148話 二人目の契約者
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漸く右手に在った危険物の処理が終わり、ネズ公もその身に許容量一杯までたらふく火を取り込んだせいか、力尽きたようにすっかり“ぐでん”とだらしなく腹を上にして、地面に横たわっている。
その姿は休日に居間でゴロゴロしながら、新聞を広げる家の親父にも思える仕草で、余程疲れたらしい事を窺えてどこか愛嬌と親近感を覚えた。
ネズ公を横目に、俺も似たような感じで楽な姿勢になり、もう維持に集中する必要も無くなって、やっと吐き気は収まって来たけど、今は一度口の中を水で濯いで嗽をしたい気分だ。
よく考えれば、あの思い付きで練り上げた火と風の要素の塊は、俺達を洞窟ごと蒸し焼きにして尚焦がす勢いが在ったって、いったい俺の力加減の弁は何処に飛んで行ったんだろう?
日頃から駄々漏れ状態だとは、恭也さん達にも言われたので間違いはないと思うけど、洞窟内を文字通り氷らせた事と言い、この怠さが回復したら一度どこかで今の術の威力を試してみないと、今後この力が必要になった時に、加減の出来ない物を扱うには危険すぎて不安だった。
普通の人は煙草に火を点けるのに火炎放射器は使わないし、台所に湧いた蝿を叩くのにミサイルの弾頭を使う主婦も居ないのだ。
昔鼠が怖くてその駆除に、アースブレイクボムなんて物を持ち出した、ぶっ壊れ青狸ロボもコミックの中にはいたが、現実には存在しない……よな?
なんて風に、割と思考が纏まらないくらいにいい感じにだらけ、俺の方もこうしてネズ公に残りの力をほぼ全額ベットして、一か八かの賭けには勝った訳だが、財布と言うか俺のソウルの器の中身が素寒貧に近く、全身の怠さと眠気を更に強く感じ始め、地面に胡坐を掻いたまま後ろへと寝転がる。
気絶から醒めた時の凍えた時とは裏腹に、今の火照る体には背中へ感じる地面の冷たさが心地よかった。
ついでに氷りが解けて、姿を現していたスマホを回収しておく事も忘れない。
「あ~生きているって本当に素晴らしい。素晴らし過ぎて、もう、このまま眠っても良いよな……と行きたいけど、一端戻らんと不味いか。なあ伊周ここ最近の俺は、ちょっと働き過ぎじゃね?」
《全くなにをほざいておるか。だいたい先程の事は主が勝手にやった訳じゃし、それの尻拭いを、類稀な儂の知恵とそこな火鼠のお蔭で落着した賜物ではないか? 寧ろ儂と火鼠のような良い働きをした臣下に、よくやったと褒美を寄越すのが主の務めぞ!》
「え~、疲れたのも苦労したのも元はと言えば、伊周が調子に乗ってあんな業を披露したからだろ! まあ一応助かったのは認める。けど……あんまり酒ってよく分からんし、値段が高過ぎるのはダメだからな?」
今回は色々在ったけど、俺が伊周に頼んだ結果が原因で起こった事だ。
こいつには大雑把に注文すると、自分の杓子で物事を進めちゃうから、次からはもう少し細かく伝えなきゃならんと分かっただけ、今回の体験はプラスだったとポジティブに考えよう。
それに、伊周の助言で助かった事は事実だし、少しは何が好きかとか分かっていた方が、これからもお互いに上手く動ける筈だろうしな。
《クカカカ! それは実に愉快じゃ! それでこそ儂の主様よな。なあに酒を選ぶのは儂に任せて、主は支払う金子の用意でもしておるが良い。だがのう、火鼠には何が馳走なのじゃ? 儂もこいつが何を好んでいるのかは知らぬぞ》
「そんなのお前が聞けば早いだろ? おいネズ公、お前は何が好きなんだ? さっきはお前のお蔭で助かったからな。何か欲しい物はないか?」
俺が横で寝転がるネズ公にそう声を掛けると、鼻をヒクヒクっと震わせ針金を思わせる髭をそわそわと動かし、ごろんと横に転がって頭をこちらへ向ける。
これで顔付きがふくふくとして丸っこいなら、可愛いと思えるのだろうけど、こいつはどちらかと言えば、ワイルドな顔付きでその体型と反する格好よさを漂わせる奴なので、撫でたいと思った気持ちをグッと抑えた。
だからネズ公は、いったいどんな男らしい物を要求してくるのか、少しだけ興味が湧く。
「……チューチュ!」
《ちいず、とな? ちいず……うん? おお、あれか! 神棚に供えておった蘇の事か。確かにあれは臭いも濃いし、鼠共には食い付きがよさそうじゃ。まあ儂は余りあのような薬は好かんがの。主よ聞いておったか? こ奴は『ちいず』を所望すると言っておるぞ》
うん、何となく俺にも最初チーズと聞こえたような気がしたよ。
今のちょっと首を傾げて鳴く仕草、少しだけ可愛いかもと思ってしまった。
今度あのふにふにと柔らかそうな腹を、嫌がってもモフモフさせて貰おう。
しかし、物の怪って言うくらいだから、もっとこう血の滴る生肉とか生き胆を寄越せとか言ってくるかと思ったら、何の変哲もない乳製品のチーズかよ。
あれか? お前は猫と鼠のドタバタアニメで有名なサムとジェームズの賢い鼠の方か? 俺は子供の頃サムが不憫に思えて、テレビの前で応援したもんだ。
安上がりで済みそうだから良いけど、イメージ的にお前ら二人の選んだ酒とチーズって、日本酒は知らんけど一般的な組み合わせとしては、相性ピッタリだよな。
そんな風に、気を抜いて喋っていたら、伊周が宙に浮き上がりながら刃先をすぅっと、元来た道の方へと向けた。
《……主よこちらに何者かが近づいてきよる。どうやら生きた人の様だが、一端儂を中へ戻せ。しかし、不味いと思うたなら遠慮は無用。今度こそ主が傷付く前に、この儂が一太刀にて片付けてくれようぞ。これ火鼠、お前も何時までそう寝て居るか、お前もどこかその辺に……そのなりでは隠れられんか》
「チッチューチュ! チュ」
伊周に言われ、火鼠は得意そうにピンと伸びた髭を揺らし、体を小刻みに震わせぶれている様に見えた途端、一瞬ボッと強く燃えて次の瞬間最初に見たくらいの、手の平サイズへとその身を小さく変えて、むぐむぐと俺のズボンのポケットへと潜り込んで来て、少々くすぐったい。
なるほど、元は火の化身だしその身をある程度は、小さく変化させる事も可能なようだ。
上手く説明までは出来ないが、火にくべる燃料と酸素供給量の差とでも表現すればいいのだろうか? 頭の中で理論立てて考えようとしてみたが、元々こいつらには理論も常識も通用しない、不思議な存在だったと思い出し頬を掻く。
伊周も『トレード窓』の枠内へと戻した所で、光源が消え辺りが再び暗闇に包まれるが、今度は襲われる心配もなく恐怖心を微塵も感じずに、ネズ公の入った反対側のポケットに入れたスマホを、ゆっくり掴み電源を入れてみる。
……流石最新技術の塊なだけはあって、多少氷った所で問題なく電源が入り、表の液晶画面に眩しい光が灯った。
稀に精密部品でもある為、買っても直ぐ壊れる(もしくは故障する)事もあるが、叩いたら直る(勘違いをする)訳でも無いので、ホッとして例の懐中電灯代わりになるアプリを起動。
最初の起動画面を見て思ったが、やはりここに入った時点で大分火鼠の影響で、光源自体をかなり制限されてたらしく、その性能を発揮し今はとても明るい。
元々左手に握っていたので大した衝撃も受けず、ただ氷っただけで大して内部には影響が無かった可能性もあるけど、壊れて無く買い替える必要が消え本当に良かった。
一先ず手元に明かりも再度確保したので、伊周の言ったように元来た道の方へと、明かりを適当に振ってみると向こうもこちらの合図に気付いたのか、返事とばかりに明かりを向けて大きくグルグルと回す。
気になるのは、この距離なら大きな声を出せば聞こえる筈なのに、明かりの返事のみで、一向に話しかけてこないのは何故だろう?
この穴へ潜って来るのは、宇隆さんが先頭に星ノ宮と瀬里沢の三人、大穴が恭也さん辺りに違いないと思っていたけど、どうやらその誰でも無さそうで、少しだけ緊張を高めた。
つづく