209話
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眩暈は収まった筈なのに、今目の前で起きている現象を現実だと受け止めるのに、新たな眩暈に襲われそうだった。
こう言った時、主人公の横に居て的確に説明してくれる人が、漫画だと現れたりする所なのだけど、残念ながらこの場に居る六人は揃って一点を見つめ無言、驚きよりも沈黙がこの場を支配している。
それも当然な事なのかもしれない。何故なら冷蔵庫の中に突然現れた見覚えのある何者かの正体は、俺自身だったのだから……。
本体(?)たる俺は、うっかり倒れない様に冷蔵庫に掴り縋っていたのだけど、冷蔵庫の中で体を折り曲げているもう一人の感覚が、「狭い」と訴えてきていて、仕方なく楽な方へと思考した途端、あちら側へと足を伸ばし地面に降り立った。
間違い無く自分は既に立っていたのに、足の裏に着地した時の衝撃を軽く覚え、錯覚では無いと頭が理解しても感覚が狂い、酒を飲んでもいないのに酔いそうになる。
あちら側へと降り立ったもう一人の自分、そいつが受けた感触を同時に俺も受け取っている事を自覚し、こちら側はそのまま座り込み目を瞑りながら、兎に角意識して見えている映像に合わせて体を動かす。
「か、壁を越え、こちら側に降りたじゃと!?」
「ラーゼス殿、アキート殿は実は双子だった……と言う様な事は、その驚き具合から見て違うようですな」
「しかし! どう見ても額縁を抜けて来た方も、アキート殿に相違ありませんぞ!? コレがアキート殿の持って居た要素道具の効果だとすれば、途轍もない価値の物でしょう!」
「うむ。どうやらアキート殿は、ラーゼス殿さえ知らない貴重な物を色々とお持ちのようですな。コレなら確かに貴族でさえ持っては居らず、驚くなと言う方が無理であろうよ」
有り得ない筈の事が起きて、師匠は目を見張り思わずと言った風に言葉を発したが、元々俺が世界を隔てた場所に居ると知らない三人は、突然二人に増えた俺の事よりも、師匠のそんな表情を見た事の方が珍事だったらしく、何処か面白がる様な雰囲気になっていた。
そんな四人を眺めながら、俺は訝しげに首を捻っているシャハに笑いかけると、足の先から膝、太腿、それに腰と来て、両手を広げ指先を動かす様に頬に手をやり、視線を動かし掌を見つめる。
この感じは、感触こそ得られなかったが、“第三の手”とも言える念動力を使っている時に似ているかもしれない。
在る物を、無い筈のモノで掴む感覚と言うと分かり易いだろうか?
本体(と言って良いのか悩むが)の方は、意識せずとも力を込めれば動く。でも偽物の方は考えて行動しないと動いてくれないし、伝わって来る感触も実際の物よりは小さいと思う。
まだ本体の動きに引きずられそうになるけど、一連の動きを確認した所で大分この妙な感覚にも馴染んできた。
前にあの水晶の事を師匠に聞いた時に、確か五つの要素を貯める効果があると言っていたが、俺はつい最近“五つの要素を持ち、且つ力を貯め足り無いモノを補い命令に従って動く石”と言う物を、明恵が持っていたのを思い出す。
部屋の入り口の傍に立っていたシャハが、ゆっくりと近づき俺の横に並ぶと、口を開き「ようこそオグンの村へ。歓迎しようアキート」と翻訳のせいなのか、実に落ち着いた耳触りの良い声に聞こえて、『疎通の指輪』凄すぎだろう! と叫びそうになり慌てて口を押える。
シャハは俺の腕を掴み、空いていた席の一つへと座らせると、満足したように頷き元の立ち位置へ戻って行く。
本当に生真面目な奴だなと感じて苦笑いが浮かぶが、テーブルに着く三人はこれで漸く本当の顔合わせになったと口々に言い、右手で握手を重ねる。
ただ俺は、頭の中で一つの閃きにも似た考えが躍っていた。
もし既に五つの要素を兼ね備えた物に、明確な意識が備わったとしたら?
その答えがコレなのではないだろうか? それに師匠からオマケで貰った筈の水晶がまだあれば、意思を伝える者がこれを仮の器として受け入れれば、肉体の復元も可能なのでは? 先程感じた喪失感も、俺のソウルの器が、あの水晶に吸い取られたからと考えると納得出来る。
もしアレが、俺と同一の器だと仮定するなら、在る事で確かめる事が出来る筈で、震えそうになる声を指を押さえ新たに『窓』を開いた。
「なるほど、近くでよく見るとやはり不思議に思いますな。今迄見た事のある取引の際に扱う“銀の天秤”の代わりだと言われても、どうしても違和感を覚えるが、これが稀に現れる技能の希少変異か……」
「左様であろうな、見知った物品交換士の銀の天秤ならば、つり合いが取れているか一目で分かるが、アキート殿が使うその窓の様な物だと、いったいどう使うのですかな?」
「まあ落ち着いて、きっとそれを今から見せてくれるのだろう。口を閉じ暫し見物させて頂こうではないか? これからの取引を行う際の参考になる訳ですしな」
どうも名主の三人は、勝手に納得し『窓』が自分たちの知る今迄の銀の天秤と、どう違うのかを知りたいらしい。だが俺は特に何も言わず、開いた『窓』を操作して行くと予想は外れる事無く、普段なら片側に六つ在る筈の交換用の枠は、半分の三つに減っていた。更に言うなら本体の『窓』ともリンクしていて、空間を隔てようが基は同一の存在なので、双方で物の移動も可能らしい。
狭間での体験から導き出した答えを言うなら、どうやら俺はあの水晶を媒体として魂を半分に分け、もう一人の自分を生み出したようだ。
「アキート、ワシもその窓を使った取引の仕方をよく聞いては居らぬし、お主が此方に来れたと言う事は、これから色々と取引も増える事じゃろう。出来れば詳しく教えては貰えぬかな?」
「そう言えば、説明は軽くしたことは在っても、実際の取引は師匠の銀の天秤ばかり使ってたっけ。じゃあ分かり易く、銀貨一枚で等価値の銅貨が何枚必要か、見ながら説明をして行けばいいかな? 師匠、良ければ銅貨を何枚か確認の為に出して貰えるかな? 俺、銀貨は在っても銅貨は一枚も持ってないからさ」
師匠がニヤリと笑いながら髭を扱き、漸く普段の調子を取り戻してきた。
俺も先程浮かんだ思い付きは胸の内に沈め、今は目の前の事に集中しようと預かった銅貨や、価値の分かっている物を使って説明をして行く。
こうして本体を置き去りにした説明会が始まった訳だが、俺が何となしに言った「銅貨を一枚も持ってない」と言う台詞は、大いに名主の三人を驚愕させる事となっていたのは、この時知る由も無かった。
『窓』の事で新たに分かった事は、交換決定の際に確認が出る『YES』と『NO』や、表記される金額などの文字も含め、互いに読めて理解出来る事だ。
これはソウル文字に似たような機能とも言えるし、仮に文字も読めない相手にさえ“伝わる”ので、銀の天秤の様に釣り合いが取れているかどうかも、見た目で判断するのと同義の扱いが出来るとわかり、俺も含め名主の三人や師匠も胸を撫で下ろし、ホッとしていた。
師匠の教えてくれた物品交換士とは、物々交換に始まり物の価値を知り、取引を行う者は須らく対等であり、互いに不利益を齎さない神聖なものだと言った意味も、間違い無かったと改めて理解する。
『窓』を使った場合の交換例の話が済むと、前もって師匠が約束していてくれたシャハだけを窓口にする理由も聞かれたが、俺は全く身に覚えのない事で単に“知り合い”だったからだと答えると、村長のザナラードさんは「もっと早く知っていれば……、恨みますぞラーゼス殿」と笑い話風に言っていたが、目がマジだと語っていて怖かった。
残る二人も「実に惜しいですが、余り無理を言ってはアキート殿に嫌われますな」と引き下がってくれたので、この事を予測していたかは分からないけど、師匠が先手を打っていてくれて心の底から感謝する。
俺が村の名主である三人の大人を相手に、十分な対応が出来る訳も無く、先に交流が在り師匠の良く知る人物が、甘味が大好きなシャハで助かった。
現地人の三人も命名式で振舞う酒と食べ物の確認は済んで、大いに盛り上がる事だろうと味に満足していた様子で、師匠と計画した“幻の甘味”作戦も上手く行きそうだと目を合わせ頷く。
その後三人の勧めで、善は急げとばかりに商品を送る契約内容も決めた。
四人が見守る中“正式な契約”を、ソウル文字を使って各々の名を刻み、同じ内容の羊皮紙を三枚作って、俺とシャハが一枚ずつ持ち、残り一枚を師匠が預かる。この一枚は寺院へ納め、契約内容に不備が起こらない処置をする為らしい。
契約も無事終わり一通り話が済み、名主の三人が部屋を出て行った。この後は命名式が終わるまでは、基本的に会う事は無いらしいので、やっと一息つけると分かりテーブルの上に突っ伏して、俺は偽物の体を動かす集中を解くと、本体で立ち上がり冷蔵庫から顔を出す。
「ふ~、やっと終わった。師匠にシャハそれに俺、お疲れさん」
俺が労う様に言うと、ぐったりとした風に椅子に腰掛ける師匠が、呆れたとでも言いたそうな表情で溜息を吐く。シャハは別段変わった様子は見せず、テーブルの上に置いてあった干したナツメヤシの実を摘み、突っ伏したままの俺は右手だけを上げて振る。
うん。大分動かし方と言うか、分けて思考すると酔わないと分かった。もっと慣れて行けば、本体と偽物は完全に分けて行動できるようになると思う。
「はあ~、しかし魂消たわい。……良いかアキート! 命名式が始まる前にいったい何が起きているのか、ワシに分かる様に説明して貰うぞ!!」
一休み出来ると思ったら、今度は師匠が質問攻めをしてくる番だった。
つづく