1章『空と海』
「うー…眩しいよ……」
「つべこべ言わない。あんた学校でしょう。遅刻するわよ」
朝のお約束。空の母である咲和子にカーテンを開けられて起こされる。
今回も、当然のように空は寝起きが悪かった。
短い髪もぐしゃぐしゃに寝癖がついているのも、いつものことだった。
「わかったから…あと五分だけ…」
もう一度毛布にくるまる。
「もう7時だけどいいの?」
「だめ」
これを聞いて咲和子は毛布を空から取り上げた。
「あぁ……毛布が」
「いい加減起きなさい。朝ごはん出来てるから」
「……はーい…」
ベッドから体を起こし、リビングへと階段を降りた。
「おはよう」
リビングには先にお父さん、俊明がいた。今日の朝刊を手に、ソファに座っていた。
「おはよ」
もごもごとした口調で挨拶を返した。
テーブルの上には三人分の朝食が置かれていた。
「いただきまーす……」
朝ごはんは白米と味噌汁だった。いつも通りの。
「最近、進級して、学校はどうだ、楽しいか?」
俊明がそんな話題をふってきた。
「う、うん。まぁね。友達はいるけど。夏服になって涼しくなった」
「そうか。いじめとか、ないか?」
「ない」
「それならいい。何かあったら、お父さんとお母さんに言うんだぞ」
「そうよ。私たちのたった一人の子が心配なのよ」
「わかってる。でも、今はないからね」
お椀の中の味噌汁をすすり、朝食を食べ終えた。
「ごちそうさま」
自分の食器を台所に持っていき、自分の支度を進めた。
二階に行き、クローゼットを開く。
ハンガーに掛かっている学校の夏服を取り出し、パジャマを脱いで着る。
空は、パジャマの寝起き姿からきちんとした女子高生になった。乱れていた髪も、クシでとかれ、いつものふわりとしたショートヘアに戻った。
「最後のチェック、っと」
空は、自分の部屋の壁ある押入れの扉のような三面の全身鏡をひらいた。
縦2メートル、横1.5メートルほどの大きな鏡。
こんなに大きくする理由なんてあるのか、意味がわからないが、見やすいので、ありがたく使っている。
「リボン曲がってる」
髪もとかれ、身だしなみも整えた空は、鏡の扉を閉じ、通学鞄を持って、下駄箱まで降りて黒靴を履き始めた。
「あら、もう行くの。いつもより早いわね」
咲和子がそう言った。
「うん。本読みたいから。行ってきます」
「行ってらっしゃい。頑張ってね」
咲和子の見送りを受け、玄関から学校へ出て行った。
空は一人、通学路である歩道を歩いていた。歩いてここから近くの駅に向かう。
通学なんて一緒に行く子いない。近所で同じ高校の子もいない。電車で会うとかもない。
ただアスファルトの歩道の上を黙って歩いているだけ。日差しも暑い。陽炎がもやもや漂っている。
15分歩き続けて、近くの高尾駅に着いた。ホームに行こうとして、財布をのぞいたが、いつも使っている定期券が見当たらない。
残り2枚ほどあったのに。
「……定期券忘れた」
定期券は空のデスクの上に置きっぱなしにしてしまっていた。
「250円、草加駅までの切符ください。あ、往復で」
切符を買うことになった。
7時24分の普通電車に乗り、草加駅までゆらゆら揺れていた。
7時52分。草加駅に着いて、10分ほど歩く。
空の通っている学校は小華井学園高等学校。一昨年共学になった高校で、公立。
入ることのできる偏差値は、65と、結構高めの学校だった。
駅からはこの学校に来る人を見かけるようになる。
知らない人なので、声はかけないが。
また無言で学校まで歩く。
8時5分頃。
「おはよう」
返されないが挨拶をしながらクラスに入る。
空のクラスは2年B組。
まだ数人しかいない。
静かでいいと、空は思った。
窓側の一番後ろの席に座り、鞄の中の分厚い本を取り出した。
本の表紙には、「医学の歴史と技術の変化」
と書かれていた。
そして、読む。
空から少し離れたところで、他の女の子たちの会話が聞こえてくる。
「昨日のテレビみた?夜のやつ」
「あー、ウチみたよー」
「この前ケータイ壊れちゃったんだよねェ。マジ最悪ゥ」
「ウソォ。マジで?」
「そうそう。聞いて!最近さ、瀬寺くんがね……」
「すごーい!もう告っちゃいなよ!」
「えー。そんな勇気ないよォ」
会話の内容を聞いていたが、なかなか興味のない話ばかりが出てくる。
テレビ、携帯。あんまり見ない。
好きな人とか今まで考えたことなかった。第1、気になった異性なんていない。
それに、あの子たちの中に中学のとき、空をいじめてきた人もいる。
それ以来、空は人とあまり話さなくなった。
人と話すよりも、本の世界に没頭してた方が楽しい。夢があって、知らない世界がたくさんあって、面白くって。
ずーっと読んでいられる。
本を読み続けて30分。
いつの間にか、ほぼ全員のクラスメイトが集まっていて、ガヤガヤと賑やかになっていた。
担任の先生、鷹瑠先生が来たのは。その10分後のことだった。
* * *
「疲れた……。ただいま」
家に帰ってきたが、返事はない。
リビングのテーブルの上に、紙が一枚。
『おかえり。今日は帰りが遅くなるかも。夜ご飯買っていくね。予定は9時頃かな。ごめんね。お母さん、お父さんより。』
咲和子と俊明は、夫婦で白姫菜医院という外科の病院を勤めている。俊明が院長である。
空も小さいときによくその病院について行った。咲和子の治療の仕方、俊明の接客の仕方、二人とも優しそうな先生と看護師さんだったところもみていた。
親の帰りが遅いのは百文承知のことだった。病院の先生だから。
それでも、なんとなく寂しいような気もするが、本を読めば時間は早く進む。
気の紛らしというものか。
「早く本読みたい」
空は二階の自分の部屋に行く階段を上り始めた。
静かなせいで、ギシギシ音が聞こえる。
「……」
いつもか。
そう思っておく。
「えっ……?うそ。誰?」
空の部屋に人が倒れている。慌てて駆け寄って顔を覗き込んだ。
見た目からして男の人。顔立ちは整っていて、まだ若い。
なぜか、軍人ような服に近くに黒いライフルのような銃。重そうな迷彩柄のベスト。靴だって履いてる。
明らかに「ドロボウ」という人ではなさそうな雰囲気。
「なんで?鏡が…開いてる……」
その男が足を投げ出して倒れている方向に鏡が。朝に閉めたはずなのに開いていた。
「あ……」
空はその男が、怪我をしていることに気づいた。顔を近づけて、傷口を見た。
「大変……」
傷は、汚れていて、足なんか切り傷が何箇所も。腕には何かがかすめていった傷もある。
着ていたベストにも、胸あたりに血がにじみ、顔にも、あざがたくさんできていた。
ゆっくり胸が上下していたため、死んでないことはわかった。
「ちょっと待ってて!すぐ戻ってくる!」
空は階段を駆け下りて、和室の戸棚を開け、救急箱と、タオル、ペットボトルにいれた水、桶を用意して、すべて持ち、階段を駆け上がっていった。
空の部屋に来ると、自分の寝ているベッドの毛布とシーツをどけ、
「えいっ!」
終いには、クッションのような敷布団まで取った。
なんの変哲もない木造の家具になった。
そこに、男の人を横にしようと肩を担いでみたが、
「うわぁ……重、い」
たくさんの重い装備のようなものが付いていて、持ち上がらなかった。
無理だと感じ、腰をゆっくりベッドの近くまで引きずっていき、ベッドにもたれ掛けさせた。
「少しごめんなさい」
そう言って空は、男の人の来ているベスト、軍服の羽織、ブラウスを脱がせた。
そして、胸と腕の傷があらわになったところで、桶に水を入れ、タオルを水で濡らして絞り、傷口を拭いた。そして、消毒液をかけたところで、
「……いっ…………」
男の人の意識が戻ったらしく、声を上げた。
「あ、ちょっと我慢して。あと少しで腕と胸の手当て終わるから」
そう声をかけ、腕にガーゼを当てた。一枚では傷がはみ出してしまい、二枚貼った。テープを張る。胸は傷が長くついて、刺し傷のようなものもあるので、大きいガーゼをあて、ぐるぐると包帯で巻いていった。胸と腕の緊急手当ては終了した。そして、もともときていた服を、男の人に着せた。
気が付いたのか、男の人は、うっすらと目を開けた。
瞳は、綺麗な青色をしていた。
「……誰?…ここは?……」
「ここは私の部屋。あなたがすごい傷を負ってたから手当てしてるの」
「そうだ……俺……刺されたんだ……それで……意識なくなって……」
「刺された?」
意味がわからなかった。
「足の傷、見せて。服も破れてるから、これに替えて」
空は父、俊明のだぶだぶのパジャマを見せた。
「……着がえろと……」
「そう。着替えて。後ろ向いててあげるから。そうしてくれないと手当てできないから」
空はそう言い放つと、くるりと男の人に背を向けた。
「……ん」
男の人は座ったまま、渋々と自分の履いていた軍服を脱ぎ、空が見せたパジャマに着替えた。
「……着た」
後ろを向いていた空は、返事を聞いて、振り向いた。
「どうも。そしたら、そこの木のベッドに仰向けになって。消毒する」
「……」
男の人はとうとう無言のまま動いた。
そして、ベッドに仰向けになり、空に声をかけた。
「……あ、あのさ」
桶に新しい水を入れながら、空が男の人の声を聞いた。
「ん?」
「なんで、俺を助けてくれたんだ?そして、ここはどこなのか、教えてくれ」
空は少し考え、返答した。
「助けたのは、あなたが鏡の前で倒れてて、怪我してたから。私のお父さんは医者で、お母さんは看護師だから、今のうちに少しぐらい人のために働かなきゃいけないから。
ここは……んー……住所いうと個人情報だからな……あ、えっとね。日本っていうちっちゃい島国の中の、東京っていう都会の中」
「現実、世界なのか?ここが……
それで……名前、は?」
「私の?」
無言で、男の人はこくりと頷いた。
「私は空。白姫菜空」
「ソラ……」
空という名前を聞いて、男の人は少し笑みを見せた。
「ソラ。いい名前だな」
空は初めてそんなことを言われ、顔が温かくなったのを感じた。
「俺の名前は、海。富ノ芽海、だ」
「ウミ、っていうんだね。す、すごくいいと思う。あ、手当て、しなきゃ」
空は頬を赤らめながら、消毒液を取り出し、海の右足の傷に垂らした。
「……いたっ、つっ……」
「我慢して。他の箇所も、見せて」
海は、少し顔を引きつらせたが、左足もパジャマをまくり上げ、傷を見せた。
左足には、腿に横一文字に裂かれたような傷があった。
それを見た空は、目を見開いた。
「こんな傷……どこでつけるの?」
「戦争で」
「えっ……戦争って」
「そうだ。戦争、だ。
俺は鏡の世界の住人だ。
鏡の世界なんか戦争しかしていない。平和なんて呼べる日が来るかもわからない。そんな世界から、俺は出てきてしまった」
これを聞いた空は言葉を失った。
鏡の世界なんて、おとぎ話や童話のことだろう。
それに戦争って。今の時代平和主義でしょう。
でも、本当にあったら?
鏡……。
だからなのか。
海が、鏡の前で傷だらけで倒れていたのは。
鏡の世界から来たから。
聞いただけでは信じられないような。
「どうしたんだ?」
我に返った。
「へ?あ、ごめん。やりかけだったね」
そう言って、問答無用に消毒液を切り傷にかけていった。
「痛いっ!さ、さっきからかけてるそれ、何?毒って聞こえるんだ。俺を、殺そうとしてるのか?」
「え、違うよ。 その逆。毒を殺してるの。
傷からはバイ菌っていう体に悪いやつが入ってくるから、それを殺してる」
「……悪い菌を殺すのか?」
空の話を聞いて、海は身を乗り出してきた。
「そ、そうだけど。傷ができたらこれをつけるだけ。それだけだよ」
「いや。それがいいんだ。もし、良かったらなんだけど、その、悪い菌を殺す液体、わけてくれないか?」
「これを?べつにいいけど……手当ておわった、これごとあげる」
「本当に!ありがとう」
変わった人だ、と、空は思ってしまった。消毒液が欲しいって言う人初めて聞いた。
「はい。足の手当て終わったよ」
「本当にありがとう」
海は、ベッドから起き上がり、空の顔を見て、お礼を言った。
「どういたしまして。あ。」
空が海の顔を見て気がついた。
海の顔のあざ、なにもしてなかった。
空は救急箱をあさり、青あざに塗ってもいい塗り薬を見つけた。
そして、海の頬などに指で塗りたくった。
「いっ!今度はなんだ?」
「顔のあざ。これを塗ると、治りが少し早くなるってお母さんが教えてくれた……よしっ。全身の治療終わり。はい、これ。消毒液」
海は、消毒液を空から受け取ると、ベッドから立ち上がり、空と向かい合った。そして急に、真剣な表情になり、敬語で、話し始めた。
「ソラ殿には大変感謝しております。あなたがいなければ、今頃私はどうなっていたでしょうか。
あなたは私の命の恩人とも呼べる人でしょう。
本当にありがとうございました。
この借り、またお返します。もう一度、会える日が来ることを、望んでいます。
富ノ芽海、軍隊を代表し、敬礼!」
長い挨拶の後、空は敬礼を受け、敬礼を返した。
海はそれを見て微笑むと、床に転がっている自分の装備を身にまとい、一礼して鏡の中へと入っていった。それを見た空は、
「ええっ!」
仰天して、鏡に近づいた。
鏡の国って。鏡の世界って。
本当にあるんだ……。
てっきりあの人がおかしいのかと思ってたけど……私が信じていなかっただけだったの?
そう思った空は、手をゆっくり三面鏡に近づけた。触れようとすると鏡に波紋が広がるようにして、鏡に映った空が歪んで見えた。
手が、鏡を貫通した。
この裏側でなにが起こっているのか。
富ノ芽海とは、一体何者なのか。
やっぱり、この世界とは違う世界があるのだと空は思った。
第2節
海と出会ってから一月近く経った頃。
小華井学園高等学校では、終業式が行われ、空は夏休みに入っていた。
クローゼットの中にあった夏服と冬服は、クリーニングに出され、からとなっていた。
朝 10時15分。
空はデスクに向かい、空の目の前にある膨大な量の宿題を睨んでいた。
そして、一つため息をつき、
「こんなに出されたら……読書の時間なくなるよ……」
憂鬱になっていた。
だが、空は部活動に入っていないため、時間は他の子に比べれば、あるほうなのだ。
「頑張ってやるか……」
筆箱を取り出し、シャーペンを握って、「夏休みの数学テキスト」と、書かれた、厚い問題集をやり始めた。
カリカリと進めていくこと、約30分。
空は1章4ページもあるものの3章へ入っていた。
バダン!
「ひいっ!」
何事かと後ろを向くと、鏡が開いて、空の知っている人が倒れていた。
「ウミ!」
椅子から立ち上がって、海と呼ばれたひとに駆け寄っていった。
「ひ、久しぶり……ソラ」
一月前にあった時と服装は同じだった。
「また、怪我とかしてない?大丈夫?」
「今回は大丈夫。散々追っかけ回されたけど、逃げて来たから」
それでも命がけだとは思うが。戦場というところで逃げるなんて、あんな弾丸や爆弾が飛んでるところから……。
「それで、今日はなんでここに来たの?」
「そりゃあ、前の恩返しだよ。でも、なにすればいいのかわからなかったから……。
ソラは、何をしてほしい?」
海は立ち上がりながらいった。
「何をしてほしいって……今のところ、何もないけど…」
空は少し考えた。
「じゃあ、また後で考えがあったら言うね」
「わかった」
「でも、せっかく今日来てもらったからな……
そっちの鏡の世界のこと、いろいろ聞いていい?」
「え?あぁ。もちろん。なんでも聞いて」
「ありがとう。じゃあ、そこに座っていいよ」
「? そこって、どこだ?」
「え?座布団だよ。机の近くの」
空は自分の部屋にある小さな机の近くにある座布団を指差した。
「これのことか?」
海がやっと、座布団と呼ばれたものに気がついた。
「そうだよ。向こうの世界にはないの?座布団」
「そんなもの聞いたことがなかったよ。初めて知った。覚えておこう」
そう言って、海は座布団に座った。
「それで、ソラが聞きたいことって?」
海が本題を改めてふった。
「ウミが住んでる世界のこと。
えっと、まずは……向こうの世界とここ、どう違った?」
「うーん……そうだな……まず、こんなに眩しくない。明るくない。
逆に聞きたい。何でこんなに明るいんだ?」
「明るいのは、太陽があるから」
「太陽?」
「窓の外、上に黄色い光ってるものない?」
海は立ち上がり、窓の外を探し始めてすぐに、
「うわっ!眩しい!」
海は慌てて目を手で覆った。
「直接ずっと見てちゃダメだよ。失明するよ?」
「わ、わかった」
海はもう一度座布団に戻り、座った。
「でもそれよりさ、その周り。水色の天井みたいなものがずーっと向こうまで続いてるんだ。あの天井は何ていうんだ?」
「あれは、空っていうの。太陽の光の中でも、青色の波長の光がオゾン層に……」
これを聞いて、海は苦笑した。
「説明はいいよ。俺多分わからないから。
それにしても」
海は窓の外を覗き込んだ。
「綺麗だ。空っていう天井。ソラと名前が同じだ」
「私の名前はその空からつけてもらったんだよ」
「そうだったのか。すごくいい。空も、ソラも、気に入った」
空はおもわず微笑んだ。
「知ってる?海もあるんだよ?」
「海か?俺の名前の海があるのか?」
空のふった話題に海が飛びついた。
「そうだよ。空の水色が海に映るってるの。
すごく綺麗なんだよ」
海はすごくワクワクしたような目で聞いていた。
「俺の、名前のものがあるのか……。
それって、今すぐ見られるか?」
「あー……それはちょっと難しいかも。私の家は海からだいぶ離れてるから……。
でも、毎年お父さんが連れてってくれる。福井県まで行くけど、そこの海に」
「えっ。じゃ、じゃあその時は……」
海がなにか言おうとして、空は止めた。
「わかってる。一緒に行こう」
「ありがとう!ソラ」
青年というより、少年のような笑顔で、海はお礼を言った。
「私から質問というより、ウミが質問する方が多いね」
「あ……つい……」
「あははっ」
空は声を上げて笑った。
「いいんだよ。じゃあ今度は私がするね。
さっき、空を初めて見たって言ったけど、本当に空がないの?」
「うん。こっちの世界は、さっき言ってた太陽の光もない。少し薄暗いだけ。ずっと上の方にモヤモヤした黄色っぽいものが漂ってて、黒い雨が降ってくる時もある。
それに、戦争ばかりだから、昔あったって言われてた木っていうのも名前だけ聞いて見たことないんだ」
これを聞いて空はあっけにとられた。
空がなくて黄色い雲があり、戦争の特徴である黒い雨が降る。
緑がない。
ただの砂地が続く。
周りにある建物や家はガラクタのように崩壊。
子供まで戦争の兵士にされて。
次々と家族が、友人が、子供たちが……。
「……ソラ?」
「はっ……」
また、すごく考え込んでしまった。
一月前と同じように。
「大丈夫か?顔色悪いぞ」
「う、うん。考えすぎちゃっただけ。ちょっと想像が、過ぎた……」
「まあ、確かにな……」
どんな想像をしていたか、海もわかっていたようだった。
「……俺のいる世界が、もっと平和で、戦争なんかなくて、静かで美しい世界だったら、ソラを連れて行って、楽しませたかった。今連れて行くなんて到底出来ないよ……」
海も、戦争は嫌いなようだった。ただ駆り出されている若者。仕事はただ敵を殺すだけの若兵士といったところか。
「さすがに、ね。私もこの歳で死にたくはないよ」
でもね、そう空は付け足した。
「ずっと世界が終わるまで戦争をやることってない気がする。
平和って、いつ訪れてくるかわからないものだからね」
ふと、海が顔を上げた。
そして、ふ、と笑みを漏らし、
「そ、そうだな。まだ、未来なんてわからないもんな」
そう呟いた。
壁にかかっていた時計は、10時50分を指していた。
空がそれに気付いた。
「もう40分も経ってる」
「あ、ほんとだ」
「ソラといると時間を忘れる」「ウミといると時間を忘れるよ」
「あ」「あ」
それから数秒の静寂が訪れた。
先に声を出したのは、海だった。
「はははっ。重なった。しかも同じこと」
海が笑ったことにつられ、
「私もびっくり。あはは」
空も笑った。
「俺、そろそろ行く。心配されるといけないから」
「わかった……でも、つ、次もさ」
「うん」
「こうやって話したいから……
生きててね」
海はそれを聞いて少し驚きの表情を見せたが、すぐに顔を綻ばせ、
「絶対。生きてるから」
そう一言言って、敬礼をし、元来た鏡の世界に帰った。
海が帰った後、空はモヤモヤとした感じがした。
なんだろう。
なんとなく胸がキリキリする。