016.商人と職人
大通りに面した場所に一際大きな店舗、商業ギルドがある。
そこは、交易によってもたらされる多くの商品が並び、
人々は思い思いに商品を購入し、活気に溢れている。
しかしながらその店舗の裏手もまた、多くの荷馬車と、人々が行き交っていた。
そこは大部分を集積所として機能していた。
その一角にこれ等を統べ、事務と商談を行う施設がある。
【商業ギルド】
商人が集い彼らが指すギルドとは、こちらであった。
通された商談室にマサトとベスとサントス。
そして商業ギルド長デリックが居た。
基本的にサントスに任せて商談は進む。
そしてマサトの『冒険者まな板セット』とベスの『コンニャク』が
商業ギルドに登録される事となった。
これらの商品が売れると、商業ギルドから冒険者ギルドの預金システム経由で、
利益の一部が振り込まれる事となる。
「サントス、面白い商品を二つも、もたらしてくれた事に感謝するデリック」
「いえいえ、こちらも何かと便宜を図って頂いていますから」
「いやぁ、それにしても冒険者の視点とは面白い物デリック。
冒険者まな板セットが売れるようになれば、食材が売れるようになるデリック。
コンニャクは、今まで見向きもされなかった物が、売れるようになるデリック。
どちらもギルドにとって継続的に利益がもたらされるデリック」
「冒険者の食事事情が少しでも良くなってくれれば幸いです」
「マサトとベス、また何か面白い物があったら、持ち込んで欲しいデリック」
そして商談を終え、皆が切り上げようとした所、
それまで黙っていたベスが何か考え込み、口を開いた。
「……それなら、一つ見てもらいたい物があるにゃ」
「なんデリック?」
「ちょっと来いにゃ」
ベスがサントスを呼び、その場を少し離れる。
そして戻ってきた時、サントスの手には以前にベスが作った
ホ-ンラビットのなめし革、ラビットファーがあった。
それを見たデリックが眼を剥き驚愕する。
「こ、これはホーンラビットなのデリック?」
「以前に『亡くなった友人』から譲り受けたラビットファーにゃ。
あまりにも安く買い叩こうとする商人が多くて売れなかった物にゃ。
そちらではどれくらいの【価値】を示すか知りたいにゃ」
ベスは、サントスの収納から取り出したように見せかけ、
ラビットファーをサントスに手渡すと、
商業ギルドの面子を掛けた価値の聞き出しを行った。
デリックは、ラビットファーのあまりにも滑らかで美しい光沢に動揺し、
顔や手から汗を滲ませて緊張している。
デリックはサントスの手からラビットファーを譲り受け、
品定めをしようとする。
「あ~、言い忘れていたのにゃ。
そのなめし革は使ったなめし液の関係で、比較的に水に弱いって
注意されているにゃ。変色したり劣化したりするから気をつけてくれにゃ」
デリックの手が止まり額から更なる汗が吹き出る。
商人としてこの品を汚す事は出来ない。
デリックはハンカチで溢れ出す汗を必死に拭い、
冷静さを取り戻そうと努める。
「友人は見る目の無い商人を嘆きながら、この世を去ったにゃ。
そして他の革細工職人の未熟さを憂いでいたのにゃ……」
ベスの口からデリックに、次々と皮肉交じりの辛辣な現状が伝えられる。
要するに、この品は二度と手に入らないぞと、脅しているのである。
そしていつの間にかベスの手には、水の入ったコップな握られていた。
「友人は、この世に物を見る目が無いなら……
争いの種になるなら処分してくれと言ったのにゃ。
でも私は今まで、それが出来ずに来たにゃ。
今日、縁あって商業ギルドのお偉いさんに会えたのにゃ。
もし友人が言っていた価値に及ばない価値しか示されないのであれば、
私は友人の遺言をやり遂げようと思うのにゃ。
ギルド長、商人にとっての戦場は商談にゃ。
冒険者も商人も命のやり取りは一発勝負にゃ!
ギルド長は、どれくらいの【価値】を示すにゃ?」
ベスが持つコップがラビットファーの上で傾く。
ベスがデリックに視覚と聴覚で精神攻撃を放っている。
【相場の10倍デリック!】
『チョロチョロチョロ……』
【ノォォォーーーーーッ!】
デリックの目の前でコップが傾けられ、ラビットファーに水が垂らされる。
「安い、安すぎるのにゃ……」
「ベス、今のはやりすぎでしょう!」
「私は最初から、こうすると言っておいたにゃ」
「そうだとしても、あれだけの品を粗雑に扱う事は容認出来ません!」
デリックが目の前で起きた損失に口から泡を吹いて白目を剥き、
サントスもまたベスの奇行に声を荒げる。
マサトは一連のやり取りを静観していた。
(まあサンディは、ベスが革細工が出来る事を知っていても、
あれがベスの自作とは知らないからなぁ……)
「お~い、ベス。そろそろ答え合わせしたらどうだ?
何か考えがあるんだろ?」
「ちょっとマサト、何を落ち付いているんです!」
「……分かったにゃ」
ベスはラビットファーを取り戻すと、チキンナイフを一閃する。
すると水に濡れた部分と、無事だった部分が、キレイに裁断された。
そしておもむろにデリックを叩き起こした。
「目が覚めたかにゃ。転売屋!」
ベスの辛辣な物言いにデリックが困惑する。
「オマエ達がやっている事は、確かに商売にゃ。
転売って言う、お前達自身は何も生み出さない商売にゃ。
オマエは、なめし革を高く売る事しか考えなかったにゃ。
だから【オマエ達が決めた適正価格】が出てきたにゃ。
その時点で、この話は打ち切りにゃ」
「なっ、適正価格なら商談成立デリック。
オマエは頭がおかしいデリック!」
「ベス、さすがにこれ以上の金額を望むのは、法外だと思います」
「私はちゃんと【価値】を示せと二度言ったにゃ。
【価格では無い】のにゃ。
サントス、オマエは違うかもと思ったけど、
それが理解出来ないって事は、オマエもコイツらと同類にゃ。
半分になってしまったけれど、コレはタダでくれてやるにゃ。
痛み訳って事にしようじゃないかにゃ。
物が半分になってむしろ希少価値が倍にゃ
オマエ達も相場の20倍だと思えば大儲けなのにゃ。おめでとうにゃ」
そう言うとベスは商業ギルドを去って行った。
ひとまずマサトは、サントスに商業ギルドの方を任せてベスの後を追った。
そしてマサトはベスに確認をする。
「結局、煙に巻いて答えを教えないんだな」
「ちゃんと答えたにゃ。そこから先は商売の範疇にゃ」
「う~ん、じゃあ一つ確認な。
ベス的にはオレは仲間で良いんだよな?
オレとサントスとでは違うって事だろ?」
「どうしてそう思うにゃ」
「だって、デリックとサントスは同じだと言ったけど、
あの場に居たオレは叱責されなかった。
その違いって、売る側と売られる側の差だ。
正しくは、創る側と運ぶ側って感じかな?」
「なるほどなのにゃ。
それじゃあオマエなら、あの場でどう答えたか聞いてみて良いかにゃ?」
「う~ん、それでもたぶん同じ様な答えになったと思うよ。
ただ、あの状況を見て答え合わせをするのなら、
ベスが求めた物が何だったのか答えられると思う。
だからこれ以上は、ベスが事情が分かってないサンディを
悪く思うのを止めてくれるとうれしい」
「分かったにゃ」
「じゃあ答えるぞ。
要するに、あのラビットファーは売ってはダメなんだよな?」
「ほほう、面白いにゃ。それはなぜにゃ?」
「だってアレは見本にすべきだからだよ。
アレを見本にして、職人の技術の向上に使うのが一番儲かるんだ。
オレの冒険者まな板セット然り、ベスのこんにゃく然り。
継続的に高品質の物が流通した方が得をする」
「ふむふむ」
「ではどうやって職人を育てるか?
ベスが弟子を取って育てるのが確実なんだけど、それはやりたくないんだろ?
それならばと、見本のなめし革を提供したとしても
半端な職人や商人には渡せない。だから今回、商業ギルドを試した」
「そうにゃ」
「ところが商業ギルドのトップが、目先の利益優先で、
ベスから見て三流品十枚と同等の扱いで、
買い取る算段しか出来ないって事が分かって、キレたってのが、ここまでの流れだ」
「……そうにゃ」
「ただオレから見て、この話には建前が多すぎる。
ラビットファーは、売らない方が儲かるとか、
職人の育成に利用した方が儲かるとか、
商人の目の前にそれらしい餌をチラ付かせているが、
ハッキリ言ってベスらしく無い。
ベスってもっと気まぐれな感じなんだよ。
だからこれは、ベスのワガママじゃないとおかしいんだ」
「なんだかヒドイ言われようにゃ……」
「ベスが求めたものは、高品質のなめし革が量産される事。
そして、それが当たり前になって初めて
【ベスが気兼ねなく、なめし皮を作れる】って事だろ?」
ベスは沈黙していた。
「ベスがいつもオレ達に合わせて、
いろいろと気を使ってくれてるの事には感謝している。
その上、せっかく身に付けた職人の腕も振るえずに
窮屈な思いをしていたんだよな」
ベスの両頬を自然と涙が流れ落ちた。
瞳を閉じ言葉も無く、ただ込み上げてくるモノを……
おそらく何かしらかの感情だ。
しかしながらその正体を自分でも掴めていなかった。
ベスは、ただただ、その感情を噛み締めていた。
◇◇◇◇◇
ベスは決して一流の職人では無かった。
冒険者との二足のわらじで培った技術だ。
多くの職人に囲まれれば、その中に埋没する。
しかしながら、それは冒険者としてのベスを支えてきた
掛け替えの無い技術だった。
ベスは野を駆け獲物を狩り、中間素材として多岐に使われるなめし革を作り、
それを売って装備を揃えていた。
最も長く研鑽して支えてくれた技術。
それは異世界に転移してからも真っ先に頼った技術であった。
しかしながらベスの技術程度でも、この世界では異質であった。
ベスから見れば、他があまりにも未熟だったのである。
そしてトラブルが起きた。
買い叩こうとする者、転売をしようとする者、襲撃してくる者。
ベスは持ち前の技術を振るえなくなり、辟易として放浪した。
着いた先でまたトラブルが起きた。
見知らぬ青い小袋を手にしていた。スリにされた。
しかし、人の良い青年に手を差し伸べられ拾われた。
中古屋と出会った。道具に宿る人の想いを視れる。と言う変り種だった。
しかし職人の想いを知らなかった。
勝手に絶望した。
しかし青年はまた拾い上げてくれた。
◇◇◇◇◇
「まさかマサトに泣かされるとは思わなかったにゃ。
ありがとにゃ。先に宿屋に戻るにゃ」
感情の整理が出来ないでいる中、ベスは必死に言葉を紡ぎ、
宿屋に戻って行った。
「ああ、気をつけてな」
マサトはベスに声を掛け見送る。
(初めて名前で呼んでくれたなぁ)
ベスの中で、どのような感情が蠢いているのかは分からない。
ただ、しばらくの間はベスの事をしっかりと見守ろうとマサトは思った。
そして決断した。
◇◇◇◇◇
マサトは、ベスと分かれた後、店舗側にいたハルナ達と合流し、
冒険者ギルドにお使いを頼んだ。
そして、しばらく時を置き、頃合を見計らってサントスの下に戻る。
「お~い、サントス。そっちは落ち着いたか?」
「マサト、どうもこうも無いでしょう。ギルド長がご立腹ですよ」
「アレはなんですか、なんですか、不愉快デリック!」
「申し訳ありません」
「全くけしからんデリック。
冒険者ギルドはもっと粗暴な冒険者を取り締まるべきデリック!」
マサトが商談室に戻ると、荒れるデリックをサントスが宥めていた。
マサトの背後の扉が開き商談室に新たな客が訪れる。
先頭に立ち現れたのは、以前に冒険者ギルドのギルド長室で顔を合わせた
冒険者のシャロンであった。
「デリック、全ての冒険者を一纏めにされては困りますね」
「シャロン! 何でシャロンがここに居るデリック?」
「まーくん、お使いして来たよぉ」
「ああ、ハルナありがとう。
もしかしてシャロンさんが冒険者ギルド側の立会いをしてくれるんですか?」
「ええ、そうよ」
「あのあの、わたしも居て良いのです?」
「ああ、せっかくの機会だしダーハちゃんも見学して行きなよ。
では、シャロンさん。以降の商談の記録をお願いします」
マサトがシャロンに商談の記録を頼むと
記録水晶と呼ばれる球体を取り出し、中央のテーブルに設置した。
シャロンがマサトに首を縦に振り、設置完了を知らせる。
それを合図にマサトは口を開いた。