祝福された、“子供”
校舎脇の通路には、不自然な方向に腕や脚の曲がった生徒が横たわっていた。
みるみる拡がっていく大量の血が、もう手の施しようがない事を物語っている。
夕暮れの校内には残っている生徒の姿はほとんどなかったが、屋上からは下を覗き込む数人の影があった。彼らは下の様子を確認するとすぐに頭を引っ込めて、階段を使って落ちた生徒の元へと急いだ。
「あいつ、ホントにやりやがった」
「バッカじゃねえの」
「ドMだな」
「ある意味ドSじゃね?自分を痛めつけて楽しんでんだから」
階段を足早に下りていく生徒たちに危機感は皆無だった。軽口を叩き合う会話も忍び笑いを含んでいる。下駄箱で靴に履き替え、校舎を回って落ちた生徒の元に着くと、時間を確かめた。
「えっと…5分17秒」
「どうだ?」
促された生徒が、拡がる血の鮮やかな色と生臭いような匂いに怯みながら、恐る恐る近づくと生徒の顔を検める。
「うぇー……死んでる………」
地面に叩きつけられた衝撃で頭が潰れている。
血溜まりの中でぐったりと不自然な姿勢で横たわる様子は尋常ではないはずだが、誰一人教師や救急車を呼ぼうとはしない。にやにやと眺めているだけだ。
まるで、倫理の観念のない、生命の尊さをまだ理解しない幼い子供が、虫を殺しても何も感じないように。
何かあったのかと足を止める通りがかりの生徒もいたが、血塗れの生徒の姿を認めた途端、ただ眉をひそめて関心を失ったように通り過ぎていく。
それは、これがごく日常の出来事で、特別心痛を覚える事ではないと言っているのと同じであり、“死”への畏怖や恐怖、悲劇性といった感覚の欠如による無関心という現代病の現れでもあったが、それにしてもこの様子を見過ごす事のできる感性は異常としか言いようがない。
「―――お前たち、何やってる!!」
集まる生徒にたまたま気付いた20代半ばの教師が詰問しながら近づいてきたが、倒れた生徒を見て一目で状況を理解した。
「どのくらい経つんだ?」
生徒が一人明らかに校舎から飛び降り、血塗れで死んでいるというのに、心を痛めるどころか意に介す事なく教師が尋ねると、バツの悪そうに顔を見合わせながら生徒たちは答えた。
「あとちょっとで10分です」
「まったく、何が面白いんだか……」
渋い顔で溜め息をついた教師ですら、身に覚えがないわけではない。
――“臨死ごっこ”
またの名を、“死刑ごっこ”
大抵は中学生くらいまでに遊びの一環として秘かに体験し、それ以上の年齢になると身についた倫理観からあまり実行する者はいなくなる。特に高校生ともなれば格好つけたい年頃であり、“臨死ごっこは子供の遊び”という感覚になる。
「―――――っぐあっ、はあっ、はあっ、はあっ………」
突然血溜まりの死体が息を吹き返し、苦しそうに喘ぎながら起き上がった。
「げほっ……ど、うだった………?」
潰れたはずの頭はいつの間にか元通りになり、大量に血液を失ったはずの顔色は健康的だ。
「14分。満足か?」
「ゲ、高荷……」
「こら、せめて目の前でくらいはちゃんと先生をつけろ」
「先生、俺ら別に、誰にも迷惑かけてないですけど……」
生徒たちが言い訳がましく弁解を試みると、教師は手を振った。
「分かった、分かった。お前ら、とりあえずこの血を水で流しておけ。校長が見たら卒倒するぞ」
説教は免れたらしい、と気をゆるめた生徒の一人が、気安い調子で余計な一言を返す。
「ああ~年寄りだから」
「馬鹿、“最後の世代”と言え。説教は明日な」
「えぇ~~~~~~」
せっかくの教師のお目溢しを逃がした生徒たちが、一斉に不満の声を上げた。
―――“子供”が“死なない”、世界。
ちょうど7年前から、世界中で子供は死ななくなった。
どんな事件や事故に巻き込まれても、病気にかかっても、たとえそれが自ら望んだものだとしても、子供が死ぬ事は決してない。
“死なない”という事実が明らかになった当時は、その現象を“奇跡”だと持て囃し、それが偶然の重なった幸運や一時的なものではないと認められた後には、その奇跡の始まりの年を“奇跡元年”と呼ぶようになっていた。
世界中のあらゆる宗教団体が、その奇跡をそれぞれが崇める神の加護と救済であると主張し、医師や科学者たちは科学的・理論的に証明しようと躍起になったが、結局7年経った今になっても証明はできていない。
ただ、“子供”の概念は世界各国それぞれであるのに、この奇跡が20歳を迎えると無効になる、つまり20歳からを成年とする事から、日本をはじめとする数国で起こった“なにか”が原因ではないかと噂されていた。
それまでは世界的に、法的に定められた成人年齢は18歳が主流であったが、これをきっかけに世界標準で20歳を成人年齢に、という議論までされている。
唐突にもたらされた奇跡のおかげで、人類は子供が死ぬという悲劇から解放された。
建物の屋上から落ちようと、車に撥ねられようと、鋭利な物で身体を刺突・切断されようと、落ちてきた重い物に直撃しようと、炎に巻かれて全身を焼かれようと、雪や土や瓦礫に埋まろうと、冷たい水の中に落ちようと水中に数時間沈もうと、感電しようと、何日も飲食しなくても毒を飲み込んでも、銃弾に撃ち抜かれようと地雷を踏もうと、末期まで進んだ病いに蝕まれようと、これらを自発的、または他者が悪意を持って行動しようと、死を迎えてから数分で身体は元の状態に戻り、19歳までであれば決して死ぬ事はない。
生き埋めになって圧死または窒息死したり水中で足を取られて溺死するなど、生き返っても生存できず、且つ、発見までに時間がかかる状況の場合、その場では生き返らずに、腐敗といった死後変化を起こさず仮死のような状態で身体は保存され、発見・救助されて生存を確定できる状況になると息を吹き返す。
死の原因となった外傷は修復され、失った身体の一部は再生・産生され、異物は排出される。
―――ただし、“死の原因となった”、である。
脚の病気で歩く事のできなかった子供が脚の切断によって死を迎えても、切断された脚が元に戻って生き返るだけで、歩く機能までが回復するわけではない。たくさんの血が流れた時はその血が元に戻るのではなく体内で新たに産生されるが、血液に機能異常があってもそれが死の原因でなければ産生されるのはそのまま機能異常の血液だ。
疾患が原因の場合は末期より前の段階に戻るだけで疾患自体が完治するわけでなく、あくまで“死を回避する”だけで、障害が健常な状態になるわけではない。
さらに、死んでいる間は本人にとっては気を失っている、または眠っているような感覚だが、死の直前まで味わった苦しさ、痛み、恐怖、ストレスは残るのだ。
残ったそれは心の傷となり、PTSDといった疾患を引き起こす。
奇跡発現当時から問題提起されたが、圧倒的に好奇心の方が上回り、ほとんどの子供が自らを危険な状況に置いて死を体験する――臨死体験をするようになった。
今だけしかできないという限定感、自分たち子供だけだという特別感を持って、遊びで、危機感なく、己の無知に気付かず、命を冒涜しているとも知らず、自らを客観視できずに、目の前の奇跡をただ、“面白いから”と。
“どうせ死なないんだし”と。
臨死の時間は原因によって個人差があり、臨死ごっこでは修復にかかる時間が長い――息を吹き返すまでに時間がかかるほどカッコいいとされる。
年齢や重ねた回数により遊びの目的は変わってくるが、小学生くらいまでの年齢、少回数の場合は“生き返る”という奇跡への好奇心からなのに対し、何度か経験のある中学生以上になると根性試しの側面が強くなり、どちらがより高いところから飛び降りる事ができるか、より刺激的な死に方ができるかといった、方法や臨死の時間を競ったりする。
死への、あるいは生への意識が希薄となった子供たちは残酷な遊びに興じ、確立した認識に破壊された倫理観は歯止めの利かぬ暴走を呼ぶ。
喧嘩やいじめは簡単に、行為としての殺し合いにまで発展し、結果として生物学的に死亡せず罪にも問われないという免罪符を手に入れた事で、終わりのない憎しみの連鎖でがんじがらめになるケースも多かった。
そして麻痺した感覚は大人になってからも様々な弊害、犯罪を引き起こす。
刷り込みといっていいほど意識に深く沁みついた命の軽視は、20歳になった途端に切り替えられるほど容易なものではなく、感情の抑制ができずに簡単に命を奪う事件が多発し問題となっている。
さらに親や周囲の大人も、危ない事をしている子供を注意しない、危険な目にあっても心配しないなど感覚が麻痺し、また、災害や事故といった緊急時に、子供を置いて逃げるなどの命の優先順位も変化している。罪悪感なく子供を犠牲にする風潮は、保護感の欠如による大人・家族に対する、ひいては社会に対する不信感に繋がり、犯罪に結び付く。
教育現場は未だ混乱し、教育指針は毎年見直されているものの追い付いていないのが現状で、特に奇跡体験後の後遺症ともいうべき数々の弊害は、症例の報告・蓄積を待たなければ分析が難しい為、対応へのタイムラグが生じる。すべてが未知の領域で対応策・解決策は手探りな上に、奇跡への好奇心を止められるものではない。親や教師がどんなに言い聞かせたところで、臨死ごっこ・死刑ごっこは大人たちの見ていない所で連綿と続けられていた。
また、混乱しているのは子供に正対する時間の長い、教育現場だけではない。
法律、社会制度、慣習など国・地域・企業規模での奇跡への対応と受け入れの態勢も様子を見ながらの手探り状態で、また、奇跡を利用した新しいタイプの事件や犯罪も出てきている。
警察では生活安全課の従来の少年係に加えて新たに“奇跡対策係”を設置し、経験の必要な危険な仕事を未成年者にさせるなど、法には触れないものの職業倫理にもとる案件や、奇跡ゆえに深刻となった暴行罪・性犯罪などの案件に対応している。
保険業界では20歳未満を被保険者とした生命保険契約が廃止され、さまざまな分野・業界で多かれ少なかれ変化・改善が必要とされたが、とりわけ混乱したのは、やはり医療の分野だった。
科学的に否定されるべき不死という名の奇跡は医学の根底を覆し、未だ定義できていない生命の概念を根本から考え直させた。長い時間をかけて培われ、積み重ねてきた医療の知識・技術は、理解も納得もできないながらも受け入れざるを得ない現状に流され、目の前で起きている非現実的な現実に対処していくしかなかった。
とはいえ死ぬ事はなくとも傷病がなくなったわけではない。痛み・苦しみは死の直前まで、いや奇跡によって蘇っても続き、それはすでに奇跡ではなく悲劇だった。
死の救済がない事は、傷病によっては発症が早ければ早いほど長い苦しみに耐える事を意味する。その為、末期の患者はむしろ症状を悪化させて死を迎えさせ、強制的にリセット――といっても末期の前段階に戻るだけだが――させる強引な治療方針も出てきているが、それは死ぬほどの苦しみを何度も経験する事でもある。当然それは社会問題にもなり、また臨床試験と称した虐待と紛う実験も影ではされているらしいと専らの噂であった。
医療機関によっては未成年心療科を新設し、奇跡に関連した心の問題の治療に力を入れ始めているところもあるが、なによりも個人レベルで心構え・意識を変え、同時に奇跡という不自然を受け入れた上で奇跡であるという事実を忘れない事が最も重要だった。
奇跡の始まりから7年、まだまだいろいろと模索している最中であり、年齢という制限はあるものの愛する我が子を失う悲劇がなくなった事は親にとってはやはり奇跡であり、そしてそれは悲劇が形を変えただけの事でもあった。
――生きとし生けるもの、そのすべてに平等に与えられているはずの、生死老病。
その一角を崩した、本来ならば祝福されるべき“奇跡”は、世界を歪に塗り替えた。
独善的なこの奇跡は、神の御業というよりはまるで児戯のようだった―――。