003.宿屋フォックスバット
「まーくん、二段ベッドだよ、二段ベッド。ボク、初めて見たぁ。
ボク、上が良い! と言うか、もうケッテ~イ。とりゃー!」
幼馴染みの少女ハルナは、目の前にある未知の二段ベッドに、
ハイテンションになっていた。
「はいはい、好きな方で良いよ。
まぁ、体重があるオレが下のベッドを使うべきだろうし……」
マサトは、ハルナの機嫌が直っているなら薮蛇を突く事は無いと放って置く。
マサト達は、冒険者ギルドで教えてもらった宿屋に来ていた。
ここに来るまでの道中、マサトとハルナとの間で、
いろいろと認識の違いがあって、ハルナはご立腹であったが、
それも今は無事に収まっていた。
マサト達が当面の拠点として決めた宿屋の名は、【フォックスバット】
可愛らしい子狐の獣人達が、接客業を務めている宿屋であり、
その愛らしい姿に魅了され宿泊を決める客も多いが、
宿泊、食事、施設利用(井戸やお風呂)の低料金も集客の要因となっている。
これらは省スペースに区ぎられた全ての部屋に、
二段ベットを設置し収容人数の多さでカバーする事で実現されていた。
これらが相まって、薄利多売の経営から
新米冒険者の懐事情にも優しい宿屋との好評価も受けている。
……が、その実態は、冒険者達は食事のちょっとした贅沢、
お風呂の使用頻度の増加と、気づかぬうちに浪費に導かれている。
一度覚えた生活水準は、まず戻せない。
これくらいは良いかぁ。がんばったご褒美だし……と、
いつの間にか宿屋を支える『お得意様』の地位に落ち着いてしまっている。
宿屋フォックスバットとは、自称中堅冒険者養殖場であった。
この事は発展途上の街にとっては、
冒険者の囲い込みとなり利益をもたらす事となる為、
街ぐるみで、この実態は黙認され続ける。
時折、街から出て上位冒険者に昇格した者達が、懐かしさから宿屋を訪れる。
彼らは、お得意様の様子と宿屋の名前を振り返って、
フォックスバット→FOX・BAT→BAT・FOX→BAD・FOX→悪キツネ……
【いたずらキツネに化かされてやがる!】と過去の自分達を見るように、
彼らお得意様達の若さゆえの過ちに気づく事となるが、
それはそれで懐かしい思い出だと苦笑いする事となる。
ひとしきり察した彼らは、その後宿屋一階の酒場兼食堂で、
陽気にエールを酌み交わす。
そして彼らもまた、生暖かく事実を黙認していった。
そんなアットホームで愛されている宿屋が、ここフォックスバットであった。
マサトは宿屋の中を一通りチェックし終えると、ハルナを見つけ話しかけた。
「お~い、ハルナ。10日分の寝床も確保できたし街中を見て回ろうか。
何か必要な物とかあるか? オレは武器屋を覗いておきたいんだけど……」
マサトが声を掛けた先には、ハルナの他に銀髪の子狐の獣人が一緒に居た。
「ダーハちゃん、モフモフだよぉ。最高だよぉ」
「あのあの、お客さん。やめて欲しいのです。尻尾を撫でないで欲しいのです。
仕事が出来ないのです。くすぐったいのです。は、恥ずかしいのです……」
ハルナはマサトの話そっちのけで、子狐の娘の尻尾をモフッていた。
名前を知っていた事から、それなりに仲良くなっていたようだが、
明らかに迷惑がられていた。
「連れが迷惑を掛けたようでゴメンな」
マサトは子狐に謝ると、ハルナを強引に引き離した。
ハルナは名残惜しそうに嘆き、子狐はマサトにお辞儀をすると、
一目散に奥へと駆けて行った。
「あの子は仕事をしているんだから、邪魔をしたら怒られるかもしれないだろ?
それに明らかに迷惑がっていたぞ。やりすぎると嫌われるぞ」
「は~い、まーくん、今度から気をつけるよぉ」
マサトはハルナを宥めながら当初の予定通りに街中へと歩み出した。
◇◇◇◇◇
夕暮れに差し掛かり大半の露店商が、帰り支度を終え帰路についていた。
マサトの横を歩くハルナは、わずかに残っていた露店を嬉々として見ている。
マサトは、もう少し早い時間に来ればよかったと思う。
しばらくしてハルナが露店の前で立ち止まり悩んでいた。
そこは小物を中心に並べられた露店だった。
ハルナの視線は、その中に一つだけ残っている櫛に集まっていた。
その櫛は、木製の不出来な安物であったが、これらの道具を一つも
持っていない事に気付いたハルナは、買うかどうか悩んでいた。
「明日の朝、もう一度来ような。その時に気に入った物を買えば良い」
マサトは、そう言うと露店商から最後の櫛を買いハルナに渡した。
「う、うん、まーくん、ありがとう」(エヘヘッ)
ハルナは、マサトからの思いがけないプレゼントに自然と頬を緩ませる。
「あっ、それならボクからは、これをプレゼントしてあげよう」
ハルナは、満面の笑顔でマサトに【青い小袋】を渡す。
マサトは、サイフ代わりに丁度良いかと、これをありがたく受け取った。
そしてまた二人は、のんびりと街中を並んで歩いた。
マサトは武器屋に着くと、量産品の手頃なロングソードとナイフを
一本ずつ購入した。
するとハルナは宿屋へ帰える途中に、その事について聞いてきた。
「まーくん、なんでわざわざ武器を買ったの?」
マサトは、ハルナに自分の宝具の事を説明し忘れていた事に気づいた。
「ああ、言い忘れていた。オレの持っているのは木刀なんだよ。
ロングソードって日本刀のように、鋭く斬り込むのとは違って、
重量を活かして叩き斬る武器なんだよ。
つまり現状では、木刀も量産品の剣も同じ鈍器と考えて良い。
それなら重量がある剣の方がマシだと思ってな。
あとナイフは、魔物を倒した時の解体用な。
食用になる肉を得たいなら、血抜きは必須になる。
売るにしても、自分達で食べるにしてもな。
血が残った肉は生臭くなる。
オレは中学生の時に、田舎のじいさんに「一度はやって覚えとけ」
と言われて、飼ってたニワトリで血抜きをやらされた事がある。
さすがに解体は近所の肉屋でやってもらったけどな。
軍手があると良いんだが……皮手袋とロープも買っておかないとな」
「まーくん、なに淡々と言っちゃってるんだよ。
さすがのボクもドン引きだよ。いきなりサバイバルすぎるよぉ」
「真っ先に魔物を狩りに行こうとしたクセに、何を言ってるんだ。
異世界を受け止めろ。舐めすぎているだろ」
そんな言い合いをしながら歩いていると……
【ドンッ!】
マサトは不意に横から掛かった力に押され倒れ掛かる。
そして目の前には、何かがピクピクと揺れていた。
「あっ、ネコ耳さんだぁ!」
ハルナの声にマサトは、自分に寄り掛っているのが、
栗色の髪を持つネコの女獣人である事にようやく気づく。
「あっ、ゴメン、ゴメンにゃ」
マサトに寄り掛っていたネコの女獣人は、体勢を直すと、
右手で後頭部を掻きながら、悪びれた様子も無く軽く謝ってきた。
その右手には、見覚えのある【青い小袋】が握られていた。
【スリだぁ!】
周囲に居た住民の誰かが叫んだ。
「えっ? えっ? えっ?」
マサトの目の前にいるネコの女獣人は、目をパチパチさせながら、
自分の手に握られているマサトのサイフを見て動揺している。
「あ、あれ? こ、これは違うのにゃー! わざとじゃないのにゃ!
なんて言うかそのぉ……
絶妙な角度とタイミングでぶつかっちゃったんで、
反射的に手が滑り込んじゃったのにゃ! これは事故にゃー!」
マサトは、青い小袋を自身の両手の中に返し、その上から手を重ねて握り締め、
必死に無実を訴えかけてくるネコの女獣人に圧倒される。
「まーくん、罪を憎んで人を憎まずだよ。
おサイフも返って来たし未遂って事で良いよね」
「そんな訳にいくか! コイツがまた盗みを働くかもしれないだろ!」
ハルナは女獣人を擁護していたが、
住民達は衛兵に突き出すべきだと言って息巻いている。
マサトも普通に考えたら住民達の言い分が正しいと思うが、
このネコの女獣人の最初の反応に加え、ちょっと気になる事があったので、
折衷案を出してみる。
「少し確認させて下さい。
獣人のお姉さん、名前を教えてもらえますか?
オレの名前はマサトって言います」
「私はベスにゃ」
「では、ベスさん。ベスさんって身なりからして、もしかして冒険者ですか?」
「そうにゃ。と言っても、自由に国々を旅して回るのに便利だから登録している
ペーパーライセンスにゃ。」
「もしかしてソロ活動ってやつですか?」
「そうにゃ」
「それなら提案ですが、オレ達は冒険者になったばかりなんですが、
オレ達とパーティを組みませんか?
パーティ間のトラブルなら、パーティ内で解決すれば良い。
住民の皆さんには、ベスさんをパーティに入れる事で、
オレ達が責任を預かるって事で収めてはもらえませんか?」
オレがそう言うと、皆が一応の納得をしてくれたので、
冒険者ギルドに向かってパーティ登録の申請をして、その場を収めた。
「と言う事でベスさん、よろしくです」
「あっ、私の事はベスって呼び捨てで良いにゃ。
ってか狩場では呼び名は短い方が素早く指示を出せて良いのにゃ。
てなわけで、よろしくなのにゃ。マサハル」
「ベスにゃん、その略し方、止めようよ。
なんだか別の男の人を呼んでるみたいになってるよぉ」
こうしてマサトは、新たな仲間を迎え入れた。
ベスの首からはマサト達と同じプレートがぶら下っている。
その輝きはマサト達とは異なる翠輝を発していた。