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12/21

“夜”に溶ける少女

今夜は現れるだろうか?

深く吸い込んだ紫煙を吐き出し、舌打ちをする。

医療島で販売されている煙草はすべてニコチンフリーの紛い物だ。ヘビースモーカーの伊豫には物足りない代物だったが、ニコチンフリーが主流になってきたこのご時世に、医療を売りにしたこの島で本物の煙草を手に入れる事は不可能だった為、仕方なく甘んじていた。

「今夜は現れますかねえ」

のん気な口調で伊豫の考えていた事をそのまま口に出したのは、カメラマンの浦志だ。


伊豫が医療島に入って、3か月が経つ。

下津浦主幹の依頼を引き受け、上手くローカル誌――医療島内限定の雑誌の編集部に潜り込んだ伊豫は、気持ちの悪いくらい平穏な毎日を送っていた。

まず事件らしい事件が起こらない。これは事件を人の悪意や欲から起きるものと仮定しての話だが、この島の人間は親切で互いを大切にしていて、自分だけが得をしようなどとはあまり考えないようだ。

これまで記者として人間の汚い部分ばかりを追いかけてきた伊豫にとっては、この平和そのものの様子が嘘くさく不自然で、誰も彼もが与えられたシナリオを割り振られた役割で注意深く演じているようにしか見えなかった。

起きるのは事故くらいのもので、記事にするのはほとんどがいいニュースかイベントなどの様子を伝えるもの。そして今は“魔法少女が現れる”などという荒唐無稽な噂の真相を探るべく夜空の下、カメラマンの浦志と共に現れそうな候補地の中から公園に張り込んでいた。

「食べます?うちの奥さんが作った大学イモ」

浦志がその体形そっくりなパンパンに膨らんだ鞄からタッパーを取り出し、蓋を開けて差し出す。中には蜜と黒ゴマのかかった揚げたさつまいもが詰まっていた。断る理由もない為、一つつまんでタッパーを返そうとすると、「ああ、それ伊豫さんの分です」と言いながら更に一回り大きいタッパーを取り出して、口と手を忙しく動かし始める。手頃な大きさのタッパーにぎっしり詰められた大学イモを持て余し、伊豫は星空を見上げた。

まあ、こんなものなのかもしれない。

そういえば行木にこの島の場所を教えた時も、“なんでそんな田舎に”みたいな事を言っていた。最先端の技術を集めて作られた街とはいえ、田舎の島だと思えば、近所付き合いの濃密さや多少迷惑なくらいのお節介もなんとなく腑に落ちる。

しかもここは医療を中心にした街づくりのモデルケースなだけでなく、それに参加する事を自ら望み選んだ人間だけが集まった場所。自分のテリトリー外の人間――他人に対しても、親近感や連帯感が強いのも当然かもしれない。


本土での医療島への最寄り駅はJR外房線 上総一ノ宮駅。そこから直通のバスが出ており、海岸に真っ直ぐ向かうと数分で橋が見える。医療島への入口は陸路ではその橋だけだが、港やヘリポートもあり海路と空路も確保されている。海に浮かぶ人工島の近未来的な風景は、そこまでののどかな道程からは想像できないほど突然目の前に現れ、訪れる者を圧倒する。

伊豫が1番最初に目の当たりにしたこの島ならではの光景は、救急車の進路確保の為のナビゲーションシステムと信号機の操作による円滑な誘導交通システムだ。

タクシーに乗っていると、耳に取り付けたばかりのPDから『救急車が通ります。進路を譲ってください』というメッセージが流れた。まだ聞こえるサイレンが遠いにも関わらず、一帯の車両が速やかに道路脇に車体を寄せると、目を疑うようなスピードで救急車が通り過ぎていく。時速80キロは出ていたその救急車は、交差点に侵入する際にもほとんどスピードを落とさず走り去った。テールランプを見送りながら、唖然としてしまう。

――大丈夫なのか?あんなにスピードを出して。事故るだろう、あれじゃ。

救急車の制限速度は確か80キロだったが、患者を乗せた状態であんな速度で走っているところは見た事がない。いくら大型商用車を除いて自動ブレーキなどの制御機能が一般的になったとはいえ、普通の街ではありえない光景だ。

「お客さん、この島初めて?」

入出島管理施設の前から乗ったのと、あまりに間抜け面をしていたのだろう。初めてこの島に来たのだと察した運転手が笑いをこらえて、そして少し得意気に説明してくれた。

「さっきPDから音声が流れたでしょう?救急車が迅速に確実に安全に患者さんを運ぶ為に、病院までの道を確保するだけでなく道程上の車両を安全に停止させるシステムが働くんですよ。例えば、救急車にとって計算された最短のルート上にあるすべての車両を把握し警告を流して安全に速やかに停止するよう促したり、従わない車両は強制的に寄せて停止したり、それと同時に、交差点での事故を防ぐ為に信号機を無理のないタイミングで変えたりとか、歩行者や自転車などはそれこそ本人にPDで警告されますし、もし事故になるようなタイミングで交差点や車道に出たりすれば、PDからかなりの大音量で警告音が鳴るらしいですよ。おかげでこの島で、救急車の事故はゼロなんです」

「事故が起きないようになっているのは分かりましたが、乗っている患者は大丈夫なんですか?」

「もちろん、揺れない工夫なんかは最大限されていると思いますよ」

もともと話好きなのだろう。運転手は目的地に着くまで観光案内さながらに色々な雑談をしてくれた。

「島に入る前に説明があったと思いますけど、月に一度メディカルチェックってのがあるんですよ。これはすべての島民が義務づけられていて、検査なんて面倒くさがる人も多いけど、もちろんごまかす事も逃げる事もできない。メディカルチェックの頭文字を取ってMC休暇なんてのをほとんどの会社が設けていますよ。まあ、体内に注入されたナノデバイスがちゃんと機能しているかとか、やっぱり気になりますからね。面倒だとなんだかんだ言っても、受けないなんて人、いないんじゃないかなあ」

「このPDとナノデバイスで、医療網のシステムに管理されるんですよね」

「『モーガン』ね。私なんかじゃ難しい事はよく分からないですが、医療網というのはやっぱりすごいですねえ。PDから送られたデータから体調を判断してアドバイスしてくれたり、隣に住んでいる独り暮らしのお婆さんが倒れた時なんか、すぐに状態を感知して救急車を呼んでくれてねえ」

「自分はこれからある病気の新しい治療法を試す為に来たんですが、なにかここに来られただけで希望が持てそうな感じがしますね」

高らかに謳われた“夢”。それを裏打ちする“現実”を肌で感じるつもりで来たのだ。まあ、表向きではあるが。

「そうでしたか。治療、頑張ってください。あなたのおかげで将来助かる人もきっといますから」

「『モーガン』では西洋医学に偏らないあらゆる治療法を手段とすると聞いたのですが」

「そうなんですよ。私も職業柄、腰が悪くてね、それこそ今までたくさんの整形外科やら整骨院に通ってきましたけど、今はそのデータを元に『モーガン』が導き出した治療法として、整体を私専用にアレンジした体操を毎日続ける事で、これまで毎食後飲んでいた痛み止めの薬を少しずつ減らせてきているんですよ。それにここではどこの病院に行っても医者の治療方針とは別の意味で、平等で並列な治療を受けられるという実感がありますね」

「へえ」

「それと、この医療網のユニークなところは、“あらゆる治療法”にプラシーボ効果も含めているところですね」

「プラシーボというと、偽薬の事、でしたか?」

「そうです、そうです。つまり“病は気から”も含めて治療しようって事ですね」

快晴の青空をバックに流れていく景色に、ふっと影が横切った。

鳥かとも思ったが、なんとなしに見上げた視界にこの島特有の構築物が映る。


正8角形に造られている医療島には8区画それぞれと中央を支える9本の支柱が海中に存在する。そして地上には鳥籠のようにアーチを描く24本の鉄骨が組まれ、取り付けられたあらゆる種類のカメラやセンサーなどの機器が『モーガン』他のシステムに繋がり、人や交通の流れを管理・データを収集する事で、医療網だけでなく街づくりやシステムの改善、新しい技術の開発・実験に役立てられている。


「確か、ここは構造改革特別区域に指定されているんですよね」

「ええ。そのせいだけでもないですが、当時は消費税引き上げの批判の槍玉に挙げられていて、ここに移住が決まった時は多少肩身の狭い思いもしましたっけ」

消費税率が20%へ引き上げられてから11年が経つ。当時の与党の肝入りで始まった医療費無料化の財源確保が最大の理由だったが、時期的に医療島の完成・稼働間近だった為に増税反対派の糾弾の槍玉に挙げられたのだ。

結局のところ法案は可決されたが、当然国民の生活を直撃し、増税前の駆け込み需要による一時的な好景気から一転して長い低迷を迎えた。だが日々の生活を圧迫する一方で、決まってしまったものは仕方がないという諦めと一部の歓迎、そしてどのみち自分も病気にかかればその恩恵には与れるのだという打算に受け入れられ、時間と共に反対の空気は薄れていったのだった……。

――タクシーが止まり、運転手が振り返る。

「はい、着きましたよ」



「――伊豫さん、あれ……」

浦志の視線の先に、一人の少女が佇んでいた。

立っているだけなら、迷子か家出か、ただの散歩か、くらいに思ったかもしれない。

だがその少女は、高さ5mはある街灯の上で空を見上げていた。

何かほの明るく浮かび上がるように、不思議な雰囲気をまとっている少女だった。

どうやって登ったのだろうと目をすがめるが、街灯が眩しくて姿をしっかりと確認する事ができない。それでも怖がる様子もなく当たり前のように立っている事は分かった。

「きみ、危ないから、動かないで」

浦志が声をかけるが反応はない。

「ど、どうしましょう、伊豫さん。警察に通報した方がいいですかね?」

「いや、消防が先じゃないか?」

今はどうやって登ったかではなくどうやって降ろすかが問題だ。とりあえずあの街灯まで行ってみようと小走りに近づいていくが、こちらの声が聞こえていないように、少女は何の躊躇もなく隣の街灯へ向かってジャンプした。10mは離れている。助走もなく、ましてやあんな細い脚で届くはずがない。

「クソッ」

浦志がヒッと息を飲む脇から、伊豫は少女を受け止めようと弾丸のように駆け出すが、間に合わない事は明らかだった。せめて自分の身体をクッションに最悪の事態を回避できればと落下地点になりそうな場所にスライディングする。

だが信じられない事に少女は軽やかに隣の街灯上に降り立つと、ようやくこちらに気付いたように向き直り、まるで小さな段差でも降りるように何もない空間に足を踏み出した。

ふわり、と地面に降り立ち、その足元には魔法陣が現れる。

ちょうど猫がしなやかな体勢で高いところから飛び降りるのをスローモーションにしたような、現実感のない映画の映像をみているみたいだった。

声を失いただ目の前の少女を見つめると、少女はにっこりと微笑んで――かき消すように消えた。少女のいた空間に、キラキラとした何かが漂い、やがてそれもゆっくりと消えていく。

「魔法少女……」

浦志が呟き、顔を見合わせる2人をただ街灯が照らし出した。



“本物の魔法少女を見た”

翌日はその話題で編集室は持ち切りだった。

あちこちにうず高く資料が積まれ雑然とした雰囲気はどこも同じのようだ。そんな部屋の真ん中で興奮しながら同じ話を繰り返す浦志をよそに、擦りむいた腕の絆創膏を張り替えていると、同僚の猪佐古が思わず声を上げた。

「やだ、伊豫さん!なんですか、その傷!?」

「まあ、ちょっと」

昨晩、街灯から少女を受け止めようと後先考えずに地面にダイブした際に、派手に腕を擦ったのだ。あの後、一応水で傷を洗い軟膏をつけて絆創膏を貼ったのだが、小さな絆創膏しかなくて子供のように腕に何枚も貼るしかなかったのだ。

「少し、待っていてください」

そう言うと猪佐古はどこかから救急箱を探してきた。

「確か、あったと……あ、あったあった」

傷口に当たる面が薬液を含んだジェル状の湿布のような絆創膏を貼り付け、丁寧に包帯を巻いていく。

「猪佐古さん、手慣れてますね」

「うん、実は元看護士だったりして」

同僚の意外な経歴をカミングアウトされ、大人しく元プロに任せていると、巻き終わった猪佐古はペチンと腕を叩いた。

「はい、終わり」

「イテッ」

「動かしてみて」

言われるままに腕を屈伸させてみる。

「うん、大丈夫そうね。緩んできたら言って。直すから」

「……ありがとうございます」

擦り傷は、出血は少ないものの傷が広いせいか熱を持って、痛みも意外と強い。

ジェル状の薬が患部を冷やし、しっかり巻かれた包帯は安定感をくれてなんだか心強く感じる。

「じゃ、ちょっと調べ物に行ってきます。夕方には戻りますから」


突然の遭遇と想定外の出現にカメラマンの浦志が写真を1枚も撮っておらず、どんなに本物を見たと言ってもこのままでは記事にする事ができない為、今夜も魔法少女の正体を探るべく張り込みを続行する事となった。

「伊豫さん、昼間はどこに行ってたんですか?」

浦志がのほほんと聞いてくるので適当に答える。

「ちょっと調べたい事があったんで、出かけてきた」

まぶたに残るあの少女は、確かに今最終話撮影で話題になっている『あずさ』にそっくりだった。元々『あずさ』を演じていた子役が7年前に亡くなっている事から、幽霊ではないか、自分以外の人間が演じてこの話を終わらせてしまうのを恨んでいるのではないか、などという噂も一部ではあるらしい。だが伊豫に微笑んで見せたあの少女から、そんなおどろおどろしさは感じなかった。

まあ、それはあれが幽霊だったと仮定しての話だ。では、幽霊でないなら、あの少女はなんだったのか。

伊豫が引っかかったのは、少女と顔を合わせた時に感じた違和感。

目の見えない人間と目を合わせたように、どこか不自然な気がしたのだ。

そこで、まだ知り合いの少ないこの島で唯一の科学者の知人に面会を求めてきたのだった。

下津浦主幹から、この島に入ったら必ず会うように言われた人物が何人かいる。そのうちの1人にして最重要人物である、ケイ・クロウフォード、彼が件の医療島が誇る鉄壁の防護を越える方法を見つけたハッカーだ。

本業は神経科学の研究をしているらしく、一見畑違いではあるのだが、ハッカーとしての知識――つまりコンピューターや最新鋭の技術に関しての知識を披露してもらえないかと、ベディヴィア神経科学研究所を訪ねてみたのだった。

初めはひどく迷惑そうな様子だったが、主幹からアドバイスをされていた通りに懐柔策として用意した有名店のチョコレートを差し出すと、渋々ながら話は聞いてくれた。


「すみません、情報が集まるまで、またお会いできる機会は先になると思っていたのですが」

「3か月ぶりですね。このアヴァロンにはもう慣れましたか?」

医療島の別名“アヴァロン”は、誰もが知っている名称であるにも関わらず、こんな風に自然に言葉に出されたのを聞いたのは初めてだった。誰もが“この島”とか“ここ”としか言わない。やはりどこか、日本人が口にするには恥ずかしい響きがあるが、外国人が口にするとなにか様になる。

「ええ、まあ。ところで今日は少しお知恵を拝借したいのですが」

外国人には少し難しい言い回しだろうか、という心配は無用だった。彼は完璧な日本語を話すのだ。頭のいい奴は違う、などと卑屈な気持ちを持つほど伊豫は散文的ではなかった。

「――ふむ、なるほど。つまり貴方はその『魔法少女』とやらの正体が知りたいと」

「そうです。何かあんな風に、少女を街灯の上に危なげなく立たせたり身軽に飛び回らせたり、体勢も崩さず怪我もなく5mもある高さから飛び降りたり、突然消えたりする方法に心当たりがないかを教えていただけないかと」

「そうですねえ。無くもないですよ」

事もなげに言うと、彼はメモにある言葉を書いて渡してきた。

そのあまりに単純な、素人でも考えそうな安直な解に、多少拍子抜けする。

「あれ?ガッカリしていますか?でもそれを証明する事は、今の時点では不可能ですから」



「どうかしました?」

次こそはチャンスを逃すまいと、浦志はずっとカメラを構えたままの姿勢でいた。

「いや、何でもない」

さて、どうしたものか。

クロウフォードの仮説で、少女を目にした時に何となく感じた違和感の説明はつくような気がする。だがその証明ができないのなら、これ以上追う事に何の意味があるだろう。まあ、こうして正体もつかめぬままに右往左往している事自体が、宣伝になるのかもしれないが。

それに、島のどこに出没するかも分からない魔法少女に出会えたのはかなりの幸運だろうから、また遭遇できる確率は相当低いだろう。まあ、これも仕事だ。

「――さん」

浦志がかすれた声を出した。

「――伊豫さん、あれ……」

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