
その道中でダーハが、ハニーガイドバードの鳴き声を捕らえた事から、
蜂の巣からのハチミツ採取へとシフトする。
更に、近くに自生していた野草やキノコも採取して、
前日とはまた違った収穫を得た。
現状では、ベスのように獲物を多く発見は出来ないが、
それなりの糧を得られるのだと確認して、再び御者を交代する。
雲が出て来て、わずかに気温が下がり、風の流れが強くなるも、
マサト達の体温は上昇していた。
「はぁ、本当にオレが御者をするのが、一番戦力の低下を抑えられるよなぁ」
「そうね、あたしが隣に控えていなくても、
ちゃんと馬車を扱えるようになってよね」
集団で襲って来たブラックウルフを、
荷台からの逃げ撃ちで迎撃して、サンディが御者台に戻って来る。
サンディの射撃、ハルナの流水、ダーハの狐火と、
各種取り揃えられた馬車に、なぜ目を付けて襲って来たのだ?
と、哀れに思いながらも、臨時収入に感謝しながらガブリエルに回収させる。
「一応、馬車の上からでも狙える程度には揺れが緩和されているわね」
「アレでか? 御者台は、かなり激しく揺れていたぞ。
普通は当たらないんじゃないのか?」
「今までだと馬車に乗った状態なら、狙うんじゃなくて、
当たりそうな集団の中心に向かって撃っている感じになっていたわね。
それに比べれば、かなり楽になったわよ」
「つまり、ブラックウルフが襲って来たのは、
今までだと逃げる馬車からの攻撃が脅威じゃなかったから、
見かけたら良いカモ扱いで、襲うようになっていた。って感じか?」
「そうかもね。
普通は逃げ切るか、覚悟を決めて馬車を停止させて戦うかの二択になるわね」
「そう考えると、バインド無しだと命中精度が良くないハルナとダーハが、
よく魔法を当てられたな?」
「二人が使う魔法は、周囲を巻き込みやすいから、
単純に後方から馬車を目掛けて、真っ直ぐに突っ込んで来る集団だと
狙いが外れても他に当たるから、迎撃がしやすかった。
って言う所が大きかったんでしょうね」
「なるほど。
そうなると追い駆けられた時に、荷台に飛び込まれないようにする
盾になる物を用意しておいた方が良いな」
「そうね、大き目の板を用意しておいて、
普段は側面にでも立て掛けておけば良いんじゃないかしら」
マサトは、遭遇戦による追い駆けっこから、馬車を走らせた時の激しく挙動と、
その際の戦闘の困難さによる問題点が浮かび上がった事で、
いろいろと考えさせられる。
「よし、休憩終わり。サンちゃん交代、交代!」
「えっ、あたし?」
「オレと御者を交代するんじゃないのか?」
「まーくんは、そのまま練習を続けていて良いよぉ。
ボクは隣でお勉強だねぇ」
「まぁ、それもありね。じゃあ交代しましょう」
ハルナがサンディと場所を入替えて隣に座る。
マサトはハルナに、サンディと同様に荷台での揺れについて感想を聞いてみる。
すると、マサトと同じく、もう少しなんとかならないかと思っていたらしい。
「まーくん、普通に走らせている分には問題はないんだけど、
ブラックウルフから逃げていた時なんかは、とにかく揺れがヒドイものだったよ。
サンちゃんが言っているのは、あくまで昨日までの比較だから、
ボク達の感覚とは基準が違うよぉ」
「まぁ、そうだよな。
御者台と荷台は、同じ台座の上に設置されているんだから、
オレとサンディの感想が違うのなら、それは体感での感じ方の違いだよなぁ」
マサトとしても、せっかく購入した馬車なので快適に使いたいと思う。
しかしながら、自身が持つ知識の中には、構造が分かる物で作れそうな物が
思い浮かばなかった。
「そうなると、あとは車輪の径を大きくするか、
板バネを改良していく事になるかな」
「まーくん、タイヤがあったら良いのにねぇ」
「そうだな。タイヤがあれば、かなり違うだろうな……」
マサトは、ハルナがタイヤの話を振って来た事で、不意に疑問が頭をよぎる。
「サンディ、ちょっと良いか?」
そして、その答えを求めてサンディに訊ねる。
「マサト、何かあったの?」
「ちょっと聞きたいんだけど、ポッチャリお嬢様の馬車の車輪って、
この馬車のと違っていた気がするんだけど、それが何か分かるか?」
「え~と、あたし達のは、木製の車輪の外周に革を釘で打ち付けた物で、
お嬢様のは、木製の車輪の外周に鉄の輪を焼き嵌めた物よ」
「なんだか、お嬢様の車輪の方が頑丈そうだけど、揺れが大きくなりそうだね」
「まぁ、それはそれとして、その二つ以外の種類って何かあるか?」
「基本的に、その二種類ね。
加工前の何も付いていない木製の車輪もあるけど、
人が乗る馬車には、まず使わないわね」
「全て鉄製の車輪ってのはあるか?」
「以前に作られた事があったらしいけど、
重量とコストの問題とかで、使われてはいないわね」
「そうか、いろいろと知りたかった事が分かって助かった。ありがとう」
マサトは、率直に礼を言うと、
サンディは後方の警戒の為に荷台へと戻って行った。
「まーくん、今の質問って何か意味があったの?」
マサトの隣に座るハルナが、先程の質問の意図を訊ねて来る。
マサトとしては、少し確認をしたかった程度だったのだが、
ハルナが執拗に訊ねて来たので答える事になった。
「今すぐに何か出来る訳じゃないから、気にしなくて良かったんだけどなぁ」
「まーくんだけ分かっているのは、何かズルイんだよ」
「まぁ、そう言うなら答えるけど、単純にタイヤについて聞いてみただけだよ」
「タイヤ? でも、まーくんが聞いていたのって車輪の事だよね?」
「いいや、違うよ。車輪に付いている革や鉄の輪が、タイヤなんだよ」
「えっ、そうなの?」
「馬車を自転車にでも置き換えてイメージしてみれば分かりやすい。
車輪が、そのままホイールで、
車輪の外周を覆っている革や鉄の輪は、そのままタイヤになるだろう?」
「あっ、確かにそうだね」
「だから、自転車のような空気を入れるチューブタイヤは無くても、
全てゴムで出来たソリッドタイヤならあるかな。
って思ったんだけど、さすがにそれも無いようだ。
革や鉄の代わりに使えればと思ったんだけどな」
「そんな事を考えていたんだ」
「自転車のパンクを修理した事があるから、チューブタイヤの構造は、
なんとなくだが分かる。
だから場合によっては、これも材料になるゴムがあれば
魔石加工で作る事も可能かな。
って思ったんだけど、これも無理な事が分かったってのが現状だ」
「まーくん、タイヤの構造が分かっているのに魔石加工で作れないの?」
「無理だな。ゴム製品が発達していない。それはつまり、
馬車の重量を支えるだけの強度を持ったゴムが無いって事なんだよ」
「それでも、それなりの物なら作れるんじゃないの?」
「どうだろうな。多少の知識はあっても素材が揃うかどうか……
大体、ゴムに強度が求められたのは、自動車が発明されたからだと言っても良い。
ソリッドタイヤからチューブタイヤに発達して、それが自動車に採用されるまでに
半世紀は掛かっていたはずだ。
オレが以前に作った梅干や粘土もどきとは訳が違うからな」
「世の中に、知識チートって言う言葉が溢れた意味が良く分かったよ。
でも、まーくんも、いろいろと知ってるよね」
「オレの場合は、子供の頃にミニミニ四駆って言うオモチャで遊んだ影響だな。
まぁ、この話はこれでお終いだ」
「分かったよ。じゃあ、今度はボクが御者を代わるよ」
「そうか。任せた」
マサトは、ハルナに手綱を譲ると、腕を大きく頭上に伸ばして背伸びをする。
そしてハルナの隣で、自分とは微妙に違う手綱の扱いを眺めながら、
他愛の無い会話を繰り返した。