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“悲願の”クランクアップ

そわそわと落ち着かない空気。

誰もが目の前の仕事に集中しながらも頭の裏側では終わりが近いという達成感と、終わってしまうという寂しさが入り混じり、それでもその場にいる全員が、ただひたすらに“その時”を待っていた。

「―――はい!OKです!!」

スタジオで息を詰めて監督を見守っていたスタッフたちが歓声を上げ、拍手が沸き起こる。

ついに『魔法少女 あずさ』の撮影が終わった。

と言っても役者を撮るドラマパートの話で、まだ大規模防災訓練の様子の撮影が残っていたが、そちらは数名のスタッフのみで行う為、ひとまずクランクアップを宣言してこれから打ち上げが行われる予定だった。

特に目立ったトラブルも大幅に遅れる事も当然事故もなく無事に撮影が終わり、長年の因縁に終止符を打てた事で、現場では涙を浮かべて喜び合う様子があちこちで見られた。

ひとしきり歓喜に沸いた後、監督から主要な役者に、そして役者を代表して香寿紗から監督と助監督に花束を贈呈し合い、監督が最後の挨拶をする。

その挨拶を聞きながら、香寿紗は初めて贈られた抱えきれないほど大きな花束に感激し、それから花束の陰に顔を隠した。

――本当ならこの花束は、“あの子”がもらうはずだったんだ。

撮影が始まってからみんなに褒められたり大切にされたりする度に、そんな拭いきれない罪悪感が常につきまとう。

香寿紗らしさはいらない。できるだけ英と差のないように。

7年の時間差を感じさせてはいけないという事は香寿紗にも分かっていた。

繰り返し『あずさ』のDVDを観ては動きや表情を研究し、似せるように努める毎日の中で、だんだんと自分らしさが分からなくなってしまっていた。

――“わたし”ってどんな子だっただろう……。

それまでの香寿紗を知っている友達は、みんな医療島の外にいる。

そしてこの島では誰もが英の代わりとしか香寿紗を見ない。

今日、この瞬間まで、撮影が終わればその葛藤から解放されるのだと思っていたのに、唐突に香寿紗は気付いてしまった。

――わたしはもう、誰からも必要じゃないんだ。

いや、最初から“香寿紗”が必要とされた事なんてなかった。だってこの現場で、わたしの事を香寿紗と呼ぶ人なんていない。みんなが呼ぶのは、“あずさ”だ。

突然襲われた虚無感に身震いする。

――“あずさ”で“英の代わり”でしかない香寿紗は、これからどうすればいいんだろう……。

そんな冷たくなった心を隠して、ようやく終わった監督の長い挨拶に笑顔で拍手をしてから立ちすくんでいると、優しい声が降り注いだ。

「香寿紗ちゃん、お疲れさま。よく頑張ったね」

弾かれたように見上げた香寿紗の目から、涙が溢れる。

――香寿紗を“香寿紗”と呼んでくれていた人が、一人だけ、いた……。

「ど、どうしたの!?」

慌てる弦川さんを前に、香寿紗は医療島に来て初めて、子供らしく声を上げて泣いた。


「そっか……」

打ち上げが始まるまでの時間、弦川さんは適当な言い訳をしてわたしを静かな場所に連れ出すと、支離滅裂な話を急かす事なく最後まで聞いてくれた。

きっと何を言っているのかよく分からなかったと思うけど、それでもこうして聞いてくれる人がいる事がうれしくて、話す事で少し気持ちが楽になった。

思えばこんな話、お母さんにはできなかったし、周りに聞いてくれる人もいなかったから。

弦川さんは香寿紗の前に膝をつくと、真っ直ぐに目を見て話し出した。

「香寿紗ちゃん。少し難しいかもしれないけど、聞いてくれる?

僕たち前の撮影に関わったスタッフだけじゃなく、『あずさ』を見て応援してくれていたすべての人にとって、今回最終話を撮って完成させる事はこの7年ずっと願っていた事だったんだ。作品が中途半端になってしまった事だけじゃない。英の事故を止められなかった事も含めて、この作品の存在自体が僕たちにはずっと十字架だった。だけどそれは僕たちの都合で、香寿紗ちゃんには全然関係のない話なんだ。なのに僕たちは君に“あずさ”ではなく“代役”という役柄を求めてしまっていた。たぶん、みんな無意識に。そして君は僕たちの期待に想像以上に応えてくれた。それは香寿紗ちゃんが英を研究して似せようと努力してくれた結果だったのに、僕たちはさらに期待してしまったんだ。もっといいものにできるって。それは、出演者の事故という悲劇を薄め、7年の空白を感じさせないようにしたいという後ろ向きな完成度に過ぎなかったのに。そうやって要求されるのが“あずさ”である以上に“花館 英”だったせいで、君をこんなに苦しめてしまった。

ごめんね。こんなにも苦しんでいた事に気が付いてあげられなくて。だけどこれだけは信じてほしい。君が『あずさ』を終わらせてくれた事で、僕も含めて本当にたくさんの人が救われたんだよ。だから――」

ギュッと抱きしめられる。

「――ありがとう」

お母さんとは違う温かい匂いに包まれ、乱れていた心がスウッと落ち着いた。

「香寿紗ちゃんが本当に頑張ってくれていた事は、みんなちゃんと分かってるから。君が英の称賛を独り占めしてしまったなんて事は絶対ないし、罪悪感なんて感じる必要もないんだよ」

「…………うん」

「『あずさ』が終わったって、香寿紗ちゃんの人生はまだまだこれから続いていくんだ。それは“あずさ”でも、ましてや“英”のものでもない。これから起きる楽しい事うれしい事、悲しい事ツライ事、全部が香寿紗ちゃんのもので、香寿紗ちゃんだけのものなんだよ」

「……うん」

「頑張り屋で優しい香寿紗ちゃんが自分の心に正直にしていれば、それが香寿紗ちゃんの個性になっていく。誰かに似せようとしたのなら、そう努力した事も含めて君の個性なんだ。そしてそれは、これからいくらでも素敵に変えていけるんだよ」

「……うん」

「ごめんね。こんな小さい体に重いものを背負わせてしまって」

「……うん」

「ありがとう。『あずさ』を終わらせてくれて」

「……うん」

砂が水を吸い込むように、耳元の言葉が心に沁み込んでいく度、さっき冷たくなった心が嘘のように温かくなっていく。

弦川さんの話はよく分からないところもあったけど、香寿紗は香寿紗でいてもいいんだって一生懸命伝えてくれようとしているのは分かった。頑張っていたのをちゃんと見てくれている人がいた。

わたしはきっと、誰かにそう言って欲しかったんだ。

「弦川さん……お兄ちゃんって呼んでもいい?」

「よし、今日から僕は香寿紗のお兄ちゃんだ」

うずめていた胸から顔を上げると、お兄ちゃんも泣き笑いだった。

優しく頭を撫でてくれる大きな手の安心感に、お父さんってこんな感じなのかな、なんて考えてしまう。

「なんでも相談してよ。お兄ちゃんは香寿紗が心配なんだからさ。撮影が終わったって、こうやって生まれた“縁”っていうのは消えないんだよ」



雅紘の目から見た香寿紗は、引き受けた仕事に一生懸命に向かい合う、責任感の強い子。そして病気のお母さんに心配かけないように明るく振る舞う優しい子。

だけど本当はまだ11歳の子供で、そんな健気な様子が危なっかしくて、なんとなく香寿紗の事はいつも気にかけていた。初めは、どうしてもそっくりな香寿紗を英に重ねてしまう自分に言い聞かせるように、英とは違うところを探していたんだと思う。

今回の撮影現場でも昔と同じように役者は役名で呼ぶ事になっていたが、香寿紗をあずさと呼ばなかった、いや呼べなかったのは、どうしてもこの子は英じゃないという思いがあったからだ。そんな自分勝手な思い入れに救いを感じてくれる後ろめたさを隠して、それでも自分に言える精一杯を伝えたつもりだった。

僕たちは、こんな子供に自分たちの十字架を押し付けてしまっていたのだ。

役者であれば、他人を演じる事を割り切って考えられたのかもしれない。だけどこの子は普通の女の子で、しかもこの島に来たばかりで新しい環境に慣れる間もなく巻き込まれてしまった。普通なら引越しと転校で環境が変わる事に加えて、母親の入院で甘えられる唯一の人間がそばにいない事で大きな不安を感じているところに重い役割を負わされ、本当に苦しかっただろう。そこにあの“本物の魔法少女”騒動だ。噂になり、比較され、自我の崩壊と香寿紗本人の存在意義の否定を招いてしまってもおかしくない。

配慮が足りなかった。もっと早く、話を聞いてあげるべきだった。

撮影中、いろいろとコミュニケーションをとっていたつもりだったが、肝心なところに気付いてあげられなかった。

後悔しても遅いなら、これからの香寿紗を見守る事で償いたい。

「これからは僕が守ってあげるからね。何も心配いらないよ」



「――あ~、来た来た」

「もーう、遅いよ!主役を独り占めして!」

「すみません、遅くなりまして」

「“香寿紗ちゃん”お疲れさま!」

「本当に頑張ってくれたね、ありがとう“香寿紗ちゃん”!」

打ち上げ会場に入り、口々にかけられた言葉は温かいものばかりだった。

ほらね、と目で言うお兄ちゃんに、笑って答える。

わたしが勝手に暗く思い込んでいただけだったのかもしれない。

そんな風に思えるのは他の誰でもなく雅紘お兄ちゃんのおかげだった。

その日の打ち上げは本当に、涙が出るくらい楽しかった。

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