206話
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あの後匿名で警察と救急車を呼び、一件落着とは言わないけど、道すがら黒蜘蛛の事だけは約束通り田神さんに説明する。
ただ、説明を聞いた所で上手く消化出来なかったらしく、田神さんは表情を消して口を開かずに目を何度も瞬かせていた。
時間も七時半を過ぎていたので、学校まで送ってくれる話になったが、今日は用事が在って家族公認で休みだと話したら、星ノ宮は渋ったけど宇隆さんに宥められて、最後は「貴方はゆっくり休まないとダメよ?」と労われ、苦笑いを浮かべながら俺も二人の手を取ってこう言う。
「湧き上がった怒りと苛立ちに任せて、俺は……もう少しで人を殺すところだった。それを二人のお蔭で止める事が出来た」
そう素直に感じた思いに感謝を込めて「ありがとう」と、もう一度繰り返し車を降りる。去り際に静雄達にも俺が休む事を伝えて欲しいと告げ、手を振って車を見送った。
兎に角、先ずは部屋へ戻って、送った荷物の確認をしなくちゃならない。
「ただい……ん?」
玄関のドアを開けると、腹に突進してくる影があった。
明恵かと思って、見もせず抱きしめ頭をポンポンと撫でて違和感に気付く。頭の撫で具合と言うか、髪の毛の質感が違うのだ。
それで下を見て納得、俺に飛びついて来たのは明恵では無く千夏だった。
「主様は遅い! いったいどこに行って居ったのじゃ! 我を放って許せぬわえ!」
「ごめんごめん。だけど千夏を一緒に連れて行くには、ちょっと順序がなぁ……もう暫く待ってくれるか?」
「むぅ、主様がそう言うのであれば仕方がないのう。けど約束したから破ったら許さぬ。その時は噛むからの!」
うーん、どうやってあいつらに紹介しよう。何か途轍もなく嫌な予感がしないでもないが、こうして約束したからには、戸籍が送られて来たら皆にお披露目するか? でも、どちらにせよ噛まれる気がするのは何でだろう……。
「してな、姉上が困った事になっておるのじゃ。主様の部屋から荷物が溢れ、廊下が通れぬ。適当に処理して良いのかえ? ダメなら如何にかしてたもれ?」
「へっ? 荷物溢れちゃったのか!? こうしちゃ居れん! 千夏も手伝ってくれ。明恵! 今お前の兄が行くからなー!」
千夏を脇に抱き上げ廊下を走り階段の上を見上げると、そこにはコンテナ倉庫から送った筈の、キンキンに冷えたダンボールが山を成しはみ出ていた。
台所から「廊下と階段は走らないの!」と母さんの声が聞こえたが、「はーい!」と返事だけをしてそのままダッシュ。
兎に角通路を確保できるくらいまで、千夏にも協力して貰い『窓』をフル活用して片付けて行く。うん、千夏は大きく成るならせめて服着ような?
そうして力の倍増した千夏が、糸も使ってホイホイと渡してくる箱をどんどんまとめ、取りあえず廊下を通れるくらいにまで、壁の横に積み上げたりした。
俺、引っ越し業始めたら儲かるかも? 何て馬鹿な事を考えながらちゃっちゃと終わらせ、部屋から出られなくなっていた明恵を救出する。
脱出後、明恵から頂戴したお言葉は「お兄の馬鹿!」だった。トホホ。
千夏はどうやって一階に降りてたかと言うと、糸を出して窓から降りて来たらしい何処のアメコミヒーローだよ!
明恵はプリプリ怒りながら、学校へ行く支度をして千夏を引っ張って食事に行こうとしたが、大きさが変わってる事に気付き「お兄、明恵も大きくして!!」と言われて流石に困った。
千夏の大人バージョンは、俺がやった訳では無いので、明恵を大きくするなんて事は残念だけど出来ないのだ。無理と言うと更に頬を膨らませ、ポスポスと太腿を叩かれる。アレか、姉妹となった千夏にあっさり背を抜かされ、その腹立たしさを俺にぶつけているのか? 取りあえず「その内お前も大きくなるから」と言って朝食を摂る様に促して、千夏に頼んで一緒に手を繋いで下に降りて貰った。
それから一人で部屋の中も整理し、冷蔵庫を開け昨日半分寝ながら聞いた説明を、師匠を呼び出して聞いたのだけど、中々面倒な内容だった。
食事を終えて明恵を送り出した千夏は、冷蔵庫の向こう側に人が居る事に「主様、何で人が入っているのかえ?」と他にも色々話し掛けてきたが、師匠との話ばかりで構って貰えないと分かると、下へ降りてそのまま帰ってこなかった。
今は相手に出来なくて済まん、千夏にも後でプリンを御馳走しようと思う。
先ず俺が命名式について、勘違いしている事が明らかになった。
あちら側とこちら側では気温が全く違うので、命名式が行われるのは夕方から夜中まで……俺、無理してまで学校休む必要無かったんじゃね?
よく時間帯を聞かずに、勝手に昼間に行うと解釈していた俺が悪かったのも在るけれど、流石に飲み物類が温くなってしまうので、師匠に頼んで追加で『底無しの水袋』を借りる事になった(本来は村の共有財産らしいけど、特別に借りられた)。借りた水袋に『窓』を使って、トレードで中身を詰めていく。
こうすると、封を開けずに中身を入れられるので、汚れないし容器も片付けやすい(中身が真空になって潰れる)。
お蔭でぎゅうぎゅう詰だった部屋が、一時間ほどで元の広さを取り戻せた。
邪魔な空箱とペットボトルは、何個か残して『窓』内のゴミ箱行き。
「それで、服の着方や挨拶についてじゃが、先ずは……」
と、途中休憩を挟みながら、真っ白な小さ目の帽子と紐に変わった模様の布を渡され、頭に巻く練習……師匠の頭に付けていた様な重武装(?)なターバンは、お出かけ用だそうで、今俺が習っているのは日常用でこの模様で職業を示しており、日差しが此方よりかなり強いので、普段から着用しているらしい。
ターバンとか、最初布だけで出来ているのかと思っていたら、そんな事は無くて、あの中には平たくて頭に合った丸い帽子を被り、それに布を巻いているそうだ。
面白いのがこの『紐』特殊な効果を持つ物らしく、頭に合わせて長さがフィットして、締め付けずに自然に固定してくれる。
だから血管が締まったり、必要以上に締め付けられて痛む事も無い。
こちら側だと、服とかがずり落ちない様にゴムを使用する所だが、体に合わせた固定をしてくれて、非常に着け心地も楽なので売り物なら購入したいと思った。
日本では室内でも帽子を被るのは微妙だが、師匠も来客の対応が無ければ自宅じゃ被らないって……俺はもろ自宅なんだけど、一応師匠や村の人と会うのでお客扱いかな?
次に着る服は下着の上にゆったりした作りのズボン、更に薄絹の長袖で袷仕立ての前開きの物が上等な部類に入り、辺境に行くほど熱い砂埃や直射日光による日焼けを防げる衣類が好まれるらしい。
使われる素材も毛皮を裏打ちして丈夫さを上げたり、糸も金糸で細かな刺繍を入れ身分を表す要素もあるそうだ。
今回俺が着るのは師匠から借りた物なので、優雅さは無く実用的且つお披露目も兼ねて、装飾の入った鮮やかな色合いの飾り帯と、それに合わせた宝飾品扱いの短剣を差す様にと、二つセットで渡された。
正直に言うと、普段着ているTシャツ一枚とかに比べると重く、湿度もそこそこあるこちら側では拷問に近い。
俺は部屋の温度を下げる為に、風の要素を纏うのを室内でもやらなければ成らならず、出来上がった姿の自分を鏡で見て「似合わね~」と内心思った。
「ふむ、まあこんなもんじゃろ。着慣れて無いのは丸分かりじゃが、それでも着なければ人前には出せんわい」
「う~ん、こっちでも正装は在るけど、俺が着るとやっぱり浮くね」
「ふむ。シャハの様に鱗持ちだとそう煩くは無いが、言わばアキートは儂の本当の直弟子だと、命名式に参加する者達へ周知させねばならぬからのう。アレだけの品を用意する者が服装に気を使えねば、アキートを侮る馬鹿者も出ぬとは限らんのじゃよ。これも仕方が無いと諦める事じゃな」
師匠は頷きながら髭を扱くが、俺はコスプレ気分が抜けず少々気恥ずかしい。
しかし、見た目で判断とかやっぱどこの世界でも、第一印象って奴は大切なんだなと学んだ。
「さて、次に厄介なのが……アキートよ、お主は既に成人はしとるじゃろうが、婚約者や嫁はもう何人か居るのかの?」
「えっと、俺はまだ未成年と言うか、嫁どころか婚約者なんて居ないし! だいたいまだ十七だから、俺は酒も法律上飲んじゃ不味いし煙草も吸えないの!」
婚約者どころか恋人だっていやしねぇ……。自分で否定して置いてなんだけど、明恵や千夏が居るし別に今は居なくたっていいもんね。
何て考えていたら、師匠が困ったような顔をして「むむぅ」と声を漏らすので、独り身だと何か問題でも在るのか聞いてみた。
「独り身なのは寧ろ歓迎なのじゃが、どうも村から薬や道具に飲み物等、アキートから様々な援助を受けた礼として、これからの繋がりもより強固にしたくて、嫁を贈りたいと言う話が出て来ておってな? ワシは一応待ってもろうたんじゃが、どうする? こちらじゃと十三で成人じゃから、お主は立派に大人扱いじゃぞ?」
「はあっ!? 俺に嫁!? しかも、たったそれだけの事で? そんなの選ばれた女の人が可愛そうだろ? 見た事も無い奴の所に嫁に出されるって、嫌でしょ?」
物凄く嫌な予感がして、俺は“ありえない”と師匠に強く言う。
だが帰って来た師匠の言葉と表情は、俺の考えをあっさりと両断してくれた。
「お主は何を言うておるのだ? いいか良く聞くのじゃぞ? アレだけの物を用意出来て、且つ見返りも要求せずに村の者を助ける商人。世間では甘いと奴だと思われるじゃろうが、中々損得抜きに出来る事では無いのだ」
「……見返りていうか、俺は先に師匠から貰っているから違うよね? だいたい元を辿れば、お礼は師匠が受けるのが妥当でしょ? 俺は師匠が居たからやっただけだしさ」
そう答えると、師匠は盛大な溜息を吐いて項垂れると、ゆっくりと頭を左右に振って「アキートは、全然分かっちゃおらんのう……」と呟く。
分かっちゃおらん、と言うか分かりたくないのが本音だったりする。
だって、お嫁さんくらい自分で見つけたいし、お互いに分かり合ってから結婚てする物じゃないのかな? ……もしかしなくても価値観の相違って奴?
「言っておくが、ワシはもう昔から懇意じゃからな? そんな必要は無いのじゃよ。話しを続けるが、そんなお主のような男が、命名式で振舞う酒、更に食べ物の提供まですると言うのじゃ、普通はそこまでされれば感謝して当然。序に言うなら、そんな財力を持つ者の下へ嫁げるとなれば、女共の中で競争が起きるわい!」
「……そうやって説明されると、客観的に見たら間違いじゃないのかも知れないけど、そこに俺の意思と言うか要望が全然入ってないし! 何なの!? 誰もお嫁さん寄越せなんて言ってないし、財力? そんなの無いし困るわ!」
競争って、俺は優勝賞品の景品かよ!? 悪いけど絶対御免だね。
だいたい、師匠も分かっていて言っているよな? さっきから目と口元がニヤニヤしてんだよ!
「……やっぱりそうじゃろうな。まあ、それ以前の問題として普通“壁”は越えられんしの。嫁いだところで子も生せねば、その娘も肩身の狭い思いをさせるじゃろうし、ここは断るべきか。残念じゃの?」
「いや、本当マジでそう言う気遣いとか要らないから。腹立つしそのニヤケた顔をいい加減止めてよね!」
「しかし、本当に残念じゃのぉ~。お主の嫁候補は村一番の器量良しで美人じゃったのに、きっと断られたと言えばあの娘も悲しむじゃろうな~? 命名式でお主を見たら、その場で泣いてしまうんじゃなかろうかの」
「うっがー!! 師匠! 俺をからかって遊んでるだろ! そんな事言うなら命名式に出るのなんか止めてやる!」
「ま、待て! アキートや、早まってはいかんぞ、ワシが悪かった謝る。だからそれだけはダメじゃ! だいたいお主くらいの歳で、婚約者の一人や二人居らんでは困るであろう? ワシは色々在って妻一人しか居らぬが、財力のある者は一緒に住んで無い妾くらいは居るものじゃぞ?」
「えっ? 嫁さん居るのに他にも奥さん居るの? 何で!?」
「う、うむ。それは一定以上の収入を得る者は、養う者を増やす義務が生じるのじゃよ。そうすれば収める税が増え、市場に金が流れ活性化し更に国は潤うからのう。これは王や寺院で決めた法じゃから、本来は従わねばならぬ事なのじゃな」
片目を瞑って髭を扱きながら師匠は、仕方が無さそうに義務だからと答えるが……何か胡散臭い。何故なら俺が驚いて聞き返す前に“あっ!”って、一瞬師匠が顔の表情を変えたのを、見逃さなかったからだ。
つづく