“名監督の”最後にして最高の傑作
はて……今日は何日だったか……。明日は何か、大切な予定があったような……。
いくら思い出そうとしても頭に霞のかかったように記憶が輪郭を成さず、つかむ事ができない。
とても大切な……そう、儂にしかできん大切な仕事だったはずだ……。
おぼつかない足取りで布団から出て机の上の手帳を取り、予定のぎっしり書かれたページをめくって満足気に息をつく。自分がそれらをすべて精力的にこなしている人間であると確認し安心すると、改めて布団に潜り込む。
眠りに落ちる直前、結局明日の予定が何だったのかが分かっていない事に気付いたが、手伝いの女性が把握してくれているだろう。彼女はよくやってくれている。家事全般をいろいろと取り仕切って、確か誰かの紹介で雇ったはずだが、正直めっけものだった。料理は旨いし掃除や整理も完璧、儂の癖や好みもすぐに覚えて、いいように取り計らってくれる。よく気が付くし、何より愛想がいい。今度の仕事が一段落ついたら、旅行にでも連れていってやろう……。
――よく眠っている。
垣花 江以子は雇い主の様子を確認すると、静かに扉を閉めた。
眠る前に飲む睡眠薬がよく効いているようだ。
睡眠薬、なんていうと何か陰謀めいた雰囲気になるが、医師の診断によるちゃんとしたものだ。
歳を取ると眠りが浅くなるとよく言うが、雇い主の場合は忙し過ぎた現役時代から解放された反動で認知症を発症し、治療の一環として処方されている。
認知症の方はまだそれほど深刻ではないのだが、忙しかった頃の充実感が忘れられないらしく、昔の手帳を開いてはスケジュールでいっぱいになっている事に満足するという一連の動作を日に何度も繰り返す他に、時折思い込んだ予定を実行しようとする事があり、本人の満足するよう、気付かれないように手配するのが大変だった。その辺りは雇い主の人望というか人脈で、相談に乗ってくれる人も多いので何とか成り立っていた。それ以外は日がな一日読書にふけっているのだが、それも次回作の為の準備だと考えている節があるので気を抜けない。
――無茶ではないかしら。こんな状態の人に映画の撮影なんて……。
それでも、ここ何週間かの雇い主の様子は目に見えてイキイキとしていた。やはり生きがいというのは必要なものなのだ。そもそも人生のすべてを特撮映画の制作に捧げてきた雇い主――執行 正治が、そのライフワークの有終の美を飾るべく心血を注いで撮っていたのが、『魔法少女 あずさ』だった。その最高傑作になるはずだった作品が、最終話の撮影中の事故でお蔵入りしてしまい、ガックリきてしまったのだった。
正直言ってしまうと、2年前からここに勤めるまでは特撮なんてまったく興味も縁もない世界だったし、執行の名前など聞いた事もなかったが、もちろんそんな事はおくびにも出さずに特撮映画界の巨匠の元でお手伝いができる事を光栄に感じているといった態度で接している。
時折出てくる専門的な話には逆に、まったく知らない世界を覗かせてもらった、という感じで話を聞きつつ適度に質問を挟むと喜んで説明してくれたしなかなか興味深くもあったが、それは本人がどう認識していようとも過去の話で、なんとか自分を才能に溢れて評価もされ、重要で、周りから必要とされている人間にみせようとする様は、過去の栄光にしがみついた哀れな老人でしかなかった。
それが『魔法少女 あずさ』の最終話制作の連絡とオファーが来てからの約3週間、張り切って準備と打ち合わせに臨む執行は、これまでとはまるで別人だった。
――怖いぐらいに。
おそらくは別人に感じてしまう方の執行が本来の、監督時代の姿なのだろう。
だが何故かその変わりように異様なものを感じてしまう。特に起きている間の執行の様子からは、ほとんど認知症の症状がなくなってしまったからだ。
――最近、薬が変わった事も関係あるのかしら……?
この医療島で開発されたばかりだというその新薬は、確か撮影の再依頼のあった頃と前後して、週に1度病院で検査を受ける事を条件に試験的に処方されたものだった。
それ以来、1日に何度も繰り返していた手帳の確認も昔の手帳を自己満足の為に見るのではなく、新しく用意した手帳に書き込まれた本当に入っている予定の為になり、それも頭に入っている予定に間違いがないかを念の為確認しているだけのようだ。
――まあ、考え過ぎ、なんでしょうね。
まだ病状がそれほどひどくなかった事。新薬の効力と相性。そして生きがいでもあり心残りでもあった、特撮映画の撮影を再び任された事。
きっとすべてのタイミングが合った事が、認知症を快方に向かわせたのだろう。
――忙殺という言葉があるけれど、本当に忙し過ぎて死んでしまったりしないかしら?
3か月後には撮影が始まるらしい。そういうものに疎い江以子でもそれが、準備の時間が充分ではないという事は分かる。忙殺は正しくは忙しさを強調する状況を表す言葉だけど、そんな余裕のない予定組みをやりがいで麻痺させて強行し、文字通り、忙しさに殺されてしまわないかが心配だった。
淹れた番茶を1口すすり、ホッと息をつく。
ここに勤めるようになったこの2年間、認知症に困らされる事も多かったが、生来の人の良さを感じさせる優しい人柄は好ましかった。だが最近の執行はそこに時折、仕事としての効率とクオリティなどを理由に人を切り捨てる冷徹さ、上に立つ者の傲慢さが垣間見え、その変わりようこそが不安の元だった。
――そうそう、明日は朝一で検診にいかないと。
午後から打ち合わせがあるから、遅れないようにしないといけない。
もちろん、江以子も付き添う。執行の様子を医師に伝えなければいけないし、何よりいくら最近認知症の症状が出なくなってきたとはいえ、まったくなくなったわけではない。
どうしてなのかはよく分からないが、うつらうつらした時などに症状が出るらしい。はじめは寝ぼけているのかと思ったのが、どうもその間の様子や行動が症状に似ているように感じ、それを医師に伝えると引き続き睡眠薬を処方される事になったのだった。
人は忙しい時には休みたいと思うものだけど、いざ働かなくてもいいとなると寂しくなるものだ。
江以子は夫を早い時期に亡くし、女手一つで育てた娘も今は北海道の大学の寮に入っている。医師である父親が医療島に移る決心をした時、一緒についてきたのだった。
幸運にも経済的にそれほど苦労した事はなかったが、仲が悪いわけではないものの仕事人間の父はあまり家には帰ってこなかったので、娘が家を出て一人になってしまうと急に生活のハリがなくなってしまった。突然世界から切り離されてしまったような孤独。働くというのは日々の糧を得るという理由以上に、人と、延いては世界と繋がっている事を実感する為に必要な事のようだ。
そういうわけで、就業経験の浅い自分にもできる仕事として家事の経験を活かせる職種を希望し、父の知り合いのツテで住み込みの家政婦として働く事になったのだった。
執行についてはその経歴と認知症の傾向はあらかじめ聞かされていた。暴力的な行動があるような深刻な状況なら、自分みたいな経験のない人間には難しかっただろうが、祖母に預けられる事が多かった江以子には年寄りを扱うコツのようなものが自然と身についていたらしく、今までトラブルらしいトラブルもなく過ごす事ができていた。
とはいえ、執行との間にトラブルはなくとも彼自身がトラブルを作り出す。
「あれはひどかったわねえ」
つい口に出して苦笑してしまうほど、語り草になっている出来事があった。
江以子が勤め始めて半年くらい経った頃だったろうか。突然、「今日は映画の完成披露パーティーがあるから、タキシードを用意してくれ」と言い出した執行の思い込みを、現役当時は執行の助監督を長く務め、今は引退して映画制作の学校で講師などをしている鷲頭 篤哉に相談した。
執行の思い込みのほとんどは撮影の予定で、いつも鷲頭から電話で、延期になった、スケジュールの調整をしている、監督の手を煩わすほどではないトラブルが起こった等々、上手く言いくるめてもらい、本人もそれで納得すればそのまま忘れてしまう。たまに頑固に言い張る事があって、その時は鷲頭の人脈から手の空いているスタッフや新人の俳優などを集め、撮影のフリをするのだ。1カットでも撮れば満足するらしく、台本中のあまりお金のかからないシーンを選び、それらしく用意して撮らせるのだそうだ。
実現せざるを得ない雰囲気だったそのパーティーも、適当な関係者やエキストラ総勢100人を集め、本当に催したのだ。あれには江以子も驚いた。
それはもちろん鷲頭の人脈もあるだろうが、そこまでさせる執行の人柄や影響力を目の当たりにさせられたようで、それまで特撮映画界の巨匠だったという知識でしかなかったものが、あの時初めてすんなりと本人に重なったように思う。
ホテルの宴会場を貸し切って行われたその大掛かりで優しい嘘を、誇らしげに挨拶して回る執行に付き添いながら眩しく感じたものだ。
だから執行が作品を作り上げる情熱や完成した時の達成感、人々から受ける賞賛を忘れられず、認知症の症状として出てきてしまう事を哀れながらも江以子にはとても納得できた。
ただ、そうは言っても鷲頭がどうしてそこまでするのかが疑問で、聞いた事はある。
“監督にはお世話になりましたから”と笑っていたが、果たして恩だけでそこまで出来るものだろうか?
何しろ時間や手間だけでなく費用までも鷲頭が工面しているのだ。
恩師への感謝の気持ちだけでなく、たくさんの苦労を共にし、1つの作品を作り上げる為に過ごした時間というのは何ものにも代え難いものなのかもしれない――……。
「――やだ、もうこんな時間!」
私も早く寝ないと。明日も予定がいろいろあるのだから。
執行の再監督就任が決まってから、それまでの生活のサイクルが一変した。
イキイキとした雇い主の姿を見る事はイヤではないし、むしろ江以子もこの一時的な忙しさを楽しんでさえいたのだった。