153話
ご覧頂ありがとうございます。
瀬里沢を先に家に送り届け、田神さんの運転する車が俺の家の前に着き、倉庫を借りたり物を運んで貰ったり、今日一日色々本当にありがとうとございましたと伝えたところで、星ノ宮達にまた明日と別れるつもりだった。
しかし、ずっとネズ公を手に乗せペットの様にふれあい、戯れていた星ノ宮はとても悲しそうな顔で、ネズ公を掴んで(ネズ公が若干苦しそう?)離さず嫌々と首を振って俺と帰るのを拒み、流石に困ってしまい宇隆さんにアイコンタクトを送ると、返事の目が構わず早く連れて行けと血走っている。
口では言わないが、この後も一緒の空間に居るのは耐えがたいらしく、挨拶の後から俺に軽く手を振っていたのだけど、今はその手が千切れんばかりで、星ノ宮には見えない様に顎先を動かして『帰れ』と示し、その頬も引き攣りだしていた。
……宇隆さん、ネズ公が苦手なのは分かるがそんなに毛嫌いしてくれるなよ。
それと、何度も言うがネズ公は幾ら可愛く思えても、決して愛玩用のペットではないのだ。
「ねえ、ほんの一日だけでも良いの。エリザを私と一緒に過ごさせてくれない? お願いよ石田君。こんな風に豊かな仕草とこのつぶらな瞳で、私に怯えず意思を伝えようとしてくれる子は、今まで初めてなの!」
最初俺は妹の明恵が、おもちゃ売り場で欲しい物を見つけ、買って欲しいと駄々を捏ねる姿を重ねて顔がニヤケていたのだけど、何か今、星ノ宮の言葉がとても切実な物の様に聞こえ、一瞬驚く。
斜め後ろで、俺にサインを送っていた宇隆さんもそれを聞いて、酷く驚いた……いや、虚を突かれたと言う方が正しいかもしれない。
そんな痛切とした表情をしていて、ごく普通に冗談を言うような軽さで『はよ帰せ』とは言えない雰囲気になり、その言葉と一緒に唾を呑み込む。
この空気をネズ公だけはよく分かって無いらしく、星ノ宮の手の中で風にそよぐ自分の髭をピピンと前足で整え、モチュモチュと顔を洗う仕草をする。
齧ったナッツ類の屑が口の周りから零れ、綺麗になった。
う~ん、どうにも困った事になった、これじゃ一向に帰れないし、車が家の前に止まったのは音でも分かるから、何時までもここに居れば不審に思った母さんか、妹の明恵が玄関を開けて見に来るかもしれない。
別に見られてどうこう言う訳じゃ無いが、何となく合わせたくないのだ。
何故ならこれ以上に混乱を引き起こされかねないし、母さんと会って妙な化学反応を起こされて、俺にとばっちりが来るのは勘弁して欲しい。
絶対に後で根掘り葉掘りと、母さんから追求→親父に報告→俺つるし上げ→意味も分からず明恵も混ざるの図式が、簡単に思い浮かぶ。
母さんは問題が有っても無くても構わず顔を突っ込み、引っ掻き回すのだけは得意で、しかもそれを嬉々として行うので性質が悪い。
昼間あまり家に居ないのだって、家事はパパッと片付けてお隣の大園さんと出掛けている事が多いからである。
最近は俺も学校から帰宅する前に、寄る場所が増えたのであまり家に居ないが、前は帰宅部だし明恵を一人で留守番させる事も無く、割と誰かしら明恵を一人にさせない様に外に出掛けるにしても、一緒に連れて行くかそのまま残っていたしな。
学校帰りに偶に母さんから連絡が来て、保育園に明恵を迎えに行っていたのが懐かしく感じる。
……現実逃避じゃないが、ちょっと意識が過去に飛んでいたようだ。
どうしたら良いものか、いい案が思い浮かばず契約した初日から星ノ宮の下へ派遣出張させるのも忍びないけど、今のネズ公は特に困った様子も無く己を掴む星ノ宮の手に顎を乗せのんびりしていて、別に構わないかな? と思い始めるまで大して秒数は掛からず、気が付けば口が勝手に動いていた。
「ネズ公が良いなら構わん。ただし、あまり妙な名前を定着させないでくれよ? あとナッツを上げるのはいいけど、ネズ公の好物はチーズらしいから、上げてやってく……ああ!? 伊周に酒を買ってやるのすっかり忘れてた!!」
しかも、褒美を渡す約束していたのに、伊周の御希望だった酒を忘れていた事も同時に思い出し流石に焦る。
まだ買いに行く時間は在るが、酒専門の店はこの辺りには無くコンビニで買うにも、他で買うにも最近は年齢制限的にとても対応が煩く、残念だがアウトだ。
田神さんに頼むには色々と話しは聞いているだろうけど、ちょっとハードルが高いし、こんな事なら恭也さんの事務所に一度寄っていれば良かったか? 御神酒代わりに少しくらい貰えたかも。
……まてよ? 今日はこれ以上伊周の奴を枠から、もう出さなきゃ平気じゃね? けど次に出した時に不貞腐れたりされても困る。
そうやって二人の前で百面相をしていると、星ノ宮は早速ネズ公に話しかけ「エリザはチーズが好きなのね? 石田君には了承して貰えたし、好きなだけあげるわよ!」とネズ公と一緒になって喜んでいたが、宇隆さんだけは涙目で俺に「石田の裏切り者ぉ~!」と叫ぶ。
何時までも車の中へ戻らず、家の前で騒いでいる俺達を見かねた田神さんが、運転席から何かを抱えて降りてきて注意をする。
「奏様、お喜びの所大変申し訳ないのですが、ここでそう御騒ぎなさるのはお止め下さい。真琴もそんな風に腐らずきちんと主を諌めるのが、仕える者の役目ですよ?」
「くっ……そうだな。奏様、車の中へ戻りましょう。石田、お前覚えてろよ!」
「はええっ!? 俺が悪いの!? そこは感謝するとこ……ごめん。だってさ、さっきの星ノ宮を思い出せよ! お前だって仕方ないと思っただろ!」
ちょっと理不尽に感じたので、宇隆さんについお前なんて言ってしまう。
星ノ宮は浮かれすぎて、俺達二人の言い争いなんて耳に入ってないようだ。
そんな俺達二人を眺め、一つ咳払いをした後に田神さんは話を再開。
「それと石田様、詳しくは私も存じ上げません。ですが奏様がこのようにお喜びになるのは稀です。しかし代わりに貴方は何やらお困りの様子、差し出がましいようですが、先程の話が耳に届いたので、お酒の事でしたらお礼にこの一本をお渡しします。御納得頂けますでしょうか?」
と、宇隆さんとの間に割って入り一本の日本酒を何処からか持ってきて、箱ごと俺に手渡そうとする。
白木の箱に仕舞われた随分と値段の張りそうなお酒だが、瓶に貼られた名を見ると『白山比咩神』と達筆で書かれていた。しろやまひ……ひ? 読めねぇ!
くれるならありがたいけど、コレ本当に貰っちゃっていいのかな?
手を出して受け取ろうか躊躇していると、宇隆さんはこの酒の事を知っているのか、何故かつまらなそうな顔で溜息を吐く。
「石田様、遠慮は必要御座いません。単に封の空いてない物が、それしかなかっただけですから。それに……あんな奏様の姿を見られたのですから、そんな物は些末な事ですよ」
「……石田、構わんいいから貰っておけ。田神がそう言うのだから、きっとそうなのだろう」
「お、おう。じゃあ、頂きます?」
まあ宇隆さんまでそう言うのなら、問題ないのだろう。
俺が田神さんからその瓶を受け取ると、田神さんは帰りますよと宇隆さんと星ノ宮を乗せ、俺にもう一度頭を下げると静かに車を発進させ遠ざかる。
……見えなくなってから、改めて考えるとネズ公を預けて本当に良かったのだろうか? 何だか際限なくネズ公にチーズを捧げ、周りが見えて無い有頂天な星ノ宮の姿を頭の中で幻視した。
その後、「ただいま~」といつもの如く家に入り、即行で母さんが現れ「明人に荷物が届いていたわよ~? いったい何を買ったのかしらね? もしかして母さんには見せられない様な物?」とか、イヤラシイ笑みで聞いて来たが、受け取っただけで、本当に中身は見て無いらしい。……珍しい事だ。
念の為、鞄以外を全て枠内に収めて置いて本当に良かった。
いつもなら、俺の意思に係わらず中身を確かめられたりするので、迂闊に男の性活必需品などは通販では頼めない。
明恵も居るし、その点だけは万全の対策を施しているこの俺に、抜かりはないし、実は色々と仕入れる際には静雄の協力を得ている。
なので、お互いの趣味趣向はある程度知っていたりするが、深くは詮索しないようにして貸し借りする仲だった。回想終わり。
と、送られてきた中身を確認するべく居間に行こうとした所で、母さんの視線が俺の包帯を巻かれた手と腕をみて、スッと笑みを消して掴まれる。
「あだだだだ! ちょ、母さん痛いって!」
「この包帯は何? あんたその上着も今朝着ていたのと違うじゃない。何があったのかちゃんと言うまでは、このまま握って離さないわよ?」
常日頃から家事で鍛えている握力は並じゃ無く、母さんに捕まれれば残念ながら逃れられない。……このフレーズどこかで聞いたな。
仕方なく、それまで理由として考えていたカバーストーリーを話し、確認をしたければ星ノ宮に電話して聞いてくれと言ったところで、漸く手を離してくれた。
「あんたって子は、年を重ねるごとに言い訳に隙が無くなるんだから、誰に似たのかしらね? きっと明人はお父さん似よね。惚ける時の表情なんかそっくりだし……」
どうやら、母さんには誤魔化しているとバレバレの御様子。
だけど、一応は信頼してくれているから手を離してくれた訳で、許してくれなければそのまま腕拉十字固になっていた筈だ。
親父への最近帰りが遅いと愚痴を零しながら、母さんは台所へと戻って行く。
随分と簡単に開放してくれたなと思ったが、夕飯の支度の途中で玄関に顔を出したようで、良い匂いが鼻孔を擽る。
そのまま廊下を抜けて階段を上がり着替えを済ませ、序に枠内に入れておいた他に買いこんできた物なんかを、ベッドの上に放り出すと件の送られてきた箱を取りに居間へと戻り、そこで最大の難関である明恵が待ち構えていた。
この瞳を輝かせ期待に満ちた表情は、箱の中身が知りたいのとそれは明恵にも貰える物なのかを教えてと言う、無言の訴えに違いない。
母さんが俺の怪我の具合を見て軽いと感じ、あっさりと解放した原因はこのためだったに違いない筈だ。
きっと、俺が帰って来る前に中身が何なのか確かめるように、明恵へとミッションを授けたのだろう。今にも箱を開けんと、明恵は用意周到に鋏とカッターの入った道具入れを傍に置いている。
この道具入れは、明恵がまだ小さい頃に触りたがる危険物を入れて仕舞う様にしていた物の名残で、今も現役で活躍して物が無くならない役割も果たしていた。鋏やカッターそれにプラスドライバーって、必要な時に見当たらないって事がこのお蔭で無くなったもんだ。
兎に角、母さんに中身が知られても本当なら困りはしないけど、子供服ばかり上下二十着と少しの量をどうするのかを答えるのは難しいので、明恵を小脇に抱えると箱を『窓』枠内に収め、キャッキャと声を上げて笑うのも構わず、俺の部屋へと一気に駆け込む。
この中なら、母さんに聞かれずに済むし明恵へと中身の説明をする。
「ん、分かった。母にも秘密。明恵は約束守れるもん!」
「じゃあ、箱を開けるから明恵にも手伝って貰おうかな。そしたらまたあっち側を一緒に見るとするか」
勿論この事は秘密だし、約束を破れば明恵が貰ったあの石はシャハへ返す。
それにもう二度と冷蔵庫は使わせないと釘を刺しておいた。
妹相手に少々大人気ないとは思うが、あっち側の事をこれ以上他の誰かに知られるのは、どうあっても今は避けたいのだ。
ある程度荷物を分けた頃に、一階から夕飯が出来たと母さんから声がかかる。
ちゃっちゃと居間へ行こうと促し、この続きは食べた後で終わらせ、それが済めばあっち側と繋ぐぞと言って、明恵と一緒に階段を下りた。
つづく