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金庫

作者: じゃこ

 間違いない、やはりあの老人はこの時間に家を空けるのだ。閑静な住宅街、広々として芝が切りそろえられた庭、立派な門。いかにも人生に成功したという人間が住む家だ。片やその家に今まさに忍び込もうとしている男自身が随分惨めに思えた。まあいい、その生活も今日で終わるのだ。この家の主人は、この高級住宅街ですら力不足な程の大金持ちらしい。しかも、どうも人に言えない方法で金を稼いでいるらしいので、通報の心配も無い。この辺りは人通りも少ないので、正に格好の獲物というわけだ。


 機械の番人が音を立てて解錠を知らせる。ドアの暗証番号もバッチリだ。その他家の間取りから金庫の暗証番号まで、この日の為に入念な下調べもしてある。老人は当分帰って来ない事は知っているものの、手早く済ませてしまいたい。男は確保しておいた屋内の見取り図を開いた。


 地下の階段を下りながら、男は勝利を確信していた。既に警備会社に通報するためのセンサーの電源は落としてあるし、監視カメラにも写っていない筈だ。成程家に資産を置いておくだけあって随分周到な警備体制だったが、この手の盗みを何度も経験している男には容易い仕掛けであった。地下室に入ると、男の身の丈の何倍はあろうかという金庫の扉が目の前に広がった。これだけ重厚な構えならば、中身の方も相当期待できるというものだ。老人が帰ってくるまでに車との間を何往復出来るだろう。思わず男は舌舐めずりした。


 指紋認証用の端末にハッキングして、老人の指紋データを抜き出す。成功だ。扉が音を立てて開いた。扉の先には、小部屋の奥にもう一枚の扉が見えた。随分厳重なものだ。時計を確認して男は舌打ちした。今度はカードキー式らしい。これも余裕だ。暫くして事も無げに扉は開いた。その先にはまた小部屋と扉。前の小部屋にも今の小部屋にも、地下に通じる隠し階段やら、金塊や札束やら、特別何かあった訳ではない。男は苛々しながら次の扉へ向かった。


 扉、扉、潜った先にもまた扉。仕掛けが変わってまた扉。途中で引き返すなどという考えは男の中で消えていた。どうせ家主は半日は戻ってこないのだ。ここで引き返しては入念な下調べが全て無駄になってしまう。男は半ば自棄になっていたと言ってもいいだろう。この扉を開いても扉、と思いきや、何も無い小部屋にぶち当たった。地下か地上に通じる階段も、何かを操作する端末も見当たらない。かといって金塊の類や何かの書類等、金庫内に入れるに値するようなものも何もない。部屋内を一通り探っていると、突然男の頭上でガスが散布されはじめた。どうやら侵入に気付かれたらしい。ああ、終わった。もう何もかもおしまいだ。ガスが充満し切る前に、男は意識を失っていた。


 忍び込んだ家の応接室のソファの上で、男は目を覚ました。向かい側には例の老人が座っている。

「目が覚めたようだね。いやはや、君は中々の逸材のようだ。あの金庫の扉を全て突破するなんて。」

老人が両手を広げて笑う。状況が飲み込めない。

「いやぁ、警備システムもセキュリティもそれなりに強化してきたつもりなんだがね。どうだい、面倒だったろう?」

そう言う老人は、まるで悪戯を熱心に説明する少年のような口ぶりであった。

「あの、警察に通報とかは…。」

「ああ、うん。君の回答次第ってところかな。腕は充分そうだからね。」

意味深な回答に、男は思わず身構えた。

「君、僕に雇われてみない?」

「雇われて、ですか?」

「うん。さっき君が通った金庫があったろう。あれのセキュリティの強化さ。技師を雇うよりも、実際泥棒やってる人に頼んだ方がいいものが作れるからね。」

「はぁ。」

言っている意味はわかるのだが、意図がわからない。男は混乱していた。

「ただ、こういう事を頼むのに、まさか『泥棒様募集』なんて張り紙を出す訳にもいかないからね。こうして『無防備で馬鹿な金持ち』をやって誘い込んでるって訳さ。この辺は人通りも少ないし、絶好の場所だったろう?」

そうなれば盗まれても通報できない事情、というのもこの老人が流した噂なのか。何がそこまで老人を駆り立てたのだろう。

「あの。」

「ん、何だい?」

「その、あなたはセキュリティ会社の社長さんか何かなんですか?」

「いや、しがない資産家だよ。」

「ではどうしてそこまでして金庫の強化を?中身が無いのでは金庫の意味も、強化する理由も無いのでは?」

その問いを待ってましたとばかりに、老人はニヤリと笑った。

「ああ何、趣味みたいなものだよ。まあ、強いて言うなら中身は君みたいに勝手に入ってきてくれる輩かな。前に一度、僕の家に泥棒が入った事があってね。その時はまあ、事も無げにセキュリティに引っかかって捕まったんだけど、あの時の泥棒の悔しそうな顔が忘れられなくて。あの顔をもう一度見れたらと思ってさ。ま、だから君みたいに全部突破してくる輩ってのは想定外なんだけどね。で、どうだい。」

老人がこちらを見据える。

「君、セキュリティ強化に手を貸してくれないかい?」

男は自分の行動を振り返った。噂に乗せられ、空の金庫の為に奔走し、馬鹿みたいに捕まる。そんな思いを。

「ええ、引き受けましょう。誰も突破できない金庫を作ってみせますよ。」

自分だけが味わうのは些か理不尽である。

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