93話 噂の人物“菅原恭也”
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前回窺った時は大して強い霊の気配もなく、住んでいる場所が霊道に当たる等と言うようなこともない、大凡霊障とも呼べない様な割と何処で起きても不思議では無い類の、単純な内容の解決を願う依頼の筈だった……。
そう思いながら空港からタクシーに乗り、途中で拾った隣に座るソワソワと少々落ち着きのない助手であり、弟子でもある彼の様子を見て苦笑いを浮かべる。
いつもの割とふてぶてしい彼の態度が、今日は借りて来た猫の様に大人しく先程から一言も口を開いてない事に、奇妙な違和感を覚えた。
その日は偶々何の依頼も受けておらず、事務所兼自宅となっている『R.P.R』(麓谷サイキックリサーチ)へと某モデル派遣会社の社長から連絡が入り、そこに登録しているモデルの一人の相談に乗って欲しいと頼まれ、以前とある件で知り合った際に僕の事務所の名刺を渡していた事を思い出す……。
僕が住むこの事務所は、大学合格を皮切りに父の下から抜け出し、自宅とするべく借りた物件だったが、実際に行ってみれば巷の噂に在るような『訳アリ物件』で、住むにはそこで起きる霊障となっていた物を祓う必要があり、家を出る際に渡された物件の契約書が、あまりにも安い条件を提示した理由は『こういう事』だったのかと理解し、父の狡猾さに思わず舌を巻いた。
どうやらこの土地に憑いていた物だったらしく、人を傷つけるほどの力はないが、醜悪で不快感を与える姿を『見られ』畏れられるくらいの強さはあったので、聞き込みの結果周辺や隣の新築マンションにもかなりの影響を与えていたようだ。
結局特に時間をかける事も無く、下見したその日の内に捕まえ祓うと同時に、その三階建てのビルの内ワンフロアが僕の自宅となった訳なのだが、そこのオーナーに何故か甚く気に入られ、二階と三階の二フロアも自由にしていいから、これからも相談に乗って欲しいと拝まれ、学業に影響を与えない程度に休みなどを使って、頼まれた『御祓い』をしている内に、大学を卒業する頃にはこうして自宅兼事務所を持つ事になる。
やはり電話だけでは分からないので、本人に直接会い現地へと赴く。
着いた屋敷を一通り見て回った後、依頼主からの相談でも現れている霊障は、決まった範囲でのみ起きていて単なる音と気配だけがすると言う、直ぐに危険な状態になる物では無かったので、四日ほどかけて簡易的な『結界』を作り出し、試した後にその『札』を渡したのだが、その後に霊障が静まるかどうか経過をみる心算もあった。
どうやら問題なく効果を発揮した様なので、予てから予定していた香港に居を構える、とある風水師に会うため飛行機に乗り日本から離れていると、事務所の留守番をしてもらっていた、箱根崎君から電話が入る。
「あ、もしもし恭也さん? 良かった~繋がったよ。それでそっちの件は順調すか? それと、今って電話しても大丈夫でした?」
「箱根崎君、どうしたの? 今はホテルだから大丈夫だけど、何かあったのかい?」
特に用事がなければ電話を掛けないようには言っておいたので、ただ単に連絡してきた訳ではないと思うが、どういう事だろう?
「実はっすね、この間依頼を受けて様子見中の瀬里沢って人から電話がきて、貰った札が剥がれて『また』霊障が起き出したらしいっすよ。今は日本に恭也さんが居ないって伝えはしたけど、これって不味いっすよね? どうしましょうか?」
「『札』が剥がれたと言ったんだね? 剥がしたのではなく?」
「あっちゃぁ。……それ詳しく聞いてませんした、マジですんません」
「そう、取りあえず剥がれてしまったなら効果は大分薄れている筈だし、もしかすると札が合わなかった可能性もある。だから念の為に用意していた奥にある札を渡してきて欲しい。こちらは急に日本に戻るのは心苦しいのだけど少し難しいんだ。悪いのだけど頼めるかい箱根崎君?」
「了解っす! 恭也さんの為なら任せて下さい!」
箱根崎君の僕の為と言う返事が少々心配だ。
僕よりも依頼主である瀬里沢さんの為にお願いしているのだが、彼の行動には依頼人よりも僕の事を優先するきらいがある。
どう考えても霊障で困っている依頼人の方が、僕よりも逃れたり抗う術を持たないとよく注意しているのだけど、彼はどうもその事を忘れやすい。
「別に僕の為じゃなく、依頼人の安全と信頼の為だって事を忘れないようにね? お願いしたよ?」
「大丈夫っす! 恭也さんの信用を守る為にも明日朝一で行ってきますから」
「うん。それじゃあ頼むけど、箱根崎君もくれぐれも怪我なんてしないようにね。こちらも予定の日程を少し繰り上げられないか確認してみるよ」
「分かりました! 恭也さんも無事日本に戻ってきてくださいね。また直ぐ連絡しますから!」
そう何度も何かあっては、今はどうする事も出来ない僕の心が全然休まらないから、なるべくなら連絡が来ない事を祈るよ。
……なんて言うと彼はきっとまた拗ねるのかな? 彼は少し子供みたいな所があるので、偶になら気にならないのだけど毎回だと流石に相手にするのが疲れる。
気を取り直して夕食に招待されていた先方の紹介の店へと行くため、ホテルのフロントでタクシーを呼んで貰おうとしたが、ここでも日本のような帰宅ラッシュがあるそうで、今からだとどうしても時間が掛かるらしい……。
流石に招待されたとはいえ遅れるのも不味いので、少々遅れるかもしれない事を連絡し、広東語は僕もあまり流暢では無いから店の住所をメモした紙を持ち、仕方なくホテルの外で『的士 TAXI』と書かれた派手な彩色の車を探し、運よく直ぐに捉まえる事が出来ると、車に乗り込み運転手にメモを見せ発車した。
――それから暫くは何の問題も無く平穏な日が続いていたが、また箱根崎君から連絡が入ったのだけど、どうも電話の先の彼の様子がおかしく感じた。
「……訳で、どうも札の相性が悪かったと言うか、上手く言えないっすけど、たかが音と気配だけの霊障で大袈裟すぎと思うんっすけど、……あ、大丈夫っす。心配しなくても依頼人の坊ちゃんには普通に対応してますし、話を聞くと、もう一度最初と同じ札が欲しいみたいっすね」
「そうですか、札の相性が……。困りましたね折角色々調整して箱根崎君にも手伝って貰い、その手順を教え覚えて貰おうと作ったのに、その甲斐が発揮できなかったようです。依頼人の瀬里沢さんも心配ですし、少々予定日より早く戻り緊急用の札を渡して、僕自身で全てを再確認する必要が出来ましたね」
「えっ!? その、まだ恭也さんの要件は済んじゃいないっすよね。それなのにこっちに戻るのは……態々そんな事で手を煩わせるなんて、そうだ! 俺が恭也さんに教わった手順通りに札を作るんで、是非任せて下さいよ! そうすれば戻るのはもう少し後でも大丈夫な筈っすよね?」
確かにまだ全ての要件は済んじゃいないけど、それは大丈夫だと思い依頼人を放って置いたままだった僕の責任であるし、それなのにもう少し香港に居たいからと一応弟子にも当たる箱根崎君に、そんな不確かな札を作らせ時を稼ぐなど出来る筈がない。
もう一つ問題なのが、彼の依頼人に対する姿勢が残念でならない事だ。
彼にとっては『ただの音と気配』なのだろうけど、助けて欲しいと願う相手の視点での考えには至らず、彼の価値基準で物事を考えてしまい『弱い相手に怯えるのは悪』と思っている節があるので、上手く隠している心算だろうけど偶に来る依頼人を見下しているように感じる。
これも僕が頭ごなしに言うのではなく、少しずつ彼自身で気付き学んでいかなくてはならない事なので困っている悩みの一つだ。
「ありがとう箱根崎君。ただ、それには及ばないよ。もう一度調整し直すのに渡した札を含め、土地から調べ直すつもりだし、こちらにはまた来れば済むけど依頼人の身に何かあれば、二度と合う事の出来ない恐れだってある事を忘れちゃいけないんだ」
「っ! だけど、たかが雑魚っちい音と気配だけの雑霊でしょっ!?」
「……強さは関係ないよ。それに、仮に箱根崎君の筋が良いからと言って、札を作って貰ってそれがもしダメだったら? 信用されないどころか依頼人の命にだってかかわる事になりかねないからね。そうなった場合の責任を、未熟な君に取らせる訳には行かないんだよ」
これは、近くに居る居ないの問題じゃなく信用と信頼、命を預かったに等しい事なんだから、急がなければならないしその事を確り学んでも欲しい。
例え命を預からない普通の仕事だとしても、頼んだものが期日に間に合いませんでした、だからごめんなさい……では済まないのだ。
もしこの間に依頼人たる瀬里沢さんの家で、霊障による被害で事件が起きたとすれば、信頼と信用など一瞬で消え去ってしまうだろう。
箱根崎君は最後まで僕が戻る事に渋って、「俺に任せて下さいよ」と粘っていたが、僕が意思を変える気は無いと彼が気付き「俺は、恭也さんの中じゃ何時になれば未熟じゃないと認めて貰えるんすかね……」と言って電話を終える。
最近はこんな会話で終わる事が増えた様な気がして、気が重い。
彼は決して筋も悪くなければ実力が足りない訳じゃ無い、だけど僕の弟子として一人前と祝うには、正直まだ無理がある。
こうして、新たに取った飛行機のチケットで香港から日本へ戻り、箱根崎君と合流し、件の依頼人の家である瀬里沢さんの屋敷の近くまで来たのだが、……まず目に入ったのが先日窺った際に見た時には『在った』筈の門の左半分が無い。
僕と箱根崎君はそれを見て、一気に顔を青ざめる事になった。
つづく