160話
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いきなりバイクに乗って絡んできた奴に言われた事が、ツラを貸せとか怨みが在るとか何処のどいつ様だと思って、開いたシールドの隙間から見える顔を覗き込んでやったら、そこに在った顔は“母さん”だった。
「はぇーっ!! か、母さん!? いやだって母さんは今家に居るだろうし、だいたい声が違う! お前はいったい誰なんだ!?」
「ちっ、何だお前、その年で未だに手前の母親が怖いのかよ? とんだ拍子抜け野郎だぜ。いったいどんな奴を恐れているのかと思えば……、そんなにママが怖いのでちゅかー? 坊ちゃんよっ!」
俺がシールドから覗かせたその顔に驚いていると、不敬にも母さんの顔をしたソイツは不意を突いて蹴りを放って来る。
確かに驚きはしたが、声が全く違うので違和感が激しく警戒するには十分だったので、左から迫る足を慌てて避け後ろに下がった。
静雄の蹴りに比べれば全然速さは無いが、あのゴテゴテしたブーツに蹴られれば洒落で済む痛さじゃない筈、次も避けられる様に身構える。
それにこの声もそうだが、つい最近この体格の相手と対峙した覚えが……!
「って、今思い出した。もしかしてあんた箱根崎か! 恭也さんの話だと確か怪我で病院に入院していたんじゃ!?」
「今頃気が付いたか。ああ居たさ、痛みを抑えるしか能の無い藪医者の所になぁ。だが、結局頼りになるのは自分しか居ねぇと分かって、あんな胸糞悪ぃ場所さっさと出てきたのよ!」
こいつ……母さんの顔でそんな厭らしい表情をするんじゃない! 俺の母さんはもっと勇ま~もとい、不敵に笑う。
俺がそんな箱根崎の姿を見て不快に思っていると、すぅっと見えていた顔がぼやけだし、元の箱根崎の顔に……戻らず黒いシルエットのみになって驚く。
突然の変異を見た俺の動揺が伝わったのか、余計に楽しそうに口を開けて下品な声で嗤い、こちらの不快指数のボルテージを上げて来る。
ついでにポケットに入れていたスマホから、着信音が聞こえ出す。
あ~こりゃ相手は静雄か秋山で、最悪なのは母さんか?
しかし、あの黒いと言うか暗い? 顔は某アニメの犯人が、まだ正体の分からない時に表現された時の黒マスク! けど、箱根崎の奴何で今更顔隠してんだ?
それに怨みとかこの間の『試合』の事を言っているようだけど、あの時は良く分からん攻撃で俺だって痛めつけられたんだし、今度は簡単に負けないぜ!
……と思ったけど、新調した制服を着たままだったので、ちょっとここじゃ不味いと考え直し、怒りは湧いたままだが一度深呼吸をする。
「知ってる相手には直ぐ解けるか……なんだぁ? お前もヤル気満々じゃねえのかよ? 散々挑発してやったんだ遠慮はいらねぇ、今度は手加減なんて余裕をかます前に沈めてやる」
「あんた少しくらい状況とか考えないのか? 今物凄ぉ~く俺らが目立っているって事、ちょっとは理解している? 通行人も数人逃げてったろ?」
「丁度いいじゃねえか、もう邪魔は入らねぇ。さっきのオヤジも親切ぶって寄って来ちゃいたが、少し蹴りをくれてやったら様ねえ!」
まだ若干野次馬根性のある奴が、逃げずに遠目で俺達を見ているので迂闊に暴れられても困る。
この前と随分と人が変わったと言うか、箱根崎の奴見境が無くなってる? こりゃ考えるまでも無く最初っから頭のお熱は最高潮? ……余程俺と引き分けた事を腹に据えかねていたんだろうか?
だけど、こんな往来の最中で堂々とこんな事をしていたら、こいつが知っているかどうかは分からんが、今麓迫市内は警察が例の坂内組の事で巡回強化中なだけに……あ~あ、見つかったぽい。
『そこの二人何をしているの。歩行者の通行の妨げ、及びバイクを使った車線の進路妨害を今直ぐ解きなさい! もう直ぐここを緊急車両が通るので大至急で!』
案の定、俺の右の視界の端に巡回中のツートンカラーの車が映り、白黒に塗り分けられた軽自動車に、赤色警光灯を乗っけた所謂ミニパトに見つかったらしく、搭載されている拡声器から俺達に警告を告げてくる。
って、傍から見たら俺も邪魔している側かよ! ……こちとらいい迷惑だよ!
まあ、ミニパトの言ってきている理由も、現状を見れば最もだし緊急車両が通るって事は、猶更道は空けないといけないし事故か火事でも起きて、消防車か救急車でも通るのかな?
確かに箱根崎はバイクを左車線の歩道横に止めるんじゃ無く、さっき車に蹴りを入れた後そのまま降りて、俺の前まで来たから車道の真ん中に止めっぱなしだ。
そんな状態で俺と睨み合っていれば、注意されるのも当然だろう。
片側二車線の道路なので、他の車は箱根崎のバイクを避けているけど、クラクションを鳴らされなかったのが不思議なくらいだしな。
『そこのヘルメットの人、早くバイクを除けなさい! じゃないと強制的に除けますからね!』
尚も対峙したまま、一向に動こうとしない俺と箱根崎に対して警告を言ってくるが、乗っているのは女性警官らしく、ちょっと声が高く耳にキーンと響く。
更に着信音を怖くて確かめて無かったら、今度はメールの着信音が何件か連続して届く。
これは、確実に遅刻した事が伝わったか、毎度の如く静雄達の誰かだろう。
だが今はそれ処じゃないので、無視し箱根崎を促す。
「ほら、箱根崎言われてんぞ。さっさと除けないと面倒な事になるんじゃね? それに自転車じゃバイクから逃げれんだろ。アレ煩いし待ってやるから早よ行け」
「あ゛あ? 俺に指図すんじゃねえクソガキ! あんなの直ぐ黙らせてやるからそこで待ってろ! 本当に逃げんじゃねえぞ」
何だかんだ言って、国家公務員には逆らえないのか言う事聞くでやんの。
あの様子だと、少しは頭冷えたか? ……いや、違うな。余計に鶏冠に来たのか奴の背中からは、例の黒い炎が漏れ出している。
少々心配になったが、無茶はしないだろうと倒れていた自転車をスタンドで立て、箱根崎の後を目で追ったらとんでもない事になっていた。
何故かと言えばバイクに近寄るでなく、徐行して近寄って来たミニパトの方へ奴が足を向けたらしく、既に運転席の横に居たからだ。
あのミニパトのねーちゃん、無事だよな? 俺は慌てて奴の後を追った。
「おら、着てやったぞ。それで何だって? 邪魔だから除けろだと? 誰に物言ってんだねーちゃんよぉ? もっぺん言ってみな!」
「ひゃわっ!? ええええ!? わわわわわどどどどぉぉぉぉぉ!」
「あ゛あぁ~? 全然意味分かんねえな? お前さぁ? 真面に職質も出来ないんなら、もう一度親の腹の中から戻って出直して来いよ。分かったらその車から降りて走れ!」
アカン間に合わなかった……。
追いついた時には奴はヘルメットを脱ぎ去り、例の変な技を使っているのか俺には単にモザイクがかった顔にしか見えないが、あのねーちゃんには別の姿が見えているらしく、怯えきって目の端に涙が浮かんでいる。
更に言えば、途中で打撃音が聞こえていたので外傷がないか見たが、どうやら殴ったのは車の方だったようだけど、見事な拳……と言うかあのグローブには何か仕込んでいるのか、妙な形にベッコリと凹んでいた。
幾らなんでも、ただのパンチであんなにへこまされりゃビビるし、あの顔じゃなぁ……まさにこのねーちゃんの人生はCLIMAXって感じで、俺としては御愁傷様ですとしか言い様がない。
面倒な時に、もっと面倒な事になりそうな予感がして、思わず今日は厄日だと思いながら、これ以上箱根崎がエキサイトする前に止めに入る。
「なあ、お前の言う黙らせるって、バイクを除けて謝るんじゃないの? 俺の知っている世間の常識が崩れ去ったんだが? お前って俺以上に子供なのな?」
「手っ取り早いだろう? もうコイツに用はねぇ。次は邪魔が入らない場所へ招待してやるよ。……後ろに乗れ」
「はっ? 後ろって、何で俺が野郎の尻に乗らんきゃならん。自転車は置いていけないし、お前とバイクに二尻するくらいなら、そこのねーちゃんの方が良いわ!」
「面倒くせぇ野郎だな……おいお前、コイツを乗せて運転しろ。逆らうなよ? 次は車じゃ無く、その腹に風穴開けてやるぜ?」
箱根崎の野郎は、俺が思ったよりもぶっ飛んだ奴だったらしい。
奴の顔は相変わらずモザイクがかって見えるが、まるでロックコンサートでヘッドバンキングしている観客宜しく、恐怖と緊張の為かガチガチに固まった体を軸に涙を流しながら、首を縦に何度も振り頷いているこのねーちゃんが哀れだった。
「はああああいいいい! よ、よろこんでえええええ!」
「だとよ。お前はトランクか後部座席にチャリンコ積んで、俺の後を付いて来い。態々お前の要望通りにしてやったんだから、イイ……何だ? この気配は?」
「えっと、これ、どう収拾つけんの?」
今更だが俺の呟きは誰にも聞かれる事は無く、遠目に見ていた人やいつの間にか周りにいた筈の通行人が消えていて、バイクが邪魔してない車線どころか反対車線からも車が消え去り、辺りが異様な雰囲気に包まれシーンと静まる。
何故か不思議な事に、さっき拡声器で怒鳴られていた通り、遠くから徐々に救急車が近づいて来ると分かる、あの独特のドップラー効果を伴った高いサイレン音だけが耳に届いてきていた。
つづく