032.探索範囲
──遠征7日目の朝を迎えた──
最初に採取に向かった群生地に早朝から向かい、多弁草の生長具合を確認する。
何本か採取が出来る大きさまで成長していた物があったので、
二日前に回った場所を再度採取に回りって様子を見ながら集めていく。
ただ、採取場所へと向かう移動を重視するあまり、
途中で徘徊していたスカリーラーテルと遭遇戦をする事体となった。
幸いにして、すでに対処法が確立されていた為、難無く撃退する。
そして遭遇戦を経て、収納能力を有するアイテムの有効性を実感していた。
現状では、全ての荷物を共有の腕輪などに収納は出来ないが、
それでも重量を減らせる恩恵は大きく行動の制限が、かなり緩和されている
それにより戦闘に入る前に行っていた、荷物を置いて準備を整えると言う動作を
わずかではあるが簡略化され、貴重な猶予を生み出してくれていた。
それが今回の遭遇戦で有効に働き、マサトの刃路軌による
吹き飛ばし攻撃が間に合い、素早く間合いを離せた意味は、かなり大きかった。
マサト達のパーティは、全員が軽装である為、
スカリーラーテルの攻撃を受けて無事でいられる者は皆無である。
根本的にスカリーラーテルは、マサト達のパーティにとって格上であり、
まともに渡り合えるのはベスだけである。
しかしそれも敵の攻撃を全て回避する事が大前提であって、
攻撃を受ければ無事ではいられない。
スカリーラーテルを現状戦力で倒せているのは、
反則に近いハメ技があっての結果に過ぎなかった。
マサトは今回の遭遇戦から、現状でパーティのリスクマネジメントに
失敗している事に気づかされる。
リスクマネジメントの基本的な考え方とは、利益を求めるに当たって、
リスクの回避、低減、共有、保有をどうするか? を決める事である。
今回の場合なら、採取依頼の達成による報酬が利益である。
その利益を求めて活動をしていたが、
周囲警戒が弛緩したままの状態で、移動速度を上げていった結果が、
スカリーラーテルとの遭遇戦と言うリスクを生じさせてしまった。
その結果、失われる可能性があったのが、
パーティメンバーの損傷や生命と言う損失。
そして同時に。採取依頼の失敗がある。これがリスクに当たる。
ここでリスクをどう扱うかを考え、決めていくのがリスクマネジメントになる。
─リスクの回避─
リスクの発生を回避する手段を用意する事。
今回の場合なら、遭遇戦を回避する事を主とするなら、
周囲警戒を主軸にして移動速度を落とすなどが考えられる。
そして、これらの事をマニュアル化して、以降に同じ失敗をしないように
後に加入する事になった者達に伝えていく事が、これに当たる。
─リスクの低減─
リスクが発生する要因を抑える為の処置をする事。
移動速度を通常時より少し上げる程度にし、周囲警戒をしやすくする。
又は、ベス達の索敵能力に加えて魔法的な探知手段を別に用意して、
移動速度の上昇に伴って低下している周囲警戒の強化処置を行う。
─リスクの共有─
リスクを分割、転嫁する事。(別に責任転嫁をする事ではない)
襲撃された際に、被害が全員に及ばないようにしておく事。
パーティの陣形を襲撃された際を想定して、
中心に回復要員であるハルナを配置するなどの対抗処置を講じておく事。
─リスクの保持─
何も対策をしない事。
発生頻度の低いレアケースで、その損失が低いと思われる事象を受け入れる事。
「地球は今、狙われている」と玄関のドア越しに、のたまう不審者がいたら
無視して良いよ、むしろ無視しなさいと、お墨付きを貰えているような状態。
遭遇戦が発生する事を認めて、現状の移動ペースを維持するような事。
「さすがに周囲警戒が疎かになっていたか。一度休憩を挟もう」
マサトは朝から駆けずり回っていた事で、パーティ内に知らず知らずの内に
蓄積されていた疲労と集中力の低下の回復の為に休憩を取る。
今回は事前に用意しておいた野草茶とクッキーを
各自の収納アイテムから取り出して口にする。
「あと、これもどうぞなのです」
そう言ってダーハがハチミツで作ったアメ玉を渡してくれた。
ありがたく受け取って口に含むと、程よい塩加減がハチミツを更に美味しく
感じさせてくれる。
脳が身体の疲労からの素早い回復の為の栄養補給として求めてくる甘みへの
欲求と、駆け回って汗と共に失った塩分の補給が一度に成される塩ハチミツアメ。
冒険者にとっては理想の補助食品と言えるのかも知れない。
しかし、一見すると利に適っているようである塩ハチミツアメにも
落とし穴がある。
身体のメカニズムとして糖分が過剰摂取され、血糖値が上昇した場合、
必ず反作用として血糖値を抑えるべく、インスリンと言う物質が分泌される。
ここで血糖値が低下しすぎると、余計に疲労感を強く感じる事になる。
また、過剰摂取された糖分は、中性脂肪として体内に蓄積され肥満をもたらす。
そして糖分吸収の為に身体の他の栄養素が使用される事となり、
大雑把に言えば、老化が進む。
症状の表れとしては、肌や髪のトラブルや糖尿病などの現代病。
解決策としては、ちゃんとバランスの良い食事をして運動も取り入れる。
単純ではあるが、それが最も効果的な対処法である。
現代人にとっては、食事の前後に運動量を確保出来るかが問題となり、
マサト達にとっては、バランスの取れた食事が取れるかが問題となる。
何気ない日常の中にもリスクとは潜んでいるものなのである。
「ダーハちゃんの塩アメ美味しいねぇ」
ハルナもダーハから貰ったアメを口に含みながら一息つく。
「このパーティって本当ヒ贅沢ホね」
サンディは、多弁草の薬湯の渋味をアメで緩和しながら呆れ気味に言う。
「水と塩に関しては全く気にしなくて良いのにゃ」
ベスは左手首を右手て叩き、その反動を利用して、
左掌の上に乗せたアメ玉を口に放り込む。
水と言えばハルナの流水を指すが、塩とは何を指すのか。
それは皆に配られた塩ハチミツアメの材料である塩が、砂狐の希少種である
【塩狐】のダーハが生み出した塩、通称【ダーハの塩】であるからだ。
塩狐は【塩を生成して操る能力】を持つ。
その単純にして強力な能力は、何も無い空間に数トンの塩を出現させ、
その重量を以って、軍隊を相手に圧殺する事も出来れば、
国の塩相場を破壊する事も出来る。
また、土地に散布する事で、塩害で土地を食物の育たない
不毛の地に変える事すら可能であった。
物理、経済、食料と、イタズラでは済まされない多岐に渡る害を起こした
過去の塩狐により、一国を滅ぼす事が出来る害種として現在は認知されている。
しかしながら表に出ない真実として、塩狐はそれぞれの時代で、欲望に塗れた
軍人や商人に捕らえられて利用された歴史があり、ゆえにダーハが身を寄せていた
宿屋の女主人からは、十分に気をつけるようにと言い含められていた。
つまり塩狐のダーハは、ハーフエルフであるサンディ以上に、
その正体が知られれば狙われる保護対象であった。
「やはり周囲警戒が疎かになる移動速度は問題だよな」
マサトは改めて現状の対応を思案する。
それに対してベスも、今回の件に関して反省をしていた。
「私も全体の移動速度が上がったので、つい先行偵察の為に前に出すぎたにゃ。
移動速度を元に近い感じに戻すのであれば、採取範囲の見直しになるにゃ。
そうなるのなら、昨日の話の中にあった子狐の案で良いんじゃないのかにゃ?」
「遠征の期間を延長して多弁草の成長を待って回収するって事か」
「そフね。あたし達は本来なら必須となる水の確保が容易で、
塩不足になる事も無ヒわ。
肉や川魚はベスが取って来れるヒ、野草はダーハが詳しヒわ。
予想以上に、長期滞在が出来てしまうポテンシャルを持ってヒるのよね」
「朝から回っていた群生地も、前に来た時に大きなダンゴ虫を
退治しておいたから、それなりに成長していたよね」
「残して来た多弁草を見ていた感じだと、あと数日もあれば
十分に採取が出来る大きさに成長しそうだったのです」
「とは言え、またロックバグの被害が出て採取が出来ない日があるかも知れない。
収納アイテムが手に入って身軽になった事で、移動速度が上がったのは良いけど、
それに伴って個人の移動速度の差が出て、隊列が崩れやすくなった結果が、
周囲警戒が散漫になる。という予想外の弊害に繋がったって感じなんだよなぁ」
マサトの頭の中がグルグルと迷走する。
「いやいや、待て待て。オレは何か問題を間違えている」
マサトは自分の思考がズレている事に気づく。
現状の移動速度と周囲警戒の比率だけでは、採取依頼の達成と未達成は
決定されない。これらに現在の遠征計画の十日間の制限が掛かった場合に、
未達成の可能性が発生する。
それなのに現状は、なぜか二つの問題が混ざって問題視してしまって、
考えがまとまらなくなっていた。
そこでマサトは、改めて考えをまとめる。
A遠征計画の十日間で採取依頼の達成または未達成の判断を下す場合
│
├依頼の達成 採取範囲を広げた場合、達成の可能性有り(移動速度重視)
│
└依頼の未達成 パーティの安全性を重視した場合の可能性(周囲警戒重視)
B遠征計画を修正して採取依頼の達成を目指す場合
│
├メリット 採取範囲を絞れる。自由に融通出来る時間を作れる。
│
└デメリット 現地に拘束される。不意のトラブル発生の危惧。
マサト達が当初考えていたのは、プランAのみであったが、
パーティのサバイバルアビリティの充実と収納アイテムの入手が、
結果的にプランBの選択肢を生み出してしまっていた。
「こうして改めて考えてみると、採取依頼を受けているのって
俺達以外は居ない訳だし、確実に採取して戻った方が良いよな」
「そフね。マサトが危惧したロックバグの食ヒ散らかしを防ぎながら、
採取するホが結果的に依頼を早く終わらせられると思うハ」
「ダーハから見た感じだと、明日に採取可能な多弁草って多くは無いんだよな?」
「さっきまで回った場所は、そうなのです」
「どうするつもりにゃ?」
「大きな群生地に陣取ってロックバグの駆除をしようと思う。
ダーハは、サンディが記録していた地図を見て、
成育の良さそうな候補地を選んでくれるか」
「はいなのです」
「まーくん、陣取るって事は、村から拠点を移すの?」
「そうなるな。採取出来る直前でロックバグに食べられたりしたら、
それまでの苦労が水の泡になってしまうからな」
「なんか、つまんないにゃ」
「まぁ候補地次第だけど、明日からはローテーションで半日休息を作る。
ロックバグを寄せ付けないだけなら俺だけでも出来るから、
蓄積された疲労を取ってもらう。
今回良く働いてくれていたベスとダーハから先に休息を取ってくれ」
「ほほう。なら好きに狩りに出ても良いのかにゃ?」
「ほどほどにな」
「分かったにゃ」
じっとしていられない性分なのか、ただ落ち着きが無いだけなのか、
ベスは相変わらず狩りに出かけたい様子だった。
「マサト、候補を絞り込んだハよ」
サンディとダーハが地図を持って近づいてくる。
候補として挙げられた場所は、現在位置から見て、
廃村を挟んで反対側であったが、廃村に比較的に近く、
ロックイーターが多く居た地点であった。
「昨日の朝に寄った場所なのです。ロックイーターが多く居た場所なので、
ロックバグの被害が少なかったので、ここが良いと思うです」
「ああ、ここか。確か近くに山林もあったよな」
「探せば食用の野草などもあると思うのです」
「良いんじゃないかにゃ。野草が無くてもジャッカロープが居そうだし、
居なくても、私が作っておいた川魚取りの仕掛けが見に行ける距離にゃ。
下手に岩場寄りに陣取って、食料調達の目処が立たなくなるよりマシにゃ」
「それと、もうこっヒ方向に来る事も無ヒでしょうから、
少し遠回りヒて、野草以外も探ヒながら戻りましょう」
マサトはサンディが地図にチェックを入れていた群生地を回りながら、
パーティの移動速度や各メンバー間の距離といった
陣形のチェックと調整を行いながら駆ける。
途中、ハニーガイドバードの介入があり、再三のスカリーラーテルとの
戦闘を強いられるも、ダーハが落ち着いて対スカリーラーテルの仕込みを
実行してくれた為、危なげなく勝利する。
その際、前回のように陣形が崩される事も無く対処出来た事から、
周囲警戒が十分に効果を発揮している事も確認した。
「本当にわずかな差なんだな」
マサトは道中で、いろいろと試した調整で、
パーティの状態が復調したのを確認して周囲警戒にあたる。
ちなみに他のメンバーは、大喜びでハチミツの回収に勤しんでいた。
ハチミツの採取を経て、多弁草の採取に戻ろうとすると、
「マサト、ちょっホ待って。良い物を見つけたハ」
今度はサンディが、トゲが多く付いている低木の枝に生える
表面がツブツブした小さな黄色の果実を|摘《つ》みに向かった。
「あっ、野イチゴなのです」
そのサンディの後を追ってダーハも、黄色い野イチゴを摘みに駆け寄る。
「まーくん、コレ美味しいよ」
ハルナが早速摘んで来て食べている野イチゴを手渡して来る。
マサトも興味があったので試しにと口に含んでみた。
すると、口の中に確かにイチゴの仄かな酸味と強目の甘みが広がってきた。
「なかなか美味いな」
マサトも久しぶりに味わうイチゴの味に感嘆する。
「でもイチゴなのに黄色いんだな」
「まーくん、こっちに赤いのがあるよ」
ハルナが、黄イチゴが生えている先程の低木からではなく、
地面の茂みに生えている真ん丸い小粒な赤い野イチゴを見つけて摘んでいる。
マサトがハルナの様子を見ていると、何やらベスがニヤニヤしていた。
なんだろう……前にもあの顔を見た事がある気がする。
ハルナは摘んだ赤い野イチゴを口に含み味わう。
しかしその顔は次第に何とも言えない、しかめっ面へと変わっていった。
「まーくん、美味じぐなぁ~い」
ハルナは口の中の物をどうしようかとモゴモゴしながら訴え掛けて来た。
「あっ、それはヘビイチゴなのです」
「ああ、見た目に騙されて毒イチゴを食べちゃっハのね」
「「えっ!」」
マサトとハルナは大慌てする。
「お、おいハルナ大丈夫か?」
「だ、大丈夫。お願いだから、まーくん。ちょっとこっち見ないで……」
ハルナはマサトに背を向けて口の中の物を吐き出すと、『流水』で出した水で
口の中をうがいして、キュアの解毒魔法も掛けた。
その様子にダーハは心配し、サンディは呆れ、ベスは大ウケしていた。
「安心するにゃ。ヘビイチゴとか毒イチゴって名前が付いていても、
ソレは本当に毒がある訳じゃないのにゃ。まぁ、美味しくもないのにゃ」
「ハルナも、知らなヒ物を口にしちゃダメよ」
「ヘビイチゴって名前は、ヘビが食べるイチゴだからとか、
イチゴを食べに来た動物をヘビが食べるからとか言う理由で、
付いた名前らしいのです。
ヘビイチゴがある所には、ヘビが居る事が多いので注意なのです」
「うぅ~、反省だよ」
「ベス、オマエ分かってって面白がってただろう」
「ごめん、ごめんにゃ~」
「とにハく野草などで分からなヒ事がハったら、あハしかダーハに聞きなさヒ」
「ワウッ!」
サンディの忠告に、なぜかガブリエルが応え近寄って行った。
「ちょっと、ケダモノ。こっち来なヒでよ。バック、バック!」
ガブリエルは相変わらずサンディに足蹴にあしらわれると、
今度はダーハの所に寄って行った。
「エルちゃんどうしたです?」
ダーハが近寄って来たガブリエルに話しかけると、
ガブリエルは前足で地面を掻くような仕草を繰り返す。
するとガブリエルの収穫の腕輪から大量のヘビが出現した。
「エルちゃんが取って来てくれたのですか。ありがとうなのです」
どうやらガブリエルが周囲に潜んでいたヘビを駆逐して持ち帰って来たらしい。
それをダーハは受け取るとマジックバックに収納して、
その代わりにとガブリエルに干し肉を一切れあげて、頭を撫でていた。
「ダーハとガブリエルって大分、仲が良くなっていたんだなぁ」
「ダーハちゃんは、ガブリエルの事をエルちゃんって呼んでいるんだぁ」
「おかしかったです?」
「良いと思うよぉ」
「逆にサンディは、未だにダメなんだな」
「無理。生理的ヒ無理!」
「そ、そうか……」
「でもガブリエルの方は、真っ先にサンちゃんの所に行くんだよね」
「駄犬の方も分かっていて、からかっている節があるにゃ」
「ケダモノォ……」
「まぁ、今のは冗談にゃ。駄犬的には荷物持ち扱いなんだと思うにゃ」
「ソレどっヒも、ヒドイわよ」
「それはそれとして、やっぱりガブリエルに収穫の腕輪を持たせたのは
正解だったな。器用に獲物を持ち帰ってくれるのは大きいな」
「そうだね……ところで、まーくん、
まさかとは思うけど、そのヘビを食べようなんて言わないよね?」
「さすがにオレは言わないが、誰か食べる気でいる人っている?」
「骨の処理が面倒なのにゃ。好き好んで食べようとは思わないにゃ」
「持ち帰って、ヘビ酒にしようかと思うのです」
「ケダモノのおやつにでもしたら良いんじゃないかしら」
「だいたいの評価が分かった」
マサトはヘビ料理を食べずに済みそうな事が確認出来たので、
この話題を流して、多弁草の群生地巡りを再開するのであった。