第三話 傀儡《かいらい》
「傀儡――それは操り人形。悩み、痛み、苦しむ者たちは、それでも持ち前の自我で反抗すべきなのか、すべてを諦めて精神的奴隷になるべきか――はたしてどっちが、幸せなんだろうねぇ」
銀太の言うとおり、私たちはいつでも朔を助ける準備が出来ていた。だけど、私は――あいつは、助けてくれなんか言わないだろうなと思っていた。
だから、必要なのは、あいつの《心の叫び》を聴くこと――はたして、そんなことができるのか、わからないけれど。
「なつみ、どうした?」
「なぁ、朔のところに行ってみないか」
「どうしてだ?」
銀太は、特に驚くでもなく、《冷静》に私に問いかけた。少し釣り目の凛々しい瞳が、私を捉えている。
「俺、目つきが悪くてな。それでみんなから、理由もないのに恐がられた。本当は友達が欲しかったが、俺が勇気を出して話しかけても、うまくいったためしがなかった。……そう、そうだな……。学校に行けなくなったのも、それが原因かもしれない」
前に一度、銀太が私に話してくれたことだ。みんな生きづらさを抱えている。私も――この星の、《能力者》だって。
「朔が危ない気がするんだ。……勘、だけど」
「いいよ、信じよう」
「拙者も、同行しよう。お二人だけでは危険やもしれぬ」
ラギンが、静かに言った。ラギンは第四試合、明日が幹部戦で、今は最後の修行中なはずだ。
「ラギンは、修行を続けていてくれよ。そこまで迷惑をかけられない」
「笑止。迷惑などと……我らは迷惑をかけあっても、構わぬ同胞でござるよ」
「ラギン……」
「銀太殿、なつみ殿……あの英雄はどうやら、悩み多き青年のようにござる。どうか彼を――救ってあげてくだされ」
ラギンの言葉を胸に刻みながら、私たちは朔のもとへ向かった。
「朔から離れろ!」
私がそう言った時、そこにはふたりの朔がいた。一人は栗色の髪をして、地面に倒れ込んでいた。そして、もう一人の朔は――青い霊のように宙に浮かび、青い炎を放出し続けていた。
「あれは……何奴っ!?」
「さあ、わからない……だが、相手が誰だろうと、俺たちがやることは同じだ」
銀太が、不敵に笑った。
「なつみ……銀太、ラギン……来たのか」
ニュクスが、上空高く浮かびながら、私たちに声をかけた。そう、今は第三試合、朔とニュクスの対戦のはず。ならあの青い朔と、あの黒い男は誰だ?
「あれは朔の《影》だ」
私の思考を読んだのだろう。ニュクスが虚ろな目で答えた。その顔には、隠しきれない疲労が映りこんでいる。そして、涙の跡も。
「朔の《影》……《影》は邪悪なものだけが持っているものじゃないのか」
「誰にでも、誰にでもあるものさ。負の《感情》なんて――」
私は、伏し目のニュクスを尻目に、朔のところに駆け出した。
「朔!」
「おや……あなたが件のなつみさんですか。うわさは聞いていますよ」
「お前は何者なんだ! 朔を……殺すつもりなのか」
黒い男は、噛み殺したような笑い声を立ててから、静かに言った。
「私は一体何者なのでしょうねぇ。そんなことを考えることは、時間の無駄なのですよ。みな、与えられた時間を生きるだけ……それで幸せだとか、不幸せだとか、馬鹿らしいのです」
「だからお前たちは、魔王の操り人形になっているのか?」
「これは、魔王様の意志でもあります。私たちは通じ合っている。時が止まり、不要なものたちがすべて消えた完璧な世界では、みなが通じ合うことができる」
「それは、違う……! そんな世界、間違ってる……」
私は奴の言葉に反論した。でも、うまく言葉が出てこない。
黒い男はまた笑うと、足元からだんだんと消えていった。
「あなたと是非お手合わせ願いたいところですが……やめておきましょう。魔王様に後でなんと言われるかわかりませんからね。それと、彼を殺すのは私の役目ではなく、《悪魔》の役目です」
「待て! 朔を元に戻せっ!」
私はやつの身体をつかもうと駆け寄ったが、一歩遅かった。奴が消え、干からびた大地が延々と続く闇の国に、やつの声がこだました。
「英雄を救いたいなら――あなたたち自身で試してみることです。あなたたちの《感情》が、彼に届くのかどうかをね」
「私たち自身で――試す……」
届かせる。絶対に――。
「無駄だ。邪魔が入ったとはいえ、もう勝負はついた。私は朔を殺し、そしてネクローと時を過ごす」
ニュクスの冷たい声がした。ニュクスは黒い手を具現化させて朔をつかむと、地上に降り立った。
「あっ……」
「お前たち英雄には悪いが……これで終わりだ」
今度は、大きな鎌――そう、まるで死神が持つような――だけどそれは、ニュクスに似合うものではなかった。ニュクスは《悪魔》かもしれないけれど、死神じゃない。
「待て! 朔を――殺さないで――」
だって私は、まだ朔に――何も伝えていないから!
「さよなら、英雄――」
「ニュクス!」
朔――!
ニュクスは、朔に向かって大鎌を振り下ろした。私は思わず目をつぶる。
「……」
恐る恐る目を開けると、そこには目をつぶる前と同じ光景が広がっていた。いや、ニュクスの足元に何か――あれは、魔方陣……?
「体が、動かない……」
「羅生紋でござる。これにより、貴殿は動けまい」
「ラギン……貴様の仕業か」
間一髪のところを、ラギンが助けてくれた。そして――
「神山の身体は俺がかついでく! なつみ、お前は《影》を――いけっ!」
栗色の髪をした朔を、銀太が担いで遠くへ避難させた。みんなが、私を支えてくれている。なら、私は……自分にできることをしよう。朔が悩んでいるなら、私がちゃんと、向き合ってあげよう。
私は、ゆっくりと朔の《影》に歩み寄った。すぐそばでニュクスとラギンが、遠くで銀太が、固唾をのんで見守っている。
「よう」
陽気に声をかけてみた。《影》の虚ろな目は、しばらくさまよっていたが、やっとのことで私を見据えた。
私たちは数秒間、真剣に見つめあった。こんなこと、生まれて初めてかもしれない。
「……なつみ、お前はなぜ闘う?」
沈黙の後、《影》が訊いた。私は答えを出す前に、話し始めていた。
「ん……なんでだろうなぁ。この星に来たのは、エアに連れられたからだな。ここに来て、詳しい話を聴こうとしたら、ニュクスが洗脳されていて、成り行きで闘うことになったんだった。はは」
悪い気分ではなかった。それは、朔と話をしているからだろうか? それとも、この現実を、案外気に入っているからだろうか?
「成り行き……? だったら」
《影》が私を睨み付けた。まるで、私の弱いところを強く突き刺すように。
「――本当は、闘いたくなかった? 僕と同じように」
ああ、と私は納得する。この《影》は、朔の《負の感情》は――。
仲間が欲しいんだ。
「自分だけ、こんな状況にいるのが嫌だった?」
私は訊いてみた。朔の表情が、少し明るくなる。
朔がこの世界に来るとき、地球で朔が「除け者になるのが嫌だ」と言っていたことを思い出す。朔はずっと仲間が欲しかったんだ。家族と別れ、孤独な気持ちを抱えていたんだね。
私と、同じように。
「私も、同じだよ。孤独だったし、この世界の状況が呑み込めないでいたときもあった」
「やっぱり、なつみだって嫌なんじゃないか! そうだ、早く地球に帰ろう!《能力》だの魔法だの、もうこんなおかしな世界は――」
「でも、それは」
でもそれは。
「最初だけだったよ」
「えっ……?」
朔の表情が曇る。私に、裏切られたとでも言いたげだ。ううん、私は朔を裏切ってないよ。だって、朔の本当の気持ちは――。
「孤独で、この世界の理を理解できなかったのは、最初だけ。私は、エアに連れられて、東京の街中で銀太を守ったこともある。この世界で、おじいさんと一緒にニュクスとネクローと闘ったこともある。そういうことを経験するうちに、自分の孤独や、この世界の恐怖よりも――自分の大切なものの方が私の心に居ついてくれた」
「自分の、大切なもの――?」
「朔だってそうなんだろう? 最初はエアに頼まれて半ば強引にこの世界へ来た。だけど、エアの涙や、咲夜に『諦めるな』って言われたことで、朔の中の気持ちは変わったはずだ」
私の言葉に反発するように、青い炎が燃え盛った。そのまま突進してくる朔を、両手で受け止める。
「違う! 僕は――家に、帰りたい」
「《影》なんかに惑わされちゃだめだ、朔。朔は、ニュクスを取り戻すって言ったじゃないか」
「それは――僕の意志じゃないっ! 周りが勝手にっ!」
熱い、《影》の叫びが、私を焼き尽くそうと迫ってくる。私はひそかにバリアを張りながら、一センチ先の朔の鼻を見つめた、
「いいや、それは、朔の意志だ。だって誰も、『ニュクスを取り戻してくれ』なんて、頼んでないから」
「う、うるさいっ! 僕は――」
《影》の炎が、最高の熱さまで達した。焼き殺されるかもしれない、と一瞬だけ脳裏によぎった。そして、その考えを冷静に取り消す。
殺されないし、殺させない。
「僕には、この世界を救う勇気なんてない――!」
「なつみ!」
遠くで、銀太が叫んだ。《影》は最高温度の炎をまとい、私を押しのけようとする。でも、そんなこと関係なかった。やっと聴けたんだ、朔の本音を。
「私は、私はさ――」
この至近距離では、攻撃し返すなんてことはできなかった。それに、そうするつもりもさらさらなかった。
この不器用な青年が、愛しい。
私の心は、この感情に支配されていた。
「あれ?」
突然、私の身体から、なにか――穏やかな香りが漂い始めた。私は《力》を使おうと意識したわけじゃないけれど、これは――。
「なんだ!? なにをした!?」
《影》の炎が弱まった。伝えるなら、今しかないと思っていた。
「私は、不器用でも、うまくいかなくても――一生懸命な朔と、一緒に歩きたい。そんな朔を、近くで見ていたいんだ」
「え――」
「だから、いじけないでくれよ。一緒に、魔王を倒そう」
《影》の身体が白い光に包まれた。眩しい光の中で、私はそれを見逃すことはなかった。
静かに零れ落ちた、一粒の涙を。
「ああ――僕も信じてみるよ。僕自身の中に眠る、《情熱》の力を。僕は――いい仲間を持っていたんだな」
「仲間、か――。だが」
「ぬっ!」
《影》が消えた後、ニュクスが口を開いた。そして、力を込めると、ラギンの手に具現化したナイフを投げた。印がほどけ、ニュクスの拘束も解かれる。
「時間切れだ。友情ごっこに付き合っていられるのもここまでだな」
ニュクスが、私とラギンに迫る。大丈夫、二人でかかれば何とか――。
「友情ごっこだったかどうか、試してみるか?」
さっきと同じ声。だけど明るくてさっきとは違う声が、戦場に響いた。やっとだ。やっと――。
熱い英雄の、お目覚めだ。
読んでいただきありがとうございました。次回、ついに朔とニュクスの熾烈な闘いに決着が!
次回、第四話「開錠」。お楽しみに!




