“伝説の”魔法少女
「――そこ!」
暗い森の中、シルエットが黒々と迫る木々の間を駆けながら、杖を振り上げる。
杖の先端から発せられた光が目標の頭上に飛び、辺りを照らし出す。そこにいた『大猪』はその大きさと纏う神気から、どう見てもこの世のものではない。
それと正対するのは、キラキラと輝く石のついた杖を構えた10歳くらいの少女。その足元には真っ白い猫がアクアマリンのような瞳を光らせながら長い尾を振っている。
光に怯むように大猪はじりじりと後退すると、白い猫が言葉を発した。
「あずさ、聖剣を!」
「うん!」
少女はうなずくと、詠唱を始める。
「9人の守護女神の名のもとに、聖剣よ、来たれ!」
途端に風が巻き起こり、杖が指輪に変わって指に納まると同時に、手元に剣が召喚された。
自分の背丈ほどもある剣の柄を掴むと、高らかに剣に命じる。
「真の力を現せ、カリブルヌス!」
聖剣が白く燃え上がり秘めた力を解放すると、大猪は初めて言葉を発した。
「その剣の主たるに相応しい器を、我に示せ」
攻撃してきた大猪を相手に、少女はまるで重さなどないように軽やかにその刃を振るう。
決定的な一撃のないまま力が拮抗する中、大猪の牙が鋭く少女に襲いかかる。
「危ない、あずさ!」
寸前、白猫が前に飛びだし、牙に弾き飛ばされた小さな身体が樹に叩き付けられた。
「マリン!」
ぐったりと地に落ちる白猫へ少女が駆け寄ると、気を失っているだけのようだった。
「こっのおぉぉぉぉぉっ!」
本気で怒った少女が炎のような勢いで猛撃し、やがて渾身の一撃でよろめかせた大猪目がけてまっすぐに地面を蹴り、深く貫く―――間際。
ぴたりと額に止めた切っ先を、息を切らしたまま鞘に収め、大猪に請う。
「傷つけてごめんなさい。わたしと契約――ううん、友達になってください」
そっと額に手を置く少女を見つめ、やがて張りつめた空気が緩んだ。
「――いいだろう。そなたの力を認めよう。必要な時は我を呼ぶがいい」
現れた魔法陣に消えてゆく大猪を見届け、少女は白猫のもとに急いだ。
「マリン!マリン!」
抱き起こして必死に名を呼ぶと、白猫はゆっくりと目を開く。
「大丈夫!?どこか怪我してない?痛くない?」
「大丈夫だよ、あずさ……ごめん、ボクぜんぜん役に立てなくって」
「なに言ってるの?マリンは助けてくれたじゃない。それにそばにいてくれるだけで心強いんだよ。怪我がなくって本当によかった……」
ぎゅっと白猫を抱きしめる少女に、杖から飛んだ光が戻ってきて、まわりをゆっくりと旋回する。
光は精霊だった。
「ありがとう」
少女が笑いかけると、光の精はふわりと空気に溶けるように消える。
「さ、帰ろ」
「そうだね、早く帰って宿題の続きをしないとね」
「う……そうだった……」
――なんで、なんで、どうして。
白猫の見守る先では、少女が苦しい戦いを強いられていた。何度も吹き飛ばされ、地に転がされても、あきらめることなく立ち向かっていく。
――なんでボクはこんなに無力なんだ?あずさがこんなにも一生懸命戦っているのに、いつもいつも、どうしてボクにはなにもできないんだ?見ていることしかできないんだ?
悔しさと歯がゆさで胸がつぶれそうだった。
――力がほしい。あずさを助ける力が。いっしょに戦える力が―――
そう心の底から願った時、白猫が魔法陣の中心で浮かび上がる。
「マリン!?」
脈動するような光の波動が白猫に集束し、目を開けていられないほどの強い光を放つ。少女は戦いを中断して光の魔法陣に飛び込み、白猫に抱きついた。
「どうしたの!?マリン!?マリン!」
その腕の中で覚醒した白猫は瞳に不思議な煌めきを宿して少女を見つめ、しっかりとした声で言った。
「――わかったよ。ボクになにができるのか、なにをするべきなのか」
そうして手を取り合うと、詠唱する。
「我、9人の守護女神に請い願う。主の『翼』とならんことを!」
ふたたび現れた魔法陣で白猫は少女と融合し、少女の背に真っ白い翼として顕現した。
「キ、キャアァァァァァァァァァッ」
翼は力強く羽ばたいて少女を空に舞い上げ、肉薄してきた『巨人』の攻撃をかわして手の届かない高さへと回避する。
“あずさ、よく見て。あいつは体が大きいだけで、動きも反応もそんなに鋭くない。だから水の精霊にあずさの姿を映してどちらが本物なのか混乱している隙をつくんだ”
「わかった!」
指輪にキスをすると、精霊が現れる。
「お願い!あずさの姿になって一緒に攻撃して」
――火の精霊さん、水の精霊さん、光の精霊さん。
ベッドに入って眠りにおちるまでの刹那、指折り数えて、ため息をつく。
わたしが契約を交わしたのは、この3人。まだまだこの島にはたくさんの精霊さんがいるはずなのに、わたしに力が足りないから。
マリンはいつもいろいろ考えてくれたり応援してくれる。だからわたしは、わたしにしかできないことを頑張りたい。
わたしにしかできないこと――来たるべき『災厄』と戦うこと。
ブランケットを敷いたカゴの中でくるりと身体を丸めて眠る、雪のように真っ白な猫に目をやり、微笑む。
――もう2ヶ月も経つんだな……。
はじめてマリンに会ったのは、5年生になった始業式の日だった――。
わあ……。
目の前にひろがる、咲き乱れる桜の美しさに思わず声にならない歓声をあげて、立ちつくす。
学校の帰りに寄り道した、公園。
少し遠回りだけど、たくさん植えられた桜がこのあたりでは有名だった。
広場を取り囲む桜の樹から花びらがやさしい雨のように降りそそぎ、差し出した両手にもひらりと舞い込む。淡いピンクの花びらがなんとなく幸運の予感のような気がして、ハンカチでそっと包んでポケットにしまう。
しばらくひとり見惚れていると、遠慮がちに後ろから声をかけられた。
「……あずさ?」
「はい!」
こんなところで名前を呼ばれたことにびっくりして、思わずきちんと返事をしてしまう。振り返って認めた姿に、ほおが赤くなってしまうのが自分でもわかった。
「隆平お兄ちゃん!」
隆平お兄ちゃんはほんとのお兄ちゃんじゃなくて隣の町に住んでいる2つ年上の従兄で、遊びに行くといつも優しくしてくれる、物知りでかっこよくって大好きなお兄ちゃんだ。
「ひとりで、なにしてるの?」
「あのね、桜がきれいだろうなって思って……」
答えながらさらに顔に血が上って熱くなる。
「大丈夫?顔赤いけど。もしかして熱があるんじゃ……」
言いながらおでこに手を当てる。
優しい、感触。少しだけ冷たい手。
手が冷たい人は心があったかいって聞いたことがあるけど、きっと本当だな……。
そんなことをぼんやりと考えていると、熱を確かめた隆平お兄ちゃんは心配そうに覗き込んだ。
「やっぱり熱があるみたい。ほら、一緒に行ってあげるからもう帰ろう?」
「うん」
「あずさはいい子だね」
にっこり笑って頭をなでてくれてから、隆平お兄ちゃんが手を取る。
大好きなお兄ちゃんとふたりで手をつないで帰る道は、すごくすごくしあわせだった。
「あら、ごきげん?あずさ」
「ん~、そんなことないよ」
「顔に“今日はいいことがありました”って書いてあるわよ」
「え!うそ!」
思わず両手でほおをかくして、くすくす笑うお母さんの様子に、からかわれたのだと悟る。
「ひどーい」
ぷうっとほおを膨らませると、すかさずお母さんに指でほおをつぶされた。
「あらあら、だってごきげんでしょ?“大好きな隆平お兄ちゃん”にばったり会えたんだから」
お母さんには敵わない。
照れ隠しに日の傾きはじめた窓の方を見やると、急に強くなった風が樹をゆらす様子が見えた。
「このぶんだと、今晩のうちに桜は全部散ってしまうわね」
残念そうにお母さんが言うと、お父さんが絵の具のたくさんついた作業着姿で居間に入ってきた。
「ひどい風になってきたね。今晩中に桜は散ってしまうだろうなあ」
同じこと言ってる。お母さんと顔を見合わせる。
「んん?なにか変なこと言ったかな?」
戸惑い顔のお父さんが、笑い出したわたしたちを見つめた。
大切なお守りがなくなっていることに気付いたのは、そのすぐ後――制服を着替えようと部屋に戻った時だった。確実にあった瞬間からの記憶をたどり、なくしてしまいそうな動作を思い返す。
――そうだ。公園。
きっとあそこでハンカチを出した時に落としちゃったんだ。帰るまでは確かにあったから。ぜったい、そうだ。
「せっかくお兄ちゃんに会えたのに……」
ずいぶん前に隆平お兄ちゃんにもらった、水色の綺麗な石。にぎっているとなんだか落ち着いて、勇気がでてくる不思議な石で、肌身離さず持ち歩いていた大切なお守りだった。
――探しに行かなくちゃ。
コートを羽織ると、お父さんとお母さんに「晩ごはんまでには戻るから!」と声をかけて玄関から飛び出した。
――確かこのへんだったと思うけど……。
暗くなりはじめた公園の広場は強い風に散らされた花びらが地面を覆い尽くし、空間をほの白く浮かび上がらせていた。
淡いピンクの花びらの中に埋もれているはずの石は、なかなか見つからない。
「お願い、出てきて……隆平お兄ちゃんにもらった、大切な石なの……」
どんどん深くなる夕闇の中、祈るような気持ちで探していると、ふと猫の鳴き声が聞こえた。
顔を上げると、目の前に真っ白い猫がきちんと前足をそろえて座っている。
綺麗な毛並みのその猫は、長い尾を振りながら足にまとわりついてきた。
ずいぶん人に慣れた猫だな……。
小さな頭をなでて抱き上げると、抵抗もなく腕に納まる。そのまま喉を鳴らしてひょいと合わせた目の、その色にどきりとした。
探していた石とそっくり同じ色の、青い目。
アクアマリンのような綺麗な水色。
「もしかして、あの石があなたに変わっちゃった?」
あるはずないと分かっているのに、そんなことをつい口にしてしまうと、猫はまるで言葉を理解したように鳴き声を上げた……。
「あずさ、気をつけて。“見る者”はすぐそばにいるはずだから」
「それって、どういう……」
「あずさー、お夕飯の支度、手伝ってー」
「はーい」
階下から呼ばれ、話はうやむやになってしまう。急いで階段を駆け下りていく少女の後ろ姿を見送り、白猫はため息をついた。
ま、いいか。気をつけたところでいつか必ず現れるのだから。
それでも、あずさならきっと――…。
「強くなったね、あずさ」
『狼男』と契約し、ホッとした空気の中、白猫が感じ入るように見つめる。
「―――ああ、本当に強くなった」
思いがけないところから声がかかり、驚いてその方向を振り仰ぐ。
月を背に樹上に立つ姿を認めて、少女は信じられない気持ちで叫んだ。
「隆平お兄ちゃん!?どうして……?」
いつもの優しいお兄ちゃんとは雰囲気が違う、まるで他人を見るような冷ややかな眼差し。
「僕は――女神の“眼”」
それを聞いた途端、白猫が驚いたように声を上げる。
「お前が“見る者”だったのか!」
「マリン!“見る者”って!?“女神の眼”って一体なんなの!?」
「あずさ。君がこの島の“王”たるに相応しいか、最後の試練だ」
状況が飲み込めない少女は、ただ見つめるしかない。
「僕を―――」
表情を映さなかった顔がほんの一瞬、つらそうに歪んだ。
「―――倒せ」