レベル
『おばさん、レベルなに?』
私は唖然とした。いいなと思いながらも、自分のことを変なおばさんと嘲笑う男子がいきなり言った言葉がレベル、という訳の分からない用語である。
『あの…ですね』
私は犬のようにキラキラとした眼差しのドS系男子の前で口ごもる。
『レベルだよ。レベル。』
そのレベルっていうのがなんなんだよ、と躊躇いながら私は嫌な気持ちがしないでいた。
久しぶりの感覚である。もし私が若ければ―
そう思った瞬間、男子は言った。
『年齢のこと!!レベルって言ってるの、俺は』
一瞬、ぽかーんとした。そうか、これはナンパされてるのか。いや、そんなわけない。なんだろう、このやり取りは。取り合えず私はさっきの余所行きの甲高い声をやめるために、んんっと咳払いした。
『年齢のことをレベルっていうの最近の若い子の間で流行ってるの?』
大人、だ。
なぜか年相応に見られたい。私のさっきの甲高く“女子”を演じていた私は一体なんだったんだろう。バカにされたくないという気持ち?
ちょっと面白いという気持ち?
『そうだよ。年齢をレベルにあらわしてみた。おばさんだと…』
“男子”は、同じように地面に両足をつきスイスイと片手ハンドルで後方に下がった。
私を全体から見ている。そして、私の左手元を熟視しながらこう呟いた。
『レベル40。その時計、凄いださいよ』
私は穴があれば入りたかった。さっき買い換えないとと思ったその時計を投げ捨てて“男子”にぶつけたかった。少し緩みがちな時計を右手で被せる。“男子”の言葉にいちいち敏感になる自分がいた。
『40ではないよ!!』
私は一メートル程しか開いていない距離なのに相当大きな声を出した。右手を左手に、頭を下にして顔を思わず隠した。
“男子”はププッと笑ったような気がした。顔を見ていないが、影を見てわかる。“男子”も今頭上が低くなった。俯いた、のか?
『むきになるなよ。そういうとこ、おばさんぽいよ。あとレベル40は冗談だから。とりあえず、その時計やめなよね。おねえさん。』
“男子”の影が揺れる。自転車の向きを変えようとしてるのだろうか。私はなにか腑に落ちないものがあり、
『レベルなにになればいいかな』
また大声で“男子”に発した。的はもう後ろを向いている。その背中は意外と広くてドキッとする。
“男子”はこっちを一切見ないで呟くように、囁くように、そしてさっきの罵倒とも言える私に対する皮肉の声とは違う柔らかな声で言った。
『レベル22になりきればいいんじゃないかな。そしたら考えるよね、こっちも』
私はビックリした。レベル、つまり年齢の低さにではない。アラサーを超えた女に22なんて響かない。“男子”の柔らかな声があまりにも“男子”の声だったからだ。
あ、とも言う前に“男子”はペダルに力を思いっきり込めて、前進していった。
その後ろ姿が闇に消えていくまで私は力が入らない。
不思議な感情が生まれた。
実年齢32、レベル32の女がどうやってレベル22になればいいのか。
そしてまたあの“男子”に会えるのか。
私は気を取り直そうと右のペダルに足をかけ、
反転し帰路を凄い速度で走った。