プロローグ
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今砂地の見える緑の乏しい踏み固められた細い道をラバクと言う獣に乗り、偶に吹き付ける風が、日に照らされ熱せられた砂をその身に降りかける中、それを払い除け只管前に進む初老の男の名は、マガーヴマト・ホラム・ラーゼスと言い、普段は大都市アカフシオンでかなりの大きさの店を何件か構えている大商人だ。
彼の住む場所アカフシオンは巨大な川の畔に存在し、都市の中には複数の運河が設けられ商業や交通、それに軍事等様々に用いられ発展し今では商業都市としても名高い。
だが最近は店の事は全部彼の息子のシャマードに任せ、若い頃店を持つ前に回った行商路にラバクを曳いて歩きながら、昔を懐かしむと同時に各村や町の知り合いを訪ね歩くと告げると、期間を設けない気楽な商いをさせて貰っていた。
最も気楽とは言え“普通なら”たったの一人でそんな自殺行為な事はしない。
普通の行商人なら同じ行路を進む者で、商隊を組むなりをして移動を行うのが常であり、自衛能力のない人間では命がいくつあっても足りないのだ。
そんな中をラバク一匹に人一人で進むこの男は、表向きの肩書は商人であるが、他の肩書を引っ張り出せば“そちら側”の人間でもある。
気楽な商いとは言うモノのそれなりに儲けを出さないと、この行商の旅と言うのは中々続けられないものだ。
彼もお金が無いと言う訳では無いが、そこは商人として譲れない点であり、また人を育て商会を運営する事とは違った楽しみを感じている彼は、それだけは絶対に妥協しないであろう。
行商の旅の途中で出会うその地の人と触れ、売買を通じて感謝の気持ちを受け取り、ちょっとした己の自尊心も満たす事で、更にやる気を起こす……彼の行っている行商とはそんな商売だ。
実際、若い頃の彼は何処かに儲けの種が落ちてないか目を光らせ、更に持ち前の“銀の天秤”の力と“火の要素”を所々で使いながら、己の命を掛けた取引を持って金を稼ぐ、ギラギラとした野心溢れる“商人”だった。
都合三ヶ月半程で回れる行商路を旅しながら、ラーゼスは自分の人生の中で未だに、本来の“弟子”を見つけていない事を、深く考えながらラバクに乗り揺られている。
確かに息子や店の人間は全て彼の弟子とも呼べる存在だが、そもそもラーゼスの特殊な力である“物品交換士”としての素質を受け継ぐに足る弟子が、何故か未だ見つからないのだ。
彼の持つこの“物品交換士”の様な力は、生まれ持って授かっている者と、誰かに師事して学び己の素質を開花させ“閃く”者と“伝授”される者、後は血縁のみに伝える事が出来る“継承”、最後はお金やそれなりの価値のある物等“対価”を相手に払い、その力を分け与えて貰う“分配”の五通りがあるのだが、ラーゼスは生まれ持ったこの力を対価で分け与える事だけは良しとせず、彼は今まで誰にもその取引には応じる事が無かった。
理由は簡単、安易に他の誰かに“その力”を分け与えるなどすれば、最悪その恩恵自体が失われる恐れがあれば当然だ。
それでも金に困り、その力を失う愚かな者が絶対居ない訳ではない。
ラーゼスは息子に店を任せられる様になった際、“継承者”として力を分けたがそれも磨かなければ、彼と同じように“銀の天秤”の使える回数が増える事は無い、これ日々精進だ。
また対価を払う事で分け与えて貰った者も、それ以上に回数が増える事は無いので、彼としては純粋に素質を持ち、自身から“伝授”できる“弟子”が欲しいのである。
過去に店の者に何度か分け与えた事も無い訳では無いが、所謂切り札的な物としてでは無く、“常に売買の取引には公正であれ”と言う矜持を持たせる為に与えたくらいだ(不正はするな、ただし利益は確り取れと言う意味で)。
継承と違い、伝授を行って弟子を取れるならラーゼスは一段階上の“物品交換師”へと昇級し“ソウルの器”も大きく成るだろうし、その際必ず新たに力を授かる事が出来る。
本当の弟子を見つけると言う事は、己を更に磨き上げる事でも在るのだ。
彼は息子に今回は昔世話になった人達に恩返しをする、と言って出てきたが旅の果てに弟子見つけ連れて帰ったりすれば、どんなに驚かせる事が出来るだろうと思い浮かべる。
それが出来ればどんなに嬉しいだろう、きっと妻と息子それに店の者も、喜んで彼の昇級を祝ってくれるに違いないと考え、ラーゼスの顔に自然と笑みが浮かぶ。
――しかし、既に行商の旅は一ヶ月を過ぎ去り、商売は順調で路銀も問題ないのだが、“これは”と言う者に出会う事は無かった。こればかりは運命とでも言うのか、人との出会いが無ければ弟子が見つかる事も無いので諦めて進むしかない。
丁度次の村で“命名式”が行われるとの話で、ラーゼスは仕入れて置いた“かりそめの石”を小袋からだしその数を確認していく。
確か同じ年に生まれた子供は十二人、その内手紙で無事に育ったと分かった者は五人だった筈、……七年もあれば体の丈夫な大人だって不幸が在ったりするが、ソウルの器も体の作りもまだ育ち切って無い弱い子供にとって、その七年はとても大変な期間でもある。
もっと王都の近くに村があるか、腕の良い医者が居れば少しは違うのだろうが、如何せんそこは一ヶ月もの旅程を越えて、更に南にある小さな村なのだ。
どうしたって不測の事態は起こるし、それを防ぐことは例えアカフ(神)でさえ無理な話であろう。だから無事村について命名式を終えた時は、多少滞在期間が延びたとしてもその子供達のお祝いを、彼も一緒に祝おうと心に決めていた。
その手の平に赤く輝く“かりそめの石”を見つめながら、ラーゼスはそんな事をつい考えてしまう。
「……年かのう。お前とも中々に長い付き合いじゃが、お前は丈夫で長生きでワシの良き相棒じゃからな、これからもまだまだ頼むぞ?」
そう呟きながラーゼスは長年妻よりも共に過ごした時間の長い、ラバクの首筋をゆっくりと撫ぜ、少しの黒糖と岩塩の塊を舐めさせる。
ついでに“底無しの水袋”取り出し自分も同じように岩塩と黒糖を一舐めし、水分を取って喉の渇きを癒す。
元々地域的に火と風の要素の影響が強く、地の要素は弱く更に水の要素は雨季でも無ければ早朝や、夜間の本の瞬きくらいの時間しか地表に現れる事が難しく、井戸と大きな川から引いた小さな流れが命を繋ぐ生命線でもあるので、この“底無しの水袋”の値段はとても高価な物だが、一人での行商には絶対に欠かせない必需品でもあるのだ。
グビリと喉を鳴らし終えて袋に栓をし、左右に揺らすとチャプチャプと水の鳴る音が聞こえるが、思ったよりもその音が軽く感じられ、旅慣れたその耳には不安を覚える響きだった。
頼りなくなった気がするその袋を持ち上げると、ラーゼスは溜息を一つ吐き独り言を呟く。
「……これは、少々昨日飲ませ過ぎたかのう? 大分村には近いとは言えまだまだ水は必要じゃし、ちょいと寄り道せんと不味いの。どれ、そっちでは無くこっちじゃ」
手綱を掴んで軽くピシリと音を鳴らしてラバクの頭の向きをずらしてやり、長年歩き慣れた細い道を逸れると昔商品を届けに立ち寄った事のある、今は使われていない筈の軍の駐屯地へと足を延ばす。
ラーゼスの記憶では道自体は昔軍が通る為に一度整備されたが、それも今は軍が去り使われる事も維持する事もされなくなり、日干し煉瓦で出来た道は見る影もなく単に線として見えるくらいだ。
いずれここも風で運ばれた砂に埋もれ、道があった事さえ忘れられるのかも知れない。
道とも呼べないそれを目で追いながら、ラーゼスを乗せたラバクは順調に駐屯地跡へと進む――
日は既に中天を過ぎ、暑さもピークを過ぎた頃目指す駐屯地跡が遠くに見えてきた。
まだ駐屯地を守るべく作られた壁が見えるので、その存在が残されている事を表していたのだが、人の居ない筈のそこから微かに立昇る煙が見え、旅人でも迷い込んだのか自分と同じく水を求めて井戸まで来た者がいるかの、何方かであろうと考えていた。
「これはちょっとした商売のタネに成りそうじゃの。あまり期待はできんが安全に眠れる場所が在れば、誰でも少しは良い物を食べたり飲んだりしたい欲が出るもんじゃ」
何せ独り言を呟いたラーゼス本人も、野宿よりは建物の中で眠れて過ごせるなら、これ以上の贅沢は無いと考えているくらいだ。
そう思いながらこれから出会う相手に、どういった物を買って貰おうかと今ある商品の中から、酒に香辛料、味の良い干し肉、黒糖で甘さを足し硬く焼き固めたパン、それにちょっとした雑貨と薬等……そこで思い出したのが、売れるとは到底考えられない“要素変換器”と言う妙な名前の結晶、これもあの変わり者のある人物から酒代として“絵”と共に押し付けられた物なのだ。
一応使えない事は無いのだが、如何せん別に普通に生活していては“どうしても必要な物”足り得ない品物で、それは当然と言えば当然でありガラクタではないけれど、客を選ぶ品物であり余程洒落の分かる人物か、酔狂な学者にでも売れるのであれば良い方だろう。
あの酒代は閉めて大銀貨八百枚に届く代金で、普通の四人家族が都市で一ヶ月過ごすのにだいたい大銀貨四枚と考えれば、あまりのその代金の高さに仰天するだろうが、三年分のツケの代金なのだからそれくらいして当たり前だ。
そもそも都市にでも住まなければ、そんなに大金は必要では無いのだから。
だいたい一月に一樽でも一年で十二樽にも成るから、酒樽一つ五年物の蒸留酒の金額が大銀貨十枚と大銅貨五枚で、そのある人物はだいたい一月に二樽、多くて三樽を注文していたのでそんな金額へ上ってしまった訳だが、ラーゼスの“等価交換”で押し付けられた“絵”と“要素変換器”が釣り合ってしまったから、この取引は神聖な物として彼の矜持もあれば断る事はできないので、渋々ながら決済となった訳だった。
――漸く詮無い事を考えるのを止めると、ラーゼスはこの先に待ち受けるモノを知らずゆっくりとラバクの手綱を掴み、その歩みを止める事なく駐屯地へと足を踏み入れる事になる。
その後、命からがらそこに潜む砂賊から逃げおおせたのもつかの間、水が足りず最悪酒で代用するかと思いつつ、何か無かったかと荷物を漁った時、彼は“生涯唯一の弟子”と出会う事になるのだった。
爺さんの軽い紹介&プロローグでした。
5/6 加筆&修正致しました。
×火と風のソウル~地のソウルは弱く更に水のソウルは雨季でも無ければ
○火と風の要素~地の要素は弱く更に水の要素は雨季でも無ければ