159話
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「さて、幾分か問題も片付きそうな事じゃし、そろそろ聞いても良いじゃろ。アキートよ、お主若干顔色が悪いぞ? 理由はその手と腕に巻かれた包帯にありゃせんか?」
「へっ? 顔色が悪い? ……本当だ。そういや病院で、あの医者と看護婦さんには安静にしていろって言われてたっけ」
師匠に指摘され、机の引き出しから手鏡を取り出して自分の顔を見ると、確かに普段よりあまり顔色が良くない。
食後に飲んだ薬と痛み止めのお蔭で、強く動かしたりしなければ思ったよりは響かないから、言われた注意が抜けていた。
「今夜は最初にちとワシの方が“ストゥルハーネ”の様に、一つの物事しか考えられんくなっておったせいで、お主に問いただすのが遅くなったんでの。詳しい話は明日聞く事にしよう、今日はもう寝るが良いぞ」
「ストル羽? なんだそりゃ? まあ何でもいいか、実はまだ見せたい物もあったんだけど、俺も体を壊しちゃ元も子もないからな。大人しく師匠に従って寝るとするわ」
すっかり夜もだいぶ更けた事だし、師匠が言う様にもう寝るだけなので、言うか迷っていた事をポロッと話してしまう。
気が抜けてつい口を滑らせたのだが、その一言で体を解すように伸びをしながら欠伸をしていた師匠の、ぽやんとした表情から一転すぐさま顔をこちらへ向けると、厳しい顔付でギョロリと睨まれる。
そしてもう少しの間、寝る時間が伸びる事になる墓穴を掘ってしまう。
仕方なく生糸の話を持ち出すと、もう言葉が出ないのか口をぽかんと開けて驚きとも呆れたとも言える複雑な顔を見せてくれた。
師匠曰く「これほど綺麗に汚れが抜け、色の染色も斑が見られなく、丁寧に撚られた輝くような生糸を、ワシは未だ見た事が無いぞ!!」とお褒めの言葉を頂き、あまりにも買って着た生糸の出来が“良すぎた”せいで、何故か怒られると言う理不尽な評価を貰う。
そんなこと言われても俺は偶々手に入れただけで、初めて見る物の良し悪しなんて「綺麗だな」くらいしか分からんわ!
結局今日もベッドで寝むれる時間は四時間程度しかなく、午前中は教科書を枕に睡眠学習に成りそうだ。
……因みに師匠が言った『ストゥルハーネ』とは、あちら側に出没する邪獣の一匹で顔の中央に大きな一つ目を持つ奴らしく、その外見通りに一つの事柄しか捉えられない事から、前しか見えて無い者を揶揄する言葉にも使われているらしい。
お蔭で寝た後に、馬と猪を足した様な外見の化物に追いかけられる変な夢を見たのも、後で思い出してみればある意味予知夢だったのでは? と回想する。
今朝の寝起きは最悪で、現在進行形で途轍もない痛みが俺を襲う。
それと言うのも、寝る前に疲れ切っていたせいで目覚ましを掛け忘れた。
したがって、自然に目が覚める筈も無くぐーすかと寝ていたら、久々に明恵のフライングボディプレスを食らい、決して折れてはイケナイ物が曲がったのだ。
その壮絶な痛みで目が覚め悶絶するにも、被っていたのは軽い夏掛けのタオルだけだったので、俺の上に明恵が乗っている以上簡単に除ける事も出来ず、声にならない苦悶の呻きを食いしばった口から漏らす。
「お兄起きる! 時間無い!」
「あ、明恵退け! 頼むから早く退いてー!!」
捥げた!? っじゃない折れちまうよっ! そこは女性にゃ分からんとってもデリケートな部位なんだよ! 善い子は頼むから飛び込み禁止だ!
思っていてもそれ以上声に出せず、不思議そうな顔で俺から「よいしょっ」と言ってベッドから降りる明恵。
よく見ると明恵の奴、ランドセルしょってやがった! 登校時の完全装備で来たのかよ! 終いには俺も泣くぞ?
「……明恵、朝の俺は生まれたての小鹿よりも繊細なんだ。頼むから次起こす時は横の目覚ましを鳴らしてくれな? 石田家存続の危機になる」
「うん? 分かった。早く来てね」
明恵はそのままトトトと部屋を出て、階段を下りて行ったようだ。
くそっ、朝から酷い目に遭った! ……変に曲がっちゃってないよな?
念の為恐る恐る確かめるが、何とか無事だったらしい。
意識が在るときなら構わんが、寝ている最中の不意を突かれては明恵を被害なく受け止めるのは、流石に無理な話しだ。
痛みが落ちついた所で明恵の言葉を思い出し、そのまま時計を見て焦りトレード窓を使った早着替えを済ませ、下へ駆け降りる。
「おはよう明人、あなたもっと早く起きないとダメよ? 最近夜更かしが過ぎるんじゃない? それとも明恵に毎回起こされる気なの?」
「おはよう母さん、単に目覚まし掛け忘れただけだっての。食べてる時間が無いから、途中で何か買って食うよ。弁当だけ貰うわ」
「もう、朝はしっかり食べないと次は許さないわよ? それと少し顔色悪いわ。きちんと薬飲みなさいね? 折角貰っても飲まなきゃ意味ないんだから」
母さんは俺に弁当を手渡しつつ、そう言って送り出してくれた。
もう一度時計を見て学校までの道のりを逆算し、徒歩は完全に遅刻で走れば間に合うが、今の俺には少々厳しい。
最終選択として、車庫に在る自転車に乗る事を決断。
自転車通学に許可は要らないが、俺の通う学校は丘の上に在り坂を登るのが面倒なので、あまり乗って来る奴がいないのだ。
坂の手前まで乗るのは楽で良いのだが、近場に自転車が置けるような場所が無いので(あってもコンビニくらい)、仮に鍵を掛けようと盗まれるのがオチで最後まで乗るか、諦めるかの二択になる。
流石に暫くはあの交差点に近寄りたくないので、自転車に乗る事を即断しギアを切り替えつつ軽快に漕ぎながら、風の要素で背中を押すように走らせた。
「ははっ、こりゃあ楽でいいわ。今度からこれで行くか?」
ある程度速度が乗った時点で、ギアを一番軽くし軽く漕ぐフリをしながら風の力で前進する。
スピードメーターなんて付いてないから正確な数値は分からないが、軽く二十キロ近くは超えているんじゃないだろうか?
そのまま見知った道路を通り、偶に俺と同じように遅れている生徒を抜かしながら、暑さを寄せ付けない風を受け爽快な気分だ。
今なら更に風を体に纏い、もっと加速できる。
そんな考えが浮かび上がり、自然に笑みが湧く。
「俺は今、風になって……おわっ!? ぶねぇ!」
歩道を走るには少々スピードが出ていた為、車道の左端を走行していたのだが、突然右スレスレをバイクが俺を煽る様に通り過ぎ、危うくバランスを崩し転倒しそうになる。
随分と荒っぽい運転だったな。
俺じゃ無きゃこけてたぞ……って、何だあのバイク? 俺を抜いた後少しだけスピードを緩めて止まり、此方を見てきた。
もしかして向こうも慌てていて、危なかったと思って俺が転んでないか確認してきたのかな? 案外そそっかしいだけの人だったか。
そう思った矢先、趣味の悪い髑髏を描いたフルフェイスヘルメットとライディングウェアに身を包んだ相手は、俺に向かって左手で中指をおっ立てて挑発してきた。
あんにゃろ、さっきのは故意かよ! 普通自転車にバイクで喧嘩売るか?
「……阿保らしい、誰が自転車でバイクに挑むかよ。免許を取る前に常識を考えろよボケが」
立ち止まってそう呟き、相手にする必要を感じなかった俺はさっさと忘れる事にして、再度自転車を漕ぎ出したのだがあのバイクは、とことん俺の邪魔をする気らしい。
俺が漕ぎ出し停車したままのバイク野郎を無視して通ると、追いかけ俺の真横に来てアクセルを空ぶかし、迷惑な騒音と排気ガスを浴びせて来る。
風を纏っているのでガスは来ないが、音が喧しく俺のイライラがMAXだ。
横を通る通勤中だろうか車に乗る人がスピードを落とし、心配そうに此方を見て窓を開けると大丈夫か聞いて来たけど、バイク野郎はそれを無視し気の良いおっちゃんの車に近づき、ドアを蹴飛ばしそれを追っ払う。
当然焦った様に車は逃げて行き、歩道にいた人も俺達を避けるように離れていく。
これにはいい加減我慢ならなくなり、自転車を降りてそのバイク野郎に文句を言う。
「お前さ何か用かよ? 俺はこれから学校なんだよ! もう遅刻確定だし、どう責任取ってくれるんだ? 俺の皆勤賞……はとっくに無理だが、理由もなしに遅刻すると問答無用で折檻が待ってんだよ!」
「……責任だぁ? 知らねえよんなもん! それよりツラかせや。お前には色々と怨みがあるんでなぁ。いいか、逃げんじゃねぇぞ」
怨み? 何で俺が怨まれるんだ? くぐもったその声にどこかで聞いた事が在ると思いながら、その言葉に含まれた意味を知る前に、中の見えないフルフェイスヘルメットのシールドを開けた顔を見て驚く事になった。
つづく
5/7 修正致しました。
×ライダースーツ
○ライディングウェア