“竜”殺し
魔法少女あずさが最終的に戦う“災厄”。
その正体は島の地下深く、海底に封印されていた竜の事で、最終話では目覚めた竜との戦いがメインとなる。最終話前の23話ラストでは竜が目覚める様子で終わっているので、最終話は目覚めた竜が暴れ出すところから始まる事になる。
当然ながらその辺りのVFXなど特殊効果を多用したシーンは7年前当時に作製が済んでいて、今回撮影した分に合わせて多少手直しが入ったものの、ほぼそのまま使用される予定になっている。もっと言えば事故当時、英の意識が戻る事を信じ願ったスタッフたちによって、あずさの出るシーン以外は撮影が済んでいた。
とはいえ最終決戦の名の通り、戦うのはあずさである為、最終話のほとんどのシーンは香寿紗が演じた事になる。
香寿紗と絡む箇所は、大人は当時の本人が、子役は似た子供を急遽探す事になったが、重ねた歳月と微妙な似具合はメイクとカメラワークでなんとか不自然でない程度に収めていた。
今日これから撮るのは冒頭と途中途中で使用する、目覚め暴れ出した竜から逃げ惑う人々の様子で、その為に実施された防災訓練での避難する様子を利用する予定だった。
全島民には突発的に行われる撮影の指示にできるだけ協力してもらえるよう連絡されていて、撮られる側としてもエキストラとして出演する事でこの作品に対する思い入れが深くなろうというものだった。
面積約150㎢の医療島は東西と南北の距離がそれぞれ約14㎞で、中央に取られた1区画から放射状に8区画分かれた全9区画に区分けされている。最北を1区とし、時計周りに2区、3区と数え、中央区画を9区に据えた各区画ではその中心にそれぞれの区役所を置いている。区役所に使われるすべての建物は様々な災害を想定して堅牢に造られており、海中で人工島を支える直径1㎞に及ぶ柱の内部にある避難用シェルターへの入口の一つでもある。9本の柱のどれかが被害を受けてもスペースを確保できるよう、約6万人の島人口に対して15万人の収容が可能とされている。
基本的に通常時はその重要性から柱内への一般人の立ち入りは制限されているが、この日ばかりはシェルターへの確認に入る事が許される為、ちょっとした探検気分で参加する人も多い。またストックされている非常食の入れ替えを目的として、有名料理人や応募で選ばれた料理自慢の主婦、調理師専門学校の生徒たちが非常食を使用して工夫を凝らしたメニューを振る舞うイベントや、賞味期限の近い非常食や備蓄品を格安で販売するなどの予定もされており、主催した防災対策委員会の目標通り、ほとんどの島民が参加する試算だった。
「――すみません!ここからこの辺りの方、こちらの方向へできるだけ全速力で走ってもらえますか?」
「恐怖と驚きの表情でこの辺りを見上げてから、目線をこちらに動かしてください!」
できるだけ怪我や事故のないよう配慮しながらあちこちで撮影が行われ、偶然の撮影に出くわす事ができた人はほとんどが喜んで協力してくれた。
空は夏らしい晴天ではなく厚い雲に覆われていたが、生憎の天気というわけでもなく、むしろ“災厄の始まり”というシーンにはお誂え向きだった。
執行は今撮ったばかりの映像を確認し、満足の溜め息をついた。
これくらいでいいだろう。これだけあれば充分だ。
今回最終話の撮影が持ち上がった時点で脚本を改めて見直し、どうせなら派手にしたいといくつも修正や変更を提案した。結局それらが通る事はなかったが、ちょうど懸案になっていた数年に一度の大規模防災訓練に目をつけ、『あずさ』の方は関心を引き、参加する事でより親近感と思い入れを持ってもらいたい、防災訓練の方は参加率を上げたいという思惑から、併せて行う事に決まったのだった。
「結局、来なかったか……」
「え?なにか言いました?監督」
無意識に漏れたぼやきをスタッフに聞かれ、慌てて「なんでもない」とごまかす。
撤収と、片付いた者から一応訓練に参加するよう指示を出すと、執行自身は今回の撮影用に借りている編集室に向かう。気分的に盛り上がっている今、撮った部分だけでもこの勢いに任せて、使用できそうな部分をピックアップし整理してしまおうと考えたからだ。
「……ひどい湿気だな」
曇天を見上げ、呟く。朝に確認した天気予報では、降り出すのは夜半という事だったが、撮影中急に崩れたりしなくて幸いだった。急ぎ足で9区の方角へ向かう。3区の端、9区との境近くに、借りた編集室はあった。
垣花さんには、今日は防災訓練に参加してもらっている。朝から近所の奥さん連中と連れ立って出かけ、午前中は自治体などが主体となって行う消火訓練や救護訓練などの各種訓練を受け、昼時には炊き出し訓練を兼ねた昼食を取り、午後には水害を想定したシェルターへの移動を確認する避難訓練のはずだった。
撮影の最後に3区を選んだのは借りている編集室があるからもあったが、執行の自宅が3区内にあるからだ。もっと言えば、3区での撮影で上手くタイミングが合い、垣花さんに参加してもらえる事を期待しての事だった。
彼女には本当に感謝していた。ここ数年の記憶が曖昧で、それがボケていたせいなのだと医者から聞かされた時にはにわかには信じられなかったが、それでも新しい治療薬と心残りだった最終話の撮影という目的を再び持つ事ができたおかげで、今はこんなにも意識がはっきりしていると実感できる。
ただ、ボケていた間の事をまったく憶えていないわけでもなく、忘れかけた昔の記憶のようにぼんやりとは残っていて、そのおぼろげな中で自分がとても垣花さんを信頼し、頼りに思っていた事だけは強く印象にあった。
まどろみから目覚めたような今、その印象は彼女への好意に転じていた。
スタッフ数人に荷物を運ぶのを手伝わせ、編集室に向かっている途中、賑やかながら緊張感のない声がかかった。
「あらぁ、執行さんじゃないですかあ」
「監督、撮影はもう終わっちゃったんですか~?残念ねえ」
垣花さんと出かけたはずの近所の奥さん連中だ。だが彼女の姿が見えない。
「やあ、どうも。垣花さんは?一緒ではなかったんですかな?」
「やだ、あたしたちも、ちょうどその話をしていたところなんですよ」
「そうねえ、確かに出発した時はいたのよねえ」
「はぐれたんですか?」
「あたしたちも、探したんですよ?でも会場のどこにもいなくって」
いなかったわよねえ、と顔を見合わせて口々に言われ、執行は心配になった。
何かあったのだろうか?事故?事件?
話が本当なら、朝には姿を消してしまった事になる。
まさか、儂の世話がイヤになって出ていってしまったのだろうか?
一瞬そんな被害妄想に駆られたが、垣花さんはそんな無責任な真似をするような人間ではない。
彼女の携帯にかけてみるが、電源が切られているらしく繋がらない。
執行はすぐに決断し、待っているスタッフに鍵を渡した。
「すまんが、これを編集室に運び込んだらみんな解散してくれ。儂はちょっと用事ができた」
――機関部の稼動する金属音が死神の歯ぎしりのように響くと、垂直発射装置から8発のミサイルが抜けるような青い空へ向けて発射された。
軍事演習の一環で廃棄予定の軍艦に向けての発射だったが、着弾の様子を監視していた早期警戒機パイロットが異変に気付いた。
「――大佐、発射されたミサイルのうち、1発が目標を飛び越えました」
「なんだって?」
戦闘指令室で指揮を取っていた艦長のハンドフォード大佐は報告を受け、レーダーとモニターを確認したが、そのような設定をした者はいないし、そのような記録もない。
それどころかディスプレイにも進路を変えたというミサイルは表示されていない。
「しかし確かです。1発だけミサイルが着弾せずに目標を通過しました。皆が目撃しています」
その口調から狂言ではないのは確かのようだ。だが指令室でそのような痕跡はない。
まさかイージスシステム自体が乗っ取られ、レーダーと指揮系統を欺いた上で、発射されたミサイルのうち1発だけ目標設定を変更されたという事か?
その時大佐の頭にある報告が蘇った。クラッカーによって世界中の高性能コンピューターが被害にあっているという話だ。一瞬で決断し指示を下す。
「すぐにペンタゴンに連絡、警戒衛星でミサイルの位置と弾道を確認!軌道を予測し、目標国または目標物を特定!どこかの国に落ちる前に何としてでも撃墜しろ!下手をすれば外交問題どころの騒ぎではなくなるぞ!」
命令を最後まで聞くまでもなく全員が動き出したが、あちこちで悲鳴が上がる。
「システムからの応答がありません!こちらの操作を受け付けません!」
「クラッキングされているようです!」
「ペンタゴン、繋がりました!」
慌てて受話器を取ると、向こうもかなりざわつき、混乱していた。状況は国防総省でも把握していたが、犯人はペンタゴンにまで同時にクラックしているらしく、制御不能という事だった。気付いたオペレーターがすぐに対応し、衛星の制御を取り戻すのが精一杯だったらしい。
「一応ミサイルの軌道の予測データが送られてくるから、解析してくれ」
「予測データ、来ました!」
映し出された軌道予測と着弾予定地のレーダーを見て、大佐は目を疑った。
「何もない……」
太平洋を横切ったミサイルが着弾するのは日本の海岸線からおよそ120マイル。海の真ん中だった。近くに船影もない。
「……一体、何だっていうんだ……」
LNGタンカー『STAR OF HOPE』号の一等航海士のジョナサンは、前当直の二等航海士のヴィンセントと交代する為、ブリッジに入った。
16時からの当直に備えて引き継ぎを済ませると、軽いジョークで相棒の操舵手の機嫌を伺う。
引き継ぎをしている間、ほんのわずかにレーダーなどの計器の画面が乱れたが、気付いた者はいなかった。
「わあっ」
その眺めは子供だけでなく大人も思わず歓声を上げてしまう。
この島で1番の高さを誇る医療網総合管理センターの上階、展望台として一般にも開放しているこのフロアからは、医療島の様子がミニチュアのように見下ろせるだけでなく、西には千葉県ののどかな風景を見渡す事ができ、東を向けば太平洋のなだらかな水平線から地球の丸さまで感じる事ができる。
残念ながら曇り模様の為に水平線は霞んで見えなかったが、それでも眺望の良さは格別だった。
医療島を支える9本の柱、その中央を支える柱への避難訓練に、9区以外の住民も多く参加していた。大抵は皆自分の住んでいる区域の訓練を受けるが、出かけた先で災害に遭う可能性もあるから居住区以外の訓練を受けても問題はない。時間に余裕を持って参加し、シェルターに入る前に管理センターの展望台で景色を楽しむ人間がたくさんいた。
そして中央が人気なのは他にも理由がある。
島の中央に建つ医療網総合管理センターのその足元、中央柱にはその位置的な意味合い以上に中心である、この医療島の要――心臓とも言うべき2台のスパコン、“赤竜”と“白竜”があるのだ。
スパコンに限らずコンピューターは排熱と冷却の問題を抱えるが、海中の柱に設置された赤竜と白竜は、冷却に深海の海水を利用している。柱内に海水の通り道を作り、部屋にパイプを張り巡らせる事で常に低温の海水で冷やされ、1年を通して水温が一定である為、冷却の問題の心配がないのだ。
もちろん防災訓練中もその区画には立ち入る事はできないが、それでも医療島の心臓部に少しでも近づけるのはうれしく感じるものらしかった。
「訓練の様子はどうかしら」
「予定より1時間ほど遅れていますが、想定の範囲内です。それと正確な数字はまだ出ていませんが、参加率も前回と比べてかなり高いようです」
「イベント色を強く出して正解だったみたいね」
満足気に微笑む佐原所長の隣で、新が付け加える。
「『あずさ』用の撮影も無事終わったそうです。……おっと」
通路の角から突然、前が見えないほど大きな荷物を抱えたスタッフが現れて、危うくぶつかりそうになり反射的に佐原所長を抱き寄せる。
「す、すみません!」
ふらふらと危なっかしい足取りで荷物を運んでいくスタッフが、振り向く事もできずに謝りながらすれ違っていく。
「大丈夫ですか?」
「え?……ええ、ありがとう」
突然だった為、バランスを崩した佐原所長は新の胸に顔をうずめる格好になっていた。
慌てて身体を離したその頬が、少し赤いように見えたのは気のせいだろうか?
抱き寄せた時に触れた細い腰の感触と胸元で感じた息遣いを思い出し、今さらながら彼女を愛おしく感じる。
駒を進めてもいいのだろうか?彼女の止まっていた時は動き出したのだろうか?
「……ごめんなさい。シャツを汚してしまったわね」
胸元には彼女の口紅が赤い跡を残していた。
「クリーニングして返すわ」
「今、ここで脱げと?まあ、私は構いませんが」
「じゃあ、クリーニング代を渡す?」
「やめてください。いらないですよ」
「でも……」
「なら、今度」
彼女の耳に触れるか触れないかまで唇を寄せる。
「1杯付き合ってください。いいショットバー見つけたんです」
医療網総合管理センター『アムブロシア』、中央管制室。
佐原所長と新が入っていくと、部屋は騒然としていた。
「何かあったの?」
手近なスタッフを捕まえて状況を確認する。
「佐原所長!外務省から緊急のお電話が入っています」
「出るわ。繋いで」
電話を手にどんどん険しくなっていく表情とやりとりから、全員が深刻な問題が起きた事を悟る。受話器を置いて頭痛を抑えるように頭に手をやる所長に、新が恐る恐る声をかけた。
「……所長?」
「大変な事が起こったわ」
所長は気持ちを落ち着けるように深く息を吐き出した。
「高性能コンピューターを狙ったクラッキングが頻発しているというのは話したわね?その犯人がたった今アメリカ軍の軍事演習中のイージス艦と国防総省にクラックを仕掛けて、通常弾頭を積んで発射された巡航ミサイルの軌道を日本に向けたそうよ」
「なっ……」
一瞬ざわついたが誰も何と言ったらいいのか言葉が出ない。
「みんな安心して。日本に“向けられて”はいるけれど、陸に直撃はしないから。計算ではここから太平洋沖120マイル――約200㎞の地点に落ちる予定。外務省の連絡を受けて防衛省と海上保安庁も着弾予測地点に船舶のない事、弾道付近に航空機のない事を確認して、付近の空と海上に警戒を呼びかけたそうだから、もし漁船やヨットが医療島に一時避難してきたら寄港を許可してほしいって。それとミサイルの衝撃波で被害が出る可能性もないとは言い切れないから、念の為、全区に避難の呼びかけをしてちょうだい」
「ミサイルの事を言いますか?」
「一応海に落ちる予測のようだから、いたずらに不安を煽るのはやめましょう」
「分かりました。『――こちらは、医療網総合管理センターです。有事を確認の為、すべての住民は屋内退避してください。すでに避難用シェルターにいる方はその場を動かないでください。なお、これは訓練ではありません。繰り返します。こちらは……』」
この放送はPDを通して全島民にダイレクトに伝わり、従わない者に対しては危機感を煽るアラートが鳴り続ける。
「シェルターのスタッフにも状況を説明して、パニックを防ぐように対応してもらって」
「所長!防衛省からです」
当然ミサイルに関わる件だろうが、一見冷静に応対しているように見えてかなりイライラしているのが新には分かった。皆の見つめる中、恐る恐る尋ねる。
「どうでした……?」
「“日本に着弾しないのなら迎撃する意味がない”。――最初から迎撃しようという気がないんだわ。どのみち本土まで来なければ迎撃ミサイルは届かないけれど、いかにも深刻気に勿体ぶった口調で、腹の中は重大な事態に陥らずにアメリカに借りをつくる事ができてホクホクしているのがまるわかりなのよ!」
とはいえ、クラッキングによってミサイルが発射されたなどというショッキングな出来事は、平和ボケした日本人だけでなく世界中でしばらく騒がれる事になるだろう。
「仕方ありませんよ。落ちるのが海と聞いたら、誰だってホッとします。人命の関わるような被害もなさそうですし」
「地理的にこの島が1番近いから、捜査や分析の為の拠点を置く事になるでしょうね。場所の確保をお願い。できれば太平洋側の2区から4区のどこかに。各所への連絡は明日にでもするとして候補地だけでもピックアップしてくれる?」
「はい!」
オペレーターの女の子がすぐにディスプレイに地図を立ち上げ、候補地の検討を始める。
「どうしました?」
眉間にしわを寄せたまま、佐原所長は目を閉じた。
「なにかイヤな感じがするわ。わざわざ世界最強の軍隊に喧嘩を売って、クラックしたミサイルを洋上に落とす目的は何?アメリカを最強と認めての事?逆にアメリカを貶めたくて?どうして日本に向けたのかしら?日米関係に亀裂を入れたい?日本に向けたという事実だけが目的で、被害は望んでいないという事?それとも設定ミスか何かで、本当は日本か日本上空を越えて大陸のどこかに落としたかった?犯人は単に自分の腕を誇示したいだけなのかしら?」
「他の理由ですか?そうですね。例えば、アメリカと日本の対応力を測っている、とか。特に日本はミサイルに限らず防衛に関してはアメリカにベッタリ頼り切っていますから。“対アメリカ”となった場合にどう対応するのか、指揮系統や自衛隊の練度を測ったというのは考えられるかもしれませんね。そうすると、次に犯人は日本に対して具体的に何か仕掛けてくる可能性もありますね」
「防衛省や自衛隊に?そうね、あるかもしれない」
「犯人は例のクラッカーに間違いないんですか?」
「ええ、そのクラッカー特有の痕跡を残していったらしいから。でも今まではとにかく自分の方が格上だと証明するのが目的だったのに、今回はどうしてこんな乱暴なパフォーマンスを強行したのかしら。ただクラッキングするだけでは物足りなくなったという事?それとも今までのは単なる様子見で、ここからが本番という事かしら」
「アメリカ側はどう言い訳するのでしょう。素直に被害を公表しますかね?」
「まあ深刻な被害が出なければ、発表して一時的に騒がれても痛くも痒くもないでしょう。なんなら陸に落ちなかったのは自分たちの対応の賜物、とアピールしておいて、それを理由に国防予算案の増額を申請するかもしれないわね」
「………………」
新はふと思いついてしまった可能性をまさかと打ち消し、それでもさり気なく切り出した。
「……犯人は、アメリカ軍のレーダーを欺いたんですよね?」
「レーダーだけでなく衛星もね。衛星の方は制御を取り返したらしいけれど」
「日本のレーダー類もクラックされているんでしょうか?」
「おそらく。なぜ?」
「もしも、着弾点に船影がないというのもクラッキングによる見せかけだったら?もしくは日本に直撃する弾道を正確に予測できないよう、警戒衛星から送られてくる情報が改ざんされていたら?」
その場にいる全員の顔から、血の気が引いた。
「すぐに確認して!その時刻に通りかかる航路を予定していて、連絡のつかない船がないか!」
指示を出しながら佐原所長は防衛省に連絡を入れる為に電話を手に取った。
誰もが祈るような気持ちでディスプレイを見つめる中、オペレーターの操作音と連絡を取る切羽詰まった声だけが響く。
「――ありました!ちょうどその辺りを航行しているはずの液化天然ガスを積んでいるタンカーが、レーダーに反応がなく連絡もつかないそうです」
「タンカーの詳細は?」
「アメリカから液化したシェールガスおよそ15万トンを輸送している、世界最大級のLNGタンカーです」
「なんて事……。そんなものがミサイルの爆発に巻き込まれたら、船の位置によっては陸にもどれだけの被害が……。防衛省の方も、日本のイージス艦が沈黙させられている事が分かったらしいの。航空自衛隊の戦闘機が迎撃に向かっているはずだけど、間に合うかどうか、いいえ、それ以前に見つける事ができるかどうか……」
「所長!上の展望台から望遠鏡で確認したらどうでしょう。ハイテクがダメなら原始的な方法でも、とにかく確認できるような位置に船影があるようなら、モールス信号か何かですぐにその場所から離れるよう伝える事ができるかもしれません」
着弾予測地点が正しいか定かでない今、その行動に意味はないかもしれないが、何かしないではいられない、そんな思いを酌んで、所長は頷いた。
「そうね。日永さん、よろしくお願い」
「あ、自分も行きます!バードウォッチング用の双眼鏡が車に積んだままですから、もしかしたら役に立つかもしれません」
「私も。趣味のサバゲでモールス信号ができますので」
意外な趣味をカミングアウトしながら数人が勇んで出ていく。
「避難の進捗はどう?」
「島民の85%が済んでいます。これは訓練ではないと分かってもらうのに意外と時間がかかっているようですが、あとの15%も20分以内に完了する予定です」
「最低でも屋内退避だけど、できるだけシェルターに入ってもらうよう誘導して。ミサイルの弾道予測が正確なものか、確認は取れた?」
「やはり防衛省、海保、気象庁関連施設のレーダーはクラッキングにより全滅でした」
「位置が確認できない事には防衛的対応しかできないか」
「レーダー……、レーダー……」
つい最近、どこかでレーダーの話題が出たのを聞いた気がする。
「……確か、8区に試験運用中の次世代気象レーダーがありましたよね」
「それだわ!すぐに船とミサイルの位置を確認し、シミュレーションして!」
――不幸中の幸い。
一時は恐慌に陥りそうだったスタッフたちも徐々に冷静さを取り戻し、誰もが考えていた。
防災訓練。島民のほとんどが今、大きな混乱もなくシェルターに収容されている。
「……展望台の即席偵察隊はどうなりましたかね」
言った途端に見計らったように内線がコールされる。
「所長、太平洋沖1キロくらい先にタンカーらしき船影を見つけたそうです!」
――1キロ!?
予想していなかったわけではないが、それでもそのあまりの近さにざわめく。
「船の方に状況は伝えられそう?」
「今、中次さんがライトを使って、モールス信号でコンタクトを取れないかやっているそうです」
「レーダーでタンカーとミサイルの位置を確認!タンカーは確かにここから太平洋沖1.5キロ先です。続いてシミュレーション出ます!ミサイルは18分後にタンカーに着弾します」
――タンカーを直撃!?
誰もが息を飲む。それは考え得る中で最悪のシナリオだった。
「すぐにそのデータを防衛省に送って!
はやく船がこちらに気付いてくれればいいのだけれど……。回避行動を取ってくれれば弾道が逸れて――ダメか、もしミサイルの目標がタンカーに設定されているのであれば、いくら回避しても進路を修正してしまう。それならやはり、迎撃するしか手はないわね。自衛隊は間に合うかしら」
「日本もアメリカも見せかけのレーダーで初動が完全に遅れましたからね。それさえなければ、巡航ミサイルなんて速度の遅いミサイル、とっくに迎撃できていたでしょう」
「ともかく避難を最優先させて!迎撃に失敗した場合を想定し、爆発の衝撃に襲われる予定時刻までに、なんとしても全島民の避難を完了させなくては」
「これは演習ではない。繰り返す、これは演習ではない!」
誰もが慌ただしく己の任務に追われる中、基地からスクランブルを受け発進した2機の戦闘機は、すでに問題の上空を飛行していた。
「作戦は先ほど伝えた通りだ。衛星も戦艦も役に立たない今、頼れるのは自分たちの目だけだ。頼んだぞ」
「了解」
「了解しました」
「医療島から送られてきたデータによれば、そろそろ会敵地点のはずだ。――どうだ?ミサイルは視認できたか?」
「――目標、確認」
「これより撃墜します」
その場にいる全員がジリジリと任務完了の報告を待つが、応答がない。
沈黙に耐えられず、指揮官が問いただす。
「どうした?外したか?それとも目標を見失ったか?」
「――ダメです!できません!」
パニック寸前の空気が無線越しに伝わってきた。
「――撃墜できない!!」
「最悪の事態だわ。出撃した戦闘機の制御もクラッカーによって奪われ、ミサイルを狙う事すらできないって」
「何か機関銃のようなもので撃墜はできないんですか?」
「有効射程圏に入ろうとすると戦闘機の軌道を変えられてしまうそうよ。何も出来ずに、距離を保ったままエスコートでもしているみたいにただ並走するしかないって」
「最新鋭の戦闘機の電子制御が仇になるとは」
「一発も撃てないまま、終わるなんて……」
「残り時間は?」
「10分を切りました」
「所長!展望台からです!状況を飲み込んだタンカーが医療島から距離を取るように進路を変えたそうです!」
「こちらも、確認の取れない数人を除いて、避難が終わったそうです!」
「そう、それじゃ――」
言いかけた言葉は急激に部屋に広がっていく騒めきに掻き消された。
「え、何?」「やだ、なにこれ?」「こんな時に悪ふざけはやめてよ!」
悲鳴が上がる。
「今度は何!?」
信じられないという表情でオペレーターが振り返る。
「赤竜、白竜、共にシステムを乗っ取られました!」