166話
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左手に持っていた日傘を『窓』内の枠へ押し込み、箱根崎の着替えと俺宛てだった小包を拝借し、焼け落ちたズボンからスマホも回収。
十字路の悪霊がこの辺りに掛けていた『惑わし』の効果が切れる前に、みっともない姿から趣味の悪い髑髏柄の服へ着替え終わる。
流石に他人の下着を着用する気にはならなかったので、素っ裸にシャツとズボンだけなので、肌触りが最悪でゴワゴワするがそこは我慢した。
それから数秒もせずに、遠くに見える風景と本来この場所に在る筈の光景がゆっくり重なる様にぼやけだし、薄らと大勢の人や車道に不自然に止まっている自動車などが網膜に映り始め、それらが像を結ぶより早く周囲の騒めきの声と音が戻って来る。
……ついでに妙な焦げ臭さまでするのは、さっきの俺の燃えた制服のせいか?
それにしては随分と臭いが残ったもんだと首を傾げながら、伊周の言ったように“見えない障害物”に気が付いた人が周囲に集まっているのだとすれば、少々この場に居るのは不味いと考え、逃げる算段を着けようとしていたが遅かったようだ。
「伊周、流石に抜身の刀を杉浦さんが持っていちゃ、言い逃れは難しいから早く離れて、また箱根崎の所へ戻って来……うわぁ、何だこりゃ!? 酷い玉突き事故になってやがる……って、本当に救急車まで混じってんのかよ!」
「ふむ、よく分からぬが面倒な事は主に任せた…………っわあああ! 救急車―! は、もうそこにって事故!? 早く怪我人を安全な場所にーーー!」
杉浦さんから即行で伊周を回収した所で、体の支配権が戻り意識が切り替わった彼女は、薄ぼんやりとした映像がやっとピントが在った途端、目の前に広がる光景に驚き、あわあわと手を振り回しながら叫んで走り出す。
そうなるのは無理も無いだろう、どうもミニパトに最初にぶつかった衝撃の正体は、十字路の悪霊が『引寄せ』を使った不可視の攻撃等では無く、箱根崎も悪霊の使う俺達を驚かす為の一手だったとは話していたが、実際には『惑わし』の効果で“前方には何も無い車線”が在った様に見せられたせいで、そのまま突っ込んだと思われるこの救急車が原因だったに違いない。
この状況から俺が結果を見て推測出来る事としては、きっと通常なら左車線に他の車は寄せられ、緊急車両は右側を通行するのが原則だし、救急車を運転していた人は首を傾げただろう。
そのまま直進したに違いない救急車は、当然見えないミニパトに減速せずに突っ込み、しかも《不動符》を沢山貼られていたせいで、ぶつかった際の救急車に掛かった運動エネルギーは凄まじい筈だ。
更に追加するなら、前方は見晴らしの良い“何も無い”車道に見える訳で、急に救急車から衝突音が聞こえ隣車線にまで突っ込んでくるなど、そりゃどう考えても後続の車も予想出来る筈がない。
ほんの十数分ちょっとの時間でしかないが、そうして俺達の目の前に映っている多重玉突き事故は出来上がったんだろう……。
「こりゃぁ急に見えるようになった俺達なんか、誰も気にしちゃいないな。変に注目されてないのは好都合だけど、あまり素直に喜べんわ……」
思わずそう呟きながら、未だ意識の戻らない箱根崎の容態を確認し、怪我の具合を確かめようと思ったが、俺にはそんな知識が無いので途方に暮れる。
いつまでも車道に寝かせている訳にも行かないし、各車両の中に残されている怪我人の救助に走る杉浦さんを横目に、どうしたものかと悩んでいると、人ごみの中から恭也さんの姿が見え、此方へ寄って来るのが分かり俺もそちらへと近寄る。
「おはよう石田君、随分と派手にやったモノだね。少々遠くからでも妙な気配を感じられたし、それでココで何が在ったのかな?」
「別に俺達が……って、丁度良かった。でも何故恭也さんがここへ?」
辺りと言うか、この惨状を目にして特に顔色を変える事も無く、ごく普通に道を歩いていたら、知人に出会ったから挨拶をした……そんな風にとても自然に見えたが、ここで彼女に会う事は聊か俺は疑問に感じた。
恭也さんは例え近所が火事で燃えていたとしても、それを野次馬に混ざって見物に行くような人には見えないし、かと言って彼女が住む事務所からもこの場所は離れている。
こんな朝から、何処かに出掛ける用事でも在ったのだろうか?
そう思って聞いたのだが、恭也さんに少しだけ人集りの居ない方へ腕を引っ張られ、コソコソした様子に誰も聞いてない筈だと分かっていても、つい声を潜める。
「それは、言わなくても石田君なら予想もつくだろう? でも、言ってしまえば簡単。君の同級生達が揃ってボクに電話をくれたからだよ。フフ、愛されているね。……冗談は兎も角、本当に何が在ったのか説明してくれると話が早く済むよ?」
「話すのは別に構わないんだが、実は箱根崎があそこで寝てるんだけど、俺は医者じゃないから生きてるのは分かっても、あの場所から動かして大丈夫か困ってたんだ。恭也さんはその辺分かったりしないかな? 出来れば助けてやってくれない?」
「えっ? ちょっと待ってくれないかな。あそこに箱根崎君が居ただって!? でも、彼はまだ病院で……」
「今俺が来ているこのシャツ、見覚えない? 奴の趣味全開だろ?」
どんな事を話すのかと楽しそうな表情から一転、何を言いってんだコイツ? みたいな顔を恭也さんはしだしたが、一応思案気な表情に変わったので俺が奴のバッグから拝借したシャツを引っ張り見せる。
まだ多少まさかと疑っている様子だけど、恭也さんは一つ溜息を吐くと携帯を取り出し誰かに電話を掛け、繋がるのを待っているようだ。
その間に俺も自分のスマホが壊れて無いか確認し、電源が入るのでホッとする。
恭也さんは連絡が在ったと言っていたし、箱根崎と話している最中に掛かってきていた電話とメールは思った通り静雄や秋山達だと考え確認……着信履歴を見てガックリと項垂れる。
母さんから着信が一件入っていて、更にメールまで……見るのが怖い。
ま、まあ今回は事故に巻き込まれて連絡が遅れたと言い訳も立つ、だろう。
「あ、おはようございます。恭也です……ええ、……はい、はぁ? えっと? ……それはどう言う意味で? ……分かりました。伝えておきます」
いったい誰と電話していたんだ? 俺の耳に届く彼女の声からだと困惑と、何か納得がいかないと言った風に聞こえた。
しかも通話が終わると、また溜息を吐いて肩を落とし少々投げやり? な雰囲気を見せる。そんな恭也さんは初めて見るので、道端で突然熊にでも在った様な気分だ。
「……はあ、箱根崎君は完治してないけど、元気が有り余っているから離したって……、犬猫じゃないんだからもっと、……いや、君にこんなこと言っても仕方ないね。それで戻る前に彼の荷物に小包をこっそり入れておいたから、君に受け取って置いて欲しいらしいよ。中身は君が父様に頼んでいた『勾玉』と、あとはちょっと特別な符の作り方を入れておいたそうだから、必ず安全で身に危険の無い場所で読む様にだってさ」
「あの小包の中身って『勾玉』だったの? ……ちょっと待てよ? もし、もっと早く俺が『勾玉』を貰っていれば、さっきの事故も十字路の悪霊に襲われる事も無かったんじゃ、ね? こんな事になる前にもっと早く送ってくれよーーーーー!」
仮にあの『惑わし』を受けていたとしても、先に『勾玉』を見つけてさえいれば俺の位置は十字路の悪霊に特定などされず、安心してこっちは箱根崎が相手の位置を見つけ楽に倒せていたかも知れないし、あんな酷い玉突き事故も防げたかもしれない。
更に言えば杉浦さんに、俺の素っ裸を眼前で見られずに済んだ筈だと思うと叫びたくもなる。
……とまあ色々在った訳だが、俺達や杉浦さんがどうこうする前に既に新たに救急車は呼ばれていて、更に警察の車両や事故によって車両内に取り残された怪我人を引っ張り出す為のレスキュー隊まで来て、特に何か手伝う様な事も無く俺と恭也さんは、小包の中身の問題もあってそのまま箱根崎を運ぶ救急車へと乗り込んだのだった。
つづく