“本物の”魔法少女
島のいたるところに掲げられる医療島のシンボル、“大地に根を張る結実した林檎の樹”は、大地にしっかり張る根と伸び伸びと天に向かう枝が医療網によって繋がり連携している様子を、揺るがぬ太い幹が医療への信頼を、そして林檎の実はそれが最高の形で実を結び、すべての人がその恩恵に与れるようにという希望を、それぞれ表している。
その為、“島”“医療”“林檎”のキーワードからこの島は『アヴァロン』とも呼ばれ、伝説やそれに関わる人物に因んだ名前をシステムや施設、機器につけたり、医療島振興の為の企画、『魔法少女 あずさ』もアーサー王伝説を素地とする事になったのだった。
「香寿紗、ちゃんと監督さんや周りの人の言う事を聞いて、ご迷惑をかけないようにするのよ」
「うん。大丈夫だよ、お母さん」
「ごめんね、お母さんも一緒に行ってあげられればいいんだけど……」
「お母さんは無理しちゃダメ。具合が悪いんだから、ちゃんと寝てなきゃ。お母さんの仕事は病気をやっつける事だよ」
「そうね。……ほんと、香寿紗の方がしっかりしていて、私の方が子供みたいね」
大好きなお母さんにそんな風に認めてもらえると、うれしくてちょっと得意になってしまう。
それに、大人の中に一人で行く不安よりも、今はわくわくの方が大きい。本当の事を言えば、最初お母さんが断った時、残念って思ったんだ。
新さんがあきらめないで香寿紗の事を推してくれたから、代役に抜擢してもらえてお金ももらえて、何よりお母さんの病気を最先端の最優先に治療してもらえる事を約束してもらえて、だからわたしは絶対頑張ろうって決めたの。
わたしが小さい頃からお母さんは難しい名前の病気で入院する事が多くて、そんな時はお祖母ちゃんがいつもの倍、お母さんの分まで優しくしてくれたけど、それでもお母さんがそのまま帰ってきてくれないんじゃないか、わたしを置いてどっかへ行っちゃうんじゃないかって心配で不安で寂しかった。
この島に来たのはお母さんの病気を治す事のできるお医者さんがいるとかで、何年も前から申し込んでいたのがようやく順番が回ってきたから。
きっと治るって信じて、この医療島に引っ越したのが3月だった。その後すぐあずさ役に決まってから演技のレッスンとか衣装合わせとか色んな人とご挨拶したりとか、放課後もお休みもすごく忙しくなって、入院しているお母さんと過ごせる時間が極端に少なくなってしまった。
お母さんが入院している間は、そういう子供を預かる施設で暮らせるようになっていて、ちゃんとした部屋もあるし、職員さんがいろいろ面倒を見てくれたり相談に乗ってくれたりするから、不自由な事はない。他の子もいるからひとりぼっちで寂しいという事はないけれど、電話で話す事はできても、こうして予定の合間を見て病院に顔を出せるほんの少しの時間だけが、お母さんに甘えられる唯一の時間だった。新さんが手配してくれた病室は個室で、周りを気にせず話をする事ができた。
「今日はね、“顔合わせのパーティー”で“決起会”なんだって」
「香寿紗、意味分かってるの?」
「分かってるよ。みんなで集まってご馳走とか食べながらいっぱい挨拶して、最後に“エイ、エイ、オー”って言うんでしょ?」
「まあ、間違ってはいないけど……」
お母さんが苦笑する。
「取材の人とかもたくさん来るから、『あずさ』に出てくる衣装の雰囲気に似たワンピースで出るんだよ。この間試着したんだけど、すっごい可愛いワンピースなの!パーティーが終わったら、そのままもらえるって言ってたから、お母さんが退院したらそれ着て一緒にお出かけしようね」
「そうね、楽しみだわ」
そう言ってわたしをギュッと抱きしめてくれる。
家にいる時のお母さんはお料理の匂いとお庭の陽だまりの温かい匂いがするのに、入院した時のお母さんからは病院特有の冷たい匂いがして、そのぬくもりは変わらないはずなのに、なぜだかいつも少し悲しい気分になる。
「わたし、頑張るね。お母さんの為にも」
華やかなワルツの流れる会場で、最終話撮影の間だけの臨時マネージャーについてくれている江間さんが、心配気に目線にかがむ。
「疲れていない?もう始まってから2時間くらい経つけれど」
「大丈夫、です」
正直に言えばクタクタだった。こんなに1度にたくさんの人に会うのは初めてだったし、足も痛くて立っているのがやっとだし、自分がきちんと笑顔を作れているかすら自信がない。
テーブルに並ぶご馳走は立食形式だったが、挨拶や自己紹介など引っ切り無しにこちらに来る人との会話に追われて口にする余裕がなく、今は疲れすぎて口にしたいとも思わない。
それでもここに来る前にお母さんに頑張ると宣言した事が、なんとか香寿紗を支えていた。
「ごめんなさいね。さすがにそろそろ来るはずなんだけれど……」
盛況、というにはやや間延びした空気。みんな、もともと出席する予定だった人が来るのを待っているのだ。
香寿紗も1度だけ会った事がある、この医療島で1番偉い人。
その時も忙しいとかで、会ったのはほんの数分だった。離れて見て、近くで見て、いくつか質問して、それでおしまい。始めから香寿紗に決めていたような感じだった。
会場のざわめきが変わる。
大きくなったとか静まり返ったとかではなく、無秩序で気の抜けた空気が急にパーティーが始まったばかりのような緊張感を持ったのが、香寿紗にも分かった。
――来たんだ。
監督や関係者が慌てて駆けつける先に、あの女の人――医療網研究開発人工島・総合管理センター所長 佐原 真貴那が、秘書他数人を引き連れて悠然と姿を現す。
「遅くなって申し訳ありません、執行監督」
「いえいえ、ご多忙のところ足をお運びいただいて恐縮です」
大人のやり取りの後、ワインを手にした佐原所長がこちら目を留め、やってきた。
シンプルなスーツ姿なのに周りの着飾った女性たちとは比べものにならないその存在感は、きっと自信に裏打ちされたものだろう。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
何を話せばいいのか分からず、ただ相手の、幻でも見るような視線を受け止める。
「本当に、よく似ている……」
それは、香寿紗が今日1日で1番言われた言葉だったが、その人が言うとなぜか何とも言えない響きを持つ。
「紹介しておくわね――雅紘くん」
監督に挨拶をしていた男の人が振り返る。
普通に呼んだだけなのになんだか空気がピンってして、特に大きい声を上げたわけでもないのにみんながこちらを意識しているのが分かった。
「はい」
――わあ。カッコいい……。
雅紘、と呼ばれたお兄さんが近づいてきて、優しい笑顔で丁寧に挨拶してくれる。
「弦川 雅紘です。『あずさ』では隆平役を演じていました。最終話でも急遽、ちょっとした役で出演する事になったので、よろしくね」
「え?…………あ!」
ほんとだ!隆平お兄ちゃんだ!!
「あ、飛山 香寿紗です。よろしくお願いします」
「頑張ろうね」
「は、はいっ!頑張ります!」
少し挨拶してくるという佐原所長が新さんを連れて離れていくと、隆平お兄ちゃん、じゃない弦川さんがウェイターの盆からオレンジ色のグラス2つを取り、1つを香寿紗に渡すと自分もグラスに口をつけた。
「弦川さんもジュースなの?」
「そうだよ。まだ未成年だからね」
「ミセイネン?」
「大人じゃないって事だよ」
「大人じゃないの?」
香寿紗のような子供の目には、雅紘は充分大人に映っていた。
「ハタチ、はまだ習ってないかな?来年20才になったら、晴れて大人って認められるんだ」
「20才で大人なんだ」
20才の事をハタチと呼ぶのかと思いながらオレンジジュースを一口飲むと、その甘さにホッとする。
「疲れたでしょ。少し座ったら?」
「でも……」
代役にすぎなくても自分は主役であるという責任感が、何度椅子を勧められても断らせていたが、さすがに今断るには疲れすぎていた。それを見透かしたように弦川さんが笑う。
「子供は遠慮しないの。ちゃんとみんなに挨拶はしたんでしょ?ほら、おいで」
差し出された手を、思わず素直につかんでしまう。
「ちょっとこの子借りますね」
「あっ、ちょっ、ちょっと」
弦川さんは江間さんに一声かけて会場を抜け出した。
会場外の談話スペースにあるソファに座らせると、緊張していた香寿紗もその柔らかい座り心地に次第にリラックスしたようだった。
雅紘が初めて最終話制作の話を聞かされた時にも、参加しないかとは聞かれた。当然目的は話題作りだろう。だがもうこの作品に対して自分の手は離れたと感じていた為に1度は断ったものの、佐原さんの言葉を思い出し、確かにこれはいいきっかけかもしれないと思い直したのだ。今日こんなパーティーがあるとは知らずに撮影に参加したい旨を伝えると、いきなり佐原さんの車で会場に連れてこられたのだった。
かなり似ていると聞かされていたが、実際会った香寿紗は本当に英本人ではないかと思うくらいそっくりで、複雑な気持ちになる。『あずさ』に関わった全員が抱く感情だろうし、佐原さんは一層その思いは強いだろう。だからこそ、この子は絶対に無事に撮影を終えさせなければならない。
そんな周囲の思いを一身に集めているとも知らずに、ソファの背もたれに身体を預けた香寿紗はさり気なさを装いながら雅紘に尋ねる。
「ね、弦川さんは“噂”の事、知ってる?」
「噂?」
「あのね、夜になると、本物の『あずさ』が現れるんだって」
「それにしても、急な招集でしたね」
「お正月に放送する事を目標にしたので。それに脚本は疾うにできていますし」
「すでに放送局も手配済みだとか」
「年末に1話からすべて再放送し、お正月にスペシャル番組として放送する予定です。それに出演者の子役が夏休みであるこの時期に撮るのがいいと判断しました」
「脚本を手掛けた風野先生も、残念でしょうね。最終話を見届けられないまま亡くなられてしまって」
「本当に……」
「そうそう、脚本といえば、監督がまたいろいろと無茶を言い出したとか」
「そうなんです。この7年の間に思い付いた案を詰め込もうとして、初めは収拾がつきませんでした」
「具体的には、どんな?」
「島を1度海に沈めて、あずさの力で浮上させたいとか、宇宙に飛び出て星をバックに闘わせたいとか、そんな感じで」
「なんだか、スケールが大きければ大きいほど安っぽい映像になりそうな」
「結局採用されたのは、島民全員が一斉に逃げ惑うシーンですね」
「全員ですか?それだって実際やろうとすれば結構大掛かりですよね」
「大規模防災訓練の一環として実施しようと考えています」
「それは私たちもエキストラとして参加できるという事ですよね?楽しみですね」
これくらいで充分だろう。相手の好奇心は満足させたはずだ。
すかさず新が多少わざとらしく時計を確認しながら口を挟む。
「申し訳ありません。佐原には次の予定がありますので、そろそろ……」
相手もこちらの多忙は承知の上だ。名残惜しそうに見送られるうちが花だろう。
最後に簡単な挨拶をしてから会場を後にし、車に乗り込む。
「よかったんですか。あそこまで話してしまって」
「問題ないでしょ。ところで、例の“噂”はどう?」
「かなり広まっているようです。まあ、幽霊ではないかという話も一部ではありますが、タイミング的に話題作りの為のプロモーションだろうという認識で落ち着いていますね」
「そう。監督の治療の方は?」
「実験の経過は上々です」
「実験ではなく治療と言いなさい」
「すみません。ところでその治療ですが、眠りに落ちる前やリラックスした時などには、認知症の症状が出るらしいです」
唇に指を当て、少し考える。
「覚醒時と閉眼覚醒時または入眠期の変わり目……アルファ波とシータ波の狭間?」
「そうかもしれません」
「面白いわ。引き続き経過観察を。何かあればすぐに報告するように」
「かしこまりました」
うちの上司はこういった学術的な問題を前にするとイキイキする。本来なら白衣を羽織って研究室にこもっているのが好きな人種なのだ。こんな煩わしい雑事で1日の大半を潰すのはさぞ不本意だろう。
「あなたが今、何を考えているか当てましょうか」
いつの間にか上司は横目でこちらを見ていた。
「“ウェイトレスに可愛い子がいたのに、口説く時間がなくて残念だ”でしょ」
「え?もう1度会場に戻ってもらってもいいですか?」