68話 犠牲になったのだ
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ぶっつけ本番だったが、何とか師匠の手助けのお蔭で明恵の容態も落ち着いたらしく、青白かった頬にも赤みがほんのりとさし、もう大丈夫だと思った途端に眠気と虚脱感に襲われる。
そう丁度この間、偶然にも明恵のソウルを解放してしまった時に“命名の石”に俺のソウルの器から、五つの要素を抜き出した時と似た感じだ。
だが、その甲斐も在り明恵が助かったと心に掛かっていた重圧から解き放たれ、強張っていた緊張も解けて思わずほっと息が抜けた。
今の俺の表情から明恵の峠は越したと分かったのか、師匠は疲れた様子なのに口元に笑みを浮かべゆっくりと頷く。
「アキート、ようやったの。お前はちゃんとその命を救った。例え間違えて巻き込んでしまった結果の事とはいえ、誰にでもあのように力尽きし者の根幹である、ソウルを繋ぎとめる事が出来る訳ではないぞ。今は怯えるかも知れぬが、きっとお主の妹ならば許してくれるじゃろ」
「師匠、俺何て言えばいいか……ありがとうございます」
「ん? うむ。ワシはお主の師匠じゃからの、当然じゃわい。お主こそよく耐え事に臨んだ!」
そう言って大した事でもないかのように答え、そのまま目を細めて皺を刻んだ顔を綻ばせる。
俺は湧き上がる気持ちを抑える為、ゆっくりと深呼吸をした。その時、
バンッ!
と大きな音を立て、突然師匠の居る部屋の奥にあるドアが開き暗がりの中から誰かが中へ入ってくる。
その暗がりから現れたのは、どう見ても“普通の人間では無く”強いて言うなら二足歩行をする服を着た“トカゲ”だった。
そのトカゲ人(?)はかなり慌てているようで、扉を開けた瞬間その眼と頭を激しく動かし、師匠と俺を見つけると寄って来るが、俺は初めて見るその異形の姿に驚き固まってしまう。
頬の無いその口を開き、ゾロリと覗くその牙と舌の動きで喋っているのは分かるが、俺には「しゅるしゅる」や「しゃしゃっ」と空気の抜けるような音にしか聞こえず、でもその音とも呼べる会話が師匠には分かっているようで、一つ頷き両手を大きく広げ仰ぐ様に動かし、ジェスチャーも交えて話をしている……様にみえるけど、さっぱり俺には分からなかった。
こんな相手が師匠の商売相手? と言うかこの村は歩くトカゲの村なのか?!
「し、師匠!? あの一体何? と言うか誰?」
「ん、おお。彼はこの村に住む“鱗持ち”のシャハ=スークマじゃ」
「鱗持ち? シャハ=スークマ? えっとそのトカ……彼が、どうかしたんでしょうか?」
思わず丁寧な口調になるが俺の言葉にシャハが反応して、師匠の横に来ていた彼はロボットみたいにシュパッと首を素早く俺に振り、角度をつけて傾げる。
どうやら俺の言葉を聞いて「何?」と聞いてきているようにも見えるが、生憎高校じゃトカゲ語は教わって無いので、会話は無理だ。
彼には申し訳ないが、そんな爬虫類の様な目で……まんまその視線に耐えられなくなり、目を逸らし師匠の返事を待つ。
「シャハが言うには先程のお主の起こした風で、家の外に在った土壁が崩れたと驚き、怪我人が居ないか確認した後、ワシの無事を確かめに来たんじゃよ」
「あっ……土壁が崩れたって、かなり不味い事しちゃった? 怪我人とか出てないよね?」
無視した訳じゃないが、シャハと呼ばれるトカゲは師匠の話を聞き上下に首を振り頷く、言ってる事が分かるのは間違いないようで、俺に指刺しまた先程と同じ空気の抜けるような音を立てる。
「いや、シャハそれは問題ないのじゃよ。ふむ、仕方ないのぅ。アキートよ、ワシはちと用ができた。スマンが今日の所はこれで終いじゃ。また明日の」
「あ、ちょっと待った! 俺はまだ“幽霊”の対処の仕方を聞いてないよ!?」
対処法を聞いてない俺は焦って師匠の服を掴むと、横に居たシャハと言うトカゲはその黄土色の鱗と肌を持つ腕で、俺の右手を掴み引きはがそうと握り締める。
……掴まれた手にはシャハのざらっとしてるが、つるつるした独自の皮膚の感触が残る。
うん、表情も読めなきゃその眼や動作を見るに、シャハは紛うことなき爬虫類だ。
そんな今はあまり関係のない確信を得ていたが、師匠は呆れた顔をして溜息を吐いた。なんでさ!?
「なあ、アキートや。お主の風を使う素質が在れば、多少力のある“幽霊”なぞ恐れる必要が無かろう? 吹き飛ばせば済む。その腕輪も貸しておくから精進せい」
シャハは俺の話を聞いて、鼻の先から「ふしゅる」とバカにしたような空気を出すと、もう用は済んだとばかりに師匠の服を掴んでいた俺の腕を引き剥がし、師匠の背中を押しながらさっさと扉から外へ出て行った。
えっと、幽霊って風で吹き飛ばせるモノなの?
それにあのシャハって言うトカゲの態度が気に入らない。
絶対アイツは最後俺をバカにしたに違いない筈だ。
ムカッと来ていた俺はふんっと、冷蔵庫の扉を閉めた。
閉めると俺と明恵しか居なくなった台所には、元の静寂が戻り普段のヴーンと言うモーター音だけが聞こえたが、そのヴーンがウウンと弱まり妙な音になる。
その途端、左腕に抱いていた明恵が身動ぎをして顔を腹に擦り付けるので、嬉しくなった俺はギュッと抱きしめた。ついでに揺すって名前を呼ぶ。
「明恵、明恵。起きなきゃプリンを食べちゃうぞ」
「ん、……プリン」
明恵が声に反応して寝言を呟く。どうやらまだ目を覚まさないようだが、その事に思わずクスっと笑う、こんな状態なのにプリンと言った明恵の食い意地に、どうしてもおかしさから苦笑いが浮かぶ。
と、二階から階段をドスドスドスと音を立てて降りてくる足音が聞こえて、その音に俺はドキッとした上に、背中に氷を突っ込まれた様にヒヤッとした。
何故ならあの足音はとても不機嫌な時に親父が立てる、いわばソナー音みたいな物で俺や明恵が喧嘩したり、騒いだりした時にその騒音を探知し雷を落とすために現れる面倒な合図だ。
当然と言えば当然で、アレだけ騒いだのだ寧ろ来るのが遅かったとも言えるが、夜中の電話の注意を受けたばかりの俺としては、こうして両親の睡眠を妨げたとなれば小遣いの減少や、電話の一時取り上げも覚悟しなければならないかもしれない。
だが、それ以前にこの台所の状況をどう説明すれば良いだろうか?
今から起こる親父の雷に恐れをなしたか不思議な事に、目の前にある冷蔵庫までも沈黙を保ち、聞こえていたモーター音が……とても静かだ。
ガチャリと居間の扉を開ける音が聞こえその足音と共に、親父が流し台の向こう側から顔をだす。
「明人! お前はこんな夜中に何時まで騒いで……何なんだこれはーーー!?」
「えっと、……なん、でしょうね?」
親父がそう言って叫ぶのも無理は無い、今の台所の状況は俺が意識を取り戻し、明恵が倒れた時のままであり、壁紙は霜と氷が融けだしたせいで濡れ。
その水が伝って床に貯まり、べちゃべちゃになっているのだ。
真夏にこんな風になる理由がパッと思い付くわけがない。
普通に考えても暑いの家の中で吹雪が吹き荒れるなど、天気予報でだって予想が付くはずないのだから。
「明恵? 明人! 何故そこに明恵まで居るんだ!? いったい何が在ったのか言え!」
「……壁と床が凍って、今は融けだしてこの有様?」
「何で質問したのは父さんなのに、お前が疑問形で答えるんだ!」
「いや、その。……冷蔵庫! そう冷蔵庫から凄い勢いで吹雪がでた!」
俺は咄嗟に目に入った冷蔵庫のせいにした。
親父は眉を顰めて、「お前正気か?」みたいな顔して俺を見るけど、実際に台所をこのような姿にしたのは俺に違いないが、間接的に言えばこの冷蔵庫が無ければこのような事は起きなかったのだ! と、俺は心の中で理論武装し開き直る。
……もちろん本当に起きた事など、信じて貰える筈も無いので話せるわけがない。
埒が明かないと思ったのか、親父は転がっていた明恵の子豚のぬいぐるみを拾い上げ、こちら側に入ってきた。
「どけっ! こうなったら父さんが調べるから、お前は明恵をソファーに寝かせて床の掃除だ!」
「ちょっ、今から掃除? ……睨まないでよ。雑巾取ってくる」
俺は受け取った子豚をテーブルに置くと明恵をそっとソファーに寝かせて、洗濯機の横に置いてあるバケツと雑巾を取りに風呂場の方へ足を向ける。
面倒な事になったと思いながら、掃除道具を揃え台所まで戻ると何故か親父が冷蔵庫の前で肩を落とし、跪いてそこに凭れ掛かっていた。
「親父? ……大丈夫?」
「……明人、ダメだ。母さんが、母さんが怒り狂う」
「へっ?」
「母さんのお気に入りの、この最新冷蔵庫が壊れてるんだーーーーー!!」
親父は俺に向かってそう叫ぶと、床にへたり込んだ。
その嘆く親父を見つめながら、俺が心の中で思った言葉は「あ、やっぱり」だった。
つづく