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90話 帰る場所

ご覧頂ありがとうございます。

 意識が戻ると額の上に乗っていたらしいタオルが落ちていった。

 軽い頭痛に首もズキズキと痛みを覚えるが、どうやら昼間にも寝かされていたソファーの上のようで、時計を見ると夜の七時を過ぎていてTVを見ながらだが、妹の明恵が額に乗っていて落ちたタオルを変えてくれていたみたいだ。


「ん、お兄起きた? 痛くない?」


「うむ、明恵タオルサンキューな。そう言えば首の方が微妙に痛いわ……それで、母さんは何処だ?」


 タオルが落ちた事に気が付き、明恵がTV画面から此方へ向き直りそう訊ねる。 額に濡れタオルを乗せて貰っていたのはありがたいが、母さんに担がれて落とされた時に、首でも痛めたかな?

 俺が帰って来たのがだいたい夕方の五時頃だったので、二時間くらい気絶というか眠っていたらしい。

 元々昨日初めて使い方を覚えた風の要素を、少しの練習だけで無理矢理使った事もあって、結構疲れていたのも原因だろう。


「母、お兄をソファーに寝かせたら部屋に入ったまま」


「……そっか、今日の晩御飯は出前だな。冷蔵庫はオシャカだし母さんはアレだ、怒りが引いた後に庭の木を思い出して、きっとまた引き籠ったに違いない」


 俺が技を食らったのも昼間庭の木の枝を軽く伐って、風の要素の練習台にしていたのだが、ちょっと力が入りて刈り過ぎたせいで、母さんが大事に育てていた木をボロボロにした結果だ。

 今朝は冷蔵庫、昼間は手入れを欠かさなかった庭の木と、二連続で母さんのお気に入りの物が酷い有様になって、ショックだったんだろう。

 前にもお気に入りのティーセットを父さんが誤って割った時、一日引き籠った事が在るのだ(その時はラリアット後にスコーピオン・デスロックを父さんは食らっていた)。

 今朝の冷蔵庫の時は持ち直したようだったけど、流石に続けて二度目となれば怒りが収まると、一気にガックリ来たんだろうな。

 普段は普通の何処にでもいるような主婦で、偶に恐ろしい怒りの獣神となるけど、その後は萎れた花みたいになるのが俺ら二人の母さんなのだ。





 ――予想通り、声をかけても返事もなく母さんは部屋から出て来ることは無かった。

 仕方なく今日の夕飯は俺の宣言通り出前となり、明恵の希望で店主がサモハンに似ている、七福亭の鶏絲涼麺と青椒肉絲鶏を注文。

 正直昼間の事で疲れていたので、渡りに船だった。

 暫くして届いたので向かい合って座り、食べながら昨日の事を明恵と話す。


「明恵は昨日の夜中の事、覚えているよな? 何故あんな時間に起きてきたんだ?」


「のどが渇いておきた、お兄のこえが聞こえて台所にいった。でも冷蔵庫でお兄が見えたけど、お兄じゃなかった。すぐ冷たい風が吹いて動けなくなった」


 質問した俺に対し、食べていた箸を置いてじっくりと思い出すように両頬を抑えながら、昨日の出来事で明恵が自分で覚えている事を、手の平を広げ指を折って説明してくれる。


 う゛っ、そう言われると何も言えん。

 確かにあの時の俺は力に呑まれて暴走していたみたいだったし、明恵が動けなくなって当然だ。まさかあの時間に明恵が起きて来るだなんて、俺も全く思いもしなかったので、家族に隠れてやっていたのに少し警戒心が薄すぎた。

 

「あの時、明恵を巻き込んでごめんな。……怖かっただろ?」


「怖かった。もう今のお兄に会えないと思った」


 ……確かに明恵は怖いと言ったが、その明恵の顔には午前中に母さんの怒りに対して見せた、怯えの様な物は全然浮かんではいない。

 ただ事実として『俺』にもう会えないと感じた事が、怖かったと言いたいのだろうか? 何故だ? 今の俺があの時の俺でないと如何して思えるんだ?


「明恵が倒れたのは俺のせいなんだぞ? また俺の近くに居れば、同じことが起きるかもしれない。明恵はそんな俺の事が信用できるのか?」


「……お兄は、ぜったい明恵のこと助けてくれるもん。だから怖くない。明恵が赤い石にさわった時も、昨日の夜もお兄の声がきこえた」


 ……聞こえたって、“命名の石”の時は意識が確りしていたけど、昨日は既に明恵は意識を失っていたし、俺も動転して何を口走ったかなんてあまり覚えて無い。

 それなのに明恵には俺の声が聞こえていた? 明恵の答えに俺が困惑していると、明恵はニヘっと笑って続けて言う。


「あのね、お兄の声が石が光った時も明恵の事抱っこして、あったかい風を送ってくれた時も、ここに響いたの」


「そうか、俺の声は明恵に届いていたのか。……明恵、ありがとうな。お前があの時死んじまうんじゃないかって、本当に怖かった……」


 明恵は胸に手を当てて笑顔でそう答えるが、その明恵のふわっと笑う姿を見て俺は息がつまり、胸が苦しくてそれ以上何も言えず、暫く立って声が出せるようになるまで只管黙って上を向いていた。

 冷えた青椒肉絲鶏はピーマンの苦味と、いつもより塩辛い味がした。





 瀬里沢にタクシーを呼ばれそれに乗って家に帰ると、道場の周りを走っている門下生が俺の姿を見て声をかけて行く。その中に磐梯兄妹の兄、星龍が息も絶え絶えにヨロヨロと辛うじて混ざっていた。


「ふむ、今日は何とか走っているようだな。だが無理はするな」


「お兄様! そんな所で寝たら蹴飛ばし……ま、まあっ! 静雄様、今日はいったいどちらへ? 折角の土曜休みの稽古で兄と一緒に私も来ましたのに……、どこか出掛けるのでしたら、今度是非私もご一緒させて下さいませ!!」


「ヒッヒッ、ハー。む、むちゃを言ってはダメだぞ怜奈。静雄様にだって予定や都合が、ふー、在るんだぞ」


「む、様付けは止めてくれ、特に学校では絶対に止めて貰おう。それと一緒に来るのは構わんが、明人にも断りを入れ了承を得なければな」


 流石に知りもしない初対面の相手を連れて行くのなら、あらかじめ断りを入れねば明人も困るだろう。

 俺の返事に怜奈は喜んだ顔をしたが、それも一瞬で……消えた。


「あの、静雄さ、静雄君は今日もその“明人”って方とご一緒だったのですか?」


「そうだが、どうかしたのか?」


 俺の答えに対し「……やはり、あの狐が邪魔を?」と呟いていたが、狐とは何の事だ? 何かの暗号か暗喩か? 狐といえば、幽霊の正体見たり枯れ尾花と似たように、何かの例えに見間違いや化かされるとも言うが、実際狐も幽霊と色々と関連性のある話もあったな。

 ふむ、実は怜奈は瀬里沢の件の事を知っていたのだろうか? だとしたら中々の情報筋を持っている、秋山にも匹敵するかもしれん。


「ところで、もう直ぐ周回遅れになるぞ。急いだ方が良い」


「あっ、わわ。静雄さ、静雄君まだ途中なんでね、失礼するよ」


「誘って下さるの楽しみに待っていますわー!」


 磐梯兄妹は、兄よりも妹の方が持久力は高いな。

 そう二人が走り去るのを見届けてから家に入り自分の部屋へ戻ると、スポーツバッグに入れていた着替えの代わりに、仕舞い込んだ斬られた胴着と火鎖の鎖帷子を取り出し、痣の出来た腹に触れ昼間の戦いを思い出す。


 今までにも実戦形式の打ち込み、掛かり、地稽古を経て来た。

 本物の殺気を出し真剣を使う相手に出くわしたのは初めてではない。

 だがこの痣を見るにまだまだ精進が足りないと改めて感じた。


 そして何か事が起きても警察が動かない様に手を打った爺さんに、今回の問題は解決したと報告する為道場へ赴く。


「爺さん、帰った」


「……静雄か、どうじゃった? 良き相手とは対峙できたか?」


「あの手の者と戦うのは初めてだが、生半な相手では無かった」


「ほっほ、それは良かったの。よくぞ生きて帰った。いくら良い修行相手でも生きて戻らねば意味が無い。自己満足で死ぬのも悪くは無いが、お前にはまだまだ早いわ。『火鎖』の装備は役に立ったようじゃし、また良い相手が見つかればええがの」


 爺さんは、道場に居たが俺に背を向けたままでそう喋っている。

 一見隙だらけにも見えるのだが、攻めようと思うとその先が見えない。

 どこを攻めても、『返し』で倒れる自分を幻視する。


「して、静雄や。不覚を取ったりはせなんだか? いや実はのう、渡し忘れていた物が在ったんじゃ。儂も年じゃすまんの」


「不覚を取ったのは己の未熟が故、爺さんのせいじゃない」


「静雄がそう言うなら、そうなのじゃろうな。……良く精進せよ」


 そう言って振り向き、正座した爺さんが手前に置いたのは、『火鎖』で編んだ目利安に脛当を組み合わせた、足用の装備だった。


 爺さんは、俺が良く使う技の一つに必ず足も混ぜ合わせている事を当然知っているので、忘れたと言うのも意図的に抜いたと今更ながら気付く、これは俺の慢心を諌める為と、その対処を体で覚え込ませるのに行ったのだろう。

 俺がなるほどと思うと、爺さんにもそれが伝わったのかニヤリと笑い楽しそうに肩を揺らす。

 真っ白な綿毛のような髭を撫ぜ、そのままの姿勢で俺に対しかかって来いと手招きをする。


 いいだろう、爺さんを相手に今日の感覚を忘れないうちに己の武を体に染み込ませる!

 こうして、今日の締めとなるべく爺さんと俺の試(死)合いが開始された。

つづく

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