5章『平和と戦争』
第1節
暑い日が続いている夏のある日。
「晴れてよかった、すごく綺麗!」
パステルの水色のワンピースを着た空は言った。
「そうね、沖縄初めて来たけどいいわね」
「お金ないと来れないけどな……」
空港から出、沖縄の水色の綺麗な海を、空達は眺めていた。
「お父さん、カメラある?」
「あるぞ。写真撮るのか」
「うん」
パチリパチリと数枚を撮り、カメラを俊明に返した。
「ここにいるのって2泊3日だよね?」
「そうだな。どこか、行きたいとか見たいところとかがあるのか?」
頷き、答えた。
「水族館行きたいな。ジンベイザメ見て見たかった」
「おお、そうか」
咲和子も、
「私も行きたかったのよ!バスとか使って、行きましょ!」
それを見て空は、
「1番はしゃいでるのお母さんだね」
白い歯を見せて笑った。
俊明は賺さず、シャッターを切った。
「こんな空を見たのは、いつぶりだったかな」
そう呟きながら。
* * *
「おい……誰も帰ってこないぞ……どうなっている!滉将校は!」
城壁の門番兵がそう叫んだ。それを隣にいた兵士が注意した。
「気を取り乱すな、嵩……」
「取り乱さないでいられるか!普通なら5日もあれば1人は帰ってくるんだ。10日も経って1人も帰ってこないんだぞ!もう時間切れだ……」
「……怺大佐に伝えなくては」
「次の将校と少尉の決定を、するように……誰がなるんだろうか」
顔を青くしていた2人が、背後の気配に気がついた。その人物を見て驚いた。
真っ白なドレス、白衣を着た、髪の長い、女性だった。
「……貴女、こんなところにいては危険ですよ」
嵩がため息をつきながら言った。
「……」
無視をされた。
そして、気がつく。この女性のほかとは違ったところに。
「莧……こ、この人、目の色が……」
「……!」
纚国の住人の瞳の色は青色である。しかしこの人の瞳は、着ているドレスのように真っ白だったのである。
莧の頭に浮かんだもの。
「お前さては……他国の間者だな!」
後ろに背負っていたライフルを構えた。
銃口を向けられていても、女性は冷静に、いいえ、と答えた。
「私は纚国の者です」
「証拠はあるのか」
女性は白衣のポケットから兵士が持つチェーンのついた小さな銀色の身分証明板を取り出した。
莧たちはまた驚かされた。
「こちらになります」
そう言いながら渡した。それを受け取った嵩が、声に出して読む。
「来ノ柯 蜑 (このえ あま)、兵士番号 61481995、配属兵……化学、年齢21……」
その裏面には、
「化学兵大佐……」
2人の額に汗が噴き出した。
そして姿勢を正し、
「ま、誠に申し訳ありませんでした!」
揃った敬礼にお辞儀を見せた。
莧が少し顔を上げ、
「それで、蜑大佐は何故ここに?」
蜑の口が開く。
* * *
「うわァ……おっきい……」
自分の何倍もある群青色をした魚を、また巨大なガラス越し見ていた。
「アー……」
俊明もその大きさに呆気にとられ、上を向いたまま口を開けていた。
「ちょっとあっくん!口開いてる!」
咲和子が俊明の耳元で小声で言った。
「……!」
一瞬で口を閉じたのであった。
空はそれを見てクスクス笑いながら咲和子に話しかけた。
「私ちょっと向こう見てきてもいい?ちっちゃいお魚見たいから」
「えぇ。ケータイは持ってる?」
「うん」
「ならいいわ。なんかあったら連絡してね。じゃあ、また後でね」
「はーい、また後で」
そう言って背を向け、咲和子らと離れた。
空の背後では、空と行動しようとした俊明が咲和子に引っ張られ、イルカを見に行かされていた。
「またお父さんったら……私なら大丈夫なのに」
背後の会話を聞いて笑った顔で小さくため息をついた。
地図を広げ、歩き、さっきとは比にならないほど小さな水槽の前へと着いた。
赤に青、黄や橙といった色とりどりの魚がイソギンチャクや海藻の中を緩やかに泳いでいた。
「あ」
1匹の黄色の魚が、イソギンチャクから追い出されるのを見つけた。その後ろには、追い出されたものと同じ色の魚もう1匹。さっきの緩やかな雰囲気とは違い、その2匹は、ぶつかり合ったり、叩きあったりしている。
その下でひっそりと顔をのぞかせていたのは、黄色の綺麗なコントラストを装ったメスの魚。
メスの奪い合い。強い者が勝ち、結ばれる。
数分間、その戦いを空は見ていた。やがて、
「あぁっ、左の子負けてる」
イソギンチャクから追い出した魚が追い出された魚に負けていた。
やがて、ふい、とそっぽを向いて好きだったメスからも離れた。そのオスは水面の方に近づき、そこに映る弱かった自分を見つめているように見えた。
強いものだけが勝つ世界。強ければなんでもいい世界。
「君、負けちゃったね。でも、きっと君のこと見てくれる女の子はいるはずだよ。生きてること、それがいちばん強いよ」
小声で、誰にも聞こえないような声で、その魚にそう語りかけた。
* * *
「命令」
蜑の口が動いた頃にはもう、莧の背後に回られ、左手で口に布を当てられていた。
「⁈」
一瞬の出来事。
「え?」
そうきょとんとしている嵩の腕に、姿勢の低い横跳びで右手に持っていた縫い針で切り傷をつける。
着地をし、ふわりと振り返ると、
「はぁっ!あぁ……あぁぁっ!」
「痛いっ!があぁぁぁ!熱いっ!熱いぃっ!」
首を引っ掻き、息ができなくなってる莧。
腕を強く抑え、その場に倒れて悶えている嵩。
それをしっかり、ずっと見ている蜑。
やがて、2人は動かなくなった。30秒も経たないうちに。
「……」
蜑は2人の鼻の前に手を出した。
「息はしていない」
そして、ポケットから手袋とマスクを取り出して身につけ、死後硬直が始まらないうちに脈、目の濁り、皮膚の状態などを調べた。
「脈はなし。目の水晶体、虹彩の変化もなし。皮膚も……あ」
2人とも、身体の所々に白い斑点が浮かんでいた。
「皮膚、異常あり」
城壁の上に登り、電報を打ち、今回の結果を報告した。
ツーツー、ツツ、ツツーツ……
「陛下、電報が来ております。文字に直しました、この通りです」
1人の執事が丸められた文書を渡す。
「どれ」
その文書を執事から奪い取るようにして受け取り、摘霞㮈梓攞はその内容を読んだ。
『国王陛下。今回の実験体、2体用意してくださり誠にありがとうございます。心より感謝いたします。
早速ですが結果についてご報告申し上げます。
私が今回作り上げました、新兵器の毒ですが、実験体の身体に白い斑点が見つかりました。陛下がおっしゃるような即効性はあるものの、私の考える綺麗な死体は出来上がっておりません。
陛下のお考えにお任せいたしますが、この兵器、使われますでしょうか。
追伸
直々に詳しい効果や生成方法はお話しいたします。面会申し込みます。
来ノ柯 蜑』
「陛下、どうされました?」
摘霞㮈梓攞は読んだなり、顔はニヤつき、文書を持つ手はわなわなと震えていた。
「これを……これを待っていたのだ!」
突然の大声に周りの召使い全員が驚いた。
「あぁ、蜑よ……私が持つ優秀な兵士よ!よくぞここまでたどり着いてくれた!次の奇襲で早速使わせてもらおうぞ!その毒といい、化学兵器というものの恐ろしさを他の国に見せびらかすのだ!」
笑い声が広間全体に響き渡った。
第2節
「うわあァ!」
武器の整備をしていた少年兵が襟を勢いよく掴まれ、顔に治りかけの痣と切り傷のある若い兵士に真正面から叫ばれた。
「海はどこだ!どこにいる!」
胸倉を掴まれたままその少年兵が答えた。
「ああああの方なら、む、向こうの倉庫に……」
「そうか、礼を言う」
「はい……うげっ」
少年兵を足元に落とし、その場から走り去った。兵士の手には、白の封筒が。
「……いた!海っ!」
大きな木箱を抱えた海が走って来た兵士の方を振り向く。
「棐!」
棐は海の前で足を止め、膝に手を置いて、呼吸を落ち着かせた。
顔を上げる。しかし、その顔は焦りと不安、恐れが混じる。
「こ、これ……」
手に持っていた白い封筒を海に差し出した。
それが何かは中を見なくてもわかった。
「死亡報告書……」
中に入っていた、右下の端に小さく青い鳥のシンボルが描かれた小さな真っ白の便箋を取り出し、読んだ。
『矢ノ塢 庚は特攻歩兵隊として緑の鳥に突撃いたしましたところ、死亡しましたので、ここにご報告とし、お悔やみを申し上げます。
差出人 溪黌蕾 摘霞㮈梓攞国王陛下』
「……庚」
「今さっきだ。休憩で俺らの部屋に戻ったら机の上に……」
庚には親や親戚がもう亡くなっていたことを思い出した。
「身元がいないから、同班だった俺らに……」
「多分、そう」
俯き、大きく深いため息をついた。
「4人……」
棐が海の肩に手を置いた。
「寂しいが、これからだ。もしかすると……」
海も頷いた。
突然、後ろで海たちの寮から発煙弾の音が鳴り響いた。
色は緑。
上を見上げたまま、判断した。
「集合か……」
「行こう。青い鳥全員に集合がかけられるってことは……」
2人は軍人寮に向かって走り出した。
「今回の戦いにより、滉将校率いる特攻隊全隊員が亡くなった。今、級を持っているものを昇格とし、この私、莫ノ叵 怺が将校を名乗る。これから、私の下に配属となる少尉を決める」
兵士の数、800人はいるであろうこの広間に向かって、大佐から将校に昇格した怺が壇上から大声で叫んだ。
「少尉の候補は5人いる。その中から優秀な者1人を選ぶとする。選ぶ基準は、射撃だ。これから名前を呼ぶ。呼ばれたやつはこの壇上に並べ。
罔ノ鄔 蹢、古ノ融 盾、波ノ琊 豁、鶵ノ鑼 悠、最後に、富ノ芽 海。この5人だ。さア、ここに並べ」
海は自分の名前が呼ばれたことに驚いた。
自分はそこまで人を殺すことが上手くない。そして、怖くて怖くて仕方なかった。少尉にでもなれば、奇襲をかけるとなれば必ず出兵しなければならなくなり、空にも、もう会えなくなるかもしれない。
「早速、実技に入る。正々堂々、今ある自分の実力全てを発揮するように。もし、少尉になりたくないと言って怠けて撃ったりしたら、もうわかるよな?」
怺は5人の目の前に歩き、止まった。
「国王命令の公開処刑に下す」
* * *
「人いっぱい入ってきた……」
昼に近くなり、だんだんと入場者が増えてきた。空のいるところからもう少し水槽が見えなくなっていた。こんなところでは咲和子に電話するどころか、歩けるかどうかも心配になってくる。
歩いては人にぶつかり、ごめんなさいごめんなさいと言いながら進んでいった。
「わぁぁぁっ!」
「えっ!」
突然の泣き声。何事かと思うと、
「あ……」
空の足元で小さな男の子が1人、その場にへたり込んで泣いていた。
空はその場にしゃがみこみ、ポケットからハンカチを取り出して涙を拭き、その男の子に声をかけた。
「どうしたの?」
鼻をすすりながら男の子は素直に答えてくれた。
「ままとはぐれたの」
「お名前は?」
「ゆいと」
「ゆいとくんだね。お姉さんは、空っていうの。私について来て。ゆいとくんのママ一緒に探してあげる」
目をこすりながら立ち上がり、
「うん」
小さく返事をした。
その小さな手を取って歩き始めた。
背の高さ、歩幅の違い……まだ何も知らないこんな小さな子供の世話は初めてだった。
自分の過去もこんなに小さかったことがあったのかと思うが、あまりはっきりと覚えていない。
「どこでママがみえなくなっちゃった?」
「ぺんぎんさんのとこ」
「そっか。わかったよ」
その場で立ち止まり、水族館の地図を開いた。空がさっきいた熱帯魚の近く、これらの水槽より後ろの方向らしかった。
「もう一回行ってみる?ペンギンのところ」
「いく」
体の向きを変え、そこに向かって歩いた。
ゆいとが他の人にぶつかりそうになるのを気にしながら前へと歩く。
歩きながらゆいとに話しかけた。
「ママってどんなひとかな?パパもいる?」
「ぱぱいるよ。ままは、ちゃいろのかみのけでしろいふくきてる」
「うんうん。ありがとね」
ゆっくり、丁寧に。
その温かい手を取って歩いた。
少し前の方、慌てるようなそぶりを見せている人が見えた。髪は薄い茶色で、白い緩めのシャツを着ていた人である。
「ねェ、あの人がママかな?」
ゆいとを持ち上げ、見えるようにする。
「ママ」
そっと床に下ろし、急に歩くのが早くなったゆいとについていく。
距離は近いはずなのに、人が多すぎて前に進めない。ゆいとは体が小さいために、人の脚と脚の間をすり抜けて行った。
「あァ……」
空がやっと追いついたと思うと、ゆいとはもうママのところにいた。
ゆいとのママは、よかったと言いながらゆいとを抱きしめた。
「結渡くん逸れちゃダメでしょう、どうしてママと手を離したの……」
「ごめんなさい」
ママに謝った結渡が、後ろにいた空の方へ歩いて来た。
「そらねえちゃん、ありがとう」
「うん、どういたしまして」
結渡のママもそれに気がついたのか、空の方に近寄って来た。
「うちの息子をどうもありがとうございました。おかげですぐに見つけられました。本当にありがとうございます」
そう言って軽くお辞儀をした。
「どういたしまして。合流できて何よりです」
では、と一つお辞儀をして入り口まで帰ろうとした時。
「まっておねえちゃん」
後ろから結渡が走って来て、スカートの裾を掴んだ。
「これあげる」
そう言って握っていた手を開き、中に入っていたものを空の手に渡した。
「これ……ありがとう」
「うん!じゃあね」
そして元のところへ。
* * *
「選抜員5名。整列!」
「了解!」
軍が営む射撃場。横一列に並べられた、蹢、盾、豁、悠、海はそれぞれの射座に入った。
それを確認すると、栐は前を指差した。
指し示されたそれは遠くにあり、やっと見えたそれは小さな人型の鉄板だった。
「これからあれを撃ってもらう。こちらが出す条件の中でだが、
初発、後ろを向いた状態で振り向いて直ぐにに撃つ。二発目、後ろ向きで伏せた状態、手は頭上に置き、合図と同時に的へ向けて全力で走り、撃つ。
まずはこれらだ」
「了解!」
キッとした笛の音が鳴り響き、彼らは銃を肩にかけて、的に背を向けた。
射撃の合図を待つ。
しんとした静寂が過ぎる。後ろでサラサラと砂が空に舞う音さえもはっきりと聞き取れた。
射撃場の外、誰かが空薬莢を落とし、その角が石畳と触れた時。
「撃てっ!」
それが号令の合図だったかのように、ほぼ同時に声と軽い音が響いた。
ドン!……カーン………。
白い煙が海の目の前で風に流され消された。
誰よりも早く、自分以外の誰にも引き金を引かせなかった。
「初発。勝者、富ノ芽 海。続けて二発目。
伏せよ!」
ザ、と一斉に地面と身体の距離を近づけた。
手を頭に置き、さっきのような静寂の中へ。
今回の合図は旗のみだった。布が勢いよくはためく音に反応し、駆け出した。走った距離、実に500メートル。背の高さもあり、速く走れた。残り300メートルほどのところで止まり、立射した。
「勝者、富ノ芽 海」
二発目に続き、三発目、四発目と撃ち、「勝者、富ノ芽 海」という言葉がいくつも続いた。あまり嬉しくはなかった。
汗にまみれた顔を拭き、椅子へと腰掛けて一息ついた時。それは突然。
「よし、これから最終発だ、」
逃げろーーーーーーッ!
それに気付いた時には、そこにいた全員、その場から全力で走り、少し離れた転々としている岩の後ろに一人ずつ伏せた。
目の前で起きた大きな爆発。さっきまで座っていた椅子を跡形もなく焼き払っていた。爆発によって周りは黒く焦げ、残っていた弾薬が床で小さく燃えていた。
「……なんなんだこれ」
「最終発が、飛んでくる、なんて聞いてないぞ!」
「とりあえず助かってよかった……」
「……」
蹢、盾、豁、海自分たちの目の前で起きたことを話していた。
「全員無事か!」
少し離れたところで栐が伏せたままこちらに向かって叫んできた。
「5人います!」
それに大きく応えた。
「こんな形になったが、少尉を決定する。
富ノ芽 海、お前を青い鳥の少尉として認め、これからの軍への貢献へ期待する」
「了解。誇り高く戦います。ありがとうございます」
立ち上がり、海は敬礼した。
「とりあえずここから速やかに避難だ、また何かあっては困る」
「了解」
「はぁ……」
溜息をついた悠、その踵にカラカラと転がってきた何かが当たった。
「……全く、これどこから飛んできたんだよ」
拾い上げてみれば、それは大きな空薬莢のようなものだった。手の指の先から肘くらいの大きさ。中には火薬が焦げてこびり付いていた。いろいろ観察をして見たところ、薬莢の底面には、
「……初めて見たぞ、この文字。でもこの刻印は……」
大きな羽を羽ばたかせた鳥、鷹のような嘴、尾には三本の孔雀の羽。
背筋が震える。誰か答えてほしい。これは嘘だと。
「嚮国だ……嚮国が、」