第二話 図書
「トウトーラ歴37
炸人がダグラに敗北する その瞬間 美海が目覚めた 小さな宝石が 彼女の涙からこぼれた」
――ハクシキーノの手記
「どこから、やり直すんだ」
闇の国の地下、パパの研究所の医務室にやってきたダグラが言った。寝たきりのニュクスは、少しだけ笑うと、ゆっくりと口を開いた。
「どこからも、やり直さない。ダグラ、私たちは未来へ進むために、過去へ行く」
「どういうことだ」
「かつての英雄――お前も含めて――が、帝王シーボルスを倒しに行く三日前、そこに今の英雄たちを送る」
「なんだって」
ダグラが大げさに驚いた。私とお兄ちゃん、なつみ先輩は黙って二人の会話を聴いている。
「あの頃の俺たちは、今の朔たちより弱い。シーボルスはネクローと同じぐらいの強さだ。君と朔が融合した時点で、その《力》は超えている。今更かつての俺たちに会ってどうする。そんなことより、やはり幹部戦をやり直した方が――」
「ダグラ」
静かにニュクスが制止した。
「過去を変える《秘宝》――それは本来邪道だ。過ぎ去った過去を都合のいいように改変するためになど、使ってはいけない。私たちは魔王を倒すため、さらなる高みへ向かう。そのために、過去を利用するだけだ」
「だからと言って、過去の俺たちが修行を手伝ったところで、助けになるとは思えない」
ニュクスがまた、笑った。その顔は少女のように無邪気だ。ニュクスが過去に思いを馳せるとき、エアのように若返っている気がする。
「お前は過去の自分たちを過小評価しすぎだよ。《力》の強さだけが、能力者の強さじゃない。考えてもみろ、私たちの幹部戦は朔を除いて、大技で力づくで決めたに過ぎない」
私の巨大氷蕾。お兄ちゃんとヘメラが融合して放った一撃。ラギンの蒸気。なつみ先輩の花吹雪。そしてニュクスとお兄ちゃんの太陽――。確かに、ニュクスの言う通りだ。
「そんな戦法は、これからの敵には通用しない――これからは、複数人で連携しながら闘うことになるだろう。それを学ばせてもらうんだ。過去のお前たちから」
「しかし――お前を攻撃した後、魔王はまた姿を消したのだろう? 何か、奴を止めるもっと有用な使い方がありそうな気がするが……」
そう、お兄ちゃんの話では、時の魔王はニュクスを気絶させた後、何もせずに消えたという。融合していたお兄ちゃんには、意識がまだ残っていたそうだ。
私たちを殺さなかったのは、何故だろう?
「《すべてをやり直す力》――この《秘宝》を生み出した《冷徹》な女は、お前が正しい時に正しい使い方をするだろうと見込んで、この秘宝を預けた。違うか?」
「美海――」
ダグラさんは、おばあさんの名を呼んだ、今は異なる世界にいる、氷の女神。
ニュクスは、ダグラから受け取った《氷の秘宝》を掲げて言った。
「もう一度言うぞ、ダグラ。人は前に進むしかない。――朔が、そう教えてくれた」
その場にいた全員が、うなずいた。
**
「三か月?」
ベッドを用意してくれたアイス・プリンセスが素っ頓狂な声を出した。
「そんなにかかるのですか」
「それだけ魔王の一撃は重かったということだろう。身体を動かせないから、回復装置も使えない。妥当な期間だ」
「三か月たったら、私たちは過去に行くんだね」
「私はいかないぞ。あと炸亜と佐久間もだ」
ニュクスが笑った。天井を見つめる瞳は、なぜか輝いている。
「どうして!? ニュクスが言い出しっぺなのに!!」
「闇の英雄は、まだ生きている。私はここに残って、エアとダグラと修行する。炸亜と佐久間を行かせると、未来が変わってしまうかもしれないしな。あいつらを行かせても目的と逸れるし、仕方がないだろう」
「ヘメラは? ヘメラはどうするの?」
「二人の光の英雄は――死んでしまったじゃないか。ヘメラは行くといいさ」
「それ、寂しくないの?」
私は少しおちょくってやるつもりで訊いた。そして、自分の軽はずみな行動を後悔した。
「寂しいさ」
ニュクスは、ずいぶん自分に正直になった気がする。前よりもっともっと、人間臭い。もちろん、いい意味で。
三か月が過ぎた。ヘメラの力を借りて治癒を完了したお兄ちゃんたちは、決意に燃えている。
「ハクシキーノのところへ行くぞ。あそこから過去へ向かうのが安全だ」
ニュクスの言葉を信じて、私たち全員は植物の国の奥の奥、大火災など無関心とでもいうような鬱蒼なジャングルの、その先にある大きな屋敷に足を踏み入れた。
「お待ちしておりました」
ハクシキーノが丁重にお辞儀をした。チャームポイントである小さな丸メガネが輝いている。頭は、前会った時よりさらに後退しているような気がした。それでも、この博識な男は、
何千年も、生き続けている。
「ニュクス、この人は?」
「あ、お兄ちゃんは初めてだっけ? 《第三の世界》からの監視役が小夜嵐だとするなら、ハクシキーノはこの世界の、自主監査役みたいな人だよ」
「ハクシキーノには、全世界を見渡し、会話を傍受できる《力》がある。何千年も前から、この世界を見渡し続けているんだ。その記録は――奥の扉を開けた先にある」
まるで軽率な侵入者を拒むように閉ざされた固い扉。その先には――。
何千、何万、何億をゆうに超える図書が収められている。
「ここが、ハクシキーノの巨大書庫――ハーノタシア図書館だ」
「この星の歴史を、手記と会話録で書き記しております。どうぞご自由に、ご覧ください」
この世界が誕生してすぐのころから、つい最近に至るまで、年代順で創世記と手記が並べられている。お兄ちゃんが創世記を手に取った。
「ハーノタシア星創世記――第一章 第一節」
『おおきな ちからのかたまりが こおりのりんかくをおびて ばくはつした
かれはかたちをもち このほしをつくった』
「この星は、氷の《力》によってつくられたのか」
「うん、そうだよ。氷の究極の《力》、それは世界を創りだすこと。もちろん、あたしにはそんなことはできないけれどね」
私は、ハクシキーノの手記をめくった。
『トウトーラ歴38
炸人と美海が結婚 ニーナは学校のため出席せず』
私たちのおじいさんとおばあさんが一緒になった年。その場に、ニーナはいなかったのか。
「そして、時間を遡るのにも、氷の《力》が必要だ。咲夜、アイス・プリンセス。お前たちの力を借りるぞ」
背後から、ニュクスが言った。アイス・プリンセスは満面の笑みだけど、私は納得できない。
アイス・プリンセス、どうしてあなたは生きているの?
あの子を殺した私が、あの子と並ぶ資格なんか、ないかもしれない。アイスプリンセスはなぜ、私にあんなに友好的なのだろう。
この三か月間、怖くて訊けなかった。私ってやっぱり繊細? というより、小心者、か。
「お母さん、そろそろ――」
エアが促した。ニュクスがうなずき、ばらけていた全員を集合させる。
ニュクスが声高に宣言した。
「全員そろったな。私、エア、アイス・プリンセス、そしてダグラを除いて、ここにいる全員が過去へ向かう。目的は過去の英雄たちに稽古をつけてもらうことだ。いいな!」
みんなが、うなずいた。
「注意事項がひとつある。それは、自分たちが未来から来たこと、そして過去の英雄の関係者であることを黙っておくことだ。名前ももちろん、偽名を使え。お前たちの影響で、未来が変わることは避けたい。わかったか?」
「はい!」
「よろしい。咲夜、アイス・プリンセス。こっちへ」
私とアイス・プリンセスが、広大な書庫のさらに奥にある扉の前に並ぶ。ニュクスから神妙に、青白く光る《秘宝》を受け取った。
「《氷の秘宝》――」
「この小さく光る宝石、これはお前のおばあさんが《力》に覚醒した時に生み出された特別な力だ。これにお前たちの《力》を乗せ、過去への扉を開け」
「うん……」
アイス・プリンセスとの共同作業。緊張して、うまく話せなかった。
「あ、あの、アイス・プリンセス、は、さ……」
「やりましょう、咲夜さん」
にっこりと笑うアイス・プリンセス。私はその先の言葉が見つからなかった。
「本当に私だけ、行ってもいいの?」
「ああ」
後ろでは、ニュクスとヘメラが話している。2人の話が終わったら、始めることにしよう。
「でも……」
「ヘメラ、修行もそうだが……お前は久々に英雄に会い、楽しんでくると良い。私はお前に何度も救われた。お前には――そうするだけの権利がある」
「だったら、エアとニュクスと、三人で行きましょうよ」
ニュクスが、儚げに笑った。今度の表情は、少し大人びている。
「私は――きっと英雄に会ったら抑えきれなくなるだろう。その『落差』に、また《絶望》してしまう」
その『落差』――私には、意味が分からなかった。ニュクスの次の言葉を待ったけれど、ニュクスは目を閉じ、大きな声でこう言っただけだった。
「二人とも、始めてくれ!」
お兄ちゃんたちタイムトラベラーが、ずい、と私たちの後ろに寄った。もう、急かさないでよ!
アイスプリンセスが、私の手の上の《秘宝》に手をおいた。光が、強くなる。
「ね、ねぇ。アイス・プリンセス……」
訊くチャンスは、今しかない!
「どうしてあなたは、生きているの?」
アイス・プリンセスは、私を見て小さく笑うと、DTの渦を巻き始めた扉を見て、言った。
「私、あなたに感謝しているのです。あなたがあの時私にとどめをさしていれば、私はいま、こうしてあなたの手を握ることはなかった」
「え――」
「いろいろな未来があるのですよ――あなたが私を殺めた未来、殺めなかった未来――あなたのおばあさんと、コロウが結婚した未来もきっとあるでしょう。たとえそうだとしたら、私の隣にいる人は、まったく違う人だった」
「アイス・プリンセス――」
「世界はきっと面白いものです。時の魔王が思うよりも、ずっと……」
扉が白く輝いた。まぶしくて、とっさに片目をつぶる。
「アイス・プリンセスっ――」
なぜだか、アイス・プリンセスは目をつぶっていない。恍惚の表情を見せ、言った。
「神寺宮咲夜さん――あなたならきっと、大丈夫です。過去へ行き、あなたなりの未来を勝ち取ってください」
「うわっ!」
突然、扉に巨大な渦が浮かび上がった。扉に吸い込まれていく。遠くで、ニュクスの声が聞こえた気がした。
「目標、トウトーラ歴37! 打倒シーボルスの3日前だ!」
「うわああああああああああああああああ~!!」
意識が薄れていく。小さいころ、ママに抱かれながら眠る瞬間を思い出した。
私なりの、未来――。
まだ、想像がつかなかった。
**
「本当だって! きっと集団で誰かに襲われたんだ!」
「馬鹿を言うな、炸人。ここは闇の国の荒野。シーボルスの配下は、全員排除したはずだ。誰もいるわけがない」
「コロウ、新手が出たのかもしれないわ。とにかく手当を……」
「それなら私に任せて!」
「お、目が覚めたみたいだ!」
「う、うーん……」
視界がぼやける。でも、どこかで見たような景色が広がっていた。と、突然お兄ちゃんそっくりの瞳が、私の視界をふさいだ。
「おい、大丈夫か?」
「う、うわあ!」
つい、のけぞってしまった。
「大丈夫? あなた、名前は?」
美しい色白の女の子。私と似た服を着ているけれど、胸のふくらみはケタ違いだ。
だんだん頭がはたらいてきた。そうだ、私たちは過去へ向かって――。
立ち上がってその集団を見渡す。お兄ちゃんそっくりの栗色のはねた髪。私そっくりの綺麗な黒髪の女の子。鋭い目つきに青い髪の男。灰色のマントに、大きな剣を携える剣士。一番後ろでこぢんまりとしている黒いフードの男。そして――
なつみ先輩にそっくりな、褐色の女の子。
間違いない、ここはトウトーラ歴37――日本の西暦で言うと1982年。今から68年前の、闇の国。
そしてこの人たちは、シーボルスを倒した、英雄だ。
読んでいただきありがとうございました。最近文字数多いな……。娘を自分の父親のところに送り出す母親、(つまり炸亜)の描写もしたかったのですが、文字数の加減で諦めました。
次回、「Time01: Future」。お楽しみに!
※追記(2016/9/18)
次回の話を第三話からTimeに変更しました。




