第十話 ほころび
「植物の国が炎に包まれた時、咲夜ちゃんじゃ相性が悪いのかと思ってたよ」
「あはは、大丈夫だよ先輩。氷属性に分が悪いのは、最後の子供だから」
「最後の子供……?」
「先輩、パンドラの箱、って開けたことある?」
――ある戦士たちの会話
「テメェら、人ん家で何してんだ?」
「朔!」
殴られた炎の男の頭上には、不規則な噴射を繰り返す朔がいた。
「なつみ……明里さんを助けてくれて、ありがとう」
「さっくん……」
両目に涙をため、怖がりながらも優し気に声をかける明里さん。
「明里さん……もう少し待ってて。なつみ、一緒に闘ってくれるか?」
「うんっ! もちろん!」
私は急いで玄関の扉を開けた。
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「へえ、おあつらえ向きのメンツがそろったってところか」
嬉々とする炎の男とは対照的に、無言で朔を睨む男。奴が、朔のお母さんを――。
「貴様――貴様が母さんを――!」
そう叫ぶと、朔は一直線に飛び込んでいった。
「やれやれ、自己紹介も無しとは無礼ですね。私はスペイダー。以後お見知りおきを」
「くたばれぇ!」
朔の拳がスペイダーの頬に命中しようというその瞬間、突然の激流が朔の身体を飲み込んだ。
「ぐああっ!」
「粗悪品は返品です」
「朔!」
そのまま流れに乗って返される朔。私が駆け寄ると、眼前に炎の男が立ちふさがる。
「瞬間移動――!」
「おいおい、このクロウバーン様を忘れないでくれよな!」
「ぐあっ!」
熱い拳が私の頬を襲う。みっともなく尻もちをついてしまった。
「あなたは、彼女よりも僕を楽しませてくれると嬉しいのですが……!」
「ぐっ、ほざいてろ!」
「なぁスペイダー。結局この女はやっちまっていいのか?」
「魔王様の許可は取ってあります。思う存分やるといい」
「そいつを聞いて安心したぜ!」
この2人、やっぱり尋常じゃなく強い――エアがいないこの状況じゃ、瞬間移動を超えてやり返すことはできない。何とか隙をついて決着をつけないと!
「ちくしょう、もう一度だ!」
相性の悪い攻撃を受けたというのに、すぐに起き上がって炎を点火する朔。私は朔を止めた。
「待って。無鉄砲に向かって行って勝てる相手じゃない」
「だけど!」
「大丈夫。朔も私も、――咲夜ちゃんたちだって今までとは比べ物にならないくらい強くなってる。勝てるよ」
「タフさだけは自信があるようですね……しかしあなたにとって《冷静》は苦手なはずです」
スペイダーが大蜘蛛を具現化し、水の一撃を放ってきた。身体の上の方にある口から大量の水が朔の小さな身体に向かって流れてくる。私は咄嗟に朔の前にバリアを張って防いだ。
「なつみ、後ろだ!」
「え――!」
前方から、クロウバーンが消えていた。私の背中を殴りつけた炎が、バリアを壊して私を襲う。
「きゃあ!」
「ぐぁっ……」
私は炎を、朔は水の攻撃を受けて倒れこむ。そうか、奴は相性を計算して私たちに不利な状況を作り出している。もしかしたら、咲夜ちゃんたちも――。
「大丈夫? 朔」
「ああ。けどこのままじゃジリ貧だ」
「どうした? そんな程度なのか?」
瞬間移動で再び前方に戻ったクロウバーンが、私たちを挑発する。炎に対して水、植物に対して炎――相手がこれを想定しているなら、他の方法で攻めるしかない。
大丈夫、私たちの《感情》は、以前よりずっと豊かだ。
「策はある。私に任せて」
私は朔に耳打ちした。
「なつみ……でもそれじゃあ、お前の負担が」
「心配いらないさ。朔、最後に決めるのは朔だよ。お母さんの仇、絶対に取ろう」
「ああ!」
手筈通り、朔が上空に飛び、私は魔法を展開する。ファントムに言った言葉を反芻していた。そう、私は恐れない。
「おいスペイダー! あいつ、逃げるぞ!」
「いえ、おそらくは何かの作戦――クロウバーンは奴を追ってください」
「おうよ!」
クロウバーンが朔と同じように炎を噴射して上空へと飛ぶ。その空、どこまで続いてると思う?
黒い霧が、日常の通学路を包み込んだ。
「こ、これは《絶望》の――新垣なつみには、今まで闇の発現はなかったはずですが――」
「ここ一帯が闇に――英雄モドキの《力》も感じられねえ……」
「幻術――ここ一帯にそれをかけたというのですか」
「《感情》――それは本来、いろいろな広がりを見せるものだ。一面的な属性のみで語れるほど、狭いものじゃないさ」
「ちっ、だったら女を先に!」
クロウバーンが狙いを変更し、私のもとに襲い掛かってくる。目を閉じ、クロウバーンの飛距離を計算する。闇と化した地面に、そっと手を伸ばす。
「これが、私の成長の証――」
闇の空間から、いくつもの樹々が生え、クロウバーンを押し上げる。
「う!? ちくしょう、邪魔なんだよ! 全部燃やしてやる!」
「騙されてはいけません! その樹も幻覚、術者を正確に狙いなさい!」
「何ィ!?」
スペイダーという男、あいつはかなりの切れ者だ。私たちの作戦、魔法、そのすべてにもう見当をつけている。私が2人を引き付けていられるのも、時間の問題か。
「新垣なつみ、あなたの狙いは分かっていますよ。大方、神寺宮朔を逃がして機をうかがうといったところでしょう? この幻術空間で僕たちを足止めできると思ったら大間違いです」
余裕綽々といったところか。さすがは《冷静》――。ラギンは今どうしているのだろうか。
「くらえ、新垣なつみ!」
クロウバーンが私に狙いを定めて炎を発射する。闇のバリアで防御する。
「くっ」
「《絶望》なら――《情熱》にも耐えられる」
「おいスペイダー! 話が違うじゃねえか!」
「ふふん、あなたたちも伊達にここまで来たわけじゃないということですか。しかしこの幻の森も、そう長くはもちませんよ」
蜘蛛――数匹の蜘蛛が、幻影の森を這って進んでいく。朔――チャンスは1度、どうかもう少し――。
「俺たちは最後の駒――その意地見せてやるぜ!」
クロウバーンの《力》が強まった。真正面から見ると、少し朔に似ているかもしれない。ところどころ撥ねた赤毛、あ、八重歯は違うか――バリアが破られた!
「ボーッとしてっと、こんがり焼けちまうぞ!」
急いで後ろの樹にツルを伸ばす。飛び移ろうとしたその瞬間、後ろから樹を丸ごと焼かれてしまった。
「うわっ!」
「逃がさねえよォ!」
一瞬でクロウバーンの気配が消えた――前!
「これで、終わりだあああああああああ!!」
灼熱の拳が、私に迫る。バリアを張ってる時間はない、やられる――!
「捕捉、完了――!」
スペイダーがなにかをつぶやいたその時、森の茂みの奥から、明るい光が飛び出してきた。
「朔!」
「ありがとうなつみ、充分《力》を充填できた」
闇の空間に不釣り合いなほど嬉々と光るその炎は、見る者を圧倒させる魅力に溢れていた。
「お前、その炎の色は――」
「クロウバーン、だったか? お前の炎、いただくぜ」
朔がクロウバーンの炎に手を伸ばしかけたその時。
「無駄です。あなたはもう、捕捉されている」
朔の後ろから、何か白いものが大量に巻き付いた。暗闇だからよく見える、あれは――。
「蜘蛛の糸――!」
「どんな栄光も、小さなほころびから崩れ去るものです。まさにアリの一穴、ならぬ蜘蛛の一穴、でしょうか」
「よくわからねえけど、助かったぜスペイダー!」
「この幻影の森に、蜘蛛を繁殖させました。じきに魔法は解け、森も終焉を迎えるでしょう。あとは……」
「ぐっ」
スペイダーががんじがらめになった朔を引っ張る。水の《力》が染み込んだ糸は、朔にはきついはずだ。
「彼らを料理するだけです」
読んでいただきありがとうございました。最近忙しくて更新が遅くなるとは思いますが、失踪はしないので気長に待っていただけると幸いです。
次回、第十一話「滅び」。お楽しみに!




