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2度目の初恋と“眠り姫”

“隆平お兄ちゃん!”

吹き抜けた風の中に懐かしい声を聞いた気がして振り返り、期待した姿を見たと思った一瞬を強い風が百日紅の花と共にさらう。

「どうかしました?」

「あ…いや」

訝しげな相手に曖昧に笑顔をつくる。

「悪い、気のせい。えっと、で、何だっけ?」

「聞いてなかったんですかぁ?」

弦川 雅紘は呆れ顔の西北 花楓に慌てて適当な言い訳をすると、話の続きを促す。

「しょうがないなぁ。だから、夏休みどこか遊びに行きませんかって話です」

「あーそうだった」

日差しの強さが夏の到来を感じさせる午後、たまたま帰り時間の重なった2人は、駅までの道を並んで歩いていた。

同じサークルで知り合った後輩の花楓は、多少強引なところもあるが明るく人懐っこい性格で、サークル内でもムードメーカー的な存在だった。

「海とか山とか、旅行とか合宿とか!」

「みんなの予定次第なんじゃないか?帰省組もいるだろうし」

「1日くらいなら付き合ってくれますよ、きっと。共に青春を謳歌しようではないか!」

「ハイハイ」

「ハイは1回!」

「お前はオカンかっ」

突っ込まれた本人の楽しそうな笑顔を見て、つられてこちらまで吹き出してしまう。

「まあ、僕はいつでも都合つけるから、予定立てなよ」

「そうこなくっちゃ」

妙に機嫌のいい花楓としばらく他愛もない話をしながら歩き、夜食用の菓子を買うという彼女に付き合ってコンビニに入る。並ぶ雑誌の表紙を見るともなく見ていると、ふと、ある週刊誌の見出しに目が留まった。

“『魔法少女 あずさ』ついに最終話 始動!”

……僕ですら、聞いたのはつい2か月前だっていうのに。

情報というのは必ず洩れるものなのだと実感させられつつ、逆にある可能性に気付く。

曰くつきの特撮ドラマが7年ぶりにようやく動き出すのだ。話題に上るなら曰くの部分をなるべくぼかして期待の方を煽るような宣伝をする為に、わざと情報をリークしたのかもしれない。

手に取り中身をざっと斜めに読むと思った通り、それほど悪い部分を強調するような内容ではなかった。記事の周りにレイアウトされたドラマのカットの懐かしさに、そのまま心は過去に飛ぶ。

“――隆平お兄ちゃん!”

こちらの姿に気付くと、いつだって満面の笑顔で駆け寄ってくる女の子……。


「――じゃあ決まったんですね、“あずさ”の代役」

「そうなの。ようやく宙ぶらりんだった案件に決着がつくわ。雅紘くんもこれで少し気持ちの整理ができるんじゃない?」

「そう……ですね」

どうだろうか。最終話を見届けるまではきっと実感が湧かないだろうと思いながら、それでも止まっていた時間が動き出したのは確かに感じる。

「雅紘くんは19、だっけ?」

「はい。大学2年です」

「そうか、あっという間ね……」

『魔法少女 あずさ』の最終話が幻となってしまってから7年が経つ。それはつまり、花館 英の事故からそれだけの時間が流れたという事だ。

弦川 雅紘はあのドラマで守兼 隆平を演じていた。子役に限らずほとんどの役者が島内から選ばれた素人だった為、監督からの提案で、少しでも役になりきれるようカメラの回っていない時もお互いを役名で呼び合うようにしていた。だから当時の英も2歳年上の雅紘を“隆平お兄ちゃん”と呼んで、撮影の合間の待ち時間や休憩時間は大抵一緒にいて、演技の練習につきあうだけでなく、勉強を教えたり宿題を見てあげたり、もちろん学校であった事や観たテレビ番組など取り留めのない話で笑い合ったり、何を言っても素直に感心してくれる英に、大いに兄貴風を吹かせていたのだ。

「他のキャストはどうするんですか?」

「ま、大人は同じ人が演じてもメイクや衣装で何とかなるけれど、問題は子役よ。さすがに同じ子ってわけにはいかないものね」

「もう、みんな大人になってますよね」

「あの頃の子たちとは、今でも会ったりするの?」

「いえ、街でばったり会う事はあっても、特別なにか集まって、とかはないです。と言っても僕が参加しないだけで、みんなは連絡取り合ってるのかもしれませんが」

あれからずっと、僕は毎日学校帰りにここ――ベディヴィア神経科学研究所へ通っていた。

もちろん研究者としてではない。通い始めた当時はまだ中学1年だったのだから。

「あなたが突然訪ねてきた時は本当に驚いた」

少しだけ遠い目をした相手の言葉に、ああ、と声にならない息を漏らして、少しバツの悪そうに微笑む。

「あの時は本当にすみませんでした。急に押しかけて無茶を言って」

「いいえ、嬉しかったわ。あの子の事を知っていたのはほんの僅かな人間だけだから。でも……雅紘くん?」

「はい」

「抱え込みすぎていない?あなたが自分を責める必要はどこにもないのよ」

「いいえ」

思わず強い調子で否定してしまい、それでも言葉は止められない。

「あれは、あの事故は僕の責任です。僕のせいで――」

取り乱した僕の頬をそっと両手で包まれ、思わず毒気を抜かれてしまう。

「7年という年月はけっして短いものではないわ。それでもあなたは毎日こうしてここに来てくれた。それだけで充分後悔も誠意も償いたい気持ちも伝わっているから。誰も、あなたを責めるなんてできない」

「佐原さん――」

とても僕なんかが口をきけるような相手ではないこの医療島の最高責任者に対して、こんな風に親しく接してもらうなんて本来ならとんでもない話だが、今彼女は所長としてではなく “英の母親として”僕に向き合ってくれていた。

「高校にも行かず、この研究所で手伝いをしたいだなんて、普通は余程の覚悟がなければ言い出せないわ。だから条件を出して」

「はい。“しっかり勉強してちゃんと大学まで卒業できたら”って。あれから僕はこの分野の勉強を始めたんです」

「あなたが大学を卒業する頃、もしまだその気持ちがあれば研究員にしてもいいと思ったし、他にやりたい事を見つけられていれば、それはそれであなたの幸せを祈るつもりだったしね。さあ、今日もあの子に会いに来てくれたんでしょう?話をしてあげて。反応はなくともきっと喜んでいるから」

「はい。僕もそう思います」


「セーンパイ!何読んでるんですか?」

いつの間にか会計を済ませてそばに来ていた花楓の明るい声に、現実に引き戻される。

「――あ、『魔法少女 あずさ』!あたし、毎週楽しみにしてたなぁ」

こちらの手元を覗き込み、懐かしそうに言ってから少しだけトーンが下がる。

「確か途中で主役の子が死んじゃったんですよね。えっと……ハナダテ、エイ?」

「いや、“あずさ”だよ。英と書いてあずさと読むんだ」



「――あっ」

これから行くところがあるという弦川先輩と別れて改札口へ歩き出そうとして、コンビニ袋の余分に買ったプリンの事を思い出す。

おすそ分けしようと思っていたのに、なんとなく渡せないまま駅前に着いてしまったのだ。

――だって、さっきコンビニに寄ってから先輩の様子が変わっちゃったから。

話していて返事はしてくれるけど、何か上の空だった。

なんだろう?何か変な事、言っちゃったかな?無意識に失礼な事して怒らせちゃったのかな?そうでなくても最近の先輩、少し落ち込んでいるみたいで心配してたのに。

「……ヤダ」

モヤモヤとしたまま帰りたくない。怒らせてしまったのなら、謝りたいし、許してほしい。

――ううん、違う。今日だけの事でなく、先輩に、ちゃんとあたしを見てほしいんだ。ひとりの女性として向き合ってほしい。本音を聞かせてほしいし、本気でぶつかってほしい。心配事があるなら力になりたい。たくさんいる後輩のひとりじゃなく、ただひとりの特別になりたいんだ。

決心するのに時間はかからなかった。先輩を追いかけて走り出す。

すぐに早鐘を打ち始める心臓とは別の甘くて苦い胸の痛みが、痺れのように全身を支配するともうひとつの事しか、彼の事しか考えられない。


入学2日目の満開の桜の下で、優しく笑いながらこちらへ手を差し出す、先輩。

サークルの勧誘でたくさんの学生がごった返す正門前で突き飛ばされたあたしを、たまたま通りかかった先輩が助け起こしてくれた。

少し憂いのある瞳に綺麗な顔立ち、「大丈夫?」とかけてくれた声の落ち着いたトーン、そんなにがっしりしているわけではないのに、起こしてくれた手の力強い感触……。

一目惚れだった。

いろいろ調べて同じサークルに入り、彼女はいない事を確認できた4月の終わり、付き合ってくださいと告白した。結果は、玉砕。

彼女にはなれなかったけど、穏やかに微笑む先輩のそばにいられればいいって言い聞かせ、今は少しでも一緒にいられるように先輩が笑ってくれるように頑張っている。

今日だって、偶然を装って本当は待っていたんだ。


駅前の喧騒を抜けて彼の歩いていった方向へと急ぐと、ほどなく見覚えのある後ろ姿を見つけた。

「せ――」

先輩、と声をかけようとした瞬間、何かの施設に入っていってしまう。

『ベディヴィア神経科学研究所』と標榜されたその建物は、周辺の研究所施設から群を抜いた威容誇り、ガラス張りの外見であるにも関わらずガラスが鏡のように景色を反射して中の様子をまったく窺い知る事のできないその姿は、超然とこちら側の世界を傍観する観察者のようだった。

――なんで、先輩がこんなところに?インターンだったっけ?

医療島では、高校生からインターンシップ制度を利用した企業での就業体験を奨励している。だから生徒や学生がこんな風に企業や研究所に出入りする事自体は決して珍しい光景ではない。

一般的には春夏の長期休暇を利用するのがほとんどだから、夏休みまではまだ少しあるけどこの時期にもう始まっているというのは、あり得ない話ではない。

でも先輩はそんな事、ぜんぜん言ってなかった。

会話の端にそんな話が出てきてもおかしくないのに、ついさっき夏休みの計画について話していた時だって、インターンの話なんて一言もなかった。

――やっぱり信用されてないのかな……。

バカバカ、だめだめ!落ち込んでいる暇があるなら、先輩ともっと仲良くなるんだ!

自分に言い聞かせ、意を決して研究所の入口をくぐる。

広いロビーは人気が少なく、塵ひとつない大理石貼りの床が冷たい足音を響かせる。

何と言えば入れてもらえるだろうと考えながら受付カウンターにいる女性スタッフのところまで進んだものの、一歩一歩が奮い立てた勇気を削り取ってしまって頭は真っ白だった。

「どのようなご用件でしょうか?」

「あっ、えっと、あの……」

綺麗な受付嬢に笑顔で対応され、冷や汗をかきながら作り笑いを浮かべる。

――どうして建物の前で、先輩が出てくるまで大人しく待っていなかったんだろう?別に中にまで入る必要なかったんだ。勢いだけでついてきちゃってバカじゃないの、あたし!

猛烈に後悔しながら、それでもやれるだけやってみようと試みる。

「あたし、あ、私、弦川 雅紘さんの知り合いなんですが、今日中に渡さなければいけない物があって……。たった今こちらに入っていくところを見かけたので入ってきてしまったのですが、彼のところまで行かせてもらえないでしょうか?」

ダメだこりゃ。我ながら説得力のない“ご用件”に門前払いを覚悟したが、検索をかけた受付嬢は意外な言葉を続けた。

「弦川様という方はお見えになっていませんし、所内にも該当する名前の者はいないようですが……」

「……え?」

困ったように受付嬢に言われ、それ以上に困惑しながら立ち尽くす。

先輩は間違いなくこの建物に入ったのに。どうして?見間違い?ううん、そんなはずない。絶対にここだった。

「……あの、ご迷惑だとは思いますが、隅で少し待たせてもらえませんか?こちらに入っていったのは間違いないんです。本当に少しだけでいいんで、待ってみて全然出てこないようだったらちゃんと帰りますから」

「はあ……」

了承をもらい、ロビーの先にある駅の改札のようなスペースが見える場所に陣取る。

たぶんあそこで社員証なんかをかざすと奥に行けるんだろう。だから先輩がここに入ったのなら必ずあそこを通るはず。

それにしてもこの建物に該当者はいないってどういう事だろう?あたしが追いかけてきた事に気付いて、撒く為にここに入ったように見せかけたとか?まさか。

そういえば昔読んだ小説で、主人公が“いる”と信じていた人が実はずっと前に亡くなっていた、なんてのがあったな……。

鳥肌が立ち、今日までの先輩との思い出を思い返して、そんな事は絶対にないと自分に言い聞かせる。大丈夫。先輩の手、ちゃんと温かかった。

きっとあの受付のお姉さんの検索ミスとか見落としとか、そんな理由だよね。

携帯端末で時刻を確認すると、もう17時近い。そろそろ日も傾き始める時間のはずだが特殊なガラスの為か外の景色が妙に無彩色で空の色がよく分からない。

退勤するには少し早い時間だから人もほとんど通りかからず、ぼんやりと窓の外を眺めていると足音が近づいてきた。期待を込めてその方向を見やる――。



「――花楓!?」

「せ、せ、先輩~~!」

大好きな先輩の顔を見た瞬間、泣き出しそうになる。

「1時間待ってました~~~」

「あー、うん、聞いた。藍野さんが気付いてくれなかったら、もうちょい待つ事になってたかな」

「ひ、人が通るたびに先輩が来たかと思って、でも全然来なくって、絶対に先輩はここに入ったのに、あたし見たのに……」

待っている間に悪い想像ばかりが膨らんで、ようやく会えた安心感でしどろもどろになりながら、先輩の手を取る。

「ちゃんと、いますよね?先輩はちゃんと実在する人ですよね?」

「こらこら、当たり前だろ」

ぽん、と頭に乗せられた手が、そのままグイッと押さえつけて、そばにいる年配の女性に頭を下げる形になる。

「お手数をおかけしてすみませんでした」

「す、すみませんでしたっ」

おそらくこの人が先輩を呼んでくれたのだろう。

「いいのよ、うふふ。ま、頑張んなさい」

最後の言葉はどうやらあたしに掛けてくれたもののようだった。

「それにしても、どうして先輩は存在しない人みたいになってたんですか?」

「ああ、それは」

首から下げた入場証を目の前に掲げる。

「守兼、隆平……?」

え?こういうのって偽名とかでもいいんだっけ?でもこの名前、どっかで……。

「あ!『魔法少女 あずさ』の!?」

「うん、これを作ってくれたさっきの藍野さんが、なんというかお茶目な人でね、この名前で登録しちゃったんだよね」

「でも、なんで?」

「ん?あれ?もしかして知らない?」

ちょっと悪戯っぽく笑う、その表情に思わずキュンとしてしまう。

「隆平役は僕が演じていたんだよ」



妙に納得してしまった。

子供の頃、かかさず観ていた『魔法少女 あずさ』は、その内容だけでなく、隆平お兄ちゃんがかっこよくって大好きだったからだった。初恋と言ってもいい。

どうりで一目で好きになってしまうわけだ。

知ってしまうと、どうして気付かなかったんだろうと思うくらい、先輩の表情は隆平お兄ちゃんと重なる。

「あのさ、僕があの研究所に通っている事、みんなには黙っててくれる?」

大人になった隆平お兄ちゃんだ……。

「え?あ、はい!」

つい見とれてしまい、せっかくの先輩の言葉を聞き逃しかけて慌てる。

知られたらまずい事とは思えないけれど、先輩がそう言うのなら、もちろん周りに言いふらすつもりはない。それどころか2人だけの秘密ができた事がうれしかった。

「ところで、先輩はあそこで何をしてたんですか?」

「……やっぱり気になるよね。でもそれを言うなら、君こそあんなところまでついてきて、僕に何の用だったの?」

「質問に質問で返すなんて、ずるい!」

バッグからプリンを取り出して、先輩の手に押し付ける。

「なん…?」

「先輩がここのところ元気ないみたいだったから、ずっと心配してたんです!元気付けたかったんです!さっきだって帰る途中に何か様子が変わっちゃって、だからもしあたしが何か不愉快な事とか言ったのなら、我慢しないで怒ったり文句言ったり、ちゃんとぶつけてほしいって伝えたくって、追いかけてきたんです!」

言いたかった事を一息で吐き出して、切れた息を深呼吸で整える。

「次は先輩の番!」

「そうだね、ええっと……」

あたしの勢いに呆気に取られた先輩は言葉を選ぶように目をそらしたが、手元のプリンに視線を落とすと、

「………………ぷっ」

吹き出した。

「なっ、先輩~!?」

こっちはめちゃめちゃ真剣に言ってるのに!

「ああ、ごめんごめん。なんていうか……女の子ってすごいよね」

そう言ってプリンを持ち上げる。

「これ、ありがとう。おかげで元気出たよ。さっきはごめんね。ちょっと上の空だったのは花楓のせいじゃないから。それと、あの研究所に何をしに行ったのかって質問だけど」

スッと息をついて、少し照れくさそうに柔らかく笑う。

「あそこには、お姫さまが眠っているんだ」

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